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番外編 恋と友情には国境はない(Sideサム)
しおりを挟む『サムはとても素敵な人だから、きっといい人と巡り会えるよ』
実家に帰ると報告した時、まるで天使のような笑顔で彼は送り出してくれた。
長年婚約関係にあったアネート伯爵家のセヴェーロと、関係を解消することが正式に決まって、僕自身はせいせいしていたんだけど、彼がそう言ってくれたらこの先もっといいことがあるような気がした。
そして、その言葉は現実になった。
三年前それを父上から命令されたとき、最初は滅茶苦茶面倒くさいと思った。
貴族学院に留学してくる隣国クレドの王子と同室になって、定期的に彼の動向を王家に報告するように……ってなんで僕がそんなことをしなきゃならないの。
「国王陛下直々の命令なので、逆らえないんだ。頼むぞ。サムエーレ」
「わかりました」
クレドの王子なんて、本当なら関わりたくない相手だ。だって。
このスプレンドレ王国はついこの間まで隣国クレドとの戦争をしていた。誰もおおっぴらには言わないけれど、だまし討ちのように戦端を開いて強引に攻め込んだのは我が国だった。
先代国王はああやって近隣国に攻め込んでは領土を略奪し、言いがかりをつけて賠償金を巻き上げていた。その国王が崩御して、やっと戦争が終わった。
クレドからすれば、こっちは山賊まがいのことをやったのだから恨んでいて当然、しかも彼はおそらく人質なのだ。そして第一王子の婚約者ということは、一生この国に縛られる運命にある。
……そんな子どうやって相手しろっていうんだろうな……。偉そうで生意気だったりしたらどうしよう。
そう思っていたのに、本人の顔を見たとたんに全てが吹っ飛んだ。
アルト王子は綺麗な黒髪をしたとても綺麗な子だった。僕の周りは軍人や武人が多いのでこんな華奢で可愛らしい子を側で見たことがなかった。
神殿の壁画に出てくる美しい神の使いのようだと思った。
表情はまったく動かなかったけれど、すみれ色の瞳が警戒するように僕を見ていた。
「……あの。最初に謝っておくけど、僕、君のことを監視するように命令されてる。だから、信用されなくて当然だけど……でも良かったらちゃんと友達になりたいんだ」
言ってることが滅茶苦茶だ。だけど、嫌われたくないと思った。
基本的に家格や身分で振り分けられている寮室は、卒業するまで変更はない。
卒業までの間だけでも仲良くしたい。こんな可愛くて綺麗な子に嫌われたくない。
「……友達になるのなら、名前を教えてくれませんか?」
紅を差したような唇からぽつりと告げられたのはそんな言葉だった。
「あ、いけない。名前言ってなかった。ごめん、サムエーレ・サルヴァレッツア。ラメリーノ伯爵家の次男。ええと……アルト殿下におかれましては……」
「だめ」
「え?」
「友達だったらアルトでいい。僕も君のこと愛称で呼んでいい?」
表情は変わらないけれど、瞳がわずかに和らいでいた。
「もちろん。サムと呼んで」
僕が差し出した手を彼は迷い無く握り返してくれた。
アルトはあまり感情を表にだせないようだった。理由はわからないけれど、本人もところどころ記憶がぼやけていると言っていた。それでも成績優秀で大概のことはそつなくこなすので、さすが王子様と思った。
彼のことをあれこれと悪口を言ったり嫌がらせをする人間もいたけれど、あれはおそらく恐れているんだと思った。
理不尽な戦争を仕掛けてかの国を傷つけたのだと気づいている人は多い。自分が間違っていると知っている人間は、正しい相手を恐れる。
婚約者のルーベン王子はまったく彼に接触してくる様子はない。手紙すら届かない。
アルトは一人で過ごしていることが多くて、それを見ると僕は慌てて駆け寄った。彼は孤独で、そして危うくて、今にも消えてしまいそうなくらい存在感が薄かった。
そんなある日、僕はアルトと学院内の庭園で待ち合わせていた。そこで誰かが言い争っている声が聞こえてきた。
「どうか名前だけでも教えてくれないか? 君のような人を夜会で見たことはないから、貴族ではないのだろう? 悪いようにはしないよ」
「離してください」
アルトが誰かに言い寄られている。そして、そこにいたもう一人の人物に驚いた。
「セヴェーロ様、何をなさっているんですか」
相手はアルトより遙かに大きな体躯を持っている。アルトの両手を掴んで押さえ込もうとしているのを見て、僕はその手を引き剥がした。
「サムエーレ……これは……その」
言い訳をしようとする相手に僕はきっぱり言い返した。
「彼は僕の友人です。乱暴な真似はなさらないでください。このことは報告させていただきます」
「それは待ってくれ……」
何を待てと言うんだ。何の用で学院に来たのだかしらないけれど、生徒に言い寄るとか問題しかないだろう。
これ以上言うなら僕も黙ってはいられない。そう思ったらアルトが僕の手を掴んで黙って首を横に振る。それで僕は仕方なく引き下がることにした。
「友人の手当をしたいので失礼します」
そう言ってアルトの背中に手を回して支えると歩き出した。握った手が少し震えているのを見て、間に合って良かったと思った。
「あの人は……?」
「ああ。僕の婚約者、アネート伯爵家のセヴェーロ様だよ。親同士が決めたから全然好意はないんだけど。あんな人だとは思わなかった。ごめんね。もっと早く僕が来ていればよかった」
「そんなことない。サム、ありがとう」
婚約者殿はどうやら華奢で儚げな子が好きらしくて、娼館とかでそういう子を選んでよく遊んでいるという話もある。僕の父から何度か抗議したらしいけど、変わりはない。
学院は愛人を見つける場所ではない。
よりによってアルトに手を出すなんて。主君の婚約者だろう。今回のことは厳重に抗議してもらわないと。というか、あんな奴と結婚するのなんて心底嫌なんだけど。
卒業間際になってやっと父上が婚約解消をとりまとめてくれた。相手の家が渋っていたのだけれど、度重なる不祥事にとうとう向こうも折れたらしい。
武人の家系同士が結婚するのは珍しくない。体格に恵まれた同士なら得られる子供もその資質を継いでくれるから。だから我が家のような代々武人を多く出している家は縁談には不自由しない。
ずいぶん前から父が婚約解消に動いているのを知って、他の家から沢山の縁談が届いているらしい。婚約解消の手続きついでにそれに目を通すために一回実家に帰ってこいと言われた。
それを話したら、アルトはよかった、と言ってくれた。
「……あの人、セヴェーロ様? サムにも酷い事するんじゃないかって……」
「大丈夫。僕はこれでも頑丈だからやり返すよ」
セヴェーロは身体こそ大きいが、僕とは鍛え方が違う。腕力なら勝てる。まあ、きっとあの人には僕がこういう性格だから気に入らなかったんだろうけど。
そうしたら、アルトは少しだけ口元を緩めて、
「サムはとても素敵な人だから、きっといい人と巡り会えるよ」
と言ってくれた。
婚約者に対しての悩みなら彼の方がきっと大きいだろう。あの放蕩者の第一王子が彼にとって誠実な婚約者とはほど遠いのは周知の事実だ。なのに僕の心配してくれるなんて。本当に優しい。彼が友人でよかった。
家に帰ったらうんざりするほど縁談が来てると聞いて嫌になってたけど、もしかしたらその中に彼の言ういい人がいるかもしれないと思ったら少し足取りが軽くなった。
結婚なんて嫌だと片意地張っている時だったら、縁談の書類を見ないで返してしまったかもしれない。けれど、アルトの励ましを無駄にしたくない。
全部にちゃんと目を通して、最後の一人に目が留まった。
「……マルテ公爵家……アロンツォ様……って、まさか?」
アロンツォ・ペトレッラ様。王家とも血縁のある名門マルテ公爵家の一員であり、王宮騎士団の団長、そしてこの国でも指折りの優秀な武人。今年三十七歳。
二十年くらい前に当時の婚約者が亡くなってからずっと独身で、弟に当主の座を譲って騎士団の仕事に専念している。
騎士団長として全ての騎士の模範となる人格者で、部下からも信頼されている素晴らしい人だ。騎士志望の者にとっては憧れの存在だ。
以前学院の授業で剣術の手ほどきを受けたことがあるけど、本当に強かった。剣筋が空間を断ち切る度に美しい軌跡を描き、その場で見ていた者全てが完全に魅了されていた。
そんな人が僕に求婚してくれているなんて、ありえるのだろうか?
けれど、書類にはまったく不審な点はないし、正式な手順に則っている。
けど、さすがにこれはない。信じられない。
「父上、これ、何かの間違いでは……」
そう言っていたら、執事がいくらか焦った様子で来客を告げた。なんとアロンツォ様本人が訪ねてきているという。
「大変申し訳ない。お詫びのしようがない」
僕と父上が口を開く前に、彼はそう言って深々と頭を下げた。
何でもこの縁談はマルテ公爵である弟が勝手に送ってきたらしい。
やっぱりおかしいと思った。僕は冷静にそれを受け止めた。こんな立派な人が僕に興味を持つこと自体がありえない。
書状だけで取り消すことだってできるのにわざわざ訪ねてくるなんて、評判通り誠実な人なんだなと思った。やっぱり騎士団長様となったら人柄も一流なんだ。
「ご令息に問題があるわけではない。ただ、本人からではない求婚では不誠実だろうと……」
「どうかお顔を上げてください。謝罪はお受けします。この話はなかったことに……」
父上が受け取った書類を差し出そうとしたら、アロンツォ様は従者に顔を向けた。
「よろしかったら、ご令息とお話をさせていただけないだろうか。ご心配なら隣の部屋に人を置いていただいて構わない」
え? 書類を受け取ったらさっさと帰ると思っていたのに。
僕が戸惑っているうちに従者さんや父上たちは隣の部屋に移動してしまった。
「サムエーレ様、以前騎士団で剣術指導を受けられていましたね。学院卒業後はどこかの騎士団に入るのですか?」
学院の授業の一環だったから、何人もいた学生の中から自分を覚えているとは思わなかった。
「覚えていて下さったんですね。実は卒業後は元婚約者の家に入る予定だったので、入団試験を受けられなかったんです」
「それはもったいない。あれだけの腕前ならどこでも合格したでしょう」
穏やかにそう言われて、僕は胸の中が温かくなる気がした。憧れの人が僕のことを認めてくれている。それだけでもう十年分くらいの幸運を使い果たした気がした。
そこからうっかりと元婚約者のセヴェーロの所業についてあれこれと聞かれるままに話してしまった。しかも、途中からかなり熱が入ってしまった。
「……浮気者なのは知ってましたけど、決定的だったのは僕の友人に手を出そうとしたことです。あの天使みたいな可愛いアルトに手を出すとか許せません」
「アルト……アルト王子殿下ですか。王宮で遠目にお見かけしたことがありますが、確かにお可愛らしい方でした。いいお友達なのですね」
「そうなんです。今日も彼が……きっといい人と巡り会えるって励ましてくれたので……」
だから縁談の書類をちゃんと見ようと思ったんだ。不意にストンと気持ちが落ち込んだ。
そうか。この人は僕との縁談を断りに来たんだった。
それに気づくと、ああ、馬鹿だなあと思った。いっぱい話を聞いてもらったら、期待してしまうだけなのに。何で正直にあれこれ口走ってしまったんだろう。
「実は……今日はあなたにお願いをしようと思って伺いました。今年の入団試験で合格者があまりに少なかったので、再募集をすることになったのです。調べたらあなたの名前がどこの騎士団にもなかったので、挑戦してもらえないかと」
「いいんですか?」
それを聞いて思わず声が弾んでしまった。
僕は騎士志望だったから、結婚後は家の仕事をするように言われた時にはガッカリした。今からでも受験できるなんて思わなかった。
アロンツォ様は優しげな笑みを浮かべて頷いた。
「いい顔だ。では受験希望と考えていいですね」
「はい。よろしくお願いします」
騎士になれるならすぐに結婚しなくてもいい。
それに、この人の下でまた剣術指導を受けられるようになったらどんなにいいだろう。僕は一気に舞い上がったまま即答した。
「……それから、縁談についてですが、あらためてこれを」
アロンツォ様はきっちりと封蝋が施された書状を差し出した。
「え?」
「……弟が代わりに求婚したなどと言われては騎士の名折れです。なので自分で申し込みに来ました。魅力的なあなたのことですから他にも縁談が届いているのでしょうが、ぜひ私のこともお考えに入れて欲しい」
縁談については断りにいらしたのだと思ったのに。
この人がどうして……。
そう思っていたら、真っ直ぐにこちらを見つめてアロンツォ様は僕に手を差し伸べた。
「実は以前剣の指導をしたときに、年甲斐もなくひと目ぼれしました。残念ながら婚約者がいらっしゃると聞いて諦めていましたが、今ならば許されるでしょう。どうか私と結婚していただきたい。……もちろん結婚後も騎士となって働いて構わないし、その……できればずっと同じ騎士団にいて欲しいと思っています」
頭の中に言葉の意味が染みこむまでに少し時間がかかってしまった。
僕にとっては憧れの、雲の上にいるような人だ。見ているだけで幸せなくらいの。その人が僕にこんな熱い眼差しを向けてくれるなんて。
でも、断るという選択肢はまったく思いつかなかった。だって憧れの人とずっと一緒にいられるんだから。
僕は緊張でガチガチになりながら差し出された手に左手を添えた。左手を預けるのは、相手を信頼するという意味だ。
「僕で……いいんですか」
「もちろんです。ただ……私は父君と二歳しか違わないような年だから……」
「そんなの関係ありません。でも……あなたには昔……」
この人には婚約者がいて、その人が亡くなってから結婚する気がなくなったと聞いていた。よっぽど素敵な人だったんだろう。その人より自分を見てもらえるんだろうか。
僕が口ごもった理由がわかったのか、アロンツォ様は穏やかに答えた。
「ああ。ご心配なく。彼なら生きていますよ」
「え?」
アロンツォ様の元婚約者というのは男爵家出身の騎士見習いだった。彼には想い人がいたけれど、異国の人間で親からも反対されて駆け落ちを目論んでいた。そのため時間稼ぎと偽装目的で婚約者になったのだという。そうしないと親が他の縁談を彼に持ち込みかねないから。
その後遠征任務中に感染症で亡くなったことにして、彼の駆け落ちを成功させた。今は異国で幸せに暮らしているという。あくまで内緒だけれど。
「私は昔から色恋沙汰には淡泊で、結婚にも興味がなかった。だから、一生懸命な彼らが可愛らしく思えたのです。……けれど、今なら、私にも彼らの気持ちがわかります。今出遅れたら、この手に触れることもできなくなる。そう思って焦ってしまったのです」
そう言って僕の手の甲に唇を寄せる。
僕は思わず顔が熱くなって、どうしていいのかわからなくなった。
いいんだろうか。
これはもしかして夢じゃないんだろうか。もしかしたら百年分くらいの幸運を使い果たしてないだろうか。
そうして足が地面についているのかどうかさえわからない状態だった僕は、アロンツォ様の求婚をお受けすることにした。
あれよあれよという間に学院の授業が修了したら入団試験にそなえてアロンツォ様の家で剣の稽古、それから入団試験をうけて卒業後はすぐに結婚式、と日程が父とアロンツォ様の間で固められていくのを、僕はふわふわした気持ちで見ているだけだった。
アロンツォ様のお帰りを見送るころにはすっかり日が落ちていた。
「では、またお会いしましょう」
アロンツォ様は静かに微笑んでくれた。それからふと、思い出したように足を止めた。
「そういえば、あなたのお友達は見事な黒髪でいらしたですよね?」
「はい。それが何か……?」
この国では黒髪の人は珍しい。そしてアルトのような漆黒のつややかな髪はもっと珍しい。僕は初めて見た。
「いえ、うちの部下が黒髪が好きなのを思い出して。黒髪や濃い色の髪の人がいるとじっと目で追っているんですよ。意識はしていないようですから、冷やかしたことはないのですが。今、殿下のお側にいるのでしょう?」
「グイド・ザーニ卿ですか」
アルトの護衛を命じられたと、つい最近やってきた無愛想な男だ。
……全然好意的じゃなかったぞ? 黒髪が好きなのか?
まさか今頃アルトに良からぬ真似をしているんじゃ……と僕が思っていたら、アロンツォ様は小さく首を横に振った。
「大丈夫ですよ。彼は堅物ですが、悪い男ではありません。ただ堅物なだけです」
……二回も言った。それほど堅物なのか。だったら大丈夫だろうか。
「アロンツォ様がそうおっしゃるのなら……」
とりあえず信じてみようか、とその場は納得したのだった。
アロンツォ様は思ったよりも情熱的な人だったらしい。僕が学院に戻ってから毎日手紙が届けられた。しかも直筆だ。お忙しい立場なのにと感動した。元婚約者なんて、季節の挨拶すら寄越さなかったから、やっと婚約者がいるという実感が湧いてきた。
ただ、相手がアロンツォ様だということは入団試験までは伏せておくことになった。贔屓だとか要らぬ詮索を避けるためだ。
アルトは立ち入ったことは訊いてこなかったけれど、新しい婚約者とうまく関係を築けていると喜んでくれていた。
そう、この頃からアルトが喜んでいるのがはっきりわかるようになった。それまで彼の表情はほとんど動かなくて、声の調子やちょっとした仕草でなんとなくわかっていたけれど。ちゃんと感情を表に出すようになった。
グイドもアルトと打ち解けてきて、二人であれこれ会話をしているのを見かけた。
どうやらグイドはアルトの悪い噂を聞いて偏見を抱いていたらしい。それが解消したので普通に接するようになったのだとか。
僕は授業が全て修了したら寮を出ることになっているけど、この調子なら彼はグイドとうまくやっていけそうだと安心した。
アロンツォ様が信頼しているのならグイドは悪い人間ではないんだろうし。
そして、行儀見習いの名目で、僕がアロンツォ様の屋敷に滞在する日がやってきた。
王宮に近い区画のマルテ公爵家別邸は、僕の実家より遙かに大きなお屋敷だった。広すぎるので騎士団に部屋や敷地を使わせているくらいだとか。
これなら同じ家で暮らしているとか意識しなくていいな、と安心していたらとんでもないことを言われてしまった。
「これから神殿で婚姻の儀式だけでも済ませておこう。この手の紋章を赤くしたい」
紋章を赤くするというのは神殿で婚姻の誓いを交わすことを意味する。
左手に婚姻の契約を刻むと、紋章が赤く浮かぶようになる。それによって正式に伴侶になる。たいていは結婚式と同時に行うけれど、中には事情があって契約だけ先に済ませて式はあらためて後日、という人もいる。
婚姻? 僕が? 呆然とした僕にアロンツォ様はダメ押しのように問いかけた。
「サムが同じ家で暮らすのだと思ったら、自分を抑える自信がなくなった。このような性急な求めは嫌だろうか?」
アロンツォ様とは婚約してから何度かお会いして、大分打ち解けてお話できるようにはなったけれど、過度な接触もなく節度を守ってくれていた。もしかして僕が年下だから我慢させてしまっていたんだろうか。
僕だって意識してはいた。同じ家で暮らすのだから、もっとアロンツォ様と親密になりたいとか。結婚前に閨での相性を確かめることもあると聞いていたから。もしかしたら、身体を求められるかもしれないとか。
まさか、一足飛びに婚姻の契約が来るとは思わなかった。誠実な方だから婚前の交渉を僕に強いるのが許せないのかもしれない。
「構いません。どうかよろしくお願いします」
そう答えたら慌ただしく馬車に乗せられて、王都の大神殿に連れて行かれた。
誰もいないのかと思っていたら、両親と兄、そしてアロンツォ様の弟君が待ち構えていた。しかも衣装まで用意されていた。
僕の両親はともかくアロンツォ様の弟君まで、ということは前からそのつもりだったのでは。
「……これ、僕が断ったらどうなさるおつもりでしたか?」
思わず問いかけたら、アロンツォ様は、
「まったく考えてなかった」
と、あっさりと答えた。
予想もしなかった状態で、僕はこの日、アロンツォ様と神の前で伴侶の誓いを立ててしまった。
……その夜は当然のように主寝室で待つように言われて、落ち着かない気分で夜着一枚だけを纏ってベッドに座って……かなり狼狽えていた。
……口づけされたのも、今日の儀式の時が初めてだったのに、もう閨を供にするってこと? どうしよう。大丈夫だろうか。何か粗相をしたら……。
アロンツォ様は僕にとっては本当に憧れの完璧な騎士で、遠くから見ているだけで幸せな存在だったのに。
結婚するだけでも自分の心臓が保たないと思っていたのに。結婚してしまったし。
その人とここでこれから……と意識しただけで、逃げ出したいくらい落ち着かない。
これ以上距離が縮まったら……生き延びられるだろうか。
指が強ばってきて、ますます身体が硬くなる。
そこへ扉が開いて、ガウン姿のアロンツォ様が入ってきた。
「……サム。顔色が悪い。どうしたのだ?」
そう言って僕の頬に触れると、隣に腰掛けてきた。
「こんなに身体が冷えて」
そう言って毛布で僕の身体を包んで、その上から抱きしめてくれた。
緊張しているのがわかってしまったんだ。
「私のせいだな。怖がらせるつもりはなかったんだ。ただ、サムと一緒に過ごせる理由がもっと欲しかったんだ」
「アロンツォ様……」
「若い子相手に余裕がなくてすまなかった。昼間は二人きりになれないから、寝室を供にすればもっと話ができるだろうと考えたんだ。けれど、そうなると世間体が良くない。だから儀式を急かしてしまった」
同じことを考えていてくれたんだ。もっと親密になりたいって。
確かに婚約期間に公然と寝室を共にするというのは、この方の地位だったらあまり褒められることではない。
そう思うとすこし力が抜けた。
「では……僕はお話相手をすればいいんですか?」
そう問いかけたらアロンツォ様の顔が近づいてきた。唇が重なる。
儀式のときの一瞬のふれあいではなく、僕の唇をこじ開けてもっと深く求めてくるようなキスは重なった部分から蕩けていきそうで、頭の中がぼうっとするくらい気持ち良かった。
「……まさか。愛しい相手が目の前にいて話だけで済むわけがない」
優しくて穏やかなアロンツォ様の目がまるで獲物を前にした肉食獣のように見えた。
ああ、そんな顔ですら格好いい、素敵だと思ってしまう。
僕が草食獣だったら、思わず食べて下さいと身を投げ出してしまっただろう。
僕の緊張が解けたのに気づいてか、そっと毛布を剥がされた。
「怖がることも身構えることもない。ここにいる私は騎士団長ではない。若く愛らしい伴侶を迎えて浮かれているだけの人間だ。ずっと君に触れたかったのを我慢していたんだ」
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「アロンツォ様……僕も触れて欲しいです」
そう答えたら、ゆっくりとベッドに押し倒された。
濃厚な夜が明けると、僕の目の前に裸の逞しい背中があった。
憧れの人。そして、今は僕のただ一人の伴侶。
思わず頬をくっつけて寄り添うと、小さくその身体が揺れた。
「……起こしてしまいましたか?」
「いや、しばらく前から起きていた」
そう言ってこちらに身体を向けてきた。そっと僕の左手を取って、自分の左手に並べる。
手の甲に赤く紋章が浮かび上がる。触れあうと赤く浮かぶのは婚姻関係が成立している証だ。
アロンツォ様の紋章はカーネーション。百合と並んで武門の家系に多く現れる。そうして僕のは……。
「昨日も思ったが、君らしいな。向日葵とは」
そう言いながら僕の手の甲にキスをくれた。
「……初めて会った時、剣の才能も目を瞠るものがあったけれど、それ以上に所作が綺麗で、見習いの騎士たちに対しても礼儀正しく接していた。下の者に対する態度には人柄が出る。……凜と立つ向日葵のように美しいと思った」
「……そんな。あの時はアロンツォ様の剣技に見とれてて、あなたと同じ場所にいるだけでものすごく緊張して……右手と右足が同時に出たりしないかと狼狽えていただけです」
そんなの見られていたなんて知らなかった。確かに何度か目が合ったような気がしたけど……気のせいじゃなかったんだ。何も特別なことをしなくても、そんな風に見てくれる人がいたんだ。
「本当に私の伴侶は可愛らしい人だ」
アロンツォ様はそう言って今度は僕の唇にキスをくれた。
卒業式直前になって、真夜中に王宮からの使いが来た。
アルトとグイドが何者かの襲撃を受けて連れ去られたと。
グイドほどの武人がついていて、どうしてそんなことになったんだ。酷い目に遭っていないだろうか。
アロンツォ様の身支度を手伝いながら、僕はぐるぐると考えていた。
「サム。君はまだ正式な騎士ではないから連れてはいけない。私に任せてくれるかい?」
「……お願いします。アルトは大事な友達なんです。どうか……」
「大丈夫だ。アンジェロ殿下の指揮で、ある程度追跡できているそうだ。グイドも一緒ならきっと奴が守るだろう」
騎士団長の証である外套を羽織ると、アロンツォ様は微笑んでくれた。
『サムはとても素敵な人だから、きっといい人と巡り会えるよ』
アルト。君が言った通りだった。僕が今まで知らなかっただけで、僕をちゃんと愛してくれる人がいたんだ。それが憧れの人だったなんて。
君がもし僕に幸せをくれた天使なら、あの放蕩者の王子なんかより君を誰よりも大事にしてくれる人が現れたら、絶対協力する。君にも幸せになって欲しいんだ。
……だからアルト。無事に帰ってきて。
アロンツォ様を送り出した後、待っているだけで何もできないけれど、僕は窓の外をずっと見つめていた。
このところアネート伯爵家の醜聞が暴かれて、王宮が騒がしいのだとは聞いていた。僕の家は幸い婚約解消してから関係を絶っていたし、元々商取引もなかったから疑われなかったけれど、もしセヴェーロと婚約したままだったらと、ぞっとした。
そして、アネート伯爵家やセヴェーロと関係があったルーベン王子とエミリオは謹慎させられていたが、そこから逃げ出したという。
彼らの仕業だろうか。でも、理由がわからない。
僕の知らないところでアルトに危険が迫っていたなんて。
そう思った瞬間に、まばゆい光が走った。巨大な雷が落ちたような。
「……何あれ」
けれど、空は月が出ていて晴れている。あの方角は高位貴族の住宅が集中している区画だ。一体何が起きたんだろう。
アルトやアロンツォ様が巻き込まれてはいないだろうか。
不安でじっとしていられなくてうろうろと歩き回っていたら、騎士団の人がアロンツォ様からの伝言を伝えに来てくれた。
『二人とも無事です。王宮まで送り届けました』
ああよかった。
涙が出そうになった。
そして、わざわざ僕のために伝言を届けてくれたアロンツォ様の心遣いが嬉しかった。
やっとアルトに再会できたのは学院の卒業式の日だった。彼の瞳の色に似た淡い紫色の礼服を纏った彼は、ほんの少しの間にびっくりするくらい綺麗になっていた。
彼が宰相の陰謀に巻き込まれて誘拐されたという事実はかなり広まっていて、今まであまり彼と接していなかった級友たちも、心配そうに彼を見ていた。
彼の隣に寄り添う長身の男はあいかわらず目つきは鋭かったけれど、アルトを見るときだけその険しさが和らいでいた。
……何か雰囲気が甘ったるい気がするんだけど……。もしかして。
考えたらアルトの表情が豊かになってきたのも、よく喋るようになってきたのも、グイドが現れてからだ。
「……グイドがあんなに上機嫌なのは珍しい」
隣にいたアロンツォ様が驚いたようにそう呟いた。
「もしかしたらって思いませんか?」
「いや、明らかにそうだろう。元々グイドの好みそうな相手だから」
そうだった。グイドは黒髪が好きなんだった。
「サムにも心配かけてしまったよね? ごめん」
アルトはそう言って微笑んだ。
パーティまでの待ち時間だったので込み入った話はできなかったけれど、二人とも大きな怪我はなかったという。今は王宮で暮らしているのだとか。僕の近況も聞いてくれて、よかったね、と言ってくれた。
グイドがアロンツォ様と話しているのを横目に、僕はこっそり問いかけた。
「ねえ、一つだけ聞いてもいい? グイドと何かあった?」
アルトはすみれ色の瞳を軽く瞠って、それから頷いた。
「彼は僕の半身だよ」
そう答えると、彼はグイドの方に駆け寄って行った。
え?
半身って……。伴侶のことだよね? いつの間にそんなことに。
何だか我が子が独立して旅立ったような気分で、僕はグイドに寄り添うアルトを見送ったのだった。
「アルト殿下から手紙が届いているよ」
アロンツォ様が僕に書状を持ってきて、僕の片手が塞がっているのを見て開封してくれた。
クレド王国が賠償金を完済し正式に同盟を結んだことから、アルトは帰国が許された。
グイドも王宮騎士団を辞してついていった。驚いたことにグイドはリージェル侯爵家の令息とクレドのハーバー公爵の間に生まれた息子だという。しかも、アルトとは生まれた時からの婚約者。
帰国後に結婚披露の行事が延々と組まれて、やっと最近になって王都郊外の離宮に住まいが決まったとか。彼の兄が即位するまでは王族扱いになるけれど、いずれ臣下に降る予定だとか。
手紙には穏やかな暮らしぶりが淡々と綴られていた。
時々、前触れなしの来客が来るのが困りものだとか。
どうして高名な魔法使いのイーヴォ・ポテンテが彼の所にしばしば押しかけているんだ? しかもアンジェロ王太子も。
……そんなことを聞いたら、僕も彼に会いに行きたくなってしまう。
「サム。子育てが落ち着いたら、アルト殿下のところを訪ねようか」
「いいんですか」
僕は腕の中に抱えている赤子とアロンツォ様を交互に見つめた。
二ヶ月前、神殿で祈祷してもらって、この子を無事授かった。
騎士団の仕事をしながら子育てをしている日々は充実しているけれど、赤子連れの遠出は難しい。
だから、この子がもう少し大きくなったら……。
きっと幸せいっぱいに暮らしているだろうアルトと、また会える日がくるだろう。
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と、俺を容赦なく犯している男は、互いに互いを嫌い合っている(筈の)騎士様で――――。
「悪役令嬢」に仕えている性悪で悪辣な従者が、「没落エンド」とやらを回避しようと、裏で暗躍していたら、大嫌いな騎士様に見つかってしまった。双方の利益のために手を組んだものの、嫌いなことに変わりはないので、うっかり煽ってやったら、何故かがっつり喰われてしまった話。
※ムーンライトノベルズでも公開しています(https://novel18.syosetu.com/n4448gl/)
大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜
7ズ
BL
異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。
攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。
そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。
しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。
彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。
どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。
ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。
異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。
果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──?
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狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛
【完結】旦那の病弱な弟が屋敷に来てから俺の優先順位が変わった
丸田ザール
BL
タイトルのままです アーロ(受け)が自分の子供っぽさを周囲に指摘されて素直に直そうと頑張るけど上手くいかない話。 イーサン(攻め)は何時まで生きられるか分からない弟を優先してアーロ(受け)を蔑ろにし過ぎる話 【※上記はあくまで"あらすじ"です。】 後半になるにつれて受けが可哀想になっていきます。受けにも攻めにも非がありますが受けの味方はほぼ攻めしか居ないので可哀想なのは圧倒的受けです ※病弱な弟くんは誰か(男)カップリングになる事はありません
胸糞展開が長く続きますので、苦手な方は注意してください。ハピエンです
ざまぁは書きません
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番外編ありがとうございます!
アルトルートで幸せになったことが有翔が転生した姿とわからなくても妹に伝わって良かったです。
色んなサイドのほっこりエピソードが読めて番外編も堪能しました〜!
ありがとうございました。
番外編も楽しんでいただけてよかったです。
しばらく多忙でブックマークだけしていたのですが本日一気読みしてアルト殿下が幸せになっていてほっこりしました。
グイドの母様もいい味を出してます。離縁されたと聞くと儚い幸の薄そうな佳人をイメージしていたら全然違いました。
素手で熊って。🤣
楽しい作品ありがとうございました。
ありがとうございます。
実はあの人は結構なバーサーカーな設定でした。本編では名前しか出せなかったので登場していただきました。
最後までおつき合いありがとうございました。
一気見しましたが最高でした……!!
ストーリーの流れも良く読みやすくてあっという間に読んでしまいました。キャラも全員個性があり展開も予想外で面白かったです!それと一番はアルトが幸せになって本当に良かったですー!
これからも番外編を楽しみに待ってます!素敵な小説、本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
本日三本目の番外編を更新予定ですので、よろしければお立ち寄りください。