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2 平穏無事ではなくなった

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 アルト・フレーゲは隣国クレドの第二王子として生まれた。そして、クレドはこのスプレンドレ王国との長きにわたる戦争で敗れた結果、多額の賠償金とともに王子を人質に出すことになった。
 そして人質に選ばれたアルトは三年前、留学の名目でこの国に来た。同時に第一王子ルーベンの婚約者に決まり、二度と祖国に戻ることはできない立場だった。
 そんなアルトを見る貴族子弟たちの目は冷ややかで、貴族学院での生活は楽しいものではなかった。
 敗戦国の人間のくせに、という侮蔑。王子の婚約者という地位にしがみつく浅ましい奴だと陰口を叩かれ、時には今日のようにわざとぶつかられたり、持ち物を壊されたりするようになった。
 さらには寮を抜け出して誰彼構わず誘いをかけては身体を許しているという噂も悪意をもって広まっていた。

 ……クソガキどもめ、全員爆発しろ。
 ゲームの中では詳細に知らなかった過去。非力で孤独なアルトが祖国のために我慢していたのがわかってしまうと、そう毒づきたくなるのも当然だと思う。

 ただ、希望の光はある。それがアルトと寮で同室のサムことラメリーノ伯爵の次男サムエーレ。初対面でアルトの監視役を命じられたのだとあっさりバラして、その上で友人になりたいと言ってくれた。
 何ていい奴なんだ。天使か。もしや逞しい僧帽筋に純白の翼を隠しているんじゃないか?
 寮に戻ってきた僕は早速サムにあれこれ質問して状況を把握することにした。
 ここがあのゲームの中ならば、ストーリーがどこまで進んでいるのか。主人公がどのルートに向かっているのか。それを確かめる必要がある。
 とはいえストーリーがほぼ王宮の中で展開されているので、学院の中まで詳しいことは伝わってきていない、とサムは答えた。アルトの記憶を探っても同じだった。
「あまり役に立てなくてごめんね。だけど、ちょっと嬉しいな。何となく今日のアルトはとても前向きに見えるよ」
 元々のアルトは無口で大人しい少年だった。自分の人生を諦めたように心を閉ざしていた。そんな彼の唯一の話し相手がサムだった。
「階段から突き落とすまで増長させてしまったのは、僕が黙ってたせいじゃないかな。だから、周りに無関心でいるのはもうやめようと思う」
「そういうことなら協力は惜しまないよ」
 サムは僕の変化を不審に思うよりも前向きになったと喜んでくれている。
 そして彼が知っていることを教えてくれた。学院で僕に対する噂の内容が最近エスカレートしている。婚約者であるルーベン王子殿下がアルトを蔑ろにしていることが広まっているのが原因だろう、と。
「殿下には今、寵愛なさっている人がいるんだよね?」
 さりげに主人公エミリオの存在を問いかけてみると、サムは意外そうに目を丸くした。
「知ってたの? まあ、割と噂になってるからなあ。殿下が自分の宮殿に招き入れた平民上がりの子だよ。側近たちもその子に夢中で宮殿に入り浸っているらしい」
 今までもルーベン殿下は目に留めた相手を戯れに宮殿に連れ込んでいたらしい。飽きたら側近や部下に下賜したり、金を与えて放り出したりしていた。今回もそうなるだろうと周囲が思っていたら、爵位まで与えてその子を手放そうとしないらしい。
 間違いない、その子がエミリオだ。もう殿下の側にいるんだ。
「……サムの婚約者も殿下の側近だったよね? 大丈夫?」
 サムの婚約者は王子の側近セヴェーロ・ダリエンツィオ。攻略キャラの一人だ。武官としては優秀だが浮気者で、アルトにも誘いをかけてきたことがある。
 サムはすっかり諦めた様子で苦笑いを浮かべる。
「骨抜きにされてるみたいだよ。婚約解消したほうがいいってうちの親も認めてくれた。アルトにちょっかい出した頃から愛想が尽きてるから、結婚する気もなくなってたし」
 この世界は貞操観念が低い気がする。神殿で祈ることで子供を授かるので、配偶者以外と密通しても不義の子が生まれたりしないからだろう。
 同時に複数の相手と身体の関係を持つことは珍しくない。
 ただ、全ての人間がそうとは限らない。一人の相手と添い遂げたいと思う人もちゃんといる。サムはそのタイプなのだろう。
 それに貴族の場合、たとえ愛人が何人居ようと婚約者や配偶者を尊重しなければならない。結婚が家同士の繋がりだからこそのルールだ。それが守れないなら関係を破棄されても文句は言えない。
「執務にも支障がでているようだし、もう遊びだと許容できる範囲を超えているんじゃないかな。このままだと、アルトにとっても面倒なことになるのは間違いないよ」
 その通り。サムの推察は正しい。
 それでもアルトはこちらからの婚約解消はできない。国と国との関係が絡んでいるのだから。ルーベン王子が堂々と婚約者を蔑ろにしているのは、こちらの足元を見ているからだ。
 その不誠実さに腹は立つけど、僕はゲームの展開を知っているので相手に縋る気にはなれないし、王宮にいるルーベン王子にアルトが何を言おうと届くことはないだろう。

 今頃王宮ではイケメン攻略キャラたちがエミリオとイチャイチャしたり奪い合ったりの愛憎劇が始まっているところだろう。
 嫌というほどスチルで見たから知ってる。
 この時期アルトは貴族学院にいるから完全に蚊帳の外で、そうした出来事を噂で知り気を揉むだけ。出席した社交の場でも蔑ろにされ、将来への不安と焦りと嫉妬でエミリオを憎んでいく……という展開になる。
 その結果エミリオに危害を加えようとしたことが発覚して、学院の卒業式の日、ルーベン王子から婚約を破棄される。ここでアルトは表舞台から消える。
 この後エミリオと五人の攻略キャラとのそれぞれのストーリーに分岐する。婚約破棄後のアルトの扱いもルートによって違う。

 現時点でまだエミリオは王宮に入ったばかり。ルートはまだ確定していない。けれど王宮で起きているイベントを見ることができないので先行きが読めない。
 僕は今後もエミリオには関わらないつもりだ。嫌がらせをする気もない。アルトの心情は理解できるけど、破滅するとわかっていてそんなことはさせられない。
 攻略キャラとも関わらない。喧嘩売らない。波風を立てない。
 それでもストーリー上、王子からの婚約破棄はあるだろう。その時少しでも情状酌量を訴えられるように立ち回らないと。できれば味方や逃走手段を確保したい。
 目指せ長生き。破滅エンド回避。アルトだって幸せになる権利があるはずだ。
 そこまで考えてから、おかしなことに気づいた。
 グイド・ザーニはつい十日くらい前、アルトの護衛に任じられた。理由を聞いても、王子殿下のご命令だからとしか答えてくれなかった。
 彼は攻略キャラの一人なのだ。エミリオから離れるはずがない。元々王子はエミリオの護衛に彼を選んでいたから、グイドはいつもぴったりと彼の側に控えていた。
 どのルートでも彼はエミリオの忠実な騎士だった。
 すでにゲームとのズレができているんだろうか。まあ、アルトが日本人大学生の記憶も持っているという段階で大きくズレてるのだから今さらなんだけど。

「ザーニ卿は何で僕の側にいるんだろう……」
 思わず呟くと、サムが不快げに眉を寄せた。
「さあ、ずーっと険しい顔で突っ立ってて鬱陶しいったらないよ。ルーベン殿下に命令されてアルトに何かしてくる可能性はあるね。気をつけないと」
「そう……だね」
 確かにルーベン殿下なら後々婚約破棄をするための証拠集めというか罪状でっち上げを企んでも不思議ではない。
 たとえば手練手管に長けた男に誘惑させて浮気をしたと言いがかりをつけてくるとか。何か不実の証拠になるものを僕の部屋に忍ばせておくとか。
 ただ、グイドという男はそういう小細工にはまったく向かない人物なのだ。

『グイドはねー。このゲームの唯一の良心だよねー。飼い主まっしぐらの忠犬、って感じ』
 妹にそう評されていたように、真面目で誠実。人間性で言うなら攻略キャラの中でダントツまともな人間だ。
 グイドはエミリオを下町時代から知っていた。王宮で苦労するエミリオを陰から支えようとする。そうして恋が芽生えるという設定だ。
 剣などの強さは別格でも他の攻略キャラより身分が下なので、エミリオを手に入れるのは難しい。それでも二人はこっそりと愛を育もうとする。
 王子や他の攻略キャラはそれに気づいて彼の前でエミリオとの行為を見せつけていたぶったりする。エミリオを守るためにそれにひたすら耐えるグイド。最終的に二人は愛の逃避行の果てに結ばれるという純愛エンドだ。
 妹いわく、グイドルートはその一途さから、ゲームのユーザーからは『ご飯が何杯でもいける』と好評なんだそうだ。なるほど。
 ちなみにこのルートだとアルトはエミリオに刃物を向けて、グイドに瞬殺される。
 そんな彼がどうして僕の護衛をやってるんだろう。まあ、嫌々なのは顔を見てれば分かるし、好かれていないのもいいとして。あの険しい目つきが何かやらかしたら瞬殺するぞと語っているようで怖い。
 さっきも寮室に入るまで怖い顔でずっと付き添ってきたので、何だか気が重くて仕方なかった。さっさと王宮に帰ってくれればいいのに。

 その夜。寝ようとしてベッドに横になった瞬間、何か明るいものが明滅した。それに目を向けると、いきなり正面に見覚えのある四角い画像が現れた。
 これってゲームのステータス確認画面だ。各キャラの好感度とか攻略の進み具合を確認できたり、ヒントが出たりする。何というか優れものだ。
 これは助かる。
 まずはエミリオのステータスを表示してみた。恐ろしいことに序盤にして全攻略キャラへの好感度がすでにMAX。どうしてこうなる。スーパー八方美人すぎないかエミリオ。
 これじゃエミリオが誰のルートに行きたいのかわからないじゃないか。
 他の攻略キャラの画面に切り替えると、ほとんどがエミリオへの好感度が五割超えている。こっちもペースが速すぎないか。
「……あれ?」
 ふと、グイドのステータスで指が止まる。
 エミリオに対する好感度がほとんどゼロ? エミリオが平民だったころからの知人で密かに恋情を抱いていた設定じゃなかったっけ? これは何事?
 どのルートでもこんなにエミリオへの好感度が低かったことは無かったと思う。
 そもそもいくら序盤とはいえ、卒業式前にグイドとアルトが会うルートはないはず。
 ということはグイドルートはありえないってことに? それにしたって、おかしいことだらけだ。
 ……って待てよ。

『とにかく、目指せアルトたんルート。エロかわアルトたんを愛でるために頑張るよ』

 まさかと思うけど、妹が見たがっていた『アルトたんルート』に入ってしまったんだろうか? もしそうなら、僕のゲームの知識はあてにならないってこと?
 
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