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Prologue

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 一人の若き王がいた。蜂蜜色の髪と琥珀の瞳をした美しい王だった。
 自らの美貌を誇り、周りに芸術家たちを侍らせ、政も顧みず奇妙な衣装を纏って王宮の奥殿で放蕩の限りを尽くした。
 美しい者だけを重用し、気に入らぬ臣には当たり散らし、無実の者を牢に送った。
 王はいつまでも美しく年をとらなかったのは、悪魔にその身を与えていたからだった。
 そして夜な夜な王宮の地下で悪魔を呼び出し、その悪魔と交わっていた。
 心ある人々が勇気を出し立ちあがり、王を諫めた。王はすでに悪魔に魅入られておりいかなる言葉も聞き入れなかった。人々は王を捕らえたが、全ては悪魔の仕業であり炎で清めるしか方法はなかった。

 ……かくして王は火刑にかけられた。

「うわー。すごい悪人だー。この国にこんな悪い奴いたんだねー」
 本を読み終えてジュール・ラルカンジュが棒読み気味にそう呟くと、傍らに座っていたサシャが苦笑いしていた。
 「そうですね。どこの誰でしょうねえ」
 サシャはそう言いながら愛おしげにジュールのさらさらした銀色の髪を撫でる。
「……あんまり触るな」
「いいではありませんか。家の中でしかこうして触れないのですから」
「けど、触り方がしつこい」
 ジュールがうざがってその手を避けても、サシャは気を悪くした様子もなく微笑んでいた。

 サシャは南方出身の特徴である浅黒い肌と黒髪の持ち主。すらりとした長身と精悍な顔立ちをしているせいか、二十三歳という年齢より少し上に見られがちだ。
 一方のジュールは今年十五歳。銀色の髪と白磁の肌。大きな目のせいか歳格好よりは幼く見える。二人の共通点は翡翠のような緑色の瞳だけ。無論血も繋がっていない。
 彼らは五年前国境近くのこの農村に住み着いた。サシャが薬の調合ができるので重宝されている。ジュールは一応その弟子という触れ込みだ。村の農作業を手伝ったりしているので、村人たちからは可愛がられている。

「死んだあとのことはどうでもいいが、こういうのは腹が立つな。年々話が盛られて話が大きくなっている。愚か者たちは僕の罪状を増やさないと死ぬ病気なのか」
 愛らしい唇から飛び出す悪態に、サシャは宥めるように焼き菓子の皿を差し出した。
「まあまあ。そろそろ出かける時間でしょう? くれぐれも髪は隠すのですよ」
 村人たちからキノコを採ってきて欲しいと頼まれていたので出かけるところだった。
「わかってる。ついでに薬草もあったら採ってくるよ」
「暗くなる前に戻ってくるように。銀髪狩りが隣村にも来ていたそうですから、無理は禁物です」
「わかっている」
 ジュールは手近な布を頭に巻き付けて銀色の髪を覆うと、その上から帽子を被る。

 この村は国境に近く、周囲は森に囲まれている。このあたりの領主は先の謀叛で中立を貫いた穏健派だが、この地方でもいわゆる「銀髪狩り」が始まっていた。
 王宮からのお触れがあって、銀色の髪を持つ十代の子供を連れて行けば褒美が出るのだという。必ず生かして連れて行くことが条件だが、いい金になるからと傭兵崩れの連中があちこちの村を嗅ぎ回っているらしい。

 サシャの心配はわかるが、ジュールはあまり危機感を持っていなかった。
「この僕を誰だと思っているんだ。世界でもっとも賢く美しい国王だよ」
 ジュールは芝居がかった口調でそう言うと、道具の入った鞄を手に取った。サシャは穏やかな笑みを浮かべている。
「それはわかっています。けれど、どうか気をつけて」
 そう言って当然の権利のようにサシャはジュールの頬にキスを落とした。

 五年前マルセル大公による謀叛事件があった。
 若く美しい国王フェルナンは悪魔と通じたとして、教会と叔父であるマルセル大公によって告発された。王宮の地下に悪魔召喚に使われる魔法陣や生贄の羊などが残されていた。
 フェルナンが地下に入り浸っていたことや、王宮でいかがわしい宴が繰り広げられていたという証言があったため、国王自身はその疑惑を認めないまま火刑にかけられた。
「我は神に誓って恥じ入ることなど何もない。神に認められた王を火にかけた貴様らにはいずれ報いがあるだろう」
 火刑台に繋がれたフェルナン王はそう言い放ち、やがてその身体は炎に包まれた。

 ……そのはずだった。

 目が覚めたとき、フェルナンは森の中にいた。
 炎で灼かれたはずの手足には火傷の痕はない。ただ、違和感はあった。
 ……なんだこれは? 僕の身体ではない? 妙に小さい? これでは子供ではないか。
 彼の魂は十歳の少年の中で目覚めたのだった。
 それは自称「ちょっとすごい魔法使い」、サシャ・ラルカンジュの術によるものだった。
 しかも何故こんなことをしたのか問いかけたフェルナンにサシャは跪いて頭を垂れてこう答えた。
「ずっとあなたをお慕いしていました。あなたが非業の死を遂げるなど許しがたいと思いました。だったらあなたの魂だけでも攫って、私の側にと大それた望みを抱いてしまいました」
「は?」
「あなたのことを愛しています。どうか私をあなたのお側に置いて下さい」
 ……いや待て、意味がわからん。
 自らの美貌や頭脳に自信を持っていたフェルナンをもってしても、サシャの考えていることはさっぱりわからなかった。

 ……好きな相手が殺されそうだからって、魂を移し替えるなど普通はやらない。というかそもそもそんな高度な魔法をホイホイ使うなど只人にできるはずがない。好きだという理由だけで、それをあっさりやり遂げてしまうとは、かなり普通ではない。

 今まで男女問わず口説かれることには慣れていたが、魂だけでも自分のものにしたいなどというヤバい告白は初めてだった。

 変態か。きっとこいつは常人には理解しがたい変態にちがいない。とフェルナンは思った。

 ……だが、これでよかったのかもしれない。
 いきなり別人にされてしまったフェルナンだったが、驚きすぎて逆に気持ちが凪いでしまった。
 叔父上が軍部や貴族たちとともに喧伝したために、国民までも僕が悪魔と通じているなどという馬鹿げた罪を信じて、火にかけろと叫んでいた。自分が王としてやってきたことなど、そんな妄言の前にはゴミクズに等しいのだと空しくなった。

 元々王位に未練も執着もなかったフェルナンは、そこまでされて彼らのために何かする気にはなれなかった。やるべきことはやったし、打てるだけの手は打った。だからもう、いいのかもしれない。
 こうして美貌の王フェルナンは十歳のジュール・ラルカンジュとして新たな人生を始めることになった。

 フェルナン王が好きだったと言い切ったサシャは、魂以外は別人であってもその気持ちは変わらないらしい。今までずっと献身的に生活を支えてくれた。
 けれど、キスや抱きしめたりはするけれど、身体を求めてきたことはない。
 だから、サシャが本当に求めていたのはフェルナンの美しい身体だったのだろうと、彼は思っていた。

 最初は姿が変わったことに馴染めなくて戸惑いが大きかった。けれど市井で別人として生きるなら、絶世の美貌は邪魔になるのだと今は理解している。
「まあ、この顔は嫌いではないけれど……」
 そう独り言ちて、ジュールは慣れた足取りで森を歩く。

 今の容姿で困るとしたら銀色の髪が目立つということくらいだ。下手に見られたら銀髪狩りに遭う可能性がある。
「銀髪狩りか。だが、あの子が生きている証拠だ」
 彼にとっての唯一の心残り。そのことを思うと暢気にキノコ狩りをしていていいのだろうかと落ち着かない気持ちになる。別人として生きている自分はもう彼に関わることはできないというのに。

 ふと、ジュールは顔を上げて空に目を向けた。
 今日はやけに鳥たちが騒がしい。それに小さな獣たちの気配もない。
 そして、何やら荒々しい男たちの声と草をかきわける足音が近づいてくるのに気づいた。

 村人たちではない。歩く足音は重く、金属音もする。おそらく剣を下げているのだろう。
 どうやら何かを追っているようだ。囲い込め、逃がすな、という言葉が聞こえた。
 そうして深くフードを被った二人連れが走ってくるのを見て、ジュールは事態を察した。

 ……あの二人を多勢で追い回しているのか。まったく美しくない。

「よかろう。僕自ら成敗してやろうではないか」
 ジュールは足元に落ちていた小石をいくつか拾うと、口元に緩く笑みを浮かべた。
「……さて、始めようか」
 ジュールは翡翠色の瞳を軽く細めて、近づく足音の主を待ち構えた。

 気まぐれで介入したこのささやかな事件が、彼の運命を大きく変えることを、この時の彼はまだ知らなかった。
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