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40 将軍閣下と宰相の後悔
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王宮の屋根が破壊された影響で、予定されていた国葬に伴う行事のいくつかは中止された。パーシヴァルたちはキャサリンたち王立医学研究所員一行が王都に着いたのを見届けてから出発することにした。
あれだけ精霊にあれこれされたらもうこちらに手出ししてくることはないだろう。
夕方になって宰相がパーシヴァルたちを訪ねてきた。なぜかバーニーも一緒だった。
宰相は顔色も悪く疲れた様子に見えたが、パーシヴァルに深々と頭を下げた。
「……申し訳ありません。私が陛下にちゃんと説明しておけば、あなた方に危害を加えるような真似はなさらなかったでしょう」
宰相はキャサリンたちを自分の館で保護したあと、王宮に出向いて新国王に挨拶をしてきたのだとバーニーが説明してくれた。
「いやー、ビシバシ説教してたよ。グレゴリーがめっちゃ凹んでいて面白かった」
彼は国葬に出席したカトカの装束のままで布袋を被っていない。ということは宰相は布袋の男とこの来賓が同一人物だと認識しているらしい。
宰相は到着の報告だけをして、すぐにキャサリン一行を救出するために王宮を後にした。王都入りの前にパーシヴァルたちがグレゴリーを支持することを明言していたことから、少しでもこちらに誠意を見せようと考えての行動だった。
王宮が破壊されて、やっとグレゴリーの企みを知ったのだとか。おかげでハルと精霊の怒りを買い、宰相の努力は台無しになってしまった。
「説教というほどのことではありませんが、精霊を怒らせて王宮の屋根くらいで済んだのはまだ幸運な方だと申し上げました。まして、ラークスパー公爵夫妻はこの国の民のために錆化病の薬を配布して下さった。まさかその恩人にこのような短慮をなさるとは……」
「そうだよねえ。もし将軍閣下に何かあったら、この国全体が更地になってたかもね」
バーニーが暢気な口調で追い打ちをかけるので宰相は更に恐縮したように肩を縮める。
「それに……ハロルド様には多大な恩があります。実は陛下ご自身にも一年前同じ薬をいただいたことがあります。あの薬の開発者の一人がハロルド様だったのだとか」
ハルは戸惑った顔をしていた。バーニーが微笑んだ。
「一年前グレゴリーは錆化病にかかったって言ってたでしょ? その時女王に頼まれて薬を渡したんだよ。本人は自然治癒だと思ってたみたいだけどね」
「……バーニー殿のことも女王陛下がよく話してくださった精霊バーレント様とは存知上げず、ご無礼いたしました」
どうやら宰相は薬師バーニーが女王の元を度々精霊として訪れていたことを聞かされたらしい。もしかして、その説教の時に同席していたのだろうか。同席していなくても精霊が彼に教えただろうが。
「いいよ。宰相閣下には話してないもの。でもまあ、グレゴリーは僕が誰だか知っててやったみたいだけどね? とりあえず、釘は刺しておいたけどね」
バーニーは軽い口調だが、どこか角のある口ぶりに見えた。
「何を言ったんですか?」
ハルが訝しげにバーニーに目を向ける。
「いや、将軍閣下が本気を出したら国境線なんて簡単に動かせるって言っただけだよ?」
「……私は動かす気はないぞ?」
「師匠、そういう脅しはダメでしょう? 私情で国境動かしたりはダメですからね?」
この国の兵士たちの士気を見れば不可能ではないと思うが、さすがに命令も出ていないのにそこまではしないし、軍を動かすのだってタダではないのだ。軽く言わないで欲しい。
パーシヴァルとハルが呆れていると、宰相がぽつりと口を開いた。
「あなたはハロルド様なのですね。……お恥ずかしながら変装に全然気がつきませんでした」
宰相は穏やかな眼差しを向けていた。ハルが驚いたように目を瞠る。彼の女装を見破る人はそうそういなかったのだから無理もない。
「レイラ司祭から全て伺いました。ハリエット様はすでにお亡くなりになっていて、そして、アルテアの精霊の巫女はハロルド様なのだと。大恩あるあなたに対して……何から何まで我が国がしたことは責められても仕方ありません……」
レイラは、ハリエットがまだ生きていると思い込んで狙って来る者たちを誘い出すために、ハルが女装してハリエットを名乗っているのだと説明したらしい。
宰相は元々ハルの祖父ルシアン王子の側付きだったが、優秀だったことから女王が自分の側近にした。その経緯でレイラとも元々面識があったのだ。
「別に恩義に感じていただかなくて結構です。すべて僕が勝手にしたことですから」
ハルは静かに微笑んだ。
「……ただ、僕はグレゴリー陛下のことはまだ許せません。僕の家族を奪おうとなさったのです。それなりの報いを受けて欲しいのが正直な気持ちです」
毒で倒れたパーシヴァルが助かったのはハルの治癒能力のおかげだ。おそらく普通の治療では間に合わなかったはずだ。
暗殺を指示したのはグレゴリーだったのだ。
ハルがまだ怒りを抱えているのも、当然だろう。もし逆の立場だったら、自分だったらそんなに冷静ではいられない。
施政者という立場から見れば、精霊という存在と通じて恩恵をもたらす巫女は魅力的存在だっただろう。この国には長い間、精霊の巫女は生まれていなかった。
そこへ現れたアルテアの巫女と思われるハリエット。彼はその誘惑に勝てなかったのだ。
……手に入れたところで言いなりにできるわけもないのに。
「本当に申し訳ありません。全ては陛下をお止めできなかった私の不徳。どのような罰でも覚悟しております」
宰相がここに来たのは、パーシヴァルとハルの怒りを自分が引き受けるためなのだろう。立ったばかりの新国王を精霊の怒りの標的にしたくないから。
最悪自分の命を差し出しても、と考えているのかもしれない。
ハルがパーシヴァルに目を向けてきた。この場を任せてもらえるかどうか問いかけているのだと気づいて、パーシヴァルは頷いた。
パーシヴァルが暗殺されかけたことは反乱騒ぎと精霊による破壊行為のおかげであまり知られていない。その首謀者が国王自身であることがわかっていても、告発するのは難しい。実行犯たちも自分たちの個人的な怨恨だと言い張っているらしい。
何より解毒剤もなく瀕死状態だったパーシヴァルが一晩で回復できた理由を説明するにはハルの治癒能力を明らかにしなくてはならなくなる。これ以上ハルが狙われる理由を増やしたくない。
そうなると表向きは反乱のどさくさに紛れて一部の貴族がパーシヴァルを殺そうとした、ということで収めるしかなくなるだろう。ストケシア王国としても、プロテアにまともな国王が立ってもらわなくてはならないのだ。
ならばこの場はハルのしたいようにさせるべきだろうとパーシヴァルは考えた。
ハルは手にしていた扇子を開くと、意味ありげに目を細める。
「宰相閣下は国王陛下の後見役ですよね? 陛下のことを我が子同然に指導なさるお役目……ということで合っていますか?」
宰相は頷いた。どういう経緯で彼が新国王の父親になったのかはわからないが、女王は王配の子を世継ぎにしたくなかったのだろう。
そして新国王の指導も宰相に委ねたのだ。
「はい、先の女王陛下からそのように命じられております」
「ではたとえ王であっても間違ったらちゃんと叱ってください。宰相閣下が代わりに謝るなんて、相当甘いです。甘やかしてはいけません。悪いことをしたらちゃんと『ごめんなさい』が言える人にしてください」
宰相は戸惑った様子だったが、すぐに一礼した。
「わかりました」
「それから、陛下には『精霊の巫女はあなたの暴挙を許しません。精霊はあなたの一挙手一投足まで念入りに見ています』……そうお伝え下さい」
「……かしこまりました。必ず」
宰相は内心ですくみ上がっているだろうとパーシヴァルは思った。目に見えないけれど人には及ばない力を持つ精霊たちにずっと厳しく監視されていることは、精霊を信仰している彼らには恐怖でしかないだろう。
これで新国王がストケシア王国に、アルテア領に手出ししてくることはないだろう。
プロテアに対してストケシア王国の優位が決まることになるなら、おそらくアーティボルトも文句はないだろう。
宰相が去ったあと、レイラ司祭が面会を申し込んできた。彼女は車椅子を押して入ってきた。車椅子に座っていたのは簡素な神官の服を纏った白髪白髯の老人で、ハルに目を向けると深く年輪のように皺が刻まれた顔に笑みを浮かべた。
プロテア大神殿の大司祭ランドルフ。ハルにとって曾祖父に当たる人物だとバーニーが囁いた。
「……ハロルド。近くに来ておくれ」
ハルはそう言われてそっと歩み寄った。緊張した面持ちで痩せ細った老人の手を取る。
「初めてお目にかかります。ひいお祖父様」
「そう呼んでくれるか。……すまなかったな、苦労をさせた」
「いいえ。仕方なかったのだと両親に聞いています。両親はひいお祖父様のことをずっと心配していました」
ハルが生まれたのは両親が駆け落ちした後のことで、彼はランドルフとの面識はないらしい。それでも彼はランドルフのことを聞いていたのだろう。
パーシヴァルもゆっくりと進み出てハルの隣に立った。
「大司祭様。ラークスパー公爵パーシヴァルと申します。ハロルドの夫です」
ランドルフは小さく頷くと、ハルとパーシヴァルに目を向けた。
「レイラとバーレント様から話だけは聞いていた。無事で良かった。もう帰国すると聞いて、会っておかねばと思ったのだ」
「お祖父様はずっとハロルドに会うのを楽しみになさってましたのよ。バーレント様がいつも自慢話ばかりなさるものですから、やきもちをやいていらしたのですわ」
レイラが微笑む。
「ランドルフ。僕が言った通りのいい子でしょう? ローズマリーに似て聡明で、モーリスに似て誠実で、そしてルシアン王子に似て慈愛に満ちている。……ストケシア王国の英雄を夫に迎えて、精霊にも愛されている。……だから心配ないよ」
バーニーが歩み寄ってきて車椅子の隣に膝をついた。
娘が嫁いだ女王の弟は謀叛の罪で殺され、孫息子はアルテア最後の王女と駆け落ちした。その子供が一人残されたと聞いて心を痛めていても、立場上何もできなかったのだと、老人は告げると、ハルの手を愛おしげに撫でていた。
ここにももう一人、ハルを愛している人がいたのだ。
ハルは少し目を潤ませて、それでもランドルフが部屋を出るまで涙を零さず笑みを絶やさなかった。
バーニーもランドルフたちとともに出ていって、パーシヴァルはハルと二人きり残された。パーシヴァルはどう言葉をかけていいか迷いながら、そっとハルの肩に手を伸ばした。
「……よく頑張ったな」
ハルはパーシヴァルに不服そうな顔を向けてきた。
「……今そんなこと言われたら……泣いちゃいます」
「ここには私しかいないのだから、構わないぞ」
パーシヴァルはハルを抱き寄せて額にキスを落とした。はずみでポロリとこぼれた涙の雫を指で拭ってやると、ハルは恥ずかしそうに微笑んだ。
ランドルフには次いつ会えるかわからない。年齢を考えたら二度と会えない可能性もある。だから涙をみせたくなかったのだろう。
ハルのそのいじましさが愛おしくて、そっと銀色の髪を撫でた。
「ハル?」
ハルはパーシヴァルの胸に顔を埋めてきた。
「……パーシヴァル様。帰国したら今度こそ、ゆっくり家族で過ごしたいです」
ハルの言葉にパーシヴァルは後ろめたい気分になった。確かに結婚休暇も新婚旅行も結局仕事が入ってしまった。ロビンともろくに遊んでやれていない。
これでは家族失格ではないか。彼らに愛想を尽かされる前にもっと時間を作らなくては、とパーシヴァルは思った。
「そうだな。色々ありすぎたからな。長期休暇をもぎ取ってくるかな。いっそ役職など辞してもいいのだが」
長きに渡って軍事的衝突が続いていたプロテアも、当分はこちらに手出ししてこないだろう。だったらそろそろ軍を退いてもいい頃合いだ。それでも筆頭公爵家としての職務はあるが、少しは時間が取れるようになる。
「家でゆっくり過ごすのもいいし、皆でピクニックに行くのもいい。乗馬を教える約束もしていたな」
パーシヴァルの言葉にハルは顔を上げて嬉しそうに頷いた。
ああ。これほどまで自分の人生には先の楽しみがあったというのに、自分は毒に倒れた時、全て諦めようとしていたのか。全くの愚か者ではないか。
自分には幸せをくれる愛おしい存在がいる。
「まずは……ハルともっと仲良くなりたい」
ハルの頬に手を触れてそう告げる。
「では……侍女を呼びますので少し待っていただけますか?」
ハルは自分の服装を見おろすと、少し頬を染めて恥ずかしそうに問いかけてきた。ドレスを脱ぐためだと気づいて、急かしてしまったことにパーシヴァルは気が咎めた。
「いや……急がなくても……。まだ時間は……」
ハルは少し潤んだ淡緑の瞳を向けてきた。
「いいえ。……僕が待ちきれないんです」
「ハル……頼む。頼むから煽らないでくれ」
パーシヴァルは可愛い妻の言葉に自分の身体がしっかり反応してしまったことに気づいて、そう返すしかなかった。
あれだけ精霊にあれこれされたらもうこちらに手出ししてくることはないだろう。
夕方になって宰相がパーシヴァルたちを訪ねてきた。なぜかバーニーも一緒だった。
宰相は顔色も悪く疲れた様子に見えたが、パーシヴァルに深々と頭を下げた。
「……申し訳ありません。私が陛下にちゃんと説明しておけば、あなた方に危害を加えるような真似はなさらなかったでしょう」
宰相はキャサリンたちを自分の館で保護したあと、王宮に出向いて新国王に挨拶をしてきたのだとバーニーが説明してくれた。
「いやー、ビシバシ説教してたよ。グレゴリーがめっちゃ凹んでいて面白かった」
彼は国葬に出席したカトカの装束のままで布袋を被っていない。ということは宰相は布袋の男とこの来賓が同一人物だと認識しているらしい。
宰相は到着の報告だけをして、すぐにキャサリン一行を救出するために王宮を後にした。王都入りの前にパーシヴァルたちがグレゴリーを支持することを明言していたことから、少しでもこちらに誠意を見せようと考えての行動だった。
王宮が破壊されて、やっとグレゴリーの企みを知ったのだとか。おかげでハルと精霊の怒りを買い、宰相の努力は台無しになってしまった。
「説教というほどのことではありませんが、精霊を怒らせて王宮の屋根くらいで済んだのはまだ幸運な方だと申し上げました。まして、ラークスパー公爵夫妻はこの国の民のために錆化病の薬を配布して下さった。まさかその恩人にこのような短慮をなさるとは……」
「そうだよねえ。もし将軍閣下に何かあったら、この国全体が更地になってたかもね」
バーニーが暢気な口調で追い打ちをかけるので宰相は更に恐縮したように肩を縮める。
「それに……ハロルド様には多大な恩があります。実は陛下ご自身にも一年前同じ薬をいただいたことがあります。あの薬の開発者の一人がハロルド様だったのだとか」
ハルは戸惑った顔をしていた。バーニーが微笑んだ。
「一年前グレゴリーは錆化病にかかったって言ってたでしょ? その時女王に頼まれて薬を渡したんだよ。本人は自然治癒だと思ってたみたいだけどね」
「……バーニー殿のことも女王陛下がよく話してくださった精霊バーレント様とは存知上げず、ご無礼いたしました」
どうやら宰相は薬師バーニーが女王の元を度々精霊として訪れていたことを聞かされたらしい。もしかして、その説教の時に同席していたのだろうか。同席していなくても精霊が彼に教えただろうが。
「いいよ。宰相閣下には話してないもの。でもまあ、グレゴリーは僕が誰だか知っててやったみたいだけどね? とりあえず、釘は刺しておいたけどね」
バーニーは軽い口調だが、どこか角のある口ぶりに見えた。
「何を言ったんですか?」
ハルが訝しげにバーニーに目を向ける。
「いや、将軍閣下が本気を出したら国境線なんて簡単に動かせるって言っただけだよ?」
「……私は動かす気はないぞ?」
「師匠、そういう脅しはダメでしょう? 私情で国境動かしたりはダメですからね?」
この国の兵士たちの士気を見れば不可能ではないと思うが、さすがに命令も出ていないのにそこまではしないし、軍を動かすのだってタダではないのだ。軽く言わないで欲しい。
パーシヴァルとハルが呆れていると、宰相がぽつりと口を開いた。
「あなたはハロルド様なのですね。……お恥ずかしながら変装に全然気がつきませんでした」
宰相は穏やかな眼差しを向けていた。ハルが驚いたように目を瞠る。彼の女装を見破る人はそうそういなかったのだから無理もない。
「レイラ司祭から全て伺いました。ハリエット様はすでにお亡くなりになっていて、そして、アルテアの精霊の巫女はハロルド様なのだと。大恩あるあなたに対して……何から何まで我が国がしたことは責められても仕方ありません……」
レイラは、ハリエットがまだ生きていると思い込んで狙って来る者たちを誘い出すために、ハルが女装してハリエットを名乗っているのだと説明したらしい。
宰相は元々ハルの祖父ルシアン王子の側付きだったが、優秀だったことから女王が自分の側近にした。その経緯でレイラとも元々面識があったのだ。
「別に恩義に感じていただかなくて結構です。すべて僕が勝手にしたことですから」
ハルは静かに微笑んだ。
「……ただ、僕はグレゴリー陛下のことはまだ許せません。僕の家族を奪おうとなさったのです。それなりの報いを受けて欲しいのが正直な気持ちです」
毒で倒れたパーシヴァルが助かったのはハルの治癒能力のおかげだ。おそらく普通の治療では間に合わなかったはずだ。
暗殺を指示したのはグレゴリーだったのだ。
ハルがまだ怒りを抱えているのも、当然だろう。もし逆の立場だったら、自分だったらそんなに冷静ではいられない。
施政者という立場から見れば、精霊という存在と通じて恩恵をもたらす巫女は魅力的存在だっただろう。この国には長い間、精霊の巫女は生まれていなかった。
そこへ現れたアルテアの巫女と思われるハリエット。彼はその誘惑に勝てなかったのだ。
……手に入れたところで言いなりにできるわけもないのに。
「本当に申し訳ありません。全ては陛下をお止めできなかった私の不徳。どのような罰でも覚悟しております」
宰相がここに来たのは、パーシヴァルとハルの怒りを自分が引き受けるためなのだろう。立ったばかりの新国王を精霊の怒りの標的にしたくないから。
最悪自分の命を差し出しても、と考えているのかもしれない。
ハルがパーシヴァルに目を向けてきた。この場を任せてもらえるかどうか問いかけているのだと気づいて、パーシヴァルは頷いた。
パーシヴァルが暗殺されかけたことは反乱騒ぎと精霊による破壊行為のおかげであまり知られていない。その首謀者が国王自身であることがわかっていても、告発するのは難しい。実行犯たちも自分たちの個人的な怨恨だと言い張っているらしい。
何より解毒剤もなく瀕死状態だったパーシヴァルが一晩で回復できた理由を説明するにはハルの治癒能力を明らかにしなくてはならなくなる。これ以上ハルが狙われる理由を増やしたくない。
そうなると表向きは反乱のどさくさに紛れて一部の貴族がパーシヴァルを殺そうとした、ということで収めるしかなくなるだろう。ストケシア王国としても、プロテアにまともな国王が立ってもらわなくてはならないのだ。
ならばこの場はハルのしたいようにさせるべきだろうとパーシヴァルは考えた。
ハルは手にしていた扇子を開くと、意味ありげに目を細める。
「宰相閣下は国王陛下の後見役ですよね? 陛下のことを我が子同然に指導なさるお役目……ということで合っていますか?」
宰相は頷いた。どういう経緯で彼が新国王の父親になったのかはわからないが、女王は王配の子を世継ぎにしたくなかったのだろう。
そして新国王の指導も宰相に委ねたのだ。
「はい、先の女王陛下からそのように命じられております」
「ではたとえ王であっても間違ったらちゃんと叱ってください。宰相閣下が代わりに謝るなんて、相当甘いです。甘やかしてはいけません。悪いことをしたらちゃんと『ごめんなさい』が言える人にしてください」
宰相は戸惑った様子だったが、すぐに一礼した。
「わかりました」
「それから、陛下には『精霊の巫女はあなたの暴挙を許しません。精霊はあなたの一挙手一投足まで念入りに見ています』……そうお伝え下さい」
「……かしこまりました。必ず」
宰相は内心ですくみ上がっているだろうとパーシヴァルは思った。目に見えないけれど人には及ばない力を持つ精霊たちにずっと厳しく監視されていることは、精霊を信仰している彼らには恐怖でしかないだろう。
これで新国王がストケシア王国に、アルテア領に手出ししてくることはないだろう。
プロテアに対してストケシア王国の優位が決まることになるなら、おそらくアーティボルトも文句はないだろう。
宰相が去ったあと、レイラ司祭が面会を申し込んできた。彼女は車椅子を押して入ってきた。車椅子に座っていたのは簡素な神官の服を纏った白髪白髯の老人で、ハルに目を向けると深く年輪のように皺が刻まれた顔に笑みを浮かべた。
プロテア大神殿の大司祭ランドルフ。ハルにとって曾祖父に当たる人物だとバーニーが囁いた。
「……ハロルド。近くに来ておくれ」
ハルはそう言われてそっと歩み寄った。緊張した面持ちで痩せ細った老人の手を取る。
「初めてお目にかかります。ひいお祖父様」
「そう呼んでくれるか。……すまなかったな、苦労をさせた」
「いいえ。仕方なかったのだと両親に聞いています。両親はひいお祖父様のことをずっと心配していました」
ハルが生まれたのは両親が駆け落ちした後のことで、彼はランドルフとの面識はないらしい。それでも彼はランドルフのことを聞いていたのだろう。
パーシヴァルもゆっくりと進み出てハルの隣に立った。
「大司祭様。ラークスパー公爵パーシヴァルと申します。ハロルドの夫です」
ランドルフは小さく頷くと、ハルとパーシヴァルに目を向けた。
「レイラとバーレント様から話だけは聞いていた。無事で良かった。もう帰国すると聞いて、会っておかねばと思ったのだ」
「お祖父様はずっとハロルドに会うのを楽しみになさってましたのよ。バーレント様がいつも自慢話ばかりなさるものですから、やきもちをやいていらしたのですわ」
レイラが微笑む。
「ランドルフ。僕が言った通りのいい子でしょう? ローズマリーに似て聡明で、モーリスに似て誠実で、そしてルシアン王子に似て慈愛に満ちている。……ストケシア王国の英雄を夫に迎えて、精霊にも愛されている。……だから心配ないよ」
バーニーが歩み寄ってきて車椅子の隣に膝をついた。
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ここにももう一人、ハルを愛している人がいたのだ。
ハルは少し目を潤ませて、それでもランドルフが部屋を出るまで涙を零さず笑みを絶やさなかった。
バーニーもランドルフたちとともに出ていって、パーシヴァルはハルと二人きり残された。パーシヴァルはどう言葉をかけていいか迷いながら、そっとハルの肩に手を伸ばした。
「……よく頑張ったな」
ハルはパーシヴァルに不服そうな顔を向けてきた。
「……今そんなこと言われたら……泣いちゃいます」
「ここには私しかいないのだから、構わないぞ」
パーシヴァルはハルを抱き寄せて額にキスを落とした。はずみでポロリとこぼれた涙の雫を指で拭ってやると、ハルは恥ずかしそうに微笑んだ。
ランドルフには次いつ会えるかわからない。年齢を考えたら二度と会えない可能性もある。だから涙をみせたくなかったのだろう。
ハルのそのいじましさが愛おしくて、そっと銀色の髪を撫でた。
「ハル?」
ハルはパーシヴァルの胸に顔を埋めてきた。
「……パーシヴァル様。帰国したら今度こそ、ゆっくり家族で過ごしたいです」
ハルの言葉にパーシヴァルは後ろめたい気分になった。確かに結婚休暇も新婚旅行も結局仕事が入ってしまった。ロビンともろくに遊んでやれていない。
これでは家族失格ではないか。彼らに愛想を尽かされる前にもっと時間を作らなくては、とパーシヴァルは思った。
「そうだな。色々ありすぎたからな。長期休暇をもぎ取ってくるかな。いっそ役職など辞してもいいのだが」
長きに渡って軍事的衝突が続いていたプロテアも、当分はこちらに手出ししてこないだろう。だったらそろそろ軍を退いてもいい頃合いだ。それでも筆頭公爵家としての職務はあるが、少しは時間が取れるようになる。
「家でゆっくり過ごすのもいいし、皆でピクニックに行くのもいい。乗馬を教える約束もしていたな」
パーシヴァルの言葉にハルは顔を上げて嬉しそうに頷いた。
ああ。これほどまで自分の人生には先の楽しみがあったというのに、自分は毒に倒れた時、全て諦めようとしていたのか。全くの愚か者ではないか。
自分には幸せをくれる愛おしい存在がいる。
「まずは……ハルともっと仲良くなりたい」
ハルの頬に手を触れてそう告げる。
「では……侍女を呼びますので少し待っていただけますか?」
ハルは自分の服装を見おろすと、少し頬を染めて恥ずかしそうに問いかけてきた。ドレスを脱ぐためだと気づいて、急かしてしまったことにパーシヴァルは気が咎めた。
「いや……急がなくても……。まだ時間は……」
ハルは少し潤んだ淡緑の瞳を向けてきた。
「いいえ。……僕が待ちきれないんです」
「ハル……頼む。頼むから煽らないでくれ」
パーシヴァルは可愛い妻の言葉に自分の身体がしっかり反応してしまったことに気づいて、そう返すしかなかった。
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