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20 将軍閣下と舞踏会④

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 パーシヴァルはこの舞踏会の前に、国王アーティボルトから言質を取っていた。
 最悪プロテアと事を構えることになっても構わないか、と。
 国王の答えは一言だった。
「構わないけど、もうあの国は君が本気出したら滅びちゃうんじゃないかな」
 そこまで追い込まれているのか、とパーシヴァルは驚いた。
「不作が続いているのが一番大きな要因だ。普通ならここまで何年も不作続きというのは考えにくいのに、あの国だけがそうなっている。特に国境近くのとある町周辺は何を植えても育たないんだそうだ。人々は禁を破って他国に逃れようとしたり、領主と小競り合いを起こしたりとかなり悲惨らしい。戦争どころじゃないだろうね」
 だったらなぜ我が国にちょっかいを出してくるのか。まだアルテアを取り戻そうとでも考えているのだろうか。

 かつてのプロテアはこのストケシア王国と同等の国力を持っていた。
 ただ、近年自然災害や不作で食糧不足が続いており、他国から買い付けているために物価も高騰していた。その解決口を隣国アルテアへの侵攻で解決しようとした。けれど、結果的に国内がさらに荒れる原因になった。
 かの国は精霊を信仰する国で、精霊の恩恵があったから豊かだったのだと言われていた。けれど、どうやらその精霊にも見放されてしまったらしい。
 プロテア女王は若くして即位したため、その治世は三十年を超えている。好戦的で野心家という印象だ。彼女が即位直後に行ったのが隣国アルテアへの大規模侵攻だった。
 一旦は隣国の豊かな土地を手に入れたものの、あまりの搾取に憤った民が反発し独立を望み、その後ストケシア王国への従属を選んだ。現在はパーシヴァルの領地になっているが、美しかったであろう王宮が酷く壊された廃墟が今も残っている。
 ……世が世なら、ハルはあの王宮で大事に育てられたかもしれない。
 そう思うと、三十年も経っているのにまだアルテアの地に執着するプロテアの女王には憤りしかない。

 ハルとバーニーの行方を捜していたパーシヴァルは控え室の一つから慌てて飛び出して来た男に目を向けた。服装からして招待客の従者のようだと見当をつける。
「……何かお困りか?」
 問いかけると、相手は狼狽えて出てきた扉とパーシヴァルを交互に見ている。
「い……いえ……その……」
 その男の袖口に目をやると、パーシヴァルは男の胸ぐらを掴んだ。
「貴様……ハリエットをどこに連れて行った?」
「し……知りませんよ。何のことですか」
 その時、男が飛び出して来た部屋から女性の悲鳴がかすかに聞こえた。
 パーシヴァルは男を掴んだまま、その部屋に向かった。
 蹴破る勢いで開いた扉の向こう側では、今まさに半裸のクリスティアンが女性に襲いかかろうとしていた。どうやらプロテアの王配殿下は舞踏会に飽きて女性をここに連れ込んで暴行しようとしていたらしい。
 女性の独特の民族衣服に見覚えがあったパーシヴァルは、掴んでいた従者の身体をクリスティアンに放り投げた。襲われていたのは西の小国ウダンの特使夫人だ。見れば部屋の隅に特使も縛られて転がされていた。
 おそらく従者は外で見張っていろと追い出されたのだろう。
 女性を抵抗できないようにして弄ぼうとする所業に、パーシヴァルは部屋が凍りつきそうなほどの冷たい目でクリスティアンを睨んだ。もし被害者がハルだったら迷わず剣を抜いていただろう。
「一国の特使であっても、女性への狼藉は認められていない」
「い、いや、これは同意の上……」
「夫を縛り上げておいて同意もあるか。……それに、ハリエットをどこに連れて行った?」
「……ハリエット?」
 クリスティアンは情けなく尻餅をついた状態でパーシヴァルを見上げて、やっと目の前にいる男が何者なのか思い出したらしい。
「し……知らん。私はここでその女性と一緒にいた」
「そうですか。その従者の袖口についていた口紅は未発売の新商品。この舞踏会会場の中でハリエットしかつけていなかった。知らぬで済まされるとお思いか? ……私がこの場で帯剣を認められている意味はご存じないのか」
 パーシヴァルは王族に次ぐ高位貴族であり、国家の英雄として認められている。だから国王が命じない限り剣を取り上げられることはない。今日は流石に舞踏会なので飾り付きの細剣だが、この男の息の根を止めるくらいは容易い。
「わ……私が案内します。どうか命だけはお助けを……」
 先ほどパーシヴァルに胸ぐらを掴まれた従者が名乗り出た。騒ぎを聞きつけてきた警備兵が到着したので、彼らに後を任せてパーシヴァルはその従者の腕を掴んで立ちあがらせた。
「……レミントン卿? 宰相の?」
「……いえ、そのご子息です。……私は命じられただけで……」
 怯えている従者の口から出た名前にパーシヴァルは眉を寄せた。
 レミントン侯爵家は女王の母后の実家でありその即位に尽力したという家柄だ。元々軍人を多く輩出している家柄で、今の宰相はむしろ異色な存在だという。
 その宰相の息子が舞踏会に来ていたらしい。おそらく、彼が本当の特使なんだろう。
 身分的に不足だったから、表向きクリスティアンを特使に仕立てたのだ。女王にとってクリスティアンはお飾りの夫に過ぎないのだから、騒ぎを起こすための道化扱いだったのだろう。結局我慢が足りなくて別の意味で騒ぎを起こしてしまったが。
「何でも高貴な血筋の姫君がこの国の横暴な貴族に囚われているから取り戻すのだとか。……将軍閣下の奥方だったとは思いませんでした。」
「囚われている姫君がなんで舞踏会の真ん中でダンスをしているのかという説明はなかったのか? 少しは疑問を持つべきだ」
「……確かにその通りです……。あの部屋です。見張りがいる」
 男が指さしたのは控え室の一つだ。屈強そうな男がさりげなくその扉の前にいる。
 おどおどしていた男が急に背筋を伸ばして見張りに声をかけた。
「レミントン卿にこの方をお連れするように命じられました」
 見張りがジロリとこちらを見て、パーシヴァルが何者なのか気づいたのだろう。
 何か言いかけたところで、不意に室内から重苦しい気配が伝わってきた。

 喩えるなら、急に空気がずっしりと重くなって、息苦しくなるような。
 圧倒的な力が、抑えつけてくるような。
 ……何だこれは。
 見張りの男が慌てて扉を開けようとしたのを当て身を食わせて、パーシヴァルは室内に入った。
 そして……。
「やあ。将軍閣下。いいところに来たね。そこの二人も縛っておこうか」
 三人ほどの男を石ころのように積み上げて、その上に腰掛けているバーニーと、それを呆れたように見ているハルがいた。パーシヴァルに気づいて駆け寄ってくる。
「無事だったのか。怪我は?」
 抱きしめるとハルはパーシヴァルの顔を見上げて微笑んだ。
「大丈夫です。師匠が本気出してくれたので」
「本気?」
 男三人は完全に気絶していて、紐で縛り上げられている。
 さっきの異様な気配は何だったのか。あれがバーニーの仕業なのか?
 パーシヴァルはとりあえず言われるままに見張りの男と案内してきた従者をそこらに転がっていた紐で縛ると、バーニーに向き直った。
「……何があったのです?」
「いやー。何かこのレミントンって男があんまりにも馬鹿げたことを言うものだから。何でも彼らは王族の兄妹を迎えに来た。それでそれぞれに婚約者を宛がって結婚させるって言うんだよねえ。おっかしいねえ。とっくに将軍閣下の伴侶になってるのに、女王が許可してないから結婚は無効だとか言うし。頭に来たからやっつけてしまったよ」
 何だそれは。
 ハルの父方を遡れば確かにプロテア王族だが、謀叛の疑いをかけられて王族から追放されたはずだ。今になってそれを持ち出すとは。
 しかも結婚が無効だと? 
「確かに馬鹿げていますね。お手数をおかけして申し訳ない」
 カトカという国の実情はあまり知られていないが、ハルの師匠はただ者ではないにもほどがあるのではないだろうか。
 パーシヴァルはそう思いながらも余計なことは言わないことにした。
「いいよ。こいつらは君の手柄にして引き渡すから、僕のことは内緒にしといてね。本当はみじん切りにしてプロテアに送り返してもよかったんだけど、その前に背後関係は調べないとね?」
 にこやかにとんでもないことを口にする。みじん切りはやり過ぎではないかとパーシヴァルは思ったが、犯人を引き渡してもらえるならこれ以上言うことはない。
 ハルを強く抱き寄せて、やっと先ほどまでの怒りが消え失せていく。
 これほどまで誰かのために感情が揺らぐことがあっただろうか。
 パーシヴァルはバーニーに向き直ってきっちりと礼を言った。
「……ハリエットを守って下さって、ありがとうございました」
「うん。それでいいよ。ちゃんとお礼が言えるから閣下はいい人だ。ハルはいい夫を手に入れたよ」
 パーシヴァルの腕の中にいる弟子に柔らかい笑みを向けてから、バーニーはひょいと椅子にしていた男たちの背中から立ちあがる。
「詳しいことはあとにしよう。とりあえず舞踏会を無事終わらせないとね。せっかくの慶事を台無しにしちゃいけない」
 そこへ大声が近づいてきた。どうやらパーシヴァルを呼んでいるらしい。
 ……慶事を台無しにするというのは、あいつの存在ではないだろうか。
 廊下に出るとディヴィッドとジョセフがこちらに向かって小走りにやってくるところだった。

「大変申し訳ない。身内のことでゴタゴタして後手にまわってしまった」
 耳が痛くなりそうな音量でディヴィッドがそう言いながら頭を下げた。
 ハルもバーニーも思わず耳を手のひらで押さえる仕草をした。一人平気そうなジョセフに目を向けると、耳を指さした。どうやら抜かりなく耳栓をしているらしい。
「やはり、先ほどの騒ぎは卿の父上か」
 舞踏会に潜り込もうとして揉めていた。けれど今回は例の国王への売り込みを警戒して招待のない者は入れなくなっている。ミランダ侯爵は過去の不祥事で領地に引きこもっていてほとんど王都に現れないと聞いていたが。
「ええ。招待状がないからと言われたら、私の名前を出してきたらしくて。しかも、クリスティアン殿下に協力すればプロテアから報償が出ると唆されたようで。……どうやら夫人のことをプロテアに伝えたのも父のようで……。大変申し訳ありません」
 流石に声が徐々に小さくなってきた。
 結果的にその騒ぎがいい目くらましになってハルとバーニーを舞踏会会場から連れ去ることなできたのだから、ミランダ侯爵は意図せず協力したと言えるだろう。
 それを横で見ていたバーニーが首を傾げる。
「ってことは、この国の貴族たちはずいぶんとプロテアに協力的なんだねえ」
「面目次第もない」
 パーシヴァルは頭に手をやった。タフト公爵もおそらくはプロテアと繋がっている。その彼がハリエットのことをクリスティアンに伝えたのだ。クリスティアンはそれが自分が追い求めていた巫女の子供である可能性に気づいた。
 それとも自分が死に追いやった本物のハリエットが生きていたのだと都合良く解釈したのかもしれない。
 今の陛下の治世になってから、家柄よりも実力主義で官職を決めるようになって王宮から去ることになった貴族は多い。そうした不満を持つ貴族たちに取り入っているのかもしれない。これは表に見えないからこそ戦争よりも厄介だ。
「とにかく、今は舞踏会が終わるまで気を抜かないことだ」
 おそらくはアーティボルトはすぐにでも担当者を呼びつけたいと思っているだろう。あとで報告しなくてはならない。事情聴取を含めたら最悪王宮に泊まり込みになるかもしれない。
「舞踏会が終わったらお師匠と一緒に公爵家に戻りなさい」
 傍らにいたハルにパーシヴァルが告げると、彼は大きく首を横に振る。
「……嫌です」
 薄緑の瞳には不安とその奥に強い怒りのような感情が見え隠れしている。
 彼にとって、プロテアは母の祖国を滅ぼし妹を死に追いやった原因を作った国だ。
 それを人任せにしたくはないのだろう。
 不意にバーニーが問いかけてきた。
「閣下は王宮に部屋をいただいているの?」
「はい。泊まり込むこともありますから」
 パーシヴァルは王宮内に部屋を与えられている。
「じゃあ、ひとまずそこで僕が預かるよ。一段落したら迎えに来てくれればいい。それでどう? さすがに僕の部屋じゃマズいけど、そこなら君の使用人もいるんでしょ」
 バーニーが弟子の気持ちを察してかそう申し出た。カトカの特使として王宮に滞在しているので来賓用の部屋を与えられているという。
 普通ならいくら使用人がいるとはいえ妻を他の男に預けるなど考えられないが、この時パーシヴァルはまったく不安を感じなかった。
 ハルに求婚したこともある人物だというのに。
 何故か、この男はハルに何かを強いることはない、という気がした。
「……待っていてくれるか?」
 ハルにそう問いかけると小さく頷いてくれたので、パーシヴァルはその申し出を受けることにした。

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