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1 将軍閣下の運命の出会い
しおりを挟む大陸西部にあるストケシア王国。近頃王都アントニアで話題になっているのが一人の美少女の噂だった。銀色の髪と淡い緑色のペリドットのような瞳。
露店の売り子をしていたり、時には舞台に上がって歌ったりと気まぐれに現れるのだという。その度に大勢の市民が集まって大騒ぎになるのだとか。
人々はその美少女を『麗しのハリエット』と呼んでいるらしい。ハリエットがどこの誰なのかもわからない、そして、本当の名前なのかもわからない。
「……くだらん」
王都周辺の警備を担う国軍第五部隊の作戦会議室で、パーシヴァルはそう吐き捨てた。室内の温度が急激に下がったかのように、先ほどまで王都で話題の美少女のことを口にしていた者たちは震え上がった。
間近に迫った国王陛下即位十年の祝賀祭。パレードや御前試合などの催しが行われることになっていて、それに便乗した商人や旅の芝居一座などが集まってくることが予想されている。今はその警備関係者の打ち合わせを行っていた。
何が麗しだ。何が謎の美少女だ。ただでさえ警備を万全にしなくてはならないのに、そんなあやふやでどこに現れるか予測できない者は警備の邪魔にしかならない。
パーシヴァルは氷のような冷たい青い瞳にいくらかの怒りを込めると、机を拳で叩いた。
「とにかく、催しが全て終わるまで気を抜かないように。そのよくわからない小娘は見つけ次第捕まえてウロチョロさせるな」
「将軍……それは流石に……無辜の市民を捕らえるのはどうかと」
「陛下の祝賀祭を妨害するなら反逆罪だ。私は間違ったことを言っているつもりはないぞ」
眉一つ動かさずそう言い切ったパーシヴァルに、その場にいた全員が恐怖のあまり凍りついてしまっていた。
ラークスパー公爵パーシヴァル・フォレットは国軍に五人しかいない将軍の一人。三十歳になったばかりだが、冷徹かつ容赦の無い用兵で近隣国から恐れられていることから、「氷壁将軍」との異名を持つ。
けれど、そのパーシヴァルは頬杖をついてどんよりと落ち込んでいた。
「またやってしまった」
「やっちゃいましたね」
会議の後、彼の副官ジョセフがけろりと言う。
「閣下に足りないのは笑顔。とにかく笑顔。せっかく地位と名誉に恵まれてるのにお友達ができないのもそのせいですよ。ほらほら、ちゃんと笑わないと」
「……うるさい。真面目な会議の最中にヘラヘラ笑っていられるか」
「もう、素直じゃ無いんだからー」
パーシヴァルは周りをちょろちょろしながら陽気な笑みを浮かべる男を睨んだ。
「私より三歳も年上のくせに落ち着きの無いやつに言われたくない。とにかく警備箇所の点検に行くぞ。さっさと支度しろ」
「えー? 閣下自らですか?」
「自分で見ておかないと正確な指示が出せないだろう」
ジョセフはパーシヴァルの副官として必要な人材だ。パーシヴァルの人付き合いが苦手で誤解されがちな部分を補ってくれている。それはわかっていても、いつもニコニコ楽しそうなジョセフを見ていると、素直に褒める気にはなれなかった。
王都は賑わいを取り戻してきているように見えた。五年前までは相次ぐ戦争と疫病によって人的損害は計り知れない状態だった。
「……閣下はパレードには参加しないんですか?」
「私が出たのでは民の気分が盛り上がらないだろう」
パーシヴァルは人に恐れられている。それを自覚している。
十四歳で従軍し、ずっと最前線で戦い続けてきた。味方を守るために全力を尽くし、そして、大軍を預かるからには、それなりの責務を果たさなくてはならないと自分を厳しく律してきた。
その結果血も涙もない「氷壁将軍」というあだ名を付けられることになった。
しかも彼が戦地にいる間に、彼の父、二人の異母兄とそれぞれの妻、嫁いだ異母姉が次々に病に倒れた。
おかげでパーシヴァルは家を継ぐために戦地から呼び戻された。
当主とその子たちを一度に失ったため、「呪われた公爵家」だと噂されるようになった。
そうした事情でパーシヴァルは貴族社会でも遠巻きにされていて、軍内部でも厳しすぎて煙たがられていて、民からも恐れられている。
こんなことならずっと戦地にいたほうが良かったと何度も思った。
「閣下は損な性分ですねえ」
ジョセフはへらへらと笑いながら言う。長い付き合いだからパーシヴァルの事情を理解している。
「さっきの美少女の件ですが、レイン商会が噛んでいるらしいんですよ」
「レイン商会?」
「最近王都に出店してきた薬や生活用品を扱う商会です。その美少女……ハリエットと呼ばれているんですが、その商会関連の催しによく出てくるようで。今日も新商品の発表会があるそうなので、いってみますか? まずは敵を知るのも一興でしょう?」
ジョセフは抜け目なくそう言ってパーシヴァルを促した。
確かに、どれほどの人が集まるのか知っておけば、対策も立てられるだろう。
そう思ってパーシヴァルはジョセフについていった。
「みんなー。今日はありがとうー。それじゃ最後の一曲聴いてね-」
よく伸びる綺麗な声が通りまで響いた。
商会の店舗二階のバルコニーに立つ小柄な人影。手にした弦楽器を伴奏に歌い始めた。
聞き慣れない旋律はおそらく異国のものだろう。
銀色の長い髪を後でまとめて、異国風のドレスを纏ったその歌い手は、遠目にも美しく、そして歌も巧みだった。
街に集まった人々はその歌声にうっとりしている。
……集団とはいえ、暴徒化しそうな感じはない。だが、これだけの人数を集めるとなると、何かを扇動したりすれば。
と一応はもっともらしいことを考えてはみたが、甘やかで透き通る歌声にそれはたちまち霧散してしまう。
なんという心地いい声なのか。日頃の苛立ちすら消えてしまいそうなすがすがしさだ。
気がついたら音楽は終わりバルコニーの人物は消えていた。そして人々はレイン商会に押しかけていた。
つまりあの歌は客寄せのための催しだったらしい。そういうことか。謎の美少女というのも、客を集めるための方便かもしれない。
ジョセフがこちらに向かって楽しげに歩いてくる。
「新商品買っちゃいましたよ。ここの洗髪剤がいいって聞いてたんで」
「仕事中だぞ」
「怖い上司が歌に聴き惚れてたから、いいかなーって」
パーシヴァルは思わず口元を手で覆った。
確かにうっかりと聞き惚れていた。芸術は専門外だがあれだけの人を集められるのだから相当上手い部類なのだろう。
けれど、警備担当者としては、この騒ぎを王家の催しの最中にされては困る。
「危険視するほどではないが、確かにレイン商会を通して話をしたほうが良さそうだ」
「じゃあ、僕が行って来ましょう」
あわよくば先ほどの美少女に会えるかも、という下心が見え見えな副官に、パーシヴァルは頷いた。自分はこうした交渉事には向かないのは自覚している。
「では、任せる。私はもう少しこのあたりを見て回ってから帰る」
「わかりました。お気をつけて」
ジョセフが走り去ると、パーシヴァルは表通りから裏通りに足を向ける。
憲兵隊が見回りをしているのはわかっていても、パーシヴァルは自分の眼で確認する性分だった。王都は建物が密集していて、ほんの一つ路地が違うだけで、入り組んだ複雑な町並みになっている。
こうした裏路地は悪巧みをする者たちが身を隠すにはもってこいだろう。
パーシヴァルはそう考えながら周囲を見回した。その時。
「そこのおにーさん、退いてーっ」
真上から声がした。慌てて一歩下がると、人が目の前にふわりと降りてきた。
銀色の長い髪がまるで翼のように広がって、淡い緑色の瞳がこちらに向けられる。
さっきの歌い手か?
滑らかな白い肌と生き生きとした輝きを放つ大きな瞳。色づいた頬。
パーシヴァルがその整った愛らしい顔立ちに目を奪われて硬直していると、
「ごめんなさい、急いでるので」
それだけ言ってその小柄な人物は軽やかに路地裏を駆け抜けていった。
……なんだ? 今のは。
あたりには柔らかな花の香りが残っていた。そしてその香りが鼻腔をくすぐったとたんに、身体に甘い熱が下半身にこみ上げてきた。
何だこれは。どうしてこんな時に。
パーシヴァルが戸惑っていると、背後から重々しい足音が近づいてきた。
「おい、そこのお前。銀色の髪の娘が通らなかったか?」
尊大な口調の男にパーシヴァルは振り返った。
「それが人にものを尋ねる態度か」
「ひっ……あ、あなた様は……失礼致しました」
どうやら相手はパーシヴァルを知っていたらしい。豪奢な服とでっぷりした腹の男は従者ともども顔を引き攣らせていた。
あれは、こいつらから逃げていたのか。強引に言い寄ろうとでもしていたのか? 多勢に無勢。ろくな理由ではあるまい。
パーシヴァルは弱い者苛めはもれなく大罪だと思っている。だから強い口調で相手に問いかけた。
「……ウェイスト伯とお見受けする。非力な者をその人数で追い立ててどうするつもりだった? 事と次第によっては詳しく話を聞かせてもらうが?」
「い、いや……すまなかった。これはただの誤解で……失礼する」
男は慌てて逃げていった。
その後もパーシヴァルはその場でしばらく立ちつくしていた。
……何故だ? 一体どうして。
彼は突然頭をもたげるように反応している自分の下半身に戸惑っていた。
自分は化け物になりかかっているのかもしれない、と思ったことがある。
人並みの感情が抜け落ちている。親子の情や兄弟への情も理解できない。恋愛沙汰もわからない。本来なら心が育つ時期を闇の中で過ごしたから、仕方のないことかもしれない。
そして、戦地で人の醜悪さを嫌というほど見てきたことで、自分の中の善悪の基準が大きく揺らいでしまった。
国を、部下を守るためには手段を選ばなかった。そうしなければ蹂躙されるだけだ。
戦いの中にいる時はそれでも良かった。けれど、戦場から離れたら自分は浮いた存在だった。人に恐れられ、忌まれた。
それでパーシヴァルが拠り所にしたのは教会の教えだった。神から与えられた善悪なら間違いはないだろう。教典を幾度も読んで、その通りに生きていけばいい。
そうすれば自分は化け物にならなくてすむ。
……そう思ってきたのに。
いきり立つそれが、まるで自分の凶暴性の証のように見えて、パーシヴァルは苛立った。
まったく意のままにならない。まるでその部分から化け物になっていくような気分だ。
『普通ですよ。恥ずかしいことではありませんよ』
頭の中で柔らかい声が響いた。顔の半分が隠れるような太い縁の眼鏡ともっさりした黒髪の垢抜けない少年が、まるで天啓を伝える天使のように思えた。
ハルは、パーシヴァルに光明をもたらした。
彼なら、教えてくれるだろうか。
……ハルに会いたい。
彼ならきっと、自分のこの思うようにならない身体をなんとかしてくれる。そう思った。
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