上 下
2 / 57

1 将軍閣下の運命の出会い

しおりを挟む


 大陸西部にあるストケシア王国。近頃王都アントニアで話題になっているのが一人の美少女の噂だった。銀色の髪と淡い緑色のペリドットのような瞳。
 露店の売り子をしていたり、時には舞台に上がって歌ったりと気まぐれに現れるのだという。その度に大勢の市民が集まって大騒ぎになるのだとか。
 人々はその美少女を『麗しのハリエット』と呼んでいるらしい。ハリエットがどこの誰なのかもわからない、そして、本当の名前なのかもわからない。

「……くだらん」
 王都周辺の警備を担う国軍第五部隊の作戦会議室で、パーシヴァルはそう吐き捨てた。室内の温度が急激に下がったかのように、先ほどまで王都で話題の美少女のことを口にしていた者たちは震え上がった。
 間近に迫った国王陛下即位十年の祝賀祭。パレードや御前試合などの催しが行われることになっていて、それに便乗した商人や旅の芝居一座などが集まってくることが予想されている。今はその警備関係者の打ち合わせを行っていた。
 何が麗しだ。何が謎の美少女だ。ただでさえ警備を万全にしなくてはならないのに、そんなあやふやでどこに現れるか予測できない者は警備の邪魔にしかならない。
 パーシヴァルは氷のような冷たい青い瞳にいくらかの怒りを込めると、机を拳で叩いた。
「とにかく、催しが全て終わるまで気を抜かないように。そのよくわからない小娘は見つけ次第捕まえてウロチョロさせるな」
「将軍……それは流石に……無辜の市民を捕らえるのはどうかと」
「陛下の祝賀祭を妨害するなら反逆罪だ。私は間違ったことを言っているつもりはないぞ」
 眉一つ動かさずそう言い切ったパーシヴァルに、その場にいた全員が恐怖のあまり凍りついてしまっていた。

 ラークスパー公爵パーシヴァル・フォレットは国軍に五人しかいない将軍の一人。三十歳になったばかりだが、冷徹かつ容赦の無い用兵で近隣国から恐れられていることから、「氷壁将軍」との異名を持つ。

 けれど、そのパーシヴァルは頬杖をついてどんよりと落ち込んでいた。
「またやってしまった」
「やっちゃいましたね」
 会議の後、彼の副官ジョセフがけろりと言う。
「閣下に足りないのは笑顔。とにかく笑顔。せっかく地位と名誉に恵まれてるのにお友達ができないのもそのせいですよ。ほらほら、ちゃんと笑わないと」
「……うるさい。真面目な会議の最中にヘラヘラ笑っていられるか」
「もう、素直じゃ無いんだからー」
 パーシヴァルは周りをちょろちょろしながら陽気な笑みを浮かべる男を睨んだ。
「私より三歳も年上のくせに落ち着きの無いやつに言われたくない。とにかく警備箇所の点検に行くぞ。さっさと支度しろ」
「えー? 閣下自らですか?」
「自分で見ておかないと正確な指示が出せないだろう」
 ジョセフはパーシヴァルの副官として必要な人材だ。パーシヴァルの人付き合いが苦手で誤解されがちな部分を補ってくれている。それはわかっていても、いつもニコニコ楽しそうなジョセフを見ていると、素直に褒める気にはなれなかった。

 王都は賑わいを取り戻してきているように見えた。五年前までは相次ぐ戦争と疫病によって人的損害は計り知れない状態だった。
「……閣下はパレードには参加しないんですか?」
「私が出たのでは民の気分が盛り上がらないだろう」
 パーシヴァルは人に恐れられている。それを自覚している。

 十四歳で従軍し、ずっと最前線で戦い続けてきた。味方を守るために全力を尽くし、そして、大軍を預かるからには、それなりの責務を果たさなくてはならないと自分を厳しく律してきた。
 その結果血も涙もない「氷壁将軍」というあだ名を付けられることになった。
 しかも彼が戦地にいる間に、彼の父、二人の異母兄とそれぞれの妻、嫁いだ異母姉が次々に病に倒れた。
 おかげでパーシヴァルは家を継ぐために戦地から呼び戻された。
 当主とその子たちを一度に失ったため、「呪われた公爵家」だと噂されるようになった。
 そうした事情でパーシヴァルは貴族社会でも遠巻きにされていて、軍内部でも厳しすぎて煙たがられていて、民からも恐れられている。
 こんなことならずっと戦地にいたほうが良かったと何度も思った。

「閣下は損な性分ですねえ」
 ジョセフはへらへらと笑いながら言う。長い付き合いだからパーシヴァルの事情を理解している。
「さっきの美少女の件ですが、レイン商会が噛んでいるらしいんですよ」
「レイン商会?」
「最近王都に出店してきた薬や生活用品を扱う商会です。その美少女……ハリエットと呼ばれているんですが、その商会関連の催しによく出てくるようで。今日も新商品の発表会があるそうなので、いってみますか? まずは敵を知るのも一興でしょう?」
 ジョセフは抜け目なくそう言ってパーシヴァルを促した。
 確かに、どれほどの人が集まるのか知っておけば、対策も立てられるだろう。
 そう思ってパーシヴァルはジョセフについていった。

「みんなー。今日はありがとうー。それじゃ最後の一曲聴いてね-」
 よく伸びる綺麗な声が通りまで響いた。
 商会の店舗二階のバルコニーに立つ小柄な人影。手にした弦楽器を伴奏に歌い始めた。
 聞き慣れない旋律はおそらく異国のものだろう。
 銀色の長い髪を後でまとめて、異国風のドレスを纏ったその歌い手は、遠目にも美しく、そして歌も巧みだった。
 街に集まった人々はその歌声にうっとりしている。
 ……集団とはいえ、暴徒化しそうな感じはない。だが、これだけの人数を集めるとなると、何かを扇動したりすれば。
 と一応はもっともらしいことを考えてはみたが、甘やかで透き通る歌声にそれはたちまち霧散してしまう。
 なんという心地いい声なのか。日頃の苛立ちすら消えてしまいそうなすがすがしさだ。

 気がついたら音楽は終わりバルコニーの人物は消えていた。そして人々はレイン商会に押しかけていた。
 つまりあの歌は客寄せのための催しだったらしい。そういうことか。謎の美少女というのも、客を集めるための方便かもしれない。
 ジョセフがこちらに向かって楽しげに歩いてくる。
「新商品買っちゃいましたよ。ここの洗髪剤がいいって聞いてたんで」
「仕事中だぞ」
「怖い上司が歌に聴き惚れてたから、いいかなーって」
 パーシヴァルは思わず口元を手で覆った。
 確かにうっかりと聞き惚れていた。芸術は専門外だがあれだけの人を集められるのだから相当上手い部類なのだろう。
 けれど、警備担当者としては、この騒ぎを王家の催しの最中にされては困る。
「危険視するほどではないが、確かにレイン商会を通して話をしたほうが良さそうだ」
「じゃあ、僕が行って来ましょう」
 あわよくば先ほどの美少女に会えるかも、という下心が見え見えな副官に、パーシヴァルは頷いた。自分はこうした交渉事には向かないのは自覚している。
「では、任せる。私はもう少しこのあたりを見て回ってから帰る」
「わかりました。お気をつけて」
 ジョセフが走り去ると、パーシヴァルは表通りから裏通りに足を向ける。

 憲兵隊が見回りをしているのはわかっていても、パーシヴァルは自分の眼で確認する性分だった。王都は建物が密集していて、ほんの一つ路地が違うだけで、入り組んだ複雑な町並みになっている。
 こうした裏路地は悪巧みをする者たちが身を隠すにはもってこいだろう。
 パーシヴァルはそう考えながら周囲を見回した。その時。

「そこのおにーさん、退いてーっ」

 真上から声がした。慌てて一歩下がると、人が目の前にふわりと降りてきた。
 銀色の長い髪がまるで翼のように広がって、淡い緑色の瞳がこちらに向けられる。
 さっきの歌い手か?
 滑らかな白い肌と生き生きとした輝きを放つ大きな瞳。色づいた頬。
 パーシヴァルがその整った愛らしい顔立ちに目を奪われて硬直していると、
「ごめんなさい、急いでるので」
 それだけ言ってその小柄な人物は軽やかに路地裏を駆け抜けていった。

 ……なんだ? 今のは。

 あたりには柔らかな花の香りが残っていた。そしてその香りが鼻腔をくすぐったとたんに、身体に甘い熱が下半身にこみ上げてきた。
 何だこれは。どうしてこんな時に。
 パーシヴァルが戸惑っていると、背後から重々しい足音が近づいてきた。
「おい、そこのお前。銀色の髪の娘が通らなかったか?」
 尊大な口調の男にパーシヴァルは振り返った。
「それが人にものを尋ねる態度か」
「ひっ……あ、あなた様は……失礼致しました」
 どうやら相手はパーシヴァルを知っていたらしい。豪奢な服とでっぷりした腹の男は従者ともども顔を引き攣らせていた。
 あれは、こいつらから逃げていたのか。強引に言い寄ろうとでもしていたのか? 多勢に無勢。ろくな理由ではあるまい。
 パーシヴァルは弱い者苛めはもれなく大罪だと思っている。だから強い口調で相手に問いかけた。
「……ウェイスト伯とお見受けする。非力な者をその人数で追い立ててどうするつもりだった? 事と次第によっては詳しく話を聞かせてもらうが?」
「い、いや……すまなかった。これはただの誤解で……失礼する」
 男は慌てて逃げていった。

 その後もパーシヴァルはその場でしばらく立ちつくしていた。
 ……何故だ? 一体どうして。
 彼は突然頭をもたげるように反応している自分の下半身に戸惑っていた。

 自分は化け物になりかかっているのかもしれない、と思ったことがある。
 人並みの感情が抜け落ちている。親子の情や兄弟への情も理解できない。恋愛沙汰もわからない。本来なら心が育つ時期を闇の中で過ごしたから、仕方のないことかもしれない。
 そして、戦地で人の醜悪さを嫌というほど見てきたことで、自分の中の善悪の基準が大きく揺らいでしまった。
 国を、部下を守るためには手段を選ばなかった。そうしなければ蹂躙されるだけだ。
 戦いの中にいる時はそれでも良かった。けれど、戦場から離れたら自分は浮いた存在だった。人に恐れられ、忌まれた。
 それでパーシヴァルが拠り所にしたのは教会の教えだった。神から与えられた善悪なら間違いはないだろう。教典を幾度も読んで、その通りに生きていけばいい。
 そうすれば自分は化け物にならなくてすむ。

 ……そう思ってきたのに。
 いきり立つそれが、まるで自分の凶暴性の証のように見えて、パーシヴァルは苛立った。
 まったく意のままにならない。まるでその部分から化け物になっていくような気分だ。

『普通ですよ。恥ずかしいことではありませんよ』

 頭の中で柔らかい声が響いた。顔の半分が隠れるような太い縁の眼鏡ともっさりした黒髪の垢抜けない少年が、まるで天啓を伝える天使のように思えた。
 ハルは、パーシヴァルに光明をもたらした。
 彼なら、教えてくれるだろうか。

 ……ハルに会いたい。

 彼ならきっと、自分のこの思うようにならない身体をなんとかしてくれる。そう思った。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

ヒロイン不在の異世界ハーレム

藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。 神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。 飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。 ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜

7ズ
BL
 異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。  攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。  そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。  しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。  彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。  どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。  ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。  異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。  果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──? ーーーーーーーーーーーー 狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛  

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

処理中です...