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 百六十種類の暗号記法の分析を書いた小論文について正典で触れているのは『シャーロック・ホームズの帰還』の一編『踊る人形』だ。だが、作中では小論文の名前は書かれていないので『百六十種類の暗号記法の分析』と表記することにする。
 『踊る人形』作中で、ホームズは踊る人形の暗号のことをまだ見たことがない暗号としている。とりわけ、踊る人形の暗号は百六十一種類目ということだろう。

── 一,寓意(ぐうい)法
 『シャーロック・ホームズの思い出』の一編『マスグレーヴ家の儀式』にも暗号は登場する。時系列的には『踊る人形』よりはるかに前の事件なので、『百六十種類の暗号記法の分析』の中に入っているだろうと考える。『マスグレーヴ家の儀式』の暗号記法は寓意法だ。寓意とは他の物事にかこつけ、ほのめかして表すということだ。つまり、寓意法とは簡単に説明すると『ある特定のものを非常にややこしく説明する』というものだ。例えば『夏至の正午』を『太陽が一番高い時』と表すようなことである。

── 二,媒介法
 ホームズシリーズの長編『恐怖の谷』の冒頭にも暗号が登場している。時系列でも『踊る人形』より前だから、『百六十種類の暗号記法の分析』に入ると思われる。暗号記法の方法は、『ある文字が書かれている』本のページ数と行数、その行の何文字目かを数字を並べて示すというものだ。十二ページの二行目の十五文字目だったら『15,2,15』と表せる。坂口安吾の『アンゴウ』の冒頭の数列も『恐怖の谷』と同じ暗号記法である。
 『恐怖の谷』の本を媒介にする暗号記法を少し改良すると、また面白くなってくる。これは私が数年前くらいに考えたのだが、本棚の段に数字やアルファベットで名前のようなものを付ける。そして、本棚に隅々まで本を並べる。あとは数字で本棚の段を指定し、左から何番目の本の、タイトルの何文字目かを数字で表せば文字を伝えることは出来る。
 1898年(『踊る人形』の事件があった年)以前のものでの媒介法の暗号記法はスキュタレー暗号だろう。棒に細長い紙を巻き付け、文字を書いていく。棒を取れば文字は読み取れず、読みたい物は同じ直径の棒に細長い紙をまた巻き付けるのだ。

── 三,挿入法
 『シャーロック・ホームズの思い出』の一編『グロリア・スコット号』の暗号だ。作中で登場する暗号は二語を飛ばして読む。こういう暗号は実に簡単な暗号記法だ。

── 三.五,単純代用法
 エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』も『シャーロック・ホームズの帰還』の一編『踊る人形』も単純代用法である。アルファベットに数字や記号や絵に代用しているのだが、前述した通りホームズは踊る人形の暗号を見たことがないと言っている。つまり、小論文『百六十種類の暗号記法の分析』には『単純代用法』は掲載されていないと考える。

── 四,複雑代用法
 複雑代用法は単純代用法より暗号化はやりにくいが、安全性は高い。ヴィジュネル方陣という表がある。アルファベット二十六文字を順に縦と横に一列で並べる。それから、アルファベット順に直角になったところに合わせて二十六行を書く。その行の内の一番上の行にはA~Zを、二行目にはB~Z+A、三行目はC~Z+A+Bのように一文字ずつずらして表を作る。これがヴィジュネル方陣となる。
 左端に書いた縦一列のアルファベット順のものが鍵、一番上に書いた横一列のアルファベット順のものが平分である。例えば『TOTAL』を暗号化するとして、鍵を『WANT』にしたとする。平文が鍵より長いなら繰り返し使う。つまり、『TOTAL』は『WANTW』と交わる部分を探せばいい。この場合は『POGTH』となる。平文と暗号文で変わらないのは『O』だが、解読する者は鍵が『WANT』だとはわからないから解読が難しくなってくる。これをヴィジュネル暗号という
 これは十五世紀後期から十六世紀後期の暗号だ。つまり、ホームズが『百六十種類の暗号記法の分析』の中にヴィジュネル暗号を入れる可能性は十分にある。

── 五,置換法
 置換法での代表格はシーザー暗号だ。これは挿入法に似ている節がある。シーザー暗号は紀元前からの暗号だ。挿入法もシーザー暗号も非常に解きやすい暗号だ。
 シーザー暗号とは辞書順(日本語なら『あいうえお順』のこと)に、ある文字を特定の文字数だけ後ろか前に動かすものだ。つまり、後ろか前にずらす文字数さえわかれば一瞬で解ける。シーザー暗号などの置換法はいろいろなドラマ、アニメ、漫画などの推理系以外でもよく見る奴だ。行の頭文字を準に読んだり、一段ずつずらして斜めに読んだりするものも置換法に属する。
 コードブックも置換法である。ある単語を別の無意味な文字列に置き換えるものだ。例えば『本』を『ンヌス』に置き換えるなど決まりを作れば、盗聴や盗み見られても相手にはわからない。

── 六,窓板法
 同じ大きさの紙をピッタリと二枚重ねて、上に重ねられた一枚の紙に小さい穴を数十個程度開ける。その穴から二枚目の紙に文字を書いて、書いた字と字の間にはめちゃくちゃにまた文字を書く。相手が一枚目の穴の開いているを持っていれば、二枚目の紙を渡しただけで目的の文字が伝えられる。一枚目の穴の開いた、鍵の役割を担う紙を持っていない人物は理解することができない。
 窓板法については江戸川乱歩の『探偵小説の「謎」』から引用したものだが、エドガー・アラン・ポーの論文『暗号論』にも似たような暗号が登場している。カードに細長い穴を数個開けて、それと同じ部分に穴が開いているカードをもう一枚作る。そのカードを利用して文字列の中から特定の文字を知ることができる。窓板法と何ら変わりがない。
 これらの元ネタ的な物はジェロラモ・カルダーノが著した『De subtilitate rerum』だ。

── 七,毎回変わる鍵
 二枚の円形の厚紙を用意し、一方の直径を他方より1.3センチ小さくしておく。小さいほうの円の中心を大きい円の中心に置き、ずれないよう暫時固定しつつ、共通の中心から小さな円の周に半径を描き、さらに大きな円の周まで延ばす。そうした半径を二十六本描けば、各厚紙に二十六の空欄ができる。下の円の各空白にアルファベットの一文字を書いて全アルファベットを書き込む(ランダムの方がいい)。同じことを上の円にも行なう。ここで共通の中心にピンを刺して、下の円を固定したまま上の円を回転させる。ここで上の円の回転を止め、両方の円が静止している間に必要とされる通信文を書く。その際「a」の代わりに、大きな円の「a」に対応する小さな円の文字を使い、「b」の代わりに、大きな円の「b」に対応する小さな円の文字を使う、などとする。このようにして書かれた通信文が意図された受取人によって読めるためには、受取人が今述べたように構成された二枚の円を所持し、通信相手が暗号文を書いたときに隣り合っていた任意の二つの記号(一方は下の円,他方は上の円にあるもの)を知るだけでよい。この後者の点については、受取人は、鍵のはたらきをする文書の二つの頭文字を見ることによって通知される。よって、冒頭に「a m」とあったら、それらの文字が隣り合うよう二つの円を回すことによって用いられたアルファベットに到達する。
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