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デラックス超肯定少女vs俺

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 職場で寝て起きては働くを繰り返し、明日は一日だけの休み。

 終電は過ぎ去り、タクシーと徒歩で広さだけが取り柄の自宅へ向かい、暗い家路を帰る。

 携帯には未読のメッセージの通知が十数件。

 同窓会やら、大学の同期の飲み会の誘いやら、誰々が結婚するやら明るい話題。

 その全てに参加不可と連絡を返す。

 頭痛と吐き気が酷くなるのは、寝不足とエナジードリンクの飲み過ぎだけじゃないだろう。

 水を飲んでどうにか吐き気を抑える。

 カラスが撒き散らしたゴミを避け、薄汚れた夜道を歩いていると、街灯の影に何かが蹲っているのが見えた。

 目眩が酷い、少しでも睡眠時間を確保しなければ……とはいえ。

「う、うぅ」

 すすり泣くような声、思いの外若い声だった。子供のような。

 これを放置してぐっすり眠っても、きっと目覚め悪いような気がした。

「その……大丈夫か?立てるか?」

 年端もいかない銀髪の少女で、ボロボロの布を纏い、かなり素肌が見えているだけじゃなく、靴もなく裸足で。

 非現実的な光景で、疲労で見る幻覚よりも幻覚じみていた。

「私は……大丈夫です」

「どう見ても大丈夫じゃないだろ、こんな時間に一人で」

「……貴方こそ、こんな夜中に一人で、何をしてるんですか?」

「仕事帰りだよ」

「こんな……時間にですか?」

「帰れるのが珍しいくらいだ」

「休まないと、死んでしまいますよ?」

「……人間は頑丈なんだ。眠らなくてもなかなか死なない」

「なら、なぜそんなにボロボロなのですか?」

「これが普通──っ」

 意識が限界に来てよろめく、立っていられない。

「だ、大丈夫ですか!?」

 気がつくと俺はコンクリートの上に倒れ、口から漏れた液体の上に沈んでいた。

「あ、あの!お家!何処ですか!こんなところで…あぁ、どうしましょう……あの──」

 心配そうに言う彼女の声を聞きながら、意識は遠くなっていった。

 死ぬんだろう。馬鹿みたいな幻を見ながら、自分の吐いたゲロに塗れて。

 これが俺の人生か。

 何かになりたかった、誰かに必要とされる誰かになりたかった。意味が欲しかった。

 でもそうはならなかった。なれなかった。

 次に生まれるなら、もう少しマシな人生であることを願った。


◇◇◇◇◇◇◇◇

 
 目覚めると、知っている天井だった。

「……」

 死ななかったし、生まれ変わったりもしなかった。

 起きあがろうとすると、俺の布団の横に。

「ん……んぅ……」

 なんかいる。

 ボロ布からはみ出た銀髪から粒子が舞い、窓から漏れる月光を反射していた。

 見た目だけなら可愛らしい寝顔だった。

 幻覚にしては随分とメルヘンチックな。

「……ありが……臭っ」

 見た目に反して臭いが凄い。洗ってない大型犬みたいな臭いがする。それはあまりにリアリティのある臭さだった。舞っている粒子もよく見たらフケだし、全然メルヘンじゃない。

「……ん……あ!」

 臭いに悶絶していると、目が覚めた幻覚の少女と目があった。金色の瞳が真っ直ぐ俺を見ていた。

「どうやって俺の部屋に──」

「良かった!死んじゃったかと……あ、あの、大丈夫ですか……?どこか……どこか悪いところはありませんか?えっと……その、言われた通りになんでもやりますので……」

「……いや、なんでだ?」

「え……?」

「なんで、助けてくれたんだ……こんなおっさんが一人死んだところで、別に誰も困らないだろ?」

「困りますよ」

「……誰が?」

「貴方が、困っているはずです」

「そんなわけ──」

「助けを求めるのは、悪いことじゃ、ありませんよ」

 そう言って俺を抱きしめる。だが臭い。

 臭いが、暖かかった。それはとても懐かしい感覚で、ずっと昔にどこかで感じた思いだった。

「……あれ、俺なんで」

 何故か頬が濡れて、液体が流れていた。

「いいんですよ……誰も見ていません……大丈夫、ですから」

 訳がわからなかった。自分の部屋なのに俺以外の誰かがいて、抱きしめられていて。洗ってない犬みたいに臭いが、年下の女の子。見た目だけなら、かなり可愛い。でも臭い。

「きっと……とても、疲れているんですね、ゆっくり…お休みしましょう」

「どうして…」

「……それが、私の使命ですから」
 
「使命……?」

「申し遅れました……私は大王おおきみカチューシャ、貴方を肯定するためにやってきました!デラックス超肯定ロボです!」

「……はい?」

「デラックス!超!肯定ロボ!です!」

 やっと分かった。

 俺は泣いたのは、もう俺はまともじゃなくなってしまったことが分かったからだ。

「だ、大丈夫ですか!?な、何か怖いことでもありましたか!?」

 幻覚が見えるのも、話しかけてくるのも大丈夫だ。だが、会話するようになってしまったらおしまいだと言う。

 今まで少し幻覚と会話することがあっても、ここまではなかった……

 しかも、こんな、こんなあまりに古典的な……ライトノベルみたいな幻覚を……

 もう、仕事は辞めようと思った。
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