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第3部

18 熱気

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 扉をそっと、叩く。

「……レオン様、まだ起きていらっしゃいますか?私です」

「……君か」

 その部屋の持ち主は戸を開く事もなく、疲れ切ったような声で問う。

「入れて貰えますか?……"夜食"を作ってありまして」

「……ああ、構わない。どうせ君が作ったもの以外は食べれないんだ」

 扉が開き、ゆっくりとその中へ進む。

 焼けたパンと、それに挟んだ肉の香りがほんのりと香ばしく漂う。

「……む?」

 机の上にそっと置かれたそれを、レオンハルトは眺めた。

「……どうかなさいましたか?」

「いいや、あまり嗅いだ覚えの無い匂いがしてな……」

 獣の鼻には不自然に感じる……のかもしれない。

「……東国からの香辛料の香りではないかと。異民族から譲って頂いたものです」

「なるほど?そう言う事か。いや、それとは別に何とも言えない──それこそ鉄のような香りがしたような」

「……肉を使っていれば、血の匂いくらいはするでしょう。鼻が良すぎるのも考えものですね」

「……そうか、そういう事か」

「ええ、冷めてしまわぬうちに、どうぞ」

「頂くとしよう……それで、本当は何の用だ?」

 レオンハルトはそれを手に取り、口にして、問う。

 ……なんの変化も無い……?アトラの情報が正しいなら制約を破った事になるはずだけれど……

 アトラの声も聞こえない……どういう事……?

 ……それならそれでも構わない、もしそれが間違っていたとして、今ここでレオンハルトを始末しなければならない事には……何も変わらないのだから……

「……婚約者の顔を見るのに理由が必要ですか?」

「聖女様も暇なんだな、嫌という程顔を合わせているというのに」

「変わりませんね、少しは人を好きになる努力をしたらどうでしょうか?」

「くく、今更身につまされるよ。ここまで自由が効かないとは」

「……移り気ですか」

「気が付いていたのか?」

「私が知らない事なんて、ありません。隠し事なら、もう少し上手くしなくては」

「嫉妬か?」

「はい、そうです。どこの誰なのかは知りませんが許せることではありません。どれ程私が……」

「分かっているさ。だが全く、僕にとって有り余るものだ。この力も国も城も、何もかもが」

「……地獄では何の役にも立ちませんね」

「聖女がこの世を地獄というか、世も末だな」

「ええ、全く」

「くく、同じような話をしたような気がするな──クララ」

「……何をおっしゃるのですか?」

 ……流石に気付くか。

「僕の事を呼ぶときは……レオン君と呼ぶんだ。16年前の君は……そして──今のアリアもね」

 レオンハルトの瞳孔が縦に割れた。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「そぉですかっ!」

 投げつけた皿はレオンハルトに当たる前に融解して蒸発する。

「酷いじゃないか、話に来たんじゃないのか?」

 急激に部屋の灼けつくような熱さに変わり、視界が陽炎のように揺れる。

「──っ!」

 空気が熱い、これを吸い込んだら喉が焼かれる──!

「土、よ──」

 何か動かせるもの、何でもいい!壁を──

「なんで……!」

 けれど、部屋の中の物は何も動かない。

「一度やられた事を対策しない訳がないだろう。この部屋では、僕の権能以外は作用しない」

 耳元を確かめると、そこにいた筈の蜘蛛はいつのまにか居なくなっていた。

 アトラの声がさっきから聞こえないのはそう言う事だったか……

「良くここまで来たね。クララ。君は10年前とまるで変わらないように見えるよ」

 レオンハルトは、私の退路を塞ぐように扉の方へ回り込む。

「この10年で……随分……老けたようですね?目も……節穴になったようですし」

 窒息させようとしてる相手に、平然と話しかけるとかいい根性してる。

「そうか?君の騎士君と違って、目が悪くなったりしない完全な権能なんだけどな」

「でも、貴方なんか……より……よっぽどいい人ですよ……」

「嫌われたものだね」

 息が続く内にどうにかしてこの状況を打破しないと……

 武器は無い……権能も使えない……私に出来るのは……

「話をしたいと言ったら……聞いてくれますか?」

「君の目は、今すぐ僕を殺したいような目に見えるけどね」

「そんな事……ありません……先ず、権能を……止めてくれませんか……もう……私に戦う力はありません……」

「そうか……てっきり殺し合いがしたいのかと」

 聞き分けが良くて助かる、これなら解除された瞬間に全力で攻撃すれば──

「不意打ちはやめてくれ。僕の意思に関係なく消し炭にされてしまうからね」

 レオンハルトの背後に一瞬、黒い炎が蠢く。

「……」

 ……だめだ、言葉で乗り切るしかない。

「大人しくしていれば、害はない。頼むから余計な事をしないでくれよ」

 緩やかに消えていく熱気。

「……ふぅ……制御できていないのですか?」

 やっとまともに息を吸える。

「いいや。だが僕の魔術は気が難しくてね」

「まるで、生き物みたいな言い方ですね」

「生き物さ、この炎は生きている」

 レオンハルトの指先から床に落ちた火種は、小さな猫のような形の炎となって走り回り、搔き消える。

「半分と少しは僕自身でもある。君なら分かるだろう?変異し、そして獣の王を取り込んだ。二つ組み合わせれば、権能は完全に制御できる……あの蜘蛛が教えてくれたお陰で、僕も不死身というわけだ」

 アトラが教えた……?

 もし獣の王と同化している事を話しているなら、毛玉の本体に《契約》が掛けられていないのは何故……?アトラが協力していたなら……それを知らないのは不自然だ。

 もしそれを敢えて言ってないなら……理由がある。

 アトラがそうした理由は……毛玉の事を説明しない訳は何……?……それに。
 
「………不死身?」

 獣と同化しても、変異しても、決して不死身になるわけじゃない……それが合わさったとしてもそうなるとは思えない……

「不死身だよ、僕は獣の王の権能を完全に継承して──」

 そうか……毛玉の事を教えてないのは……そういう問題を隠して不死身になったと思い込ませる為だ……

「いいえ、貴方はそんな者じゃありません。老いもすれば耄碌もする……不死身なんかじゃ……ありませんよ」

 レオンハルトは不死身でも何でもない、必ず弱点が残っている……そして……私はそれを既に知っている。
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