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第3部
11 諦観
しおりを挟む「気晴らし?」
アトラは部屋で地図を前に、難しい顔をしていた。
「はい、街に出ましょう」
強制的に休息を取らされているとはいえ、流石にアトラも休んでいると思っていたけれど……
「……余に構っている時間など、あるのか?もうそれほど時間は残っておらぬだろう?」
「……知ってるんですか?」
「そりゃの。アリアの方から情報も聴いておるし、いやさ、同盟者よ。獣に使う時間を少しでも多くの残した方が良いのではないかの?」
「……獣さんも、知ってるんですか?」
「そうではないが……お主が焦っていることは誰もが知っているし、広がる瘴気でタイムリミットが迫っている事も分かっている、同盟者自身の期限まで気がついているのは余とアリアのその一派くらいだと思うがな」
「……そうですか。まあ、彼が知らないならいいんです」
「で、獣ではなく余と?」
「それは……その……」
「毛玉のことなら気にしとらぬよ、別れはとうの昔に済ませておるわ」
「……やっぱり心を読む権能でも持ってるんじゃないんですか?」
「そんな大層なもの持っておらぬわ。余の本体である神性の権能は、よく分からぬしの」
「……ツァト様みたいに土を操ったり、獣さんみたいに雷を落としたり出来ないんですか?」
「余もああいう派手なのが欲しかったの。余に出来るのはこのように……」
糸を伸ばして天井にぶら下がるアトラ。
「壁を登ったり、糸で服を作ったり、網を作ったりするだけよの」
神性と言う割に……何というか……
「……地味かー?地味であろうなー、大体余には付与できる権能もないしー、知恵者枠では毛玉と競合しておるしー、イマイチ余の立場は微妙なような気がしてならんのー」
振り子のように揺れながら、何とも言えないようなことを言う。
「そ、そんなことないです!アトラさんの作ってる服は綺麗で素敵だと思います!」
「……思いついたぞ」
「何をですか?」
「何って、気晴らしだろう?余をもっと褒めるのだ」
「……えっと……新しい戦法を考えたのもアトラさんですし、あのお祭りの街でも作戦も凄いと思います!」
「そーであろー、そーであろー。余は凄いのだぞー、ふへへ」
ふやけた顔をして、するすると垂れるように降りてきて、私のお腹に顔をうずめてくる。
「ちょ、ちょっとくすぐったいですよっ……」
「知らぬぅ、うおー、余を甘やかせー、余を褒めるのだー」
「えぇ……?アトラさんは偉いですねー、凄いですねー」
よく分からないけれど、これで喜んでくれるなら……
「うおぉぉん、余は甘えたりないのー」
いつもは冷静で飄々としているのに、そう言ってしがみついてくる彼女は。
何だか、小さな子のような感じがして。
私はつい、頭を撫でてしまった。
「ふ、ふ……同盟者よ」
「何でしょうか?」
「これから暫く余は寝言を言う」
声のトーンが変わった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「あくまで寝言だ、起きても余に意味や詳細を聞いたりするでないぞ」
「……はい」
すると、アトラは顔を上げないまま、静かに語り始めた。
「……誰も信じてくれなかったのだ。余だけは知っていた。余の一族を始末する計画を企てている連中がいる事を。だが、余の言葉に耳を貸すものはいなかった。余は……嘘ばかりついていたからだ。まさか、よくある童話と全く同じ事になるとは思わなんだ。小娘だった余が、もし神話や寓話に学んでいたなら、皆を助ける事が出来たかもしれぬ。だが、歴史にもしもなどと言う言葉はない。結果として、余が救う事が出来たのは、あの爺さんただ一人だ……」
「なら、アトラさんは、ツァト様を守ったじゃないですか……」
「……余はもっとできるはずだった。姉妹の誰よりも賢く、誰よりも策謀に長けていたはずだった。どんな手段を使おうとも、皆に利益があるように、恩恵を享受できるようにしていたつもりだった。ただ、一つ間違えていたのは、人の心というのは、己に利益があれば、全て良い訳ではないという事だった。誰も損をしないようにお膳立てするには、嘘を組み上げる他なかったのに……誰も、いや、爺さん以外は理解しなかった。……考えてみれば、皆の感情を誘導して、望む通りにしてやればよかったのかもしれぬな、待っているのは、より早い破滅だったろうが……」
「アトラさん……?」
アトラの言葉は、抽象的で、何があったのか判然としない。
ただ、わかるのは、皆の為に尽くしたはずが、誰にも理解されず、救えるはずの人達も、自らの行為が原因で救えなかった、という結果だけだった。
……まるで、聖女候補だった私が、何の役にも立てず、救ったつもりの相手から恨まれていたのと変わらないように思えた。
「……アトラさんは、頑張りましたよ」
「そうだ。余は頑張った」
「……アトラさん、誰も完璧にできるものではないんですから……」
「そうだな──だが、頑張った。なんて言葉で終わらせるつもりなど、余には毛頭ない」
「え……?」
顔を上げたアトラは私の目を見ていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「誰しも、何もかも思った通りに行くなんて事はないし、理想的である事など到底不可能だ。だがな、だからと言って、それを諦めるほど、老いたつもりも、潔くなったつもりもない」
「ならどうするのですか?」
「余に出来ることを出来る限りやるだけだ、それが例え、殆ど不可能に近いとしても」
「……」
「──して、聞くが同盟者よ。お主は決められた期限を前に、望みを諦めるつもりなのか?」
「他に方法はないんですよ……そうしないと誰も救う事は出来ないんです」
「獣に言われたのではないか?まず最初に救わなければならないのは、自分だろう?」
「わかっています。私は自分を蔑ろにするつもりはありません」
「クララ……?」
「それが私の選択です」
私がやる事も、思いもとっくに決まっている。
揺らぎはしない。
「……なんだ、つまらんのー。余の言葉なぞ最初からいらなかったらしいの。あーあ、獣のように、同盟者をハッとさせたりしてみたかったのー、もっと早く言うべきだったかの」
アトラは急に白けたような顔をした。
「……えぇ……どう言う意味ですかそれ」
「余はなんでも欲しいのだ。特に人の物が欲しくなるタチでの、他者が持っていると価値があるように見えるであろう?」
「あまり、褒められた趣味ではありませんね」
「それだけの価値があるように見えると言うことよ」
「……誰のものでもないですけどね。まだ」
「さて、同盟者よ。余は休息などしていても落ち着かんのだ、少しばかり仕事をしようではないか」
「せっかく休みを与えられたと言うのに……」
「その方が余には気晴らしになる。手を尽くさないで後悔はしたくないのでな」
「なら、仕方ありませんね」
「よし、せっかくだから新兵器の使い方でも教えるとしよう。小娘が剣を振り回さんでも済むようにな」
アトラは壁に立てかけてあった棒のようなものを手にとって、そう言った。
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