配信

真鉄

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「今回は上手くいきませんでした……。期待してくれはった方、すみません。次回も見捨てんといたってください……」

 アナル開発って難しいなぁ……。安貴やすたかは配信を終え、PCの前でしょんぼりと溜め息をついた。アキという名前で配信を始め、ようやく人が増え始めたのだ。ここで視聴者を手放したくないというのが本音だった。そのためならアナル開発ぐらいやってやる、早漏が治るなどメリットが多いと視聴者も言ってたし、という決意だったのだが――。

 肝心のアナル開発が全然上手くいかないのだ。

 視聴者から言われるがままに欲しい物リストに入れたアダルトグッズは軒並み買ってもらえた。色とりどりの下着やかわいらしいローターから、こんなの本当に尻に入るのか!? と血の気が引くほどにエグい形のもの、使用意図の分からない謎器具まで、狭い部屋にずらりと揃ってしまった。

 取り敢えず前立腺という尻の中にある器官をいじればいいんだろう、とネットに落ちている体験談などを読み漁り、電動バイブではなく、筋肉の力で前立腺に食い込み動くという空豆に蔦が生えたような比較的小さな医療用前立腺マッサージ器具をメインに使っていくことにした。腹の中を綺麗にするための浣腸器や、潤滑用のローションも既に揃っている。ローションに至っては一人で使い切れるとは思えないほどのボトルが押し入れを占拠していて、正直邪魔だった。

 手順を読み込み、準備も済ませた。せいぜい指程度しかない性具の挿入も、心理的抵抗はともかく、思ったような痛みもなくスムーズに終えた。横を向いて寝転がり、リラックスしながらアダルト動画を眺める。巨乳のお姉さんの揺れる乳房に若い身体はすかさず反応し始めるが、今回こっちはお呼びでないのだ。

 アナル開発をしたいのならペニスに触ってはいけないのだという。触りたいなら乳首にしなさい、とのことだが、乳首の気持ちよさは何だか怖い。米粒ほどの胸の先を触っているだけなのに、いつの間にかまるで漏らしたかのように先走りが大量に出てしまっている。このまま触り続けるとどうなってしまうのか、という未知の快感への恐れが拭えない。

 結局、少し乳首に触れてみては怖くなって止めるのを繰り返し、動画に没頭できないわ、勃起には触れないわ、異物を挟んだままの尻の穴は気持ち悪いわで、何もかも中途半端な気持ちのまま終えること三回――。

 今日こそは、と贈り物のジョックストラップ――性器だけを前袋で隠してくれるほとんどゴム紐のようなふざけた下着一枚で配信を始めたが、喋ろうとすれば集中できず、オカズに集中しようとすれば無言になり、肛門を見せ合うぐらい中学生の頃に友達とよくやらかしたお遊びではあったが、いい大人がカメラの前で一人ふざけるのは何だか寒々しく、方向性が定まらずぐだぐだのまま放送枠が終了し、完全に放送事故のようになってしまった。アナルチャレンジ一回目には大量に貰えた投げ銭も、今日は一人だけだった。別に金目当てで配信をしているわけではないが、金というのは目に見えて分かりやすい価値だ。

 そうして安貴は、自分にはアナル開発の能力がないのではないかとしょんぼりしながら、餌を貰い損ねた犬のような情けない顔で使用済みの性具を風呂場で洗っていたのだった。

 顔を上げ、鏡の中の情けない自分の顔を覗き込む。黒目がちなつぶらな瞳、低い鼻、丸い顎にようやく少し伸びてきた短い髪。八の字眉の垢抜けない童顔が赤い顔でこちらを見つめていた。鍛え上げた分厚い肉体とのアンバランスさが本人にとってはひどくコンプレックスだった。

「情けないなぁ、ほんま……」
 ぽろりと泣き言が漏れた。配信を始めるようになって、無自覚のまま独り言に抵抗がなくなってしまっていた。山ほど贈られたアダルトグッズは自分に対する信頼の証だと言えよう。皆それだけ安貴に期待しているのだ。それなのに、応えられないのは、つらい。見捨てられるのは嫌だ。たとえそれがアナル開発のような馬鹿げたことであっても、だ。

 溜め息をつきながら色々と片付けてPCの前に戻ってくると、配信用のアドレスに一通のメールが来ていることに気づいた。「アキちゃんのファンです」というタイトルに安貴は胡散臭げに目を細める。わざわざ名指しとは随分と凝ったスパムだ。何の気なしに開けてみると、それは安貴の予想に反して数分前に届いたばかりの純粋なファンメールだった。

「嘘やん……」
 読み進めるほどに、じわじわと頬へ、耳へと熱が上がり始め、安貴はぺたぺたと顔を掌で押さえながら三度ほど読み返した。配信を開始してから半年、簡易なコメントはそこそこ来るようにはなったものの、ちゃんとした形としてのファンメールを受け取ったのはこれが初めてだった。「アキちゃんの関西弁を聞いてると何だかほっこりします」、「毎週の楽しみです」、「失礼かもしれないですが、とてもかわいらしい方だなあと」――いつの間にか目の端に浮かんでいた涙を拭い、安貴は再度頭から読み返し始めた。

 今の安貴には友達がいない。決してコミュニケーションが嫌いだというわけではない。むしろ寂しがりだと言ってもいい。ただ、中学の頃からひたすら野球漬けだった安貴には、クラブ仲間以外との共通の話題を持ちあわせていなかった。

 大学進学の際に親戚の伝手を頼って上京してみたものの、少し前までボールを追いかけてばかりいた素朴な青年には、都会のチャラチャラギラギラした同輩とは住む世界が違った。朱に交われば赤くなるというが、交わる以前の問題だったのだ。最後の砦として、この際、硬でも軟でも構わないから野球サークルに入ろうと探してみたが、存在すらなかった。ヤリサーとしての価値すらないというのか。こんなことなら格好つけずに地元の大学にしておけばよかった、と激しく後悔した。

 そうして、安貴はネット配信を始めた。
 自分という存在を誰かに見初めてほしかったのだ。

 広いネットの海ならきっと――そう思って始めた配信が、ようやく芽を出し始めたのだ。そう考えると嬉しくてたまらない。初めてコメントを貰った時も泣きそうなほどだったが、わざわざこんな長文で褒め称えられるなど、生まれて初めての経験だった。

 メール送信者はしきりに、かわいい、癒される、とアキのことを褒めていた。「最近のえっちなチャレンジも興味津々で見ています」とあるので、馬鹿な弟分を見守るような気持ちなのだろう。一人称が「僕」なので十中八九女性でないのは、まあ、ちょっと、正直言うと大変残念だが、この際、友人になれるのならどんな人だっていい。そもそも、視聴者の性別のどちらが多いのかも把握できていないので、そもそも女性視聴者がいるのかすらも分からないのだが。

 「今回は失敗に終わってしまいましたが、気を落とさないでください。いつまでも応援しています」という最後の一文を見ながら、安貴は大きな溜め息をついた。ちっとも上手くいかないアナル開発のことを思い出したのだ。いずれにしても、返信しなくてはなるまい。わざわざ手間をかけてまで伝えてくれた気持ちを無碍にはできない。

 キーボードを打つのは苦手なので、送信者が最後に記していたメッセージIDにスマホから返信することにした。差出人の名前は「苧環」といった。何と読むのか安貴にはよく分からないが、字が同じなので間違ってはいないだろう。取り敢えずは心の中でウカンさんと呼ぶことにした。それ以外に読み方が考えられなかったからだ。

「こんばんは、アキです。メールありがとうございました……、っと」
 ぶつぶつと呟きながら、安貴はメッセージを返し始めた。初めてのファンメールだったこと、かわいいと言われるのは照れ臭いが嬉しいということ、チャレンジが上手くいかないが貴方のメールのおかげで元気が出たこと――ぽつぽつと返していると、突然のアラートとともにメッセージを受信した。

――アキちゃんですか? こんばんは! メール読んでくれて嬉しいです!
「うわわ……、どうしよ」
 ウカンからだ。メッセージとは言ってもほとんどチャットのようなものなのだ。相手からの即時返信もありうることをすっかり失念していた。手汗にまみれた掌を曲げ伸ばしながら泡を食っている間にもウカンからの返信が次々と来る。

――お忙しいのに返信ありがとうございます
――配信、これからも楽しみにしていますね

 安貴は思わず顔をしかめた。無邪気な期待が重くのしかかる。アナル開発というたかが悪ふざけであっても、やると決めたからにはやらねばならない。それは配信者と視聴者の信頼関係に関わる問題だ。だが――。

 迷う指で、しばらく配信できないかもしれない、と安貴は弱音を吐いた。上手くできないから、できるまで一人で頑張ってみようと思う、と。逡巡の末に送信し、大きな溜め息をついた。失敗を人に見せるのも嫌だが、何より失敗によって失望されるのはもううんざりだった。今回のコメントも「どんまい」で埋めつくされていたが、これだって今後失敗を重ねていけばどうなるか分からない。

 考えれば考えるほど悪い方向へと肥大する想像に大きな溜め息をついたとき、アラートが鳴った。のろのろと画面に目をやると、そこには――。

――良かったら相談に乗りましょうか?
――仕事柄、人体の構造には詳しいので
――一度お会いしたいです 東京ですよね?

 心臓がばくんとひとつ大きく弾んだ。遅れて、顔に血が上り始める。どうしようか? 甘えていいのだろうか? ああ、手汗がすごい。顔が熱い。どうしよう、どうすればいい?

 様々な事柄を天秤にかけ、悩んだ結果、お願いしたいです、と返信した。それに対するウカンの返事は早く、あっと言う間に会う日時と場所が決定していった。一連のやりとりを終え、目の前を全面的に塞いでいた悩みが何とか解決しそうだという喜びに、満ち足りた溜め息をついた。

 安心したせいか、大きなあくびが出た。布団に潜りこみ、とろとろと微睡ながら、世の中にはいい人がいるものだなあとしみじみ噛みしめる。諦めずに配信を続けてみて良かった。会える日が楽しみだな……。
 愚かな子供を頭から食べる悪い大人が手ぐすね引いて待っていることも知らず、安貴は久々の安眠を享受するのだった。
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