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おわりの語り

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「ではひとまずこのような予定で行きましょう。
ケンシローさんのお出かけ用の服も買わなくてはなりませんし、忙しくなりそうです」
「楽しみだなぁ! まさか死んだ後に異国観光ができるなんて!」

あらかたの予定を決め終わり、はしゃいでいた声は落ち着いていく。
辺りには沈黙が落ち、ケンシローは改めて己の周りを見回した。

後ろには自分が呼び出された魔方陣に脱いだ脚絆と草履。
正面は菓子と湯呑みが置かれたちゃぶ台、その向こうには召喚者であるロッテ。
その更に向こう。
出入り口と思わしき、陽翔国では見慣れないデザインの黒い扉があった。
ケンシローとの話を終えれば、ロッテはそこから出ていってしまうのだろう。

終わりにするために。
話さなければいけないことがある。
それを分かっているのは二人とも同じであったらしい。
口火を切ったのは、ロッテの方であった。

「話していただけませんか。
典緑十年から己の身が毒と化し、身体が弱って日記が書けなくなってから。
典緑十一年の第二次野春島の合戦の前後に死んだと言われている貴方に、なにがあったのか」

死人に、己が死ぬまでのことを語らせる。
それはある意味で死ぬほどの苦しみを思い出せという、本人の心を無視した拷問であった。

しかし、その無礼極まりない申し出に、ケンシローは静かに頷いた。
既に覚悟の決まった微笑みを浮かべていた。

「斎藤殿が効国に寝返ったんだ」

そうして告げられた終わりの始まりは、裏切りであった。

「斎藤……というと、斎翠山とケンシローさんの屋敷のある土地を持っていらした方ですか」
「そう。前々から竜野家に勧誘を受けていたらしくてね、鬼松家に反旗を翻した。
最悪だったのは、熊様からの鎮圧で劣勢と見るや、私を連れて効国へ亡命したことだった」

当然抵抗はした。
しかし毒に冒された身には多勢に無勢、すぐに押さえつけられ荷物のように運ばれた。
雪の降り積もる地面を引きずられ、吐いた血が線を描くのを見ていることしかできなかった。

「一体、なんのために」
「熊様への牽制のためか、効国には何度も訪れたことのある私を寝返り仲間とでも思ったか。
でも竜野 幻水の前に引っ立てられた時、どちらも違うと悟った」

『久しいな、薬師よ』

防壁で囲まれた平城の一角。
簡素ではあるが良いものであつらえたとある屋敷の広間で胡座をかいていたのは、見覚えのある顔だった。

「効国を訪れていた時、度々『力』のことを教えてくれていたのは薬草園の管理者じゃない。
竜野 幻水その人だった。
私の薬の調合の腕を狙っていた幻水は、斎藤殿に身柄を保証する代わりに私を引き渡すことを要求していたんだ」

『おまえは平和を望むのであったな』

毒を使う手は良い。
使いどころさえ間違えなければ大きな力となるだろう。

熊様に否定された手段を掬い上げられる。
そして囁かれたのは、蜜のようにどろりと重い誘いであった。

『ここは至国よりも力の使い方に長けている者が多い。
その毒に浸された苦しみ、我らならば救ってやれるやもしれぬ』

「いずれ熊様とも戦うことになるだろうけど、効国のために働くという条件を呑むならば家族も含めて殺さずにおくことを約束しよう、とも、言ってた。
……ただの薬師のことを、どれだけ調べ上げたんだか」
「それは、」

ロッテは言葉に詰まる。
熊様の傍ではないかもしれないが、共に生きられる。
最後のページに吐き出した感情の全てを叶えられるような、悪魔の契約ではないか。

「その後城より少し離れた小さな屋敷を与えられて、ろくに動けなかった身体を世話する者達と共にしばらく暮らすことになった。
拘束はなし、屋敷の外にさえでなければ望んだものはなんでも与えられた。
今はまだ見つけられていないが、毒を抜くための手段を考えたら早急に実行する、とも」

穏やかな生活だった、とケンシローは目を閉じる。
防壁に囲まれた屋敷には入ってくる情報が少ない。
人が死んだことも聞かない、苦悩することもない、素敵な生活。

「舐めるなよ」

ぎん。
開いた目に宿るは、闘志。

固唾を飲んで見守っていたロッテは、燃え盛る炎が突然に現れたことで小さく肩を跳ねあげた。

「私は、熊様の家来だ。
胸を張って名乗れずとも、過ぎ去った昔の栄誉だったとしても、熊様の不利益になるようなことはするものか。
絶対に、するものか」

だから、と言葉が続く。

「死のうと思った」
「えっ」
「ただ、従うふりさえすればなんでも用意してくれたけど、鋏や刃物なんかの自殺しそうな道具の時は監視役がついた。
常時、世話役も数人いる屋敷の中で、目を盗んで一撃で死ぬのも難しかった。
だから、自分の身体の状態を利用することにした」

言葉の重さとは裏腹に、吐かれた台詞は軽かった。
お腹が空けばご飯を食べるのと同じように、主君を裏切る事態になるなら死ぬという行動は、彼にとって当たり前に存在している常識だった。

「ただでさえ許容限界を超え始めてる身体なんだ。
そこにありったけの薬草をぶちこめば死は目前だった」
「それは、……でも、苦しかったのでは」
「そうだね。
ただ、幻水が治療法を確立する前にやらなきゃならなかった。
防壁に囲まれた城下町の人達のため、という名目で薬草をせしめ、実際に調合した余りをくすねて加工して、食事の際に目を盗んでは呑み込んだ。
せっかく効国の美味しいものを食べられたはずだったのに、薬草の味しかしなかったのは残念だったな」

斎藤殿に連れてこられたのは十二月の冬の頃。
それから薬の服用を繰り返し、二月に再び野春島でのにらみ合いが始まったと耳にした。
急がなければと、くすねる薬草の量を増やした。
手足が鉛のように重くなった。
庭で咲く桜の色が分からなくなった。
割れるように頭が痛み、眠れなくなる夜が増えた。

「……どうしてそんなに苦しそうな顔をしているの」

健康体であるはずのロッテがそんな顔をしているのが面白くて、ケンシローは唇の端を歪めた。
ケンシロー自身は、真綿で首を絞めるような死に方を、一度たりとて後悔したことはない。
無関係の他人がそれで勝手に苦しむ理由は、良く分からなかった。

「もう既に死にかけてたし、幻水が野春島の方に掛かりきりになったのが功を奏して、気づく者は誰もいなかった。
それでいよいよこれは死ぬな、ってなった時に、偶然聞いちゃったんだよ」

診立てによる技術で、相手から情報を得ることを得意としていたケンシロー。
その人好きのする雰囲気と合わさって、効国の城下町でもその才を発揮させていた。
薬師の腕も相まって、関わりは町人から職人、竜野家の家臣へと広がっていく。

そうして集められた情報から、噂話に過ぎない一つを拾いあげた。

「野春島で睨みあっている部隊とはまた別の、少数が気づかれぬように熊様の本陣に向かってるってさ」

この場にいる熊様の味方はただ一人。
聞いたからには捨て置けぬ。
あやふやで大量の情報から、確実そうな日時とルートを割り出した。
副作用は度外視して、己の脚を走らせることを可能にする薬をありったけ服用して、屋敷を抜け出す。

「追手は……多分、来たんだと思う。
後ろから切られたりしたかもしれない。
でもその時にはもう身体で痛くないところなんてなかったし、熊様の元へ行くことばっかり考えてたから、なんにも覚えてない」

冷静に考えれば有り得ない話だ。
死にかけの人間がいくつかの山を超え、確証のない道を辿って先行しているはずの戦闘集団に追いつくなど。
だが、奇跡は起こった。

「効国で顔を見たことのある人達を見つけた。
椿山城から荷物を運んでる小荷駄を気づかれないように追いかけていたから、それを必死で止めたんだ」

当然もみ合いになる。
相手は命懸けで任務を遂行しようとしているのだから、邪魔物は何者であれ殺そうとしてくる。

「何回か刺されたかな」

とにかく速さを重視したため、ケンシローは鎧など身につけていない。
短刀は皮膚を抉り、血を噴き出させて内臓にまで至った。

「それでも離さなかった。
這いつくばって脚にすがりついた」

となれば、当然騒ぎを聞きつけた小荷駄の集団が気づく。
数名を残し、大部分は馬や人夫を急がせ去っていった。

残った数名は問題を片付けるべく、もみ合っていた集団を処理し始めた。
その中には血塗れの上、長期に渡る服毒により人相のすっかり変わったケンシローも含まれていた。

「まって、」

ロッテは言葉を漏らす。
理解の及ばない出来事を整理するべく、制止をかける。
しかしケンシローは止まらなかった。

「情報を吐かせるために、まだ息のある一名が回収されていった。
私はもう瀕死であることが目に見えていたから、通行の邪魔にならないように崖から落とされた」

落とされる直前、己の体液は毒に冒されているため、素手で触らぬ方がよいと、息も絶え絶えに伝えた。
すると相手はケンシローにいぶかしみ、正体を問うてきた。
相手が至国での知己であったかは、視界も耳も使い物にならなくなっていたケンシローには知らぬところであった。
だから答えた。

『ただの、獣にございますれば』

それ以降、なにも答えなくなったケンシローにしびれを切らし、相手はケンシローを崖から蹴り落とした。

骨の潰れる音。
水飛沫。
水に洗われ、血が流れていく。
命が、流されていく。



さて、どこから間違えたのだろう。
毒を作り始めたことか。
武将ではなく薬師として仕えたことか。
そもそも最初の最初、一番大切な人の家来でありたいと願ってしまったことか。

馬鹿をやったな、とケンシローは初めて己をそう評した。
なにせ今まではなにかやらかしたとしても、『馬鹿犬め』と呆れた声で叱ってくれる人がいたものだから。

結局、熊様へのお目通りは叶わなかった。
総大将のくせに真っ先に駆けていく大きくなった背中が、
大刀を振るう凶悪な笑顔が、
特別だぞと触らせてくれた角の固さが、
頬に触れた髪のくすぐったさが、
耳の間をかき混ぜるように撫でた掌が、
遠くなっていく。

もはやケンシローの手には何の感触も残っていない。



視界に紫が急に入ってきた。
あれはアヤメか、菖蒲か、杜若か。
突然正常に機能し出した視界に幻覚の可能性も感じたが、もはやケンシローにとってはどうでもよいことだった。

血で汚したくなくて、最期の力を振り絞り、仰向けに転がって距離を置く。
視界は紫から空色へ。

一片の雲も見えぬ、腹立たしいほどの晴天。
七月のとある日、ケンシローはその生涯を終えた。
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