狼男が恋をした(仮)

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第一章

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『   ぼくのお父さん              しのはら みつる

 ぼくのお父さんはえーじぇんとをしています。
モンスターのすむところやべんきょうするところをおせわすることがしごとです』

 『ぼく・わたしのお父さん』というテーマで作文発表をした時、最初の数秒で青ざめた先生にストップを掛けられたことが、授業参観と言われて一番に思い出す出来事だ。
肝心の父さんはこりゃ困ったなー、とさして困ってもいないようにニコニコしていたが。

 この春から高校生になる今なら分かる、当時の僕はものすごく危険な行為を犯そうとしていた。

『ぼくも、ぼくのお父さんもモンスターです。ちょっとだけ変身もできます』

 二文目でストップを掛けてくれた先生には感謝している。
三文目を読んでいたらいよいよ僕たち家族の立場は危うくなっていた。

 わが篠原家は代々狼男の血を受け継ぐモンスターである。
といっても血はだいぶ薄まっているらしく、少しばかり鼻が利く程度だ。
生き物を狩って生活するなんて僕には考えられない。
闇にまぎれるのは昼に寝過ぎてコンビニへ暇つぶしに行く時である。

 闇にまぎれてといえば、この世界には狼男以外にもモンスターはたくさんいるらしい。
吸血鬼、魔女、ミイラ、などなど・・・・・・ヒトと断交した生活を送っていた彼らだが、最近では人口増加と人間の技術の発展によって隠れ住む場所が減っている。
絶滅寸前の動物を想像してもらえばきっと分かりやすい。

 そこで、モンスターたちは「人間から離れた隠遁生活」から「人間と共存した生活水準の高い生活」へ移行することを決意した。
生活形態が変わることを反対している者はもちろんいるし、いきなりモンスターの存在を明かすことはできない。
ので、試験的な政策として、この日ノ本ではモンスターの若者を留学という形で受け入れているのだ。

 一部のヒトと日ノ本に元々住んでいたモンスター以外は知らない留学生の正体を、一般人にばれないようサポートすること。それが僕の父、篠原 ケイの仕事である。

「今度の春からね、うちにも留学生が来るから」

「へっ」

 いつものように微笑を浮かべながら父がそう言ったのは、高校受験のために参考書を開こうとしていた冬のことだった。

 居間で勉強するの? じゃあテレビはイヤホンで聞くねー、いやいいよ、雑音があったほうが集中できる、というやりとりの直後のセリフだったので、飲み込んで理解するまでにだいぶ時間がかかった。

「りゅ、留学生? どんな奴なの、父さんは留学サポートのエージェントなんだからホームステイは仕事じゃないんじゃないの、ていうかなんでこの受験って忙しいときにそんなこと決めんの!」

 ようやく言葉を見つけて矢継ぎ早に質問を投げかけるも、父はタイミング悪くミカンを剥き終わって口に運んだ後だった。
どてらを着込んで炬燵でミカンを咀嚼する様はどうも狼男の血を引いているようには見えない。

 もっぎゅもっぎゅ、ごくんという音が終わり、父はにこやかに質問に答える。
常に笑みを浮かべているように見える垂れ目は、きっと色濃く僕に引き継がれた要素の一つだ。

「その子は僕らと同じ狼男なんだよ。
保守的な彼らが留学生を出すのは初めてのことでね、ホームステイ先もずいぶん悩んだんだけど、結局同じ種族なら過ごしやすいんじゃないかってことでうちに来ることになったの。
受験が終わってから伝えても良かったんだけど、それだと時期がギリギリになっちゃうでしょ」

 ここで父は言葉を切り、僕と目を合わせた。
そのままそらされることなく、数秒が過ぎる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 十数年父とコミュニケーションを交わしてきた僕にはわかる。
このじっと目を見る動作は僕に頼みごとをする時のものだ。
これまでの話の内容から察するに、おそらくその留学生の世話を手伝わせたいのだろう。
だがそうは問屋が卸さない!

 僕は楽をして生きたい。
適当な大学に出て適当な仕事に就いて、ギャンブルとかしない生活能力のそこそこある適当な人と結婚して、子供を作って余生を過ごしたい。
そのために、普通でいるということが存外重要であると気付いたのは最近の話だ。

 普通と聞かれたら思い浮かぶのは、平均、愚凡、モブ、地味、『キャラがたってないんだよね、もっとシルエットでも誰か分かるぐらいにしなきゃ』・・・・・・エトセトラエトセトラ。
世間一般に浮かぶイメージはあまりいいものがない。
しかし裏を返せば普通とは主役にならないもの。
凄惨な事件やアクシデント、突如現れた妹や幼馴染とのエロハプニングなどとは無縁ということだ。

 最後の一つは心惹かれるものがないとは言わないが、とにかく普通と平穏はイコールで繋がっている。

 狼男の末裔なんて特殊設定は脱ぎ捨てて、ただの一般モブでいたい。
それなのに、今まで一度も留学経験のない種族の? 田舎で隠遁生活送ってるバリバリに空気の読めなさそうな狼男の? お世話をしろってか?

 絶対にごめんこうむる。
僕は『面倒くさい』という鋼の意志を込めて、真っ向から父に視線を送る。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 決意の固い眼差しを受けて、父はこくりと頷いた。
さすがに十数年親子をやっているだけのことはある、僕らの間に言葉は要らなかった。

「みつる、父さんは留学生の学校生活のお世話もするのが仕事だからね、この地域の学校には顔が利くんだ」

「だろうね」

「みつるの高校が決まったら、そこに留学生も入れるからね。
どうせ面倒くさがりのお前のことだから、平均レベルで入れる学校の受験勉強しかしてないだろう?」

 言葉は要らなかったが、僕らの間には慈悲もなかった。

 同じ高校に入って、その留学生が暴れでもすれば。
必然的に同じ家に住んでいる僕にも火の粉がかかることになる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 その火の粉を小さいうちに振り払うのと、知らぬ顔をして大火事に焼かれるの、どっちが楽かなど一目瞭然だ。

 僕がため息をついて降参のポーズをとった途端に、父は二個目のミカンの皮をむく作業に入ったのだった。
炬燵から離した両手が寒いのは、気温のせいだけじゃない。絶対に。




 そして無事第一志望の高校に合格した春。
地面の色は雪と氷の白がデフォルトな北国からやってきたのが、僕と同い年のストリュラー=ジレーゾヴィチ=ローシャ、という狼男だった。

 初対面時は明らかに外人さん、という外見にビビったのを覚えている。
しかしコミュニケーションをとるにつれ、外見よりも警戒しまくりの奴の態度に途方に暮れる羽目になった。
まず目が合えば眉間の皺とむき出しの牙がお出迎えする。
その目つきは元からじゃないよな、あからさまに睨んでるよな? という鋭い視線と、なによりにじみ出る近寄るなオーラが僕との接触を頑なに拒むのだ。
まるっきり懐かない野生動物のようだ。

 会話する気がないなら最初っから日ノ本に来るなよな、とイライラしながら父さんに家電の使い方を教えてもらっている野生留学生を眺めていたのが昨日のこと。

 そして今日、奴は初めて見る満面の笑顔を大サービスしながら問題発言を言い放ったのだった。

「さっきそこですごく美味そうなヒトを見つけたんだ!」

「二回言わなくても聞こえてるよ。
ていうか・・・・・・えっ、ちょっと待ってくれ鉄也くん」

 ここで初めて聞く名前が出てきたことを、説明しなければならないだろう。

 モンスターは種族独自の法則にのっとった名前がほとんどで、ありていに言えば変な名前が多い。
そして僕たちの暮らす日ノ本は、一部の外国以外と関係を断っていた歴史もあり、外国人に耐性がない。
なので、日ノ本のヒトと円滑な接触を図るために、日ノ本に留学する際は一時的な呼び名として日ノ本風の名前と、ヒトの姿をしていないモンスターは日ノ本人のような姿を与えられる。

 この狼男の青年も例外ではなく、興奮すると生える耳しっぽ以外は大体ヒトの形なので変身こそしていないが、規則だからと名前は与えられた。
彼の日ノ本での名前は――小林 鉄也だという。

 透き通ったアイスブルーの瞳と、彫りの深い顔立ち、シミひとつない雪のような真っ白な肌を持つ彼の名前は、ここでは小林 鉄也だという。

 あまりのミスマッチさに、その名前を聞いた時ばかりは少し彼に同情した。

「美味そうな人間って、まさか、食ったんじゃないだろうな!」

「そんなんしたら強制送還されるじゃないか。まだだ」

 最後の言葉は心底聞きたくなかった。
だが、問題発言とはいえ、これはまだ火の粉の状態だ。
少しの労力で振り払える。
僕は受験後のお楽しみにと録り貯めておいたバラエティ番組の再生を止めた。

 そして数分後、正面の座布団にあぐらをかく鉄也の顔は、話し始めた時と変わらず真剣なものだった。

 桜の舞い散る中で、ヒトの女の子と出会い、ついでにどっきりハプニングも起こしたと。

 僕の理解が間違っていなければ、微笑ましい体験談だ。
だが、と僕は思わず寄っていた眉間の皺を伸ばす。

 その恋愛小説の冒頭に出てきそうなボーイミーツガールで、どうして「美味そう」という感想になる・・・・・・?

「鉄也くん、質問があるんだが。
その女の子を見た時、ストレートに『美味しそう』だと思ったのか? 
美味しそうな匂いがしたとか、丸々太ってたとか」

 向かい合う座布団の間は約一メートル。
それ以外に距離感を測りきれていない相手と、なんとか会話を成立させようと質問を投げかける。

「うーんと、いや、とっさに『美味そう』って思ったんじゃなくって。
顔見て、眼を合わせたらなんかこう、胸がドキドキしてきたんだ。
なんかに似てるなー、なんだろう? って走ってる途中で考えてたら、あれだよ、狩りで獲物に飛び掛かる時にも胸がドキドキしてたんだ!
だから俺はあのヒトを美味そうだと思ったに違いない!」

 頭をかきむしり苦悩しながら、不慣れな言葉をひねり出してなんとか表現しようとした狼男の努力を蔑むつもりはないが。

「他に考えられる可能性は?」

「ない! 別に怖くてドキドキした訳でも、胸を怪我してドキドキした訳でもないから、それ以外にありえない!」

「・・・・・・鉄也くん、初恋をしたことはあるか?」

「その質問、今関係あるのか? ないぞ!」

 父曰く、言葉が見つからない時の僕の顔は遮光器土偶にそっくりらしい。
大きなお世話だし、今はぴったりの言葉があるから土偶ではないはずだ。
いや、いつだって僕は土偶ではない。

 この小林 鉄也という男、バカだ。

 ある程度の知能を持つ生き物は狩りでの興奮以外にもドキドキはするだろうが! 
例えば恋に落ちた時とか恋とか恋とか! 
その美味しい展開でなぜ美味そう(性的な意味ではない、本当に残念ながら)という結論に辿りつく!

 予想していた話のオチが悪い意味で裏切られたような脱力感を味わいながら、話を聞いている間、気を遣って手をつけず放置していた菓子袋を再び引き寄せる。

「んで、鉄也君はその美味そうな女の子をどうしたいわけよ」

「決まっているだろ、喰いたいんだよ」

 口に運ぼうとしていたスナック菓子が、止まる。
ふざけるなと怒鳴りつけようとして、かち合った視線に体を震わせた。

 人間を食べる、と言った小林 鉄也は笑っていなかった。
太い眉を寄せるでもなく、彫りの深い凛々しい顔立ちはもちろんおどけた表情を浮かべているわけでもなく。
だが、埋め込まれた双眸のギラギラとした輝きは、無表情というにはいささか雄弁すぎた。
アイスブルーの殺気が目の前の相手、つまり僕の全身に叩きつけられる。

 ごきゅり、と変な音がした。
スナック菓子用に身体が分泌していた唾液を、意志とは関係なく飲み込んでいる。

 忘れていた。この男はモンスターなのだ。
出会ったばかりだという女の子を歯牙にかけ、潰れてゆく骨の堅さと小気味のいい咀嚼音を、肉を引き裂くほどにあふれてくる馥郁たる香りを、ねっとりとした唾液とからませた肢体の味を、口の中から余すところなく感じたいという欲求は、僕にとってのスナック菓子と同じ感覚で存在している。

「そんなこと・・・・・・留学の条件に違反してるし、そもそも犯罪だし。
大体、君は今日に至るまで僕と一言だって会話もしなかったじゃないか! 
なんでこんな話を聞かせるんだよ!」

 冷えた腹の底から、震える声を絞り出す。
本当だったら受験から解放された喜びにはしゃぎながら、バラエティ見て休みを満喫しているはずだったのだ。
モンスターとの思考の違いを見せつけられた今、脱ぎっぱなしの衣服が放り出されているソファも、食べ終わったまま片付けなかったカップめんの容器が転がっているダイニングテーブルも、話を聞き終えたらすぐに続きが見られるようにと電源だけ付けているテレビの液晶も、ずいぶん遠いもののように見える。

 しかし、突然異世界に投げ出されたような感覚は唐突に終わった。
爪楊枝の先ほどの攻撃に思われた僕の反論に、鉄也は気まずそうな顔をしてうつむいたのだ。
ぺたりと垂れた耳の下では、鋭かったはずの眼が右往左往している。

「それは、その・・・・・・今まで会話しなかったのは、悪かった。
無視してたわけじゃないんだ。
おれの住む集落では初めて見る奴は信用しないのが当たり前だったし、狼男は仲間だと認めるまで警戒は解かない種族で」

 そこで鉄也は僕が同じく狼男だということを思い出したらしい。
言葉を止め、口をとがらせて視線を逸らして――しかし観念して、一瞬だけこちらと目を合わせた。

「初めての場所で慣れなくて、緊張してたんだ。
できたらお前とは仲良くしたいと思っている」

 口をつぐみ、また視線をあらぬ方へと向けたその顔は、言いにくい本音を吐きだしてふてくされているらしい。
小林 鉄也は、僕となんら変わらぬ同い年の未熟な男の子だった。

 人間のような反応を見て、僕は一抹の光を見出した。
彼が動物的な本能以外の感情を知らないのであれば、幼子を育てるがごとく『それは恋だ』と教えてやれば良いのではないか? 幸い鉄也は僕に対して悪い感情は抱いていないらしい。
ならば、できる。

 放課後に友達とだべりながら買い食い、テストに向けて己の不勉強さを呪いながら一夜漬け、好きな子の打ち明けあい、もちろん人間を食べるなんて思考の範疇外! 
そんな普通の高校生活を、僕はこの鉄也に教えながら送ることが可能だ!

「わかったよ、鉄也くん。協力しようじゃないか」

 ぴんとふさふさの耳が天を向く。これまで眉間にしわを寄せた不機嫌顔しか見ていなかった分、まんまるの瞳を輝かせた期待の眼差しは新鮮だ。

「その女の子の素性を調べて、君に会わせてあげようじゃないか」

「で、できるのかそんなこと?」

「モンスター留学エージェントの息子に不可能はない! ただしだ」

 前髪を気取りながら手で弾き、鉄也に向けて人差し指を突きつける。
本当なら指を鳴らしたいところだが、あの技能は目下のところ訓練中だ。

「人間社会での生活経験は、僕の方が上だ。
下手に君が単独で動いて怪しい行動をとってしまわないように、僕の指令にはできるだけ従ってもらう。
いわば僕が上官、君が部下」

 ドゥーユーアンダースタン? と座布団から立ち上がり、精一杯の上から目線(物理)で見下ろす。
鉄也は上下関係に少し不服を抱いていたものの、しばらく考えて首を縦に振った。

「それじゃあ決まりだ。
まずは人間の高校生活を送るために、入学式の準備をしないとな」

「みつる・・・・・・その、ありがとう。
ずっとぶすっとしてたおれにこんなにしてくれて」

 鉄也君と一緒にやるように、と言われていた入学式の準備をするべくリビングから出ようと思えば、同じく立ち上がった鉄也に笑いかけられた。
へらりとした表情は吊り上っていた眼から放たれているとは思えず、思わずこちらも唇が緩んでしまう。

 見慣れない土地で、緊張していただけなんだよな。
こっちから歩み寄ってやるべきだったんだと、だからもう少しだけサービスだと、優しい言葉をかけたつもりだった。

「気にするなよ。もう友達じゃないか!」

 しかしその途端、鉄也の顔はいつものつり目しわ寄せ顔に戻ったのだった。戻るどころかしわが三十パーセント増量だった。

「数日暮らしただけの奴を友達とは呼ばない」

「鉄也くん?」

「ここのリーダーは篠原 ケイ、お前の父さんだ。
ケイが許可をしたからおれはここの群れに入れてもらっている。俺も仲間と認めてもらえるために、態度と行動でそれを示すつもりだ」

 僕のそばを通り過ぎ、鉄也が先に扉をくぐる。
筋肉のついた背中が二階へと続く階段へと遠ざかっていく。
まだ続くこれは、会話ではなく警告だった。

「言葉ではなく、な。
リーダーの一番近くにいるならお前が次期リーダーなんだろ。
だったら気を許すな、神経を尖らせろ、警戒するんだ。
同じ住処にいるおれがもしかしたら」

 階段への一歩を踏み出す前に、鉄也がこちらを振り向いた。
皺はない。警戒心もない。
ただ、アイスブルーの瞳が殺気を放っていた。

「お前を殺す敵かもしれないんだから」

 それっきり、鉄也は振り向かずに階段を上って行った。
背の高い後ろ姿が見えなくなってからようやく、僕の身体は弛緩し、ひざから崩れ落ちた。

「日ノ本の高校生男児に、大自然ばりの警戒心を要求するなよ・・・・・・」

 モンスターが入学式の準備をしたいと二階で僕を呼んでいる。
今お前と共同生活をしなければならない覚悟を決めているのだ、少し待ってほしいと床にうった膝をさすりながら呻いた。




 さて、僕が鉄也にモンスター留学エージェントの息子と豪語したのは言葉通り、その女の子の素性は父さんに丸投げするつもりだったからだ。
しかし、虎の威を借るつもりだった狐の目論見には誤算があった。

 入学シーズンで留学してくるモンスターは鉄也だけではなく、なおかつ日ノ本でモンスター留学を受け入れる町は限られる。
となるとモンスター留学エージェントの仕事も山積みなわけで、父さんと僕が顔を合わせる機会はぐっと減ってしまった。
深夜に帰ってくる父さんの疲れた顔だとか、生活や鉄也に関する必要最低限のメールだとかを見ていると、私用の頼みごとも気が引けてしまう。

 おかげで女の子への手がかりをなにひとつ得ることなしに、入学式を迎えてしまった。
『神城高等学校』の文字を彫りこまれた門をくぐれば、年季の入った校舎とそれを覆い尽くさんばかりに視界を埋め尽くす桜。
この公立学校の名物でもある桜並木は、実は毛虫が大量発生すると当の生徒たちには不評だったりする。

 桜の真下を避けつつ、それでも新しい生活への期待を抑えきれず浮足立つ新入生たちの流れをぶったぎるように、背を丸めた狼男が不機嫌オーラを撒きちらす。
見慣れた日ノ本人ではない顔立ちと眉間に寄った皺、人を射殺さんばかりの眼光に、生徒どころか保護者達まで遠巻きに見守るしかない。

 視線と囁き声は隣を歩いている僕にも刺さる。
さりげなく鞄で視線をガードをしていても、平凡を目指す僕にこの状況はきつい。

「おい鉄也、ただでさえ目立つ外見なんだからその獲物を追い詰めるみたいな表情やめろよ」

「獲物を追い詰めるどころか足跡の一つも見つけていないじゃないか。
あの子の手がかりはまだなのか、みつる」

 若干の非難を込めて鉄也をたしなめるが、眼光は険しさを増して僕に注がれる。
例の彼女と会った場所が桜の下だったこともあってか、桜並木を歩くこの状況は余計に鉄也を苛立たせてしまうようだ。
 紺のブレザーにチェックの入った緑のズボン、ピカピカの鞄。
やや袖の余っている僕と違い、上背もあって体格もいい鉄也には高校の制服がよく見栄えするというのに、丸めた背と放つ威圧感で台無しだ。

「待たせて悪いけど、相手は同じ年くらいの女の子なんだろ? 
父さんに調べてもらうのが一番正確なんだよ、お願いだからもう少し辛抱してくれ」

「・・・・・・」

「最初に僕の言うことを聞くって約束したよね」

 ほら、背筋伸ばしてその顔やめて! と背中を叩けば、鉄也は一層しわを寄せて低く唸った後、乱暴に眉間をこすった。
自分がここに来ている本来の目的を思い出したことも大きかったようだ。

 見栄えがやや良くなった狼男を引き連れて、丸い屋根の体育館へと向かう。
緑のシートを覆い尽くさんばかりにずらりと並んだパイプ椅子には黒、黒、黒の頭が勢ぞろい。
季節は春になったばかり、隅に設置された小さなストーブでは奥行きも高さもある空間では能力不足らしい、コートを脱ぎつつも腕をさすり背中を丸める人間が多かった。

 神城高等学校へ入学した新入生が百数十人、その後ろには在校生と保護者が着席している。
黒髪に交じってちらほらと色の違う頭が見えるのは、鉄也の他に迎え入れられた留学生たちだろう。
そう――鉄也の他に迎え入れられた、モンスター達。

『鉄也君をくれぐれもよろしく』

 父に言われた頼みごとの数々と、最後に飾り付けられた笑顔の重圧が背中にのしかかる。
入学式に似合わぬため息をこっそり呑みこんでいると、隣でさらに大きく息を呑む音が聞こえた。
鉄也だ。
これでもかと見開かれたアイスブルーの虹彩が向けられた先を辿れば、そこには黒の中に埋もれた黒が一つ。

『入学生、起立』

 ピアノの音が始まった。
椅子にシートが引きずられる音が何重にも響いて、新入生が席を立つ。
礼、の号令の隙に鉄也とアイコンタクトをとった。

(あれか?)

(あれだ)

 九十度に傾いた顔が雄弁に語る。
カッと見開いた眼は嘘を言っているとは思えなかったが、僕は内心で首を傾げた。
すでに九十度身体ごと折り曲がってはいたが。

 普通の子だった。
まっすぐ肩まで垂らした黒い髪に似合わない黒縁のメガネ、少しうつむきがちの顔にもこれといった特徴はなかった。
僕がその子を見つけられたのはひとえに鉄也の強靭すぎるともいえる視線がガイドしたおかげだ。

 礼が終わり、顔をあげて着席する。

 鉄也が食べたいと思うほどの魅力は果たして彼女にあるのかどうか――校長の挨拶を聞き流しながら、失礼ながら僕は疑問に思わずにはいられなかった。





 入学式が終わり、新入生は自分たちの教室へと移る。
僕と鉄也は一階の一番端、1―Aとプレートの下げられた教室へと足を踏み入れた。
深緑の身体にうっすらと傷のついた黒板と並べられたチョーク、まだなにもないがこれから様々なお知らせが貼られる掲示板、おそらくきっちりと並んでいるのは初日の今日だけであろう机に座った生徒たち――先生が来ていない今、やや控えめながらもおしゃべりはそこかしこで発生している。

 日ノ本の中学を体験している僕にとってはごく普通の光景ではあるが、後ろについてきていた鉄也にとってはそうでもなかったようだ。

「ここが、教室」

「そう。君はここで三十人の生徒と一緒に日ノ本の高校生活を送ることになる」

 すん、すんと鉄也は鼻を鳴らして扉のへりに手をつく。
眉間の皺がとれるとやはり年相応の少年の顔だ。

「たくさん、子供のにおいがたくさんだ。
こんなに生き物の、それも子供が集まっているのは巣穴の中でも見たことがない」

 人間は多いから強いのか? といまだ教室の空気を嗅ぎ続ける鉄也の眼が、再びカッと見開かれる。
予想はついたが視線の先をまた辿って、僕はげ、と声を漏らした。

「あの子だ」

 窓際の席にちょこんと収まる彼女は、後ろの席の女学生と話しているようだった。
知り合いらしく、微笑みを浮かべる顔はリラックスしている。

 鉄也はごきゅりと唾を飲み込むと、扉から手を離してずんずんと前進していく。
ああやっぱり、と僕は頭を抱えた。
違うクラスならいざ知らず、鉄也はあの子のこととなると暴走しがちだ。
人外とバレてしまう危険が増えてしまうではないか。

 思いつめた顔で歩を進める外国人に、クラスの喧騒は止んで自然と視線は鉄也へ集まる。
女の子とその知り合いも、差した影におしゃべりを止めて顔をあげる。

 至近距離には鋭い眼光の外国人。
緊張しているのだろう、普段より三割増しでしかめっ面の奴は口を開いた。

「い」

「い?」

 喉につっかえた言葉は鉄也を焦らせる。
強めに吐き出した言葉は教室にいた全員の耳を貫いた。

「いただきます!」

 よりによってその言葉かよ。

 僕の意識はおおげさなグルメ漫画で美味しいものを食べた時のように宇宙の果てへと飛んだ。

 もうだめだ、これから僕は女生徒にセクハラを働いた奴の友達として三年間レッテルをはられて後ろ暗い生活を送るんだ・・・・・・
衝撃と虚無感を払ったのは、控えめに噴きだされた笑い声だった。

「挨拶間違えてるわ、『おはよう』か『はじめまして』でしょ」

 くすくすと女の子が笑う横で、整えられた眉を歪めながら知り合いらしき女子が指を突きつけて訂正する。
それにつられて教室の雰囲気がやわらぎ、ドッとその場が沸いた。

 鉄也の外国人然とした顔立ちのおかげで、ギリギリ言葉間違いだと認識してもらったか! 
知らず垂れていた額の汗をぬぐい、僕はフォローするべくハイスピードで教室を横断する。

「まったくだよ鉄也、いただきますだなんてこの場で使うわけないじゃないか! 
ほら言ってごらん、『おはよう』って」

 しょうがないやつだなこいつめ、と肘で鉄也をつつくと、鉄也は憮然とした顔でオハヨウ、と呟いた。
外人を起用した通販番組のような芝居下手さが否めない。僕を含めて。

「あ、でも、この人とははじめましてじゃないんだよ」

 女の子が言ったのは知り合いに向けられた訂正の言葉。
横座りで足を組んだ知り合いは、ああ、じゃあこいつが、と得心いったとばかりに頷く。

 女の子が椅子の背に手をかけ、立ち上がる。
真正面に向かい合っても鉄也の胸元くらいまでしか届いてないが、これは鉄也がでかいからだろう。
それでも女の子は懸命に頭を傾けて目線を合わせる。

「えと、この前は助けてくれてありがとう。
私、鈴木 明亜っていいます。これから、その、よろしくね?」

 両手をもじもじとからませ、恥ずかしそうに彼女――明亜ははにかんだ。

「ちなみにあたしは瀬野 つばさ、この子の隣の家に住んでんの」

 知り合いの人が軽く手を振って自己紹介をする。
これは返さねば失礼だろうと、僕ははにかんだ想い人の破壊力に放心している狼男を脇におく。

「僕は篠原 みつる、こちらこそよろしくね。
こいつは小林 鉄也。今は僕んちにホームステイしてるよ」

「じゃああんたが篠原さんとこの」

 普通の生徒間でも、仕事の関係で学校に来ることが多い父さんは有名みたいだ。
瀬野と名乗った知り合いがそう呟いたところで、ようやく先生が教室へ登場する。

 生徒たちが大人しく席へ戻る途中、僕はふと思い返していた。

 伏せそうになる眼を何度も上へあげながら、緊張していたのか何度もつっかえて自己紹介する鈴木 明亜のこと。
鉄也を見つめるその眼はうるみ、桜色に染まる頬を。

 これはもしかすると、脈ありというやつなのでは?





 学校での諸注意、1―A全員の自己紹介、おおまかな委員会とクラブ紹介――入学初日での恒例行事が終わった後、僕らはようやく解放された。
高校生活初めての放課後というやつだ。
気になるクラブを見学に行ってもいいし、仲良くなった友達と町へ繰り出してもいい。

 しかし、僕らにはまだやらねばならないことが待っている。
本当なら僕ら、というより鉄也がやらなければいけないことなのだが、僕の場合は鉄也の付き添いを父さんに任されている。

 校舎別館二階の一角、『UMA部部室』と銘打たれた部屋の前。
少しばかりうるさい胸の上で手をぎゅっと握りしめ、一つ息をはく。
緊張の面持ちで立つ僕を、鉄也が後ろから不思議そうな顔で覗き込んでいた。

「失礼します」

 声をかけてノックを三回。
どうぞ、という声を聞いて、僕は引き戸を開けた。
立てつけが悪いのか騒々しい音を立てた戸の向こうには、四つの向かい合った机、整理された書類の向こうに鎮座する部長、そして――純白の泡が舞うバスタブだった。

「待っていたよ、小林 鉄也くんに篠原 みつるくん」

 すぐ横のバスタブに視線をとられて硬直する僕を意に介することもなく、本や書類の向こうから顔を覗かせる部長はメガネをたくしあげた。
クールな美形の顔に泡飛んでますよ部長。

「君らが篠原さんの言ってた狼男コンビ? やーん、ちょっとかわいいかもぉ」

 半裸の美女が泡まみれになって湯船に浸かっている。
はしゃぎながら揺らすのは際どいところを貝殻で覆うたわわな胸と――、大きな流線型の尾ひれ。
めっちゃ泡飛ばされてますよ部長。

「隣の副部長がこんな姿なのでできれば戸は閉めてもらえると助かる。
初めましてになるな、僕が野村 純。
このUMA部の部長、またの名を神城高等学校モンスター留学生統括部部長ともいう」

「あたしは田中 海里、副部長でぇす」

 部長と副部長がせっかく自己紹介してくれたが、鉄也が高校にバスタブがあることを常識と思ってしまうから完全スルーはやめてほしい。
脳内で予想していたことのはるか斜め上を行く状況に、僕は痛む頭を押さえずにはいられなかった。

 留学生がモンスターという事実はトップシークレットだ。
多少エージェントが保護、教育してくれるとはいえ、壁に耳あり障子に目あり、必要最低限の自衛は必要となる。
ただし、その『必要』と『最低限』の範囲が分からないからモンスターたちは留学してくるわけで。

 人前で人外のパーツをもろ出ししたり、自分たちの種族にとってはじゃれあいだからと人にとっては致命傷を負わせたり、そういうことをされると留学生全体で迷惑をこうむってしまう。
そこでできたのが、留学生のみで構成された神城高等学校モンスター留学生統括部だ。

 何が人間らしいふるまいか、やってはいけないことを先輩から後輩へと教えることが目的ではあるのだが。
あるはずなのだが。

「とりあえず来客を立たせたままというのも心苦しい、どうぞ適当な席に座ってくれたまえ」

 部長が自分の頭を残したまま立ち上がる。

 腐敗した首の断面が視界に入ってしまい、こみ上げる吐き気を口元ごと押さえた。

(ジュンはゾンビなのか。聞いたことはあったがはじめて見た)

(ゾンビに狼男、吸血鬼――そういえば似たような生息範囲だったっけ・・・・・・あと、先輩だから名前の呼び捨ては止めて)

 先輩が手近な椅子を引いて僕らに着席を促してくれた。
振る舞いと顔はイケメンだが、そのイケてる面は小脇に抱えられている。
僕と鉄也が席に着き、背後から飛んでくる人魚の視線と泡を感じながらようやっと本題に入れる状態となる。

「小林 鉄也くん、それから留学生ではないがエージェントの身内、ホームステイ先の住人で我らの正体を知る篠原 みつるくん。
UMA部部室、もとい統括部へようこそ。
歓迎する」

 イケてる面が身体から分離したままで喋る状況というのはなかなかにシュールなものだ。
本立てを活用して整理された書類の上に置かれているが、汚れないのだろうか。
なにで、とは言わないが。

「まず初めに言っておくが、この部室は先輩の魔女による結界が張られており、一般の生徒には普通の部室、普通の人間が活動しているように見えている。
僕や副会長がこのようにはっちゃけているのもこのUMA部部室のみだ、廊下や他の教室ではきちんと人間の姿をしていると明言しておく」

 あ、はっちゃけてるという自覚はあったのか。
最初にフォローを入れてもらったおかげで、僕の中にあった不信感は多少薄れた。

「あたしはプールとかでもちょっとはしゃいじゃうけどねん。
だって人魚だもの、しょうがないじゃない?」

「副部長にはもう少し立場というものを考えて行動してもらいたいものだがな。
ともあれ、君たちも部室では尻尾や耳を出してくれて構わない。
その代りここ以外では人間の格好をしてくれ」

 その言葉を聞いた途端、鉄也の頭部からふさふさの耳が飛び出た。
実行早すぎだろ。

 君もくつろいでもらっていいんだぞ、と勧められたが、丁重にお断りさせていただいた。
そもそも僕に流れる狼男の血は薄い、獣耳や尻尾が生えるのは満月の夜くらいだ。

「次に普通の人間の格好、立ち振る舞いだが、これは一つずつ教えていると時間がいくらあっても足りない。
こちらで簡単にまとめたものを用意させてもらった」

 鉄也には部長が、僕には背後から副部長が『人間のすゝめ』と題された薄いパンフレットを配ってくれた。
しっとりと泡で濡れたページを慎重に開くと、かわいいイラスト付きで人間のことについて説明されている。
言葉も簡単で、なかなか分かりやすい。

「また、人間としての他に生徒としての立ち振る舞いも僕らには要求されるが・・・・・・
これは生徒手帳の校則を確認するか、君の場合はやっていい事か迷った時、みつるくんに聞いてみるのもいいだろう」

 言っていることは事務的でしっかりしているように聞こえるが、これ要は僕に丸投げされてるよな?

 説明する気あんのかこのゾンビは、と歪みかけた口の動きは、部長の言葉に遮られる。

「本来だったらもう少し僕たちの口から人間の、神城高等学校生徒の生活について教えておきたかったのだが。
新入生たち全員が好きな時に来るものだから、この説明をするのは君たちで二回目だ」

「そもそも定時集合ってルールを理解してない子がいたり、あんまり顔合わせをさせない方がいい子たちのためにこっちが時間指定したり、集めて説明しない理由はいろいろあるけどねん」

「ともあれ、今回はそれ以外にも時間が惜しい理由がある。
これから話す二つの事柄は先ほどのパンフレットや生徒手帳を読めば理解できる内容と違い、僕の口からしか伝達はできない。
一度しか言わないからよく聞くように」

 部長は席から立ち上がり、僕たちと距離を縮める代わりに声量を落とした。
目を細め、先ほどよりも真面目になった部長の胸部、に抱えられた頭を僕と鉄也は注視する。

「一つ目。
留学生制度ができるよりも以前、この日ノ本国に元々暮らしていたモンスターがいることは知っているね?」

「はい」

「彼らは外国産である僕ら留学生を迎え入れることに抵抗こそあったが、エージェントの方たちの尽力のおかげで大事にはならずに済んでいた。
協定もある。
ところが」

 部長が言葉を止め、一呼吸置く。

「近年になって日ノ本産モンスターたちの長が代替わりをしたんだ。
昔に行われた協定の重要さが薄れ、外国産モンスターが日ノ本でのさばっているという現状に若者たちが反抗し始めているらしい。
 人間に対しての過度な暴力は推奨できないが、自分が危機的状況にある時、あるいは相手がモンスターであることが明白な時は自己防衛として戦闘行為を許可するものとする」

 コンクリートをたやすく破壊する腕力、現実離れした魔法の力、その他諸々。
モンスターは人間のできないことをやってのける種族が多い。
そんな彼らの戦闘を禁止しないということは、日ノ本産モンスターは相当やらかし、もとい暴れているようだ。

 しかし僕が事態の深刻さに唾を飲み込むのはまだ早かった。

「二つ目。
君たち留学生は日ノ本の人間のこと、そして学生生活を学ぶためにここに来ているものと思う。
僕もそうだ。
日常生活、勉学、人間とのコミュニケーション、そして学生といえば欠かせない要素といえば、『恋愛』がその一つだろう」

 ぴくり、と身体が反応したのは僕だけだ。
当の本モンスターは恋愛という聞きなれない言葉にキョトン面をさらしている。

「恋愛結構、大いに青春を謳歌したまえ――と言いたいところなんだが。
問題なのは相手が人間である場合なんだ」

「遊びの軽ぅいお付き合いならともかく、それ以上になっちゃうとねぇ。
どうしても自分がモンスターだって、バラさなきゃいけなくなっちゃうのん」

「以前その恋愛が原因で大きな事件に発展したことがあってな」

 相手が人間である場合、大きな事件に発展。
嫌な予感のするフレーズに思わず頬がひきつる。

 なるべくならお聞きしたくない話題だったが、これまで部長の補足をしていただけだった副部長の眼が輝いていた。
この手の話が好きらしく、風呂のヘリからはみ出した尾ひれがピチピチと跳ねる。

「私たちよりすごぅく前の先輩の話だったんだけどぉ、結婚寸前までいった人間がいたんだって。
その子は相手の人間のこと本気で好きだったみたい。
でもね、その子の一族が結婚を許さなくって、結局その人間を殺しかけるところまで行っちゃったんだってぇ」

「事件そのものの処理も大変だったようだし、留学制度やモンスターたちの実態を知ってしまったその人間の対処も大変だったようだ。
当時のエージェントや統括部の苦労を察して余りある」

 事件の内容も壮絶だったが、そのあとに続いた部長の言葉も勝るとも劣らずだった。
その人間の対処が具体的にどういうものだったのか、僕は聞きません。
聞きませんとも。

「ちなみに当事者の先輩はなんの種族だったんですか?」

「クラーケンよん」

 クラーケン――巨大なタコともイカとも言われる、海の魔物。
その巨躯で船ごと襲い、中にいる人間を一人残らず食い尽くすと言われている。

「そ」(りゃあうまく行くわけないだろ! むしろ相手の人間がクラーケンの大群に囲まれて死ななかった時点で結構な偉業だよ!)

 叫びかけたツッコミを最初の一文字だけでこらえる。
これでも僕は日ノ本のみで暮らしていた箱入り狼男、よそ様の事情に口を挟んではいけないだろう。

「ちなみに出会いはボート競技の大会だったそうよん」

 それはどうでもいい。




「ともかく、人間とのお付き合いはなるべくなら控えてほしい。人を襲うような種族なら特に、だ」

 部長が発した締めくくりの言葉を最後に、僕と鉄也は部室を後にした。
手には『人間のすゝめ』と最後のどさくさにもらった統括部、そしてUMA部のパンフレット。
手書き感あふれるその内容に、部長と副部長のどちらが作ったのか気になるところだ。
スカイフィッシュをデフォルメした飛び馬君というマスコットキャラクターの出来に何とも言えない気持ちになる。

「おれたちは形だけUMA部の部員になるんだよな? ・・・・・・ユーマってなんだ?」

「UMAは未確認生命体、つまり人間が見たことない怪物や妖怪のこと。
統括部の隠れ蓑として、留学生は便宜上UMA部に入部するけど、この学校は兼部が許されれてるから他の部活に入ってもいいんだよ」

 興味があるならUMA部の活動を見ていくかね、とパンフレットを押し付けてきた部長の眼はかつての鉄也のような獲物を狙う獣の眼だった。
形式だけのはずであるUMA部も、案外本格的に活動内容があるのかもしれない。

「普通の人間は部活に入るものなのか?」

「絶対そうとは言い切れないけど・・・・・・やってみたい部があるなら入っといた方がいいよ、人間の上下関係を手っ取り早く学べるだろうし」

「いっぱいあって覚えきれなかったな。確か玉を蹴るやつと玉を投げるやつと」

 鉄也が自分の行く道で悩んでいるが、眉をしかめすぎて目も閉じてしまっている。
前が見えているか不安になるので止めてほしい。

 僕たちは教室に置いてきた鞄を取りにリノリウムの廊下を歩いているところだ。
床に着いた黒ずみやへこみが年季を感じさせる。
差し込む西日が鉄也の頭部を照らし、ふさふさのそこに獣耳が生えていないことを確認して、僕は息を吐く。

 そしてぶわりと沸いて出た冷や汗をぬぐった。

(困った。これはかなり複雑で厄介なコトになったぞ)

 春休みに鉄也から頼まれたこと、そして今回UMA部部長から聞いたことを総合すると、こうだ。

 その一 鉄也は女の子に恋をしているが、鉄也自身はそれを食欲によるものだと勘違いしている。
 その二 相手の女の子は同じ学校で同じクラスに所属する人間の鈴木 明亜である。
 その三 留学生は自分がモンスターであることを人間に知られてはいけない。人間に危害を加えるなどもってのほか。
 その四 その三を引き起こす可能性があるので、留学生は人間に恋をしてはいけない。

 情報をまとめると、僕は平静を取り戻すことができた。
そして結論を出した。
どうすればいいかわからない。

 その三までなら良かったのだ、鉄也は人間を食べることを許されていない、ならば自身の恋心を気付かせてやれば万事オーケー。
僕はその補佐をするだけでよかった。

 しかし新たにその四が現れたことで事態はややこしいことになった。
鉄也は人間を食べてはいけない、更に人間に恋をしてもいけない。これ、僕はどうすればいいんだ!

 クラブをどれにするか、友達は作れるか、隣のかわいい女の子にどうやって声を掛けようか。
普通の高校生の悩みと言ったら、こんなもののはずだ。
なのに、僕は放課後の夕陽差す廊下で、出口の見えない狼男の今後について立ち尽くすのだった。




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