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箱と触手

夜の空の下

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会館の下水道には、除外設備がある。
水に混じった油分や沈殿物をある程度取り除く場所だ。
そこを抜けてしばらくすれば、近隣の水再生センターへ繋がっている。
きっとそこまで行けば、追手からは逃れられる。
しかし。
ミミックが成し遂げたい目的を果たすためには、会館の敷地外にあるそこは遠すぎた。

下水道に繋がっていたマンホールを押し上げて、しばらくぶりの地上へ身を乗り出す。
管に潜る関係上、纏えずに引っ張りこんだ布を絞ればゴミや汚物がびちゃびちゃと異臭と共に落ちて不快だったが、不意に吹き抜ける夜風を感じてしまえば、ベトベトした感触はすぐに気にならなくなってしまった。

布を纏いなおし、ぱちりと目を開けて、辺りを見回す。
広大な敷地故に手入れが行き届いていないのだろう。
自然に囲まれたそこは視界を遮る樹木はないものの、マンホールの上に直立するミミックの膝の辺りまで下草が好き放題に生い茂っていた。
そんな下草を、人間が踏み倒してできたと思われるずぼらな道が細く延びている。
遠くに建物の明かりと、その後ろに夜空より黒い山の影が見えた。
建物はさきほどまで自分がいた会館だ。
すぐ隣にはなんの用途か知らない高い塔のようなものも見える。

いつもの部屋の暗闇と同じ色なのに、どこまでも終わりのない空気の流れがまるで違う光景であると語る。
生まれた時から一緒の箱はない、隠れられそうな場所もない。
ただし壁も天井もない、ミミックを足止めする存在は見渡す限りどこにもない。

肝胆を底冷えさせるほどの恐怖と孤独感、そして両手を振り回して大声で叫びたくなるほどの解放感が、同時にミミックを襲う。

やった、と口をついて出そうになって、ミミックはあわてて口を塞ぐ。
声で居場所がばれるのは得策ではないし、まだ目的を果たしていないからだ。



目指す場所は派手で分かりやすい。
ミミックは目印を頼りに、草をかき分け影色の素足を動かしはじめた。
突き抜けるような空には、白い光がまばらに散りばめられていた。
時折またたくそれは、星であると知識は知っているものの、実際に見たのは初めてだ。
洞窟の中でも、会館の部屋でも、ミミックと空の間にはいつも天井があった。

一瞬外に出るだけで劇的な変化を遂げた視界に、切望する光景をもう一度目撃してしまえば自分は興奮で死んでしまうんじゃないか、ぽかりと口を開けて空を見上げるミミックはなかば本気でそう考えてしまった。

夜露に濡れた葉先が擦れて、ふくらはぎが冷たくてこそばゆい。
感触が楽しくて、勢いよく足を進める。
視線は星の降り注ぎそうな夜空に向けたままだ。
危ないと注意する声はどこにもない。
今更だ。
箱もなしに外に出た時点で、危なくない場所などない。

一時の感情に流されるのはバカのすることだと、記憶の中のテンタクルがかわいらしい声で囁いて、ミミックの歩みは少し鈍くなる。
外に出るなんて無理だ、新入りの声がそこに重なって、歩みは更に遅くなる。
自分が好き勝手することで、同種たちに危害が及ぶかもしれない。
鈍くて巨大な身体の癖に、潜むこともせず動き回る愚か者。
いつもバカにされていてあまり良い思い出はないが、死んでしまえと思うほどミミックは同種たちを憎んではいなかった。
外に出て、起こるだろうことを考えて、いっぱい考えて、それでも外に出た。

気配を感じる。
ミミックはつと見上げっぱなしだった顔を前方に戻し、睨み付ける。
噛みしめた唇の端はひきつり、吊り上げた眦には怯えが隠せていないが、それを悟られることはないだろう。

目の前に対峙しているのは人間で、夜に紛れたミミックの表情の細部を視認することなど不可能なのだから。

申し訳程度にフリルのついたエプロン、汚れの付きにくいパンツスタイルのメイド服。
肩辺りで切り揃えられた髪が、風でふわりと揺れた。
ごついベルトにいつも吊り下げている剣は、今は抜き払っている。
会館の明かりを背に受けて、剣身がぎらりと光った。

五指の揃った複雑な手の輪郭を、準備運動代わりにぼやけさせる。
いっぱい考えたから、ミミックは今日会話した少女が敵になることを後悔していなかった。

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