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第1部 高級クラブのお仕事

新たな火種

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 そんなこんなでブレイクし出した由奈ゆなだったが、新たな火種はそこまで迫っていた。


 休憩をもらい、お茶を飲もうと厨房前のボトルスペースに入ると、オーナーママがちょうど化粧直しが終わってホールに出るところだった。

「あなたの入れてくれた由奈さん、がんばってるわね」

 オーナーママは涼平りょうへいの顔を見るとそう言葉をかける。

 思えば由奈が初めてこの店で働き出した日、オーナーママは明日菜あすなにいじめられた由奈を慰めてくれ、配置の山田やまだ常務を叱ってくれたのだった。ひょっとしたら、オーママのあの言葉がなかったら由奈はあれから働いていなかったかもしれない。
 いや、もう少しさかのぼって、副社長は面接で由奈の目の輝きを見て面白いと言っていた。あのとき副社長が入店オッケーを出さなければ、もちろんドルチェに由奈の姿はないのだ。
 二人には由奈がここまで頑張るのが、予想出来ていたのだろうか…?

(由奈ちゃん、人気者やから…店長泣くやろなあ~)

 入店当初、由奈は自分でそう言っていたのに、涼平はその言葉を受け流した。末成すえなりやエイジの話を聞くと、それは本当のことだったのだ。

(俺、スカウトマンとしてはまだまだやな…)

 涼平は白地に金の刺繍の入った高級打掛でイベントに花を添えるオーナーママの後ろ姿を見送りながら、もっと自分の目を鍛えなければと思っていた。




「もう~!ムカつくわね~」

 次に、まるでオーママが出て行くのを待っていたように、みくが煙草を吸いに入ってきた。巻き巻きにボリュームアップされた髪を邪魔そうにかき上げると、プカ~と煙草をふかし、

「うんめ~」

 と幸せそうに破顔する。ホールにいる殿方たちには絶対に見せられない姿だ。 

「何がむかつくんすか?」

 佐々木ささきマネージャーが聞くと、

「どないもこないも~今ルイマの席に着いてたらなぁ~あの猫娘の話題になってぇ~みく負けてるやんって、お客さんにからかわれたわぁ~」 

 と、間延びした口調とは裏腹にいまいましそうな顔をする。

(猫娘…由奈のことやな)

 みくとは反対側でお茶を飲んでいた涼平は息を潜めた。

「みくさぁ~もうノルマ達成してるからのんびりしよって思ってたのにぃ~これで25日までがんばらなあかんようになったわぁ~だってさぁ~マリアや春樹はるきちゃんならいいけどぉ~あんな変な子に負けるわけいかんやん~?」

 そこまで言い終わったとき、みくは奥にいる涼平の存在に気づいた。

「あ…」

 みくは涼平に近づくと、

「あの猫娘、君が入れたんやってぇ~?」

 と睨んでくる。

「あ、はい…」

 みくの顔が近すぎて、おどおどと答える涼平の顔に、みくはフーっと煙を吹き掛けながら、

「負けへんわよぉ~だ」

 と舌を出した。

(え?俺に言われても…)

「ドルチェトップレディーを本気にさせるなんて、猫娘もやるなあ」

 ゲホゲホとむせている涼平を横目に佐々木が楽しそうに笑う。

「佐々~!あんた、どっちの見方なーん?」
「え~どっちって言われてもなあ。別に俺、なるちゃんの窓口やからって応援する義務ないし~」

 そこへ、

「涼平!いつまで休憩してんねん!」

 と小寺こてら次長の怒声が飛び、これ幸いとホールへと逃げ出た。

(何かまた波乱の予感がする…今度こそ、俺の予感が外れますように…)

 みくは春樹、マリアと仲が良く、だいたいこの3人が同伴回数の上位を占めていた。由奈が3位以内に入るということは、このうちの誰か一人は最低抜かないといけないことになる。やっとママとの関係が良好になってきたのに、この3人に目をつけられたらまた働きにくくなってしまう──
 涼平には今の由奈の猛進が、彼女のためにはよくない方向に向かっているように思えてならなかった。



 その日の営業終わり頃、クラブ若名わかな黒田くろだ店長から涼平に電話が入り、今から一杯付き合えないかと誘われた。
 由奈がアフターで出る際、エイジのいるホストクラブに店が終わったら合流するようにと念を押してきたが、どうせ行っても話が合わないとスルーすることに決めていたので、丁度いい口実が出来たと黒田の誘いに乗ることにした。

 店にはまだ客が数組いたが、後藤店長に許可をもらうと、

「ああ、いいれすよ~」

 といつも通りの怪しい口調で言われたので、黒田の指定した居酒屋へと向かう。桂木かつらぎは涼平が他の先輩ウエイターを差し置いて先に出るとこを快く思っておらず、前回宮本みやもとに誘われて出た時も後でグチグチと嫌味を言われたが、スカウトレースで一番結果を出した恩恵なのだとそこは開き直ることにした。



 カウンターだけの庶民的な居酒屋で、すでに黒田はビールを飲んでいた。

「どうや、調子は?もうだいぶん慣れたか?」

 黒田は涼平にも生ビールを頼んでくれ、乾杯した。

「いや~少しは慣れましたが、まだいっぱいいっぱいです」
「そうか。ドルチェは忙しいらしいなあ。椎原しいはらくんも、女の子入れてがんばってるそうやないか」
「あ、ひょっとして桂木さんから聞きました?俺が直接声かけたわけやないんで、スカウトとしてはまだまだです」

 思えば、黒田に紹介してもらったスカウトマンを見かけなければ、由奈に会うことはなかったのだ。そもそも、黒田は萌未に紹介してもらった人だ。そう考えると、人の縁って不思議だなあと思う。

「あの、呼び方なんですけど、店のみんなも涼平って呼ぶんで、黒田さんもよかったらそう呼んで下さい」

 若名で店長を任されている黒田もきっと女性を見る確かな目を待っているのだろう。涼平は彼との縁も大切にしようと思った。黒田は、

「お、涼平、な。よっしゃ、オッケー!」

 と、もう一度涼平とジョッキを合わせる。

「あの、萌未めぐみは元気にやっていますか?」

 次にずっと気になっていることを聞く。できるだけさりげなく聞いたつもりだったが、声が上滑りしているのが自分でも分かった。

「ん?涼平…も知らんのか…」

 黒田の顔が一瞬曇る。

「実は、萌未は今週から休んでるんや。理由は体調が悪いっていうことなんやが、今までそんなに休まんやつやったから、ちょっと気になってな。涼平は何か知らんかと、今日誘ったんはそれを聞きたいからでもあったんや」

 その黒田の言葉に、またまたいると思っていた場所に萌未がいないのが分かり、涼平のテンションはかなり下がった。その涼平の気落ちを見て取ったのか、黒田は取り繕うように言葉を繋ぐ。

「いや、もちろん、涼平自身にも用事があったんや。あさってのクリスマスイブ、宮本の結婚前祝いも兼ねてパーティーをやるって前に言ったやろ?その返事を聞こうと思ってな」

 確かにそんな誘いがあったのを思い出す。それからいろんなことがあり、完全に失念していた。

「あの…何で俺を誘ってくれはるんですか?」
「ん?ああ、それな。うん、実はな、そのパーティーは萌未の提案なんや。そんで俺が具体的な企画をすることになったんやけど、涼平も呼んでくれって頼まれててな」
「え?萌未が、ですか?」
「ああ、そや。何や、萌未から聞いてへんのか?」

 黒田からその誘いがあったのは確か一週間ほど前の宮本と会合した日で、萌未とはその前から連絡を取っていない。そんな企画があったのなら、何で直接言ってくれないのかと肩を落とした。



「じゃあ、彼を殺して」



 萌未と最後に会った、お初天神はつてんじんでの夜の彼女の言葉が蘇る。「彼」とはきっと宮本のことで、萌未は宮本に未練を持っているはずだ。なのになぜ、宮本の婚約お祝いパーティーなど提案したのだろう?次に涼平の頭の中を占有したのはそのことだった。


 ひょっとして、「彼」とは宮本のことではなかった──?




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