上 下
35 / 170
第1部 高級クラブのお仕事

一流と三流の対義

しおりを挟む
 身に覚えのない席に呼ばれ、首を傾げる涼平りょうへい。後ろを向いていた他店のホステスが涼平に向き、その顔を見ると何と萌未めぐみだった。

「え…萌未!?」

 驚いた涼平の顔をよそに、貴代たかよママが、

「ぼくちゃん、こちらの宮本みやもとさんの指名よ。一杯いただきなさい」

 と言った。

「君が涼平くんか。萌未の同級生なんやってね」

 ママに続いて声をかけてきたのは萌未の隣にいた30代くらいの男性で、丹精な顔立ちの男前だった。フジケンさん、と呼ばれる恰幅のある方の男性が脂ぎった感じなのに対し、宮本さんはラガーマンがそのまま社会人になったような、健康的な肌艶をしていた。

椎原しいはらくん、一杯いただきなさい」

 山田やまだ常務が涼平に席に着くよう促す。

「こちらがフジケン興行の社長、フジケンさん。で、こちらが次期社長の宮本拓也たくやさんよ」

 おずおずと席に着いた涼平に、萌未が二人の男性に手をかざして紹介してくれた。

「時期社長はやめてくれよ」

 宮本は萌未の言葉に、照れくさそうに頭を掻きながらフジケン社長を見る。社長はまんざらでもないというように微笑んでいる。宮本が涼平に名刺を渡し、涼平もスカウト合戦用に作ってもらった出来立ての名刺を渡した。宮本の名刺には、

 フジケン興業株式会社 専務

 と書いてあった。

「ね、涼平がスカウトした子ってどんな子?席に呼んでよ」

 名刺を眺めている涼平に、萌未が言った。

(あ、ひょっとしてわざわざそれを見に来た!?)

 萌未の思惑に気づき、涼平は由奈の今日の仕上がりを思い浮かべてにじりと嫌な汗をかく。

「い、いやあ…席に呼ぶほどのものでは…」
「席に呼ぶほどのものではない子を何で働かせてんのよ。ぼくちゃんが入れた子かいな。早よ席に呼びなさい」

 貴代ママくらいの売り上げのママになると出勤時間が他のホステスよりも遅い。なので、先ほどの騒動はどうやら知らないようだ。貴代ママが山田常務を呼び、このぼくちゃんが入れた子、と言うと常務は急いで待機場所に由奈ゆなを呼びに行った。

(うわ、最悪の展開になってきた…)

 涼平は居心地の悪さに身じろぎし、それを見た宮本が声をかける。

「どう?仕事は慣れたかな?」
「は、はあ…まだまだです」

 涼平は話をそこそこに待機場所から由奈が現れるのを心配しながら見ていた。

「ご指名ありがとうございまーす!由奈ちゃんでーす」

 由奈と、一緒に裏にいた優香ゆうかが山田常務に連れられてやってきて、座ると同時に由奈が放った言葉にその席の全員がどっとうけた。涼平を除いて…。

(あ、あほ、ガールズバーとちゃうで…)

「なかなかユニークな子やないか」

 フジケン社長が笑いながら言うと、

「ぼくちゃん、こんな可愛い子入れたんやったら紹介してくれなあかんやない」

 と、貴代ママも笑いながら、本気とも皮肉とも取れるようなことを言う。優香がゲスト以外の人間の水割りを作り、涼平たちは乾杯した。席の横に置かれた補助テーブルには大理石のような瓶に入った焼酎、30年熟成のスコッチ、そして、萌未がクラブ若名わかなで出してくれたのと同じ形の高級ブランデーが並べられていた。萌未が、あたしのお客さん、とあのとき言ったのはこのフジケンさんだったのかもしれない。そして、前に見かけた、一緒に萌未と寄り添って歩いていたのは宮本さんに間違いない。涼平は席の面々を見渡しながら、そんな推察をした。

 ひょっとすると今日の電話の男性の声も…

 そんな邪推も頭を過ぎり、涼平は何をしゃべっていいか分からず、やるせない気分に浸りながら、手元の水割りを黙々と飲み続ける。仕立ての良さそうなスーツに身を包んだ宮本は涼平の知る男の中でも群を抜いて格好よく見え、対して自分は痩せっぽちでどこまでも頼りなく感じられていた。そんな中、

「由奈ちゃん、一発芸しまーす」

 突然由奈が嬌声を上げて片手を上げたかと思うと、

「にゃんにゃん、にゃんにゃんにゃん」

 と招き猫の仕草をしながら子猫のような猫なで声を出し始める。

「何やの、あんたいきなり」

 一同ぽかんとする中、貴代ママが聞くと、

「あれ?魔法戦士プリモモのペットのルキちゃんの真似ですけど…知りません?すっごい似てるって言われるんですよ~」

 と由奈は得意気に言った。涼平は目から火が出るかと思うくらい顔を真っ赤にしたが、席ではどっとうけていた。

(か、帰りたい…)

 そんな涼平をよそに萌未も黄色い声を出す。

「可愛い~!涼平、いい子スカウトしたやない」
「可愛いて、萌未と同いやで」
「ええ~!?由奈ちゃんみたいな若さ、あたしにはもうないわあ」
「萌未ちゃんは十分べっぴんさんやないの。ぼくちゃんもこんな捨て猫みたいな子やのうて、萌未ちゃんみたいなべっぴんさんスカウトしてきてや」

 相変わらず声の大きい貴代ママの捨て猫という言葉が胸を刺したのか、由奈は一瞬シュンとなった。宮本と涼平、萌未と由奈、その並びが涼平には一流と三流みたいな対義語に思えた。


 萌未が店に戻るとき、涼平と貴代ママが玄関まで送り出した。

「萌未ちゃん、ありがとうね」

 貴代ママはそう言うと、萌未はお辞儀をして涼平に笑顔で手をふり、クラブ若名の方へ歩いていった。フジケン社長を介してだろうか、貴代ママと萌未はすでに顔見知りのようだった。店に帰る萌未の後ろ姿がビルの影に隠れると、貴代ママは涼平に、

「あの由奈って子は面白いから使わんでもないけど、もうちょっと服装と髪型を高級にせなあかんわね」

 と苦情を言った。

「はい、すみません」

 頭を下げながら、先に階段を降りるのを貴代ママに譲る。玄関に立っていたの鳴海なるみ部長が後ろから抱きついて涼平の首を絞めてきた。

「涼平~!お前クラブ若名の萌未と知り合いなんかあ。やるやん」
「は、はあ…く、ぐるじいでず…」

 鳴海部長がスカウトする女性は美人率が高い。萌未はそんな鳴海部長が知ってるくらいのレベルなのだ。初めて萌未に連れられて新地にやってきた日、萌未に声をかける黒服の多さに驚いたが、彼女を獲得しようとする黒服に何度も声をかけられている萌未の姿が浮かんだ。

 ホールに戻ると由奈をネタに席は盛り上がっているようだった。涼平がグラスに残った酒を飲み干して、ごちそうさまでした、と席を離れようとしたとき、宮本が、

「今度飯でも食いに行こう」

 と白い歯を見せた。

(きっとこの人は誰にでも好かれるんやろうな)

 そんな爽やかな誘い方だった。




 その日の営業は、その後特に問題なく終わった。が、その前にいろいろあって、涼平は疲れ顔で由奈をタクシー乗り場まで送った。

「にゃんにゃん」
「え?何?」
「しーくんが元気ないから元気づけてるにゃん」

(お、お前のせいで疲れてるんやけどな…)

 歩きながら猫ポーズする由奈を横目に睨む。

「あのさあ、それ、席ではやらんとってな」
「どうしてにゃん。由奈ちゃんのこの物真似、人気あるにゃん」
「にゃんにゃん、て…頼むから普通にしゃべってくれ。ガールズバーでは受けるかもやけど、クラブには向かへんから!」

 思わず語気が強くなり、はっとした。由奈はそれからしばらく黙ってしまった。由奈にしてみれば、初めてのクラブでの接客に気後れすることなく頑張ったのだ。さすがに言い方がキツかったと思い、

「ご、ごめん…」

と謝ると、

「今日の萌未さんて美人やね。しーくんの友達?」

 と、別段気を悪くしたようでない由奈の質問にホッとする。

「まあね。今日由奈が履いた靴、彼女が貸してくれたんやで。服も貸してくれてるし」
「やったー!何でそれ見せてくれへんのよ」
「いや、遅れてきたからやんか…」
「ふーん、今日お礼言いそびれちゃったな。ねえ、キツネおやじが言ってたけど、同伴ってせなあかんの?」
「うん、すぐには無理やと思うけど、2ヶ月後にはしないとあかんよ」
「何でそれ教えてくれへんのよ」
「いやだから、遅れてきたからやんか。明日教えるよ」
「う~、厳しいの、やだにゃあ…さすがの由奈ちゃんもクラブには苦戦だにゃ~」

(さすがの…て、その前のこと知らんし…)

 タクシーに乗せ、最後まで猫真似でバイバイする由奈を見送りながら、スタートラインが違い過ぎるなあ、と思った。それは萌未と由奈を重ね合わせてそう思ったのだったが、宮本と涼平にもそれは当てはまるように思えた。由奈のせいで疲れたのではなく、本当は自分と宮本との萌未までの距離の差を見せつけられた気がしてテンションが下がってしまった、という方が正しかった。

(にゃんにゃん、か…)

 今日の出来事を振り返ると、自分も凹むことあっただろうに、明るく自分を励まそうとしてくれた由奈は強いな、と涼平は思った。寒さの増してきた夜中の北新地の冷たい空気が胸の中に溜まる、その片隅に、ほんの少し温かい、蛍のような灯りがともっていた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

暗闇の中の囁き

葉羽
ミステリー
名門の作家、黒崎一郎が自らの死を予感し、最後の作品『囁く影』を執筆する。その作品には、彼の過去や周囲の人間関係が暗号のように隠されている。彼の死後、古びた洋館で起きた不可解な殺人事件。被害者は、彼の作品の熱心なファンであり、館の中で自殺したかのように見せかけられていた。しかし、その背後には、作家の遺作に仕込まれた恐ろしいトリックと、館に潜む恐怖が待ち受けていた。探偵の名探偵、青木は、暗号を解読しながら事件の真相に迫っていくが、次第に彼自身も館の恐怖に飲み込まれていく。果たして、彼は真実を見つけ出し、恐怖から逃れることができるのか?

グリムの囁き

ふるは ゆう
ミステリー
7年前の児童惨殺事件から続く、猟奇殺人の真相を刑事たちが追う! そのグリムとは……。  7年前の児童惨殺事件での唯一の生き残りの女性が失踪した。当時、担当していた捜査一課の石川は新人の陣内と捜査を開始した矢先、事件は意外な結末を迎える。

パンアメリカン航空-914便

天の川銀河
ミステリー
ご搭乗有難うございます。こちらは機長です。 ニューヨーク発、マイアミ行。 所要時間は・・・ 37年を予定しております。 世界を震撼させた、衝撃の実話。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

冤罪! 全身拘束刑に処せられた女

ジャン・幸田
ミステリー
 刑務所が廃止された時代。懲役刑は変化していた! 刑の執行は強制的にロボットにされる事であった! 犯罪者は人類に奉仕する機械労働者階級にされることになっていた!  そんなある時、山村愛莉はライバルにはめられ、ガイノイドと呼ばれるロボットにされる全身拘束刑に処せられてしまった! いわば奴隷階級に落とされたのだ! 彼女の罪状は「国家機密漏洩罪」! しかも、首謀者にされた。  機械の身体に融合された彼女は、自称「とある政治家の手下」のチャラ男にしかみえない長崎淳司の手引きによって自分を陥れた者たちの魂胆を探るべく、ガイノイド「エリー」として潜入したのだが、果たして真実に辿りつけるのか? 再会した後輩の真由美とともに危険な冒険が始まる!  サイエンスホラーミステリー! 身体を改造された少女は事件を解決し冤罪を晴らして元の生活に戻れるのだろうか? *追加加筆していく予定です。そのため時期によって内容は違っているかもしれません、よろしくお願いしますね! *他の投稿小説サイトでも公開しておりますが、基本的に内容は同じです。 *現実世界を連想するような国名などが出ますがフィクションです。パラレルワールドの出来事という設定です。

黙秘 両親を殺害した息子

のせ しげる
ミステリー
岐阜県郡上市で、ひとり息子が義理の両親を刺殺する事件が発生した。  現場で逮捕された息子の健一は、取り調べから黙秘を続け動機が判然としないまま、勾留延長された末に起訴された。  弁護の依頼を受けた、桜井法律事務所の廣田は、過失致死罪で弁護をしようとするのだが、健一は、何も話さないまま裁判が始まった。そして、被告人の健一は、公判の冒頭の人定質問より黙秘してしまう……

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 ※7月22日第2章完結。 ※カクヨムにも投稿しています。

タイは若いうちに行け

フロイライン
BL
修学旅行でタイを訪れた高校生の酒井翔太は、信じられないような災難に巻き込まれ、絶望の淵に叩き落とされる…

処理中です...