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第1部 高級クラブのお仕事
クラブ若名
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エレベーターを降りるとそこはもうすでに店の中で、まず真正面に飾られている大きな生け花に圧倒された。
「いらっしゃいませぇ!」
次に圧倒されたのが、玄関に立っていた男性の大きな声だった。それを合図にするかのように、奥のホールから何度もいらっしゃいませと連呼する声が聞こえた。涼平たちは玄関の男性にエスコートされ一つのボックス席に着いた。ゆったりとした布製のソファーの前に背の低めのガラスのはめ込まれたテーブルが置かれていて、どちらも黒で統一されている。床にはグレーのカーペットが敷かれ、ライトグレーの壁へと続くモノトーンさには落ち着きのある高級感が漂っていて、仲間がバイトしている安スナックしか知らない涼平の視覚をことごとく圧倒した。十五ほどあるボックス席に客はまだまばらだったが、BGMのジャズがさらに大人の空間を演出していた。
「ほんまに高級店やん!飲み代いくらくらいするん?」
「涼平はそんなこと気にしないでいいのよ」
不安げにキョロキョロしている涼平に萌未は優しくそう言うと、何飲みたい?と聞いた。
「一番安いのでいいよ。何やったらビールでいいよ」
「あほやねえ、あたしのお客さんのボトル分けてもらうからほんまに心配せんでええのよ。ウイスキーでもブランデーでも何でも言って」
何でもと言われても、安ウィスキーや焼酎しか普段飲まない涼平には何と答えていいか分からない。涼平が戸惑っていると、一人のホステスが黒服に案内されてきた。
「失礼します!ナツミさんです」
背が高く、西洋人並みのグラマーな体型。ふくよかな顔立ちはどことなく観音さまに似ている。夏美の第一印象はそんな感じだった。
「あら、お若いのねえ。めぐちゃんの彼氏?」
夏美は座ると同時にどこかで聞いたようなことを言った。
「わあ~なっちゃんが来てくれた。なっちゃんはね、この店であたしに一番よくしてくれるお姉さんなのよ。ほんまはあたしのヘルプなんてしてもらえるような人ちゃうねんから。こっちはね、涼平といってあたしの同級生なの」
そう二人を紹介している萌未に一人の黒服が何やら耳打ちした。
「わかった」
一瞬顔を曇らせて黒服にそう言うと、萌未は、
「ちょっと荷物置いてくるね」
とクロークの方へ立って行った。萌未を目で追っていると、夏美が萌未の座っていた涼平の隣りに移動する。
「涼平くんは学生さんなんやね」
「はい、だからこういうとこ来るのは最初で最後やと思います」
「ふふっ。最後とは限らないやない。めぐちゃんと同じ大学ってことは国立大でしょ?あなたたちの大学出身の社長さんも多いのよ。今日は社会見学と思って楽しんで、社会人になって偉くなったらまた来てね」
夏美とそんな会話をしている間に高そうなブランデーが席に運ばれてくる。夏美はテーブルにあった大きめのグラスに涼平の水割りを作り、一回り小さいグラスに自分のを作って乾杯した。飲んだことないくらい香ばしい香りに芳醇な甘味が口の中に広がる…
(あたしのお客さんの)
そう言ったさっきの萌未の言葉を思い出し、彼女にはこんな高価な酒をおろしてくれる客がいるんだな、と涼平は思った。
「めぐちゃん、いいお酒出してくれたわね」
と言う夏美に、
「あの、働いて半年くらいでそんなにいいお客さんが呼べるようになったりするもんなんですか?」
と聞いてみた。すると、
「え、半年!?」
と、夏美は最初驚いた顔をする。そしてしばらく思案し、何かを察したように、
「口座はいろんな増やし方があるのよ。めぐちゃんくらいの器量の子なら半年と言わずいいお客さんがつくこともあるわね」
と言った。
「お客さんのこと口座って言うんですか?」
と涼平が聞くと、夏美は、あはっと笑ってから、ごめんなさい、と言い、人差し指を一本立て、コホンの喉を鳴らした。
「君は社会見学だったわね。よろしい、お姉さんが講義をしてあげましょ。涼平くんは今日めぐちゃんに誘われて初めてうちの店に来たでしょ?だから涼平くんは“萌未口座”のお客さんってことになるの。例えばね、涼平くんが今日、私のこと気に入ってくれて次来たとするでしょ?」
「俺が夏美さんをですか?」
「そうよ。何か文句ある?」
「いえ、ないです」
「よろしい。それでも涼平くんは萌未口座のままなの。そこがキャバクラみたいな指名制のお店とこういう店の大きく違うとこなのよ。最近、北新地にもどんどんキャバクラができてて若い子はそっちに行きたがるわね。でもクラブのような口座制だと私みたいなおばさんでも長く勤められるの」
途中から声のトーンを落とした夏美に、涼平は慌てて手を振る。
「夏美さんはおばさんなんかじゃないですよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるやない。まあそこスルーしたら次はうんと濃いのを作るつもりやったけどね」
夏美はいたずらっぽくウィンクをし、んんっと喉を整え、また説明を始める。
「全く口座を持たなかったり、口座のお客さん以外の席に着くことをヘルプっていうんやけど、そのヘルプが口座の女性からお客さんを奪うことは絶対に禁止なのよ。ヘルプはお店を移ったり、辞めたホステスさんの口座を拾ったりして口座を持つようになっていくのよ」
「何か、厳しい世界なんですね」
「最近の若い子がキャバクラに流れるのはシステムが面倒臭いってのもあるわね。でもね、私らホステスはテーブルに着いたら孤独な戦いを強いられるわけ。みんながみんな紳士的のお客様ならいいけど、中には面倒なお客様もいるからね。それで病んじゃう子もいるのよ。だからクラブのようにチームで接客する方が安心って子も多いのよ」
夏美はまた声のトーンを落としかけたが、今度は自分でそれに気づいたようで、涼平にニパッと笑顔を向けた。
「ちょっとディープなことまで言い過ぎちゃったね。講義はこれでおしまい。授業料は…そうね、涼平くんが社会に出たらいっぱい出世して、その頃はきっとめぐちゃんは幸せに結婚してるやろうから、私を口座に指名してお金いっぱい落としに来てねぇ」
萌未の花嫁姿が想像出来ないな…そう思った瞬間、夏美の豊満な胸が涼平の腕に押し付けられた。
「え、いや、あ、ちょっとトイレ行ってきます」
「あら、逃げられちゃったわね。お手洗いご案内してください!」
萌未はちゃんと大学を卒業し、普通に結婚するんだろうか…?夏美の声に反応した黒服に先導され、そんなことを考えながらトイレへとホールを横切って入口方向へ向かう。と、突然、
「仕事なめとったらあかんでえ!!」
いきなり大声がしたので肩がビクッと上がった。声の方向を見ると、クローク前で着物を来た貫禄のあるホステスが若いホステスを詰めているのが見えた。
その若いホステスは萌未だった。
涼平は慌ててクローク横のトイレへ駆け込み、急いで用を済ませると、忍び足でトイレから出てクローク前の壁際で話の様子を伺った。
「遊びとちゃうねんで!あんな貧乏くさいのんと、うちのお客さんを一緒にせんといてえや!」
年配のホステスが怒り収まらぬといった感じで言葉を浴びせかける前で、萌未はひたすら謝っていた。
(貧乏くさいのんて…ひょっとして俺のこと?)
クローク前にいた黒服が涼平が様子を伺っているのに気付き、二人を慌てて制した。
「お客さまに聞こえます!」
二人の視線がこちらに集中する。涼平はその視線に凝固。涼平の姿を認めた着物のホステスはばつが悪そうに、
「と、取り敢えず今度一緒に謝りに行きましょ。いいわね!」
と言ってそそくさとホールに戻っていった。状況が飲み込めない涼平と、見られたくない場面を見られてしまったというバツの悪そうな顔の萌未はクローク前に取り残され、二人しばらく見つめ合っていた。
「いらっしゃいませぇ!」
次に圧倒されたのが、玄関に立っていた男性の大きな声だった。それを合図にするかのように、奥のホールから何度もいらっしゃいませと連呼する声が聞こえた。涼平たちは玄関の男性にエスコートされ一つのボックス席に着いた。ゆったりとした布製のソファーの前に背の低めのガラスのはめ込まれたテーブルが置かれていて、どちらも黒で統一されている。床にはグレーのカーペットが敷かれ、ライトグレーの壁へと続くモノトーンさには落ち着きのある高級感が漂っていて、仲間がバイトしている安スナックしか知らない涼平の視覚をことごとく圧倒した。十五ほどあるボックス席に客はまだまばらだったが、BGMのジャズがさらに大人の空間を演出していた。
「ほんまに高級店やん!飲み代いくらくらいするん?」
「涼平はそんなこと気にしないでいいのよ」
不安げにキョロキョロしている涼平に萌未は優しくそう言うと、何飲みたい?と聞いた。
「一番安いのでいいよ。何やったらビールでいいよ」
「あほやねえ、あたしのお客さんのボトル分けてもらうからほんまに心配せんでええのよ。ウイスキーでもブランデーでも何でも言って」
何でもと言われても、安ウィスキーや焼酎しか普段飲まない涼平には何と答えていいか分からない。涼平が戸惑っていると、一人のホステスが黒服に案内されてきた。
「失礼します!ナツミさんです」
背が高く、西洋人並みのグラマーな体型。ふくよかな顔立ちはどことなく観音さまに似ている。夏美の第一印象はそんな感じだった。
「あら、お若いのねえ。めぐちゃんの彼氏?」
夏美は座ると同時にどこかで聞いたようなことを言った。
「わあ~なっちゃんが来てくれた。なっちゃんはね、この店であたしに一番よくしてくれるお姉さんなのよ。ほんまはあたしのヘルプなんてしてもらえるような人ちゃうねんから。こっちはね、涼平といってあたしの同級生なの」
そう二人を紹介している萌未に一人の黒服が何やら耳打ちした。
「わかった」
一瞬顔を曇らせて黒服にそう言うと、萌未は、
「ちょっと荷物置いてくるね」
とクロークの方へ立って行った。萌未を目で追っていると、夏美が萌未の座っていた涼平の隣りに移動する。
「涼平くんは学生さんなんやね」
「はい、だからこういうとこ来るのは最初で最後やと思います」
「ふふっ。最後とは限らないやない。めぐちゃんと同じ大学ってことは国立大でしょ?あなたたちの大学出身の社長さんも多いのよ。今日は社会見学と思って楽しんで、社会人になって偉くなったらまた来てね」
夏美とそんな会話をしている間に高そうなブランデーが席に運ばれてくる。夏美はテーブルにあった大きめのグラスに涼平の水割りを作り、一回り小さいグラスに自分のを作って乾杯した。飲んだことないくらい香ばしい香りに芳醇な甘味が口の中に広がる…
(あたしのお客さんの)
そう言ったさっきの萌未の言葉を思い出し、彼女にはこんな高価な酒をおろしてくれる客がいるんだな、と涼平は思った。
「めぐちゃん、いいお酒出してくれたわね」
と言う夏美に、
「あの、働いて半年くらいでそんなにいいお客さんが呼べるようになったりするもんなんですか?」
と聞いてみた。すると、
「え、半年!?」
と、夏美は最初驚いた顔をする。そしてしばらく思案し、何かを察したように、
「口座はいろんな増やし方があるのよ。めぐちゃんくらいの器量の子なら半年と言わずいいお客さんがつくこともあるわね」
と言った。
「お客さんのこと口座って言うんですか?」
と涼平が聞くと、夏美は、あはっと笑ってから、ごめんなさい、と言い、人差し指を一本立て、コホンの喉を鳴らした。
「君は社会見学だったわね。よろしい、お姉さんが講義をしてあげましょ。涼平くんは今日めぐちゃんに誘われて初めてうちの店に来たでしょ?だから涼平くんは“萌未口座”のお客さんってことになるの。例えばね、涼平くんが今日、私のこと気に入ってくれて次来たとするでしょ?」
「俺が夏美さんをですか?」
「そうよ。何か文句ある?」
「いえ、ないです」
「よろしい。それでも涼平くんは萌未口座のままなの。そこがキャバクラみたいな指名制のお店とこういう店の大きく違うとこなのよ。最近、北新地にもどんどんキャバクラができてて若い子はそっちに行きたがるわね。でもクラブのような口座制だと私みたいなおばさんでも長く勤められるの」
途中から声のトーンを落とした夏美に、涼平は慌てて手を振る。
「夏美さんはおばさんなんかじゃないですよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるやない。まあそこスルーしたら次はうんと濃いのを作るつもりやったけどね」
夏美はいたずらっぽくウィンクをし、んんっと喉を整え、また説明を始める。
「全く口座を持たなかったり、口座のお客さん以外の席に着くことをヘルプっていうんやけど、そのヘルプが口座の女性からお客さんを奪うことは絶対に禁止なのよ。ヘルプはお店を移ったり、辞めたホステスさんの口座を拾ったりして口座を持つようになっていくのよ」
「何か、厳しい世界なんですね」
「最近の若い子がキャバクラに流れるのはシステムが面倒臭いってのもあるわね。でもね、私らホステスはテーブルに着いたら孤独な戦いを強いられるわけ。みんながみんな紳士的のお客様ならいいけど、中には面倒なお客様もいるからね。それで病んじゃう子もいるのよ。だからクラブのようにチームで接客する方が安心って子も多いのよ」
夏美はまた声のトーンを落としかけたが、今度は自分でそれに気づいたようで、涼平にニパッと笑顔を向けた。
「ちょっとディープなことまで言い過ぎちゃったね。講義はこれでおしまい。授業料は…そうね、涼平くんが社会に出たらいっぱい出世して、その頃はきっとめぐちゃんは幸せに結婚してるやろうから、私を口座に指名してお金いっぱい落としに来てねぇ」
萌未の花嫁姿が想像出来ないな…そう思った瞬間、夏美の豊満な胸が涼平の腕に押し付けられた。
「え、いや、あ、ちょっとトイレ行ってきます」
「あら、逃げられちゃったわね。お手洗いご案内してください!」
萌未はちゃんと大学を卒業し、普通に結婚するんだろうか…?夏美の声に反応した黒服に先導され、そんなことを考えながらトイレへとホールを横切って入口方向へ向かう。と、突然、
「仕事なめとったらあかんでえ!!」
いきなり大声がしたので肩がビクッと上がった。声の方向を見ると、クローク前で着物を来た貫禄のあるホステスが若いホステスを詰めているのが見えた。
その若いホステスは萌未だった。
涼平は慌ててクローク横のトイレへ駆け込み、急いで用を済ませると、忍び足でトイレから出てクローク前の壁際で話の様子を伺った。
「遊びとちゃうねんで!あんな貧乏くさいのんと、うちのお客さんを一緒にせんといてえや!」
年配のホステスが怒り収まらぬといった感じで言葉を浴びせかける前で、萌未はひたすら謝っていた。
(貧乏くさいのんて…ひょっとして俺のこと?)
クローク前にいた黒服が涼平が様子を伺っているのに気付き、二人を慌てて制した。
「お客さまに聞こえます!」
二人の視線がこちらに集中する。涼平はその視線に凝固。涼平の姿を認めた着物のホステスはばつが悪そうに、
「と、取り敢えず今度一緒に謝りに行きましょ。いいわね!」
と言ってそそくさとホールに戻っていった。状況が飲み込めない涼平と、見られたくない場面を見られてしまったというバツの悪そうな顔の萌未はクローク前に取り残され、二人しばらく見つめ合っていた。
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