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第1部 高級クラブのお仕事

涼平の初恋

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 なぜ彼女が死ななければならなかったのか、その渦中にいながら全く蚊帳の外にいた涼平りょうへいは、自分の鈍感さに嫌気が差しながらも、そのひとつの大きな分岐点は自分の二十歳の誕生日にあったのではないかと推察し、思い起こした。




 2003年11月10日

 涼平はその日、一大決心を胸に大学のキャンパスにいた。二十歳になったばかりの彼の頭の中を占めていたのはその年頃の青年の例に漏れず、意中の女の子のことだった。そういう恋愛事に奥手な涼平は彼女に五年も片想いをしていた。そしてこの日、意を決して告白しようと彼女を呼び出したのだった。

 彼女の名前は藤原ふじわら美伽みか。彼女と涼平は同じ大学で、キャンパスは六甲山の中腹にある。いわゆるタコの足大学であり、各学部の校舎は一つの敷地内に収まることなく、間に民家を挟みながら六甲ケーブルの乗り場まで散らばっていた。涼平と美伽は学部が違い、涼平の学部は一番上、美伽の学部は一番下と離れているのだが、入学して一年半通わなければならない教養部は全学部共通で、大学全体のちょうど真ん中当たりにある。涼平は告白の場を、その教養部の門から出て少し坂を下った所にある、見晴らしのいい公園に設定した。




 木々の葉の紅葉が深まり、金木犀の優しく香る公園のベンチに座って、美伽を待つ。高揚感などはなかった。なぜなら、今日の告白は100%フラレると分かっていたから……




 初めて美伽と同じクラスになったのは中学3年生の時だった。ある出来事がきっかけで、涼平は美伽に対して淡い想いを抱いた。それは恋愛に奥手だった涼平にとって、初恋と言ってもいいかもしれない。だが多くの奥手な男の子がそうであるように、中学3年生の一年間で涼平は美伽とほとんど話をすることもなく、卒業を迎えた。もし高校でまた同じクラスになることが無ければ、涼平にとって美伽はその時期の彼の心を疼かせた一陣の爽やかな風のような存在だっただろう。二人が同じ高校に進学し、また同じクラスにならなければ……。




 晩秋の空は澄んで高く、山から吹き降りる風、いわゆる六甲おろしはすでに冷たいが、いくぶん火照った身体を心地よく冷やしてくれていた。西に傾いた日が神戸港をオレンジに染め上げ、大型クルーズ船がかすかに見える淡路島の対岸に向けてゆっくりと航行している。気持ちいい秋晴れの夕暮れだった。だが美伽のことを想うとき、いつも鼻腔を雨の匂いが掠める。





 涼平はどこにでもいるような普通の、どちらかといえば地味な男の子だった。スポーツ全般苦手で、かといって勉学が優秀というわけでもない。人に誇れるものがあるとすれば、多少手先が器用なことくらいだった。集団行動も苦手で、中高の六年間、ずっと帰宅部だった。そんな涼平を、中学の美術教師は執拗に美術部に誘った。それはきっと、祖父の影響だったのだろうと思う。涼平の祖父は高名な造形作家だった。涼平の父親と祖父はほとんど断絶状態だったのだが、祖父は涼平のことは何かと気にかけてくれた。その美術教師も祖父のことはよく知っていたようで、敬愛する芸術家の孫を自分の手で同じ道に誘おうという思惑があったのかもしれない。いや、ひょっとしたら祖父自身が涼平の通う中学にそれを願い出ていたのかも。祖父はそれくらいのことをやり兼ねない人だった。

 涼平も幼い頃から祖父のアトリエを訪れるのが好きで、そこで祖父から造形技術の基本的な手解きを受けた。なので自分の思い通りにもの作りをすることは嫌いではなかった。が、その道に進むほどの情熱は持てないでいた。自分の意に沿わないものを造るのが面倒で、中学に入っても美術部に入ろうとは思わなかったのだが、美術教師はそんな涼平に放課後好きな時に美術室に訪れることを許してくれた。それは祖父が学校に頼んだようでもあり、生徒をなるべく帰宅部にさせないという教育の一環だったのかもしれなかった。

 そんなわけで、真っすぐ帰っても特段やりたいこともなかった涼平は教師の申し出に甘えて放課後はよく美術室に訪れ、もっぱら木片を削っては思うままに立体パズルを造っていた。幼い頃に祖父に習った寄木細工よせぎざいくの応用だ。そしてその造ったパズルがたまたまクラスメイトの目に留まり、それを解いてみたいとねだる生徒がひとり二人と増えていき、二学期を迎える頃にはクラスのちょっとしたムーブメントになっていた。そしてそのことが、美伽に惹かれるきっかけとなった。


 美伽は涼平とは違って社交的な女子だった。美伽の周りにはいつもクラスで活発な部類の生徒たちが取り巻いていた。美伽自身は派手というわけではなかったが、常に穏やかな笑みを称え、クラスメイトたちと無難に人間関係を築いていた。クラスの人気者の一人と言ってもよかったかもしれない。そんな美伽の取り巻きの中で、一人だけ周りよりちょっと浮いた存在の生徒がいた。大塚おおつかという女生徒だ。クラスを社交的・非社交的というカテゴリーで分けるなら、美伽は間違いなく社交側の中心にいて、大塚は明らかに涼平側、非社交の側の人間に見えた。涼平も初めは美伽よりも大塚にシンパシーを感じ、彼女を意識することもあった。といってもそれはあくまで同類に向ける情であり、恋愛感情ではなかったのだが。




「あいつはやめとけ」




 そんな大塚のことを目で追っていたある日、神崎かんざきというクラスでも強面こわもての生徒が声をかけてきた。校内でもワルというレッテルを貼られた一人に眼光鋭くいきなり声をかけられて戸惑っていると、聞いてもいないのに神崎は大塚が素行の良くない集団といつもツルンでいることを教えてくれた。とはいえ、神崎自身も校門でたむろしている暴走族集団といつもツルンでいる。なぜその彼が自分にそんなことを言うのかと怪訝に思ったが、とにかくあいつは性格が悪いからやめとけ、と、その時の神崎は一方的にそう念を押した。もとより涼平には大塚をどうこうする気はなかったのでその時は気に止めずにやり過ごしたが、その大塚が二学期になり、美伽と一緒に立体パズルを借りにやって来たのには驚いた。


 パズルは立方体やピラミッド型、ちょっと凝った物で星型など、涼平も自分のパズルの人気が出ることに満更でもなかったので、クラスメイトの要望に応えていろんな形の物を造り続けた。気がつけば十数種類にもなっていて、大塚はそのほとんどを借りに来ていた。そしてある日、そのうちの一種類のパーツを無くしたと言う。一つのパーツを無くしただけでもそのパズルそのものが駄目になるのだが、涼平はまた作ればいいと、別段気を悪くすることもなくすぐに許した。だがクラスメイトたち、特に女子たちは大塚を許さなかった。それは涼平のためというよりも、大塚自身のことを普段から疎ましく思っていたからだろう。大塚はクラスからただ浮いていただけではなく、アンチを湧かせる雰囲気を持っていた。

 それは5限目の自習の時間の出来事だった。喧々囂々と避難する女子たちに、大塚は、じゃあ探してくると面倒くさそうに言って教室を飛び出した。涼平はクラスの雰囲気に抗うことができず、成り行きを見守ることしかできなかった。そのパーツは昼休みにでも運動場でなくしたのだろう、教室の窓から大塚が運動場に出て探し回る姿が見えた。ちょうどタイミング悪く雨が降り出していた。大塚の表情は見えなかったが、彼女は雨に濡れながら、ひたすら運動場を歩き回って小さなパーツを探していた。そんな彼女をずっと窓から見ていた。そしてふと、彼女が一人ではないことに気づいた。なんともう一人、大塚と一緒に探している女生徒の姿がある。それが美伽だった。美伽はクラスの雰囲気に飲まれることなく、雨に濡れることも厭わずに大塚に寄り添っていた。涼平はそんな美伽の姿を見て、場に流されて大塚を庇ってやれなかった自分が情けなくなるとともに、クラスの雰囲気に染まることなく芯のある行動を取れる彼女に密かに恋心を芽吹かせたのだった。





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