投獄

藤堂Máquina

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出所

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私が出所したのは三か月が経った頃であった。
時間というものは想像以上に長く、想像以上に短い。
出所の日取りは予め伝えられていた。
ここに入った時には、出た後のことを考えるのは出所の二、三日前で十分だと言ったが、その時になってもあまり実感はなかった。
多分私がそれだけの人間だったのだ。
決まった通りの人生を歩んできただけなのだ。
空っぽの自分なのだ。
世間に言われる通り、典型的な道を進んできたのだ。
周りと同じように高校、大学へと行き、そして就職した。
成績が悪かったわけではない。
友人がいなかったわけではない。
勤めたのも極一般的な企業だ。
悪いことなど一度でもしたことはなかった。
ただ私の失敗は選択を間違えたことだけだった。
もしあの時、女子学生を助けようとさえしなければ、今まで通りの何も変わらない人生が継続されただろう。
何も変化を望んだのが悪かったわけではない。
多分それに躊躇ったことが私の失敗だったのだ。
彼女が被害に遭っている際に、他の方法で救いの手を差し伸べることができていれば私の生活が壊れることもなかっただろう。
要は私の判断ミスだ。
誰を責めることもできない。
そしてここを出てもきっと正しい判断を誤るくらいなら、と変化を拒むだろう。
今回の件は私が今までできていたと思い込んでいた反省ということを、正しい形で鑑みる機会を得たのだ。
そう考えるしかない。
出所の時間は多分もうそろそろだ。
本当に何事もなく終わってしまった獄中生活にもここで終止符が打たれた。
看守がやってくると作業的に鍵を開けた。
檻の外自体には毎日のように出ていたが、本当の意味で解放されるというのはまた気分が違う。
足を一歩外に出した程度では何も感じなかったが、振り返って空いた部屋を見ると次第に実感が湧いた。
随分と狭い部屋だ。
私が入っていたころよりも広く感じるということもない。
床には本が何冊か落ちている。
ふと見ると、隣人はベッドに伏していた。
私が来るよりも先にいた人物だ。
真偽は別として、与えられた罪が私より重いのだ。
私が先に出所することについては、私は何も悪くない。
言葉の通りで私の方が悪くないから先に出るのだ。
一つ気になることがあるとすれば、彼に届いていた手紙である。
彼の帰りを待つ者がいるはずだ。
彼をおいて出るのは多少気が引ける。
一瞬彼のメッセージでも預かって、外で待つ誰かに伝えようかとも思ったが、ここでまた誰かに関わって何かに巻き込まれてしまっては堪らない。
心を鬼にするほどでもないが、彼には挨拶もせずに去ることにした。
これから彼がどのくらいここにいるのかはわからない。
しかし人でも殺してない限り、懲役なんてそう長いものではないだろう。
収監される前はニュースを毎日見ていた。
報道されるレベルの凶悪犯なら気づくだろう。
そうでもないところを見るとそのうち外にも出られるのだろう。
とにかく私が気にするほどのことではない。
私は黙ったまま、真面目そうな顔つきで外へ出た。
久しぶりの喧騒だ。
刑務所の中とはまた違う。
私はすぐに街に溶けた。
この街には無い罪を償ったものと、罪を自覚しながらのうのうと生きているものと、他人に罪のレッテルを貼り、清々しく生きているものとがいる。
それはもはや覆しようのない事実だ。
私の経歴も三か月ちょっとの空白が生まれただけだ。
調べられてしまえば私の人生に大幅な制限がかかる。
しかし現状では何も困ったことはない。
再び街に染まるだけだ。
まだ家族や友達も知らないだろう。
何食わぬ顔をして過ごすだけだ。
そもそも悪いことをした覚えはない。
故に堂々としていればいいのだ。
そう思うしかない。
とりあえず自分の家に帰らなければならない。
悩む必要もなく決まった作業をするだけだ。
思えば刑務所の中は安全だった。
決まった作業をするだけだったのだ。
自由はなかった。
その一方で悩むこともなかったのだ。
本当に悪いことをしていたならばもしかしたら悩んだのかもしれない。
しかし私はそうではなかった。
隣の部屋の彼はどうだったのだろうか。
重い罪で捕まり、長い間拘束されるというのはどのような気分なのだろう。
もし彼も無実だったらどうだろう。
同じく無実の私が先に出所するところを見るのはどのような気分なのだろう。
それはそうと彼とはもう関係ないのだ。
外に出たら出たで、色々考えなければならない。
捕まる前はあまり何も考えていなかったが、周りに合わせるのもそれなりに頭を使っていたようだ。
これから先、また仕事を探さねばなるまい。
おそらく今度は今までの方法は使えない。
少しは頭を使う必要がありそうだ。
目の覚めるような眩しい日だった。
アスファルトが徐々に熱せられる。
久しぶりの街を踏みしめた足は行き先を見失う。
またふらふらと進むだけなのだ。
世界に何十億人もいる人類の一人が、どんなことを考えようが、結局それが世界に与える影響など無に等しく、そうして再び朝へと向かっていくだけだった。
牢獄に転がるのはいくつかの本だ。
ここに入れられて何日経ったのか、もうすっかり数えるのを諦めたほどだ。
隣の部屋には既に何人かが入れ替わっている。
それを眺めるのがすっかり習慣になっている。
新入りはいつだって緊張している。
落ち着いている奴ほど凶悪犯なのかもしれない。
ここにいる理由をしっかり理解しているようだ。
声をかけるのはいつも私からだ。
収監されている状況で人付き合いをしようだなんて誰が考えるだろうか。
大抵は何事もなく、ここでの生活を終えようとするだけだ。
決まった日数さえこなせば、それこそ何もしなくても外へは出られるのだ。
ここさえ出てしまえばもうここの住人に会うことはない。
会ったとして声をかけようだなんて余計に誰も考えない。
人間なんてそんなものだ。
都合の良い関係以外に馴れ合いを好まないのだ。
手に取った本を一冊開く。
何の面白味の無い出会いから付き合いの始まる人々の話だ。
そんなことはこの場所では起こり得ない。
だが、劇的な出会いを求めれば求めるほど、それは誰かの決めた演出のようにも感じられるのだ。
その誰かは時には神かもしれない。
演出は馬鹿馬鹿しい。
きっと脚本家はすっかり飽きているのだ。
役者だってそうだ。
同じような台本を渡されて誰が楽しいものか。
本なんてものはくだらないのだ。
斬新であればあるほど世界の一つのパターンを潰す。
既出のものとする。
人生はきっと本を読まない方が楽しめる。
ここにいるおかげでさらにどれほどの寿命を消費するかは分からないが、それでも残りの人生を楽しむために、何を選択するのかは私自身が決めることであり、どんな結果になったとしても自分のせいにするしかないのだ。
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