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お題【カセットテープ】
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妻子が家を出て行った。
すっきりとした家の中を見て、まだどこか現実感のなかった「離婚」というものがようやくリアルな身近として感じられる。
もともと広い家ではなかったけれど、こうして見ると彼女らが持って行った家財がジグソーパズルのいくつものピースだったかのように、俺の日常のあちこちから抜け落ちた空虚感がハンパない。
リビングの片隅には余ったダンボールやガムテープが無造作に残されている。
このダンボールなんて組み立ててあるのに……忘れ物なのかな……いやいや。彼女がここに戻ってくることはもうないんだ。
忘れ物を取りになんて来ない……なんだよ、俺の方だけ未練たらたらじゃないか。
寂しい薄笑いを浮かべながらバラそうと持ち上げたダンボールの中に一本のカセットテープが紛れ込んでいた。
忘れ物かも、もしかしたら俺へのメッセージかもと、考え始めた俺に、自分の中の古い記憶がツッコミを入れる。「違うだろ」と。
陽に焼けて少しくすんだプラスチックケース。カセットテープに直接貼られたいくつかのシールは小学生の頃好きだったマンガのキャラクター。
たぶん、このマンガが連載されていた雑誌についていた付録か何かだろう。
懐かしいな。
幼い頃、じいちゃんがカラオケの練習にと使っていた小さなカセットデッキを借りて、俺も歌とかテレビ番組の音とか、いろいろ録らせてもらったっけ。
こういうのって引っ越しの度に処分するか迷うんだけれど、なんか捨てられずに持ってきちゃうんだよな。
でも普段はどこにしまったかも覚えてなくて、こうして引っ越しやら大掃除やらでもしないと出て来なくて……。
今のこのなんとも言えない心の穴を埋めるのには、過去を……妻子に出会うよりも前の過去を膨らませて埋めるしかないかもしれない、なんて考える。
とは言え、この家にはカセットデッキなんてなかったよな……。
「ただいま」
玄関のドアを開けるとき、つい癖で声を出してしまう。
でもこの癖、恥ずかしいからもうやめないとな。
靴箱の上に置かれている時計を見ると、まだお昼。
カセットテープを見つけてからまだ三時間と経っていないのに外出し、電車に乗り、大きな電気屋へと行き、カセットデッキを買い、帰宅したというこの自分の異常な行動力に驚いた。
彼女らが居た頃は仕事休みの日なんて外に出たいって気持ちには全くならなかったのに。
こんなことなら外に遊びに行きたがる彼女らのリクエストに応えてあげれば良かった……なんていまさらだけどな。
カセットデッキの梱包を外していると腹が鳴った。
そうか、お昼だったっけ。
職場では昼休みのチャイムが、自宅では妻の声が食事の合図だったから、俺が自発的にご飯の準備をすることなんてなかったんだな。
あらためて失くしたものの大きさを知る……と言いつつも、くよくよしててもご飯はでてきませんっと。
唯一残った大物家電、冷蔵庫を開ける。
中には何回か分のおかずが小分けにして準備されていた。
なんか急に泣けてくる。
あ、そうか。さっき電子レンジも買ってくればよかったのに……心の中で自分にそんなツッコミを入れながら、冷たいハンバーグを口に放り込んだ。
その冷たさが、心に沁みる。
冷たいのに、暖かい。
その暖かさも、心に沁みる。
ついぞ口にしなかった「ありがとう」を、俺はあえて声に出した。
ダメだ。
もう限界だ。
今日は特に打たれ弱い。
気分を変えよう……俺はカセットデッキにあのテープをセットすると、再生ボタンを押した。
「……あったまてーかてーか!」
アニメの主題歌を歌っているこの声は、幼い頃の俺か。ひとしきり歌い終わると拍手の音が聞こえる。
「わぁ、おじょうず!」
この声は母親かな。とにかく俺は調子に乗って、当時観ていた番組の主題歌を一人リサイタル。
一曲終わるたびに拍手とほめちぎりとが聞こえ、俺の恥ずかしそうな「えへへ」という照れ声がそれに応える。
ああ、この「えへへ」って笑い方、妻が連れて行ってしまった恵莉奈とおんなじ照れ笑いじゃないか。親子だなぁ……なんて考えてまた涙がにじむ。
「大丈夫よ」
テープの中の母親が急にそんなことを言うもんだから、びっくりした。
「私がついてるから!」
あれ、うちの母親、こんな殊勝なこと言うタイプだったっけ。そうやってその声に意識を集中させると、どうにも母親の声とは違うという気がしてならない。
「あなたへの理解がない妻も娘も追い出したし、また二人きりになれ」
反射的に再生を止めた。
なんだ今の。
幻聴か?
腕にざわざわと鳥肌が広がる。自分の心に空いた穴に、ナニカが潜んでいるような気がして、背中がぶるりと震えた。
<終>
すっきりとした家の中を見て、まだどこか現実感のなかった「離婚」というものがようやくリアルな身近として感じられる。
もともと広い家ではなかったけれど、こうして見ると彼女らが持って行った家財がジグソーパズルのいくつものピースだったかのように、俺の日常のあちこちから抜け落ちた空虚感がハンパない。
リビングの片隅には余ったダンボールやガムテープが無造作に残されている。
このダンボールなんて組み立ててあるのに……忘れ物なのかな……いやいや。彼女がここに戻ってくることはもうないんだ。
忘れ物を取りになんて来ない……なんだよ、俺の方だけ未練たらたらじゃないか。
寂しい薄笑いを浮かべながらバラそうと持ち上げたダンボールの中に一本のカセットテープが紛れ込んでいた。
忘れ物かも、もしかしたら俺へのメッセージかもと、考え始めた俺に、自分の中の古い記憶がツッコミを入れる。「違うだろ」と。
陽に焼けて少しくすんだプラスチックケース。カセットテープに直接貼られたいくつかのシールは小学生の頃好きだったマンガのキャラクター。
たぶん、このマンガが連載されていた雑誌についていた付録か何かだろう。
懐かしいな。
幼い頃、じいちゃんがカラオケの練習にと使っていた小さなカセットデッキを借りて、俺も歌とかテレビ番組の音とか、いろいろ録らせてもらったっけ。
こういうのって引っ越しの度に処分するか迷うんだけれど、なんか捨てられずに持ってきちゃうんだよな。
でも普段はどこにしまったかも覚えてなくて、こうして引っ越しやら大掃除やらでもしないと出て来なくて……。
今のこのなんとも言えない心の穴を埋めるのには、過去を……妻子に出会うよりも前の過去を膨らませて埋めるしかないかもしれない、なんて考える。
とは言え、この家にはカセットデッキなんてなかったよな……。
「ただいま」
玄関のドアを開けるとき、つい癖で声を出してしまう。
でもこの癖、恥ずかしいからもうやめないとな。
靴箱の上に置かれている時計を見ると、まだお昼。
カセットテープを見つけてからまだ三時間と経っていないのに外出し、電車に乗り、大きな電気屋へと行き、カセットデッキを買い、帰宅したというこの自分の異常な行動力に驚いた。
彼女らが居た頃は仕事休みの日なんて外に出たいって気持ちには全くならなかったのに。
こんなことなら外に遊びに行きたがる彼女らのリクエストに応えてあげれば良かった……なんていまさらだけどな。
カセットデッキの梱包を外していると腹が鳴った。
そうか、お昼だったっけ。
職場では昼休みのチャイムが、自宅では妻の声が食事の合図だったから、俺が自発的にご飯の準備をすることなんてなかったんだな。
あらためて失くしたものの大きさを知る……と言いつつも、くよくよしててもご飯はでてきませんっと。
唯一残った大物家電、冷蔵庫を開ける。
中には何回か分のおかずが小分けにして準備されていた。
なんか急に泣けてくる。
あ、そうか。さっき電子レンジも買ってくればよかったのに……心の中で自分にそんなツッコミを入れながら、冷たいハンバーグを口に放り込んだ。
その冷たさが、心に沁みる。
冷たいのに、暖かい。
その暖かさも、心に沁みる。
ついぞ口にしなかった「ありがとう」を、俺はあえて声に出した。
ダメだ。
もう限界だ。
今日は特に打たれ弱い。
気分を変えよう……俺はカセットデッキにあのテープをセットすると、再生ボタンを押した。
「……あったまてーかてーか!」
アニメの主題歌を歌っているこの声は、幼い頃の俺か。ひとしきり歌い終わると拍手の音が聞こえる。
「わぁ、おじょうず!」
この声は母親かな。とにかく俺は調子に乗って、当時観ていた番組の主題歌を一人リサイタル。
一曲終わるたびに拍手とほめちぎりとが聞こえ、俺の恥ずかしそうな「えへへ」という照れ声がそれに応える。
ああ、この「えへへ」って笑い方、妻が連れて行ってしまった恵莉奈とおんなじ照れ笑いじゃないか。親子だなぁ……なんて考えてまた涙がにじむ。
「大丈夫よ」
テープの中の母親が急にそんなことを言うもんだから、びっくりした。
「私がついてるから!」
あれ、うちの母親、こんな殊勝なこと言うタイプだったっけ。そうやってその声に意識を集中させると、どうにも母親の声とは違うという気がしてならない。
「あなたへの理解がない妻も娘も追い出したし、また二人きりになれ」
反射的に再生を止めた。
なんだ今の。
幻聴か?
腕にざわざわと鳥肌が広がる。自分の心に空いた穴に、ナニカが潜んでいるような気がして、背中がぶるりと震えた。
<終>
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