夏草の露

だんぞう

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#16 救出劇

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「ど、どういうごとなのか、わがる、説明んぐっ」
 本当にわからなかった。
 彼が何に対して怒っているのか、そして一緒に居るはずのトリーはどうしているのか、こんなに攻撃的なのは僕がヤツラ側だと判断されたからなのか。
 彼は僕を締め上げる手を緩めることもなく、睨み付けるばかり。
 ただこのまま彼に絞め落とされるわけにはいかない。
 というか苦しさに思わず手が出た。
 ひん曲がったマグライトでエナガの肘を叩いたのだ。
 その手が少し緩んだ隙にエナガを強く押し、締め上げからなんとか脱出する。
「……なん……なんだよ! 君はいったい、彼女の何なんだっ?」
 ギリ、と、歯を噛む音が聞こえた。
「トリーネなどという女は知らないし、俺が誰だろうとてめぇにも関係ねぇことだ!」
 参ったな。らちが明かないとはこのことだ。
「か、関係ないなら、なんで突っかかってくるんだよっ」
 最初は穏便に交渉しようと思っていたが、一方的な決めつけと暴力とにいい加減腹が立った。
 こいつがここで一人で居るということは、トリーが危険な目に遭っている可能性が増えたということだ。
 トワさん情報を信じるならば、だけど。
 トリーがどこに居るのかもわからない、誰が敵か味方かもわからない、そんな状況で理由も明かさず過剰に威嚇してくるような通り魔的なエナガに、警戒心を表に出さないでなんていられない。
「それなら俺と一緒に来てもらおうか。お前の会いたいヤツならそこに居るかもしれないからな」
 関係ないとか言いながらついて来いとか、なんなんだよ。
「どういうことだ?」
 トリーの名前を出すとこいつがまたガチ切れするかもだし、と言葉を選んでいるうちにエナガはゾンビロードを下り始める。
「黙ってついて来い」
 このイラついてる細マッチョに着いて行って本当に大丈夫なのだろうか?
「ダメ! 行かないで!」
 トワさんの声だ。
 それもゾンビハウスの方から。
 チッという舌打ちのあと、エナガは僕の腕をつかんで下へ引っ張って行こうとする。
 見た感じ、こいつは僕のリュックも手鏡も持っていない。
 ということは、トワさんがまだリュックを持っているということか?
 それならばトワさんの方を先に解決すべきだよな。
「エナガさん、あなたはトワさんをどこかへ監禁でもしているのですか?」
 また舌打ち。
「俺じゃねぇ。あの女が勝手にしたことだ」
 勝手に。
 そうだな。トワさんは勝手な人だ。
 だけどさっきの行動の真意を確かめたわけじゃないし、それに多分あの手鏡もまだトワさんと一緒にあるだろう。
 僕はエナガの手を振り払うと、トワさんの声がした方へ走った。
 ミシミシゾーンまで戻ったあたりで声をかける。
「トワさん、どこ?」
「こっちー!」
 彼女の声は入り口入ってすぐのところ、カウンターの奥から――やはり厨房か。
「こっちだよ。こっち!」
 その声に合わせて厨房の天井にチラチラと光が揺れる。
 床から懐中電灯で天井を照らしている感じ。
 いまだに罠かもとためらう自分も居るが、そんなマイナス感情を振り切ってカウンターの奥へと入る。
 光源を探すとそれは厨房の奥の、なんだ?
 エレベーター?
 荷物や食材とかの運搬用だろうか。
 近づくまでもなく、トワさんが助けを求めている理由がすぐにわかった。
 エレベーターは扉が開いてはいるものの、本来この床と同じ高さにあるべきエレベーターの床は、階下へ随分と沈み込んでいる。
 こちらから見えるのは実際のエレベーターの1/3ほど。つまり2/3は床下。
 しかもエレベーターの扉は天井ギリギリまで開いているわけでもないので、実際の開口部のサイズはせいぜい大人が一人通り抜けられる程度しかない。
 開口部から覗き込むと、トワさんは僕のリュックを背負った状態でわずかに震えていた。
「なんでこんなところに……」
「風悟さん、助けて」
 弱々しい声を出してはいるが、僕の中ではまだ彼女のさっきの行動が腑に落ちていない。
 それに開口部が狭いとはいえ、こちらの床は向こうからしてもせいぜいトワさんの頭くらいの高さだ。
 彼女の運動能力からしたら越えられない壁ではないと思うんだけど。
 もしもこれが罠なら、罠にかかった後の状態はさっきの回転扉の鹿みたいな状態になるだろう。エグさがハンパない。
「勢いつけたら上がってこれそうじゃない?」
「ダメなの」
「何がダメなんだよ」
「揺らしちゃダメなの……あたしがここに入ってから、ここまで下がったんだから」
「……おおぅ」
 エレベーターを吊るしているワイヤーが劣化しているのだろうか。
 というかトワさんが中に入ってからこんだけ下がるってことは、一刻の猶予もないんじゃないのか。
「じゃあ、ここから肘くらいまでは出せるでしょ。僕が引っ張り上げるから手を出して」
「……怖い」
「怖いって何が」
「だって! あたしが出ようとしている途中にエレベーターが落下したら、あたしの体真っ二つだよ? あたしにはその入り口がギロチン台にしか見えないの」
 彼女の気持ちはわかるけれど、状況的にはすぐに動かないとだよな。
「でもさ。トワさんが足を踏み入れてからなんだろ? 下がり始めたのって。時間が経つとここ、もっと狭くなっちゃうんじゃないか?」
「やだやだやだ! 風悟さんがこっちに手を入れて、あたしのこと引っ張り上げてよ」
 やっぱり罠なんじゃないのか?
 ただ状況が状況なだけにトワさんのこの反応が罠とか演技とかじゃない可能性もある。
 自分がトワさんの立場ならトワさんと同じように行動を起こせないでいるかもだし。
「やってやったらどうなんだ?」
 いつの間にかエナガも厨房に来ていた。
 再びエレベーターの開口部へと目を向ける。
 トワさんは懐中電灯を持ったまま、ガタガタとさっきよりも大きく震えているようだ。
 言うほど簡単じゃないのはわかっている。
 物理的にリアルな「死」が目の前にあると、足って本当にすくむものなんだな――とか言ってる場合じゃない。
「エナガカツマ! あたしがここに居るの、あんたにも原因があるんだからね! あんたも手伝いなさいよ!」
「おいおい。お前が勝手にそこに入り込んだんだろ」
「暗闇で急に声かけてくるからじゃないっ! 普通逃げるでしょ!」
 声をかけただけ?
「逃げるにしても他にもっと安全な」
「は、早く上げて! もう限界!」
 トワさんの震えが明らかに大きくなっている。
 まさかここにも何か、あの獣みたいなのが居るのか?
 自分が目眩めまいに襲われていないことを確かめる。
「漏れそうなの! 我慢しているから足が震えて……エレベーターに変な振動加えちゃってるのっ!」
 ご、ごめんなさい。
 女性にとんでもないことを言わせてしまった。
「トワさん、ごめんね。今助けるから」
 エナガとの距離には気をつけつつ、開口部の左端の手前に寝そべった。
 左手でしっかり建物側の壁を抑え、右手を差し伸べる準備をする。
 まだ手は入れていないし、すぐにでも開口部から離れられるような体勢は維持しつつ。
「エナガさん、君も手伝ってくれないか? 二人でなら一瞬で引き上げられると思うんだけど」
「そいつは命をかけてまで守らなきゃいけない女なのか? お前はここに何しに来たんだ? その女を助けるためか? 下手したら自分が真っ二つになって死ぬんだぞ」
 そりゃ僕はトリーを助けに来た。
 それに恐らくトワさんがまだ持っているあの手鏡は、そのトリー救出に必要なアイテムだ。
 だがそれを持っていることを、このキレ細マッチョに知られない方が良い気がしている。
 なのであくまでも手鏡のことは伏せたままで会話を続けた方がいいだろう。
 僕の知るトリーと、エナガとの関係はまだ分からないが、あれだけ怒っているということは少なくともトリーのことを大切に思っているはず。
 だとしたら。
「僕が助けたいと思っているトリーひとは、ここで僕がトワさんを見捨てることを望まないと思う」
「……死ぬかもしれない危険を冒してまでか?」
 エナガの反応が少し変わった?
「時間の経過で危険度が増してゆく。ならばさっさと助けるのが一番安全じゃないのか?」
「そういうことを言っているんじゃない! その自己満足でお前が死ぬのは勝手さ。だがそのことで本当に助けたい人が助けられなくなったとしても、お前はその女を助けるのか? それともその女はもう他人じゃないとかか?」
 いまだに表現に毒がある。
 でもここで怒ったら僕の負けで、事態はきっと悪い方にしかいかない。
 それにこの程度のイヤミやセクハラ表現なら仕事で何度も経験がある。
 理不尽な状況なら何度も乗り越えてきた社会人魂、見せてやろうじゃないかよ。
 ああ。徹夜でトラブル対応しているときの妙なテンションになってきた。
「トワさんは僕にヤツラの存在や、このホラーランド内のことをいろいろ教えてくれた。トリー相模さんを探すのをずっと手伝ってくれている。大事な仲間だ」
 この言葉はエナガにだけではない。
 トワさんに対しても、そして自分自身に対しても向けている言葉。
 自分も含め皆どことなく不審な点はあるし、振り返れば失敗だったんじゃないかって行動もある。
 だけどそういう部分をほじくってあげつらっても良い結果には結びつかないことを僕は知っている。
 障害発生中に障害のことを嘆いたり犯人探しをしていても、そんなこと障害からの復旧にはつながらないんだ。
 まず最初にすることは障害を乗り越えること。
 全てはそこから先の話。
「悪いが俺は手を貸さないぞ。お前みたいな博愛主義者じゃないんでね」
 今はエナガにはもうかまわないことにする。
 とっとと作業を始めよう。
「トワさん、捕まって。引っ張り上げるから」
 僕は右手と右肩、そして頭まで開口部に入り、トワさんへと手を伸ばした。
 トワさんは持っていた懐中電灯をリュック横のメッシュポケットに挿すと、恐る恐る近づいて、手を伸ばす。
「もっとこっちへ」
「こ、怖い」
「おいおい。僕の方が怖いって。見りゃわかるだろ?」
 そこでようやくトワさんがさらに数歩こちらへ歩き、僕の手にぎゅっとしがみついた。
 ギッ。
 頭上、エレベーターの天井の方から嫌な音が聞こえた。
 ギロチン台という言葉が再び頭の中を駆け抜ける。
 尻がヒュッとする。
 でも急ぐしか他に方法はないんだ。
「トワさん、なんとか引っ張り上げるから、その後は頑張って僕の腕をよじ登って」
「うん……信じる」
 ギシ……。
 エレベーターまで一緒に返事をしてきやがる――いや、考えちゃダメだ。
 僕以上に、中に居るトワさんの方がキツイ状況なんだと思うし。
「せーのっ」
 左手で懸命に踏ん張って、トワさんの手を握りしめている右手を思いっきり引っ張った。
 僕の腕や肩にぐいっと力が加わる。
 やっ、という小さなかけ声と一緒にトワさんの香りがふわっと近くに飛び込んできた。
 ギギッ。
 脚と腰と背中と腕、その全てに気合を入れてトワさんを思いっきり引っ張り上げる。
 勢いついて僕の上に覆いかぶさったトワさんの下半身あたりが小刻みに振動している。
「……た、助かったの?」
 トワさんが俺の右腕をプロレスかってくらいがっちりホールドしている。
 映画でよくあるような脱出と同時にエレベーターは墜ちましたみたいな劇的展開にはなってはいないが、さっきに比べ開口部は更に十センチは狭くなっている気がする。
 さっきこのくらいだったら僕のリュックが引っかかってヤバかったかも。
「あっ。ちょ、ちょっとだけ待っててよね!」
 トワさんは僕にリュックだけ返すと懐中電灯を抜き取り、エナガを避けるように厨房の入り口へと走っていってしまった。
 リュックを簡単に返してきたってことは、さっきの逃避に深い意味などなかったのだろうか。
 それともあの手鏡だけ持ち出したとか?
 今すぐ荷物を確認したくはあるが、それでエナガが僕のリュックに注目することになったら嫌だし。
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