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Episode➃ 最後の一滴
第21章|折口の復調 <4>織田さん宅への初回訪問
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<4>
俺の本命見込み客、織田さんの自宅は、千葉県船橋市にあるマンションの一室だった。
「こんにちは~。『シューシンハウス』の折口でございます~」
インターホンに向かって丁寧にお辞儀をすると、エントランスホールの扉が開いた。
織田さんは童顔・色白の丸顔で、ふっくらした体型の小柄の男性だ。癖のある巻き毛の髪と、長いアーチ型の眉毛が特徴的で、蝶ネクタイが似合いそうな、オシャレな雰囲気を醸し出す人である。
案内されたリビングには織田さんしかいなかった。勧められた椅子に恐縮しながら座り、ヒアリングを始めた。
織田さんの希望する家は、北欧デザインの一軒家。
ワインの輸入業を営んでいるため、地下室を作りワインセラーにしたいという。人が集まってパーティができるよう、ウッドデッキも作りたいとのことだった。予算の兼ね合いもあってエリアは主に東京23区東部を考えているようだが、土地はまだ買っていない。そして場所柄、災害への不安があるので、水害や地震に強い家が欲しいということだった。織田さんなりに事前調査をしており、高い防水性や耐震等級の他、ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)基準を超える気密性や窓へのこだわりも譲りたくないという。
――――そういうご要望なら、“スーパー工務店系”に依頼されたほうがいいんでは……
いつもの癖で、口から言葉が出かけたが、ぐっとこらえた。
『シューシンハウス』は、どちらかといえば、廉価帯の規格型住宅に近い家を建てるのが得意である。なんでもかんでもオーダーで決めるというより、ある程度建てられるものに制約があるセミオーダーが基本だ。だから織田さんが夢見ているような、個性的かつ、性能値がずば抜けた家を建てることはそもそも難しい。作ろうとすると下手なうえに割高になる。
それに織田さん宅のリビングに飾られた抽象画、置かれている小物などからは、卓越したセンスの良さが感じられる。この人はきっと、ウチで名ばかりの“注文住宅”を建てるよりも、価値観の合う建築士とよく打ち合わせて、デザイン性の高い家を建てるほうが満足するんだろう………けど。
―――「折口さぁ。今度こそ、ちゃんと営業かけてくれよ」 栃内の言葉が脳内でこだまする。
―――「仕事で新しい契約が取れるかもしれません」 足立さんに見栄を張ったことを思い出す。
俺も今回ばかりは、ここで引くわけにはいかない。
「なるほど。織田さんのご要望は承りました。できる限りご希望に近い家を一緒に作れるよう、精一杯頑張らせて頂きますのでっ」俺は頭を下げた。
あとは、織田さんの経済状況の確認である。聞きにくい部分だがここを聞いておかないと、あとで苦労が全部水の泡になる。
「それから織田さん。住宅を建てる際の、資金借り入れの件ですが……」
「ああ、それですね。ここ数年の青色申告、決算書を用意してあります。ご確認ください」
自分の収入を他人に見せるのは気持ちのいい行為ではないのに、織田さんは嫌な顔をせずに書類を出してくれた。
「………………。」
――――目の前が一瞬、暗くなった。営業利益の額が、思ったよりもずっと少なかった。これにゼロひとつ足したくらいを期待していたのだ。こんな経済状況で、織田さんが希望するような家を建てる資金を貸してもらうことは現実的ではない。銀行は自営業への融資にはトコトン厳しい。
「あ。折口さん、今ちょっと引いちゃいましたか? いや~……それね、ウチの会社は売上はちゃんと上がっているんだけど、経費が多いんですよ。ワインの鮮度を落とさないために理想的な温度管理ができる輸送ルートを取るコストとか、販路拡大のための宣伝費とかが高くて……。昨今、エネルギー価格も上がってますから。………ダメですかね? 」
「しょ、正直、少々厳しいかと思います……貯蓄のほうはいかがでしょうか。頭金が多ければなんとか………」
「うーん。そんなに多くないですよ。そこにある絵、いいでしょう。あれに一目惚れしてしまって、去年オークションで買ったばかりなんです。それでまとまった貯金を使っちゃって、手持ちの株式もかなり現金化して購入に充てましたから」
―――あのさぁ……。家を建てる希望があるなら、先に住宅ローン借りてから、新しい家に合う絵を選んで、買えよなッ……………。
思ったが、口には出さなかった。
「そ、そうなんですね~。しかしそうなりますと、正直、この状況ではどこのハウスメーカーであっても、資金繰りの面から厳しい回答にならざるを得ないかと。東京でお土地を買われてご希望に近い新築住宅を建てられるなら、最低、ご予算6000万は見て頂きたいです」
「そうなのか………。でも僕は諦めたくありません」
「え~と……ほかに活用できるものはありませんか。相続で手に入る予定のお土地ですとか」
「相続の予定はないですね。パートナーの収入とかは、プラス要素になりますか」
「あ、奥様ですか。確かにペアローンを組まれる方法もありますよ」
「正確には妻ではないんです。うちは事実婚なんで。ですが僕のパートナーは都内で人気の洋食店を経営していますから、安定収入があるかと思います」
「あーーーーー………」
想定外の変化球である。事実婚となると、相手の意向や法制度、銀行の方針など、個別に色々確認してみないとわからないことだらけだ。
一番簡単なのは、織田さんのパートナーに安定収入があるなら、そちらに単独で住宅ローンを組んでもらうことだと思うが……。
相手も自営業……。
それに、織田さんのほうは事実婚だと思っていても、向こうはただの恋人同士という認識の可能性もある。
「いったん、図面の件と合わせて、持ち帰り検討させていただけますか」
俺の言葉を、織田さんは了承した。
俺の本命見込み客、織田さんの自宅は、千葉県船橋市にあるマンションの一室だった。
「こんにちは~。『シューシンハウス』の折口でございます~」
インターホンに向かって丁寧にお辞儀をすると、エントランスホールの扉が開いた。
織田さんは童顔・色白の丸顔で、ふっくらした体型の小柄の男性だ。癖のある巻き毛の髪と、長いアーチ型の眉毛が特徴的で、蝶ネクタイが似合いそうな、オシャレな雰囲気を醸し出す人である。
案内されたリビングには織田さんしかいなかった。勧められた椅子に恐縮しながら座り、ヒアリングを始めた。
織田さんの希望する家は、北欧デザインの一軒家。
ワインの輸入業を営んでいるため、地下室を作りワインセラーにしたいという。人が集まってパーティができるよう、ウッドデッキも作りたいとのことだった。予算の兼ね合いもあってエリアは主に東京23区東部を考えているようだが、土地はまだ買っていない。そして場所柄、災害への不安があるので、水害や地震に強い家が欲しいということだった。織田さんなりに事前調査をしており、高い防水性や耐震等級の他、ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)基準を超える気密性や窓へのこだわりも譲りたくないという。
――――そういうご要望なら、“スーパー工務店系”に依頼されたほうがいいんでは……
いつもの癖で、口から言葉が出かけたが、ぐっとこらえた。
『シューシンハウス』は、どちらかといえば、廉価帯の規格型住宅に近い家を建てるのが得意である。なんでもかんでもオーダーで決めるというより、ある程度建てられるものに制約があるセミオーダーが基本だ。だから織田さんが夢見ているような、個性的かつ、性能値がずば抜けた家を建てることはそもそも難しい。作ろうとすると下手なうえに割高になる。
それに織田さん宅のリビングに飾られた抽象画、置かれている小物などからは、卓越したセンスの良さが感じられる。この人はきっと、ウチで名ばかりの“注文住宅”を建てるよりも、価値観の合う建築士とよく打ち合わせて、デザイン性の高い家を建てるほうが満足するんだろう………けど。
―――「折口さぁ。今度こそ、ちゃんと営業かけてくれよ」 栃内の言葉が脳内でこだまする。
―――「仕事で新しい契約が取れるかもしれません」 足立さんに見栄を張ったことを思い出す。
俺も今回ばかりは、ここで引くわけにはいかない。
「なるほど。織田さんのご要望は承りました。できる限りご希望に近い家を一緒に作れるよう、精一杯頑張らせて頂きますのでっ」俺は頭を下げた。
あとは、織田さんの経済状況の確認である。聞きにくい部分だがここを聞いておかないと、あとで苦労が全部水の泡になる。
「それから織田さん。住宅を建てる際の、資金借り入れの件ですが……」
「ああ、それですね。ここ数年の青色申告、決算書を用意してあります。ご確認ください」
自分の収入を他人に見せるのは気持ちのいい行為ではないのに、織田さんは嫌な顔をせずに書類を出してくれた。
「………………。」
――――目の前が一瞬、暗くなった。営業利益の額が、思ったよりもずっと少なかった。これにゼロひとつ足したくらいを期待していたのだ。こんな経済状況で、織田さんが希望するような家を建てる資金を貸してもらうことは現実的ではない。銀行は自営業への融資にはトコトン厳しい。
「あ。折口さん、今ちょっと引いちゃいましたか? いや~……それね、ウチの会社は売上はちゃんと上がっているんだけど、経費が多いんですよ。ワインの鮮度を落とさないために理想的な温度管理ができる輸送ルートを取るコストとか、販路拡大のための宣伝費とかが高くて……。昨今、エネルギー価格も上がってますから。………ダメですかね? 」
「しょ、正直、少々厳しいかと思います……貯蓄のほうはいかがでしょうか。頭金が多ければなんとか………」
「うーん。そんなに多くないですよ。そこにある絵、いいでしょう。あれに一目惚れしてしまって、去年オークションで買ったばかりなんです。それでまとまった貯金を使っちゃって、手持ちの株式もかなり現金化して購入に充てましたから」
―――あのさぁ……。家を建てる希望があるなら、先に住宅ローン借りてから、新しい家に合う絵を選んで、買えよなッ……………。
思ったが、口には出さなかった。
「そ、そうなんですね~。しかしそうなりますと、正直、この状況ではどこのハウスメーカーであっても、資金繰りの面から厳しい回答にならざるを得ないかと。東京でお土地を買われてご希望に近い新築住宅を建てられるなら、最低、ご予算6000万は見て頂きたいです」
「そうなのか………。でも僕は諦めたくありません」
「え~と……ほかに活用できるものはありませんか。相続で手に入る予定のお土地ですとか」
「相続の予定はないですね。パートナーの収入とかは、プラス要素になりますか」
「あ、奥様ですか。確かにペアローンを組まれる方法もありますよ」
「正確には妻ではないんです。うちは事実婚なんで。ですが僕のパートナーは都内で人気の洋食店を経営していますから、安定収入があるかと思います」
「あーーーーー………」
想定外の変化球である。事実婚となると、相手の意向や法制度、銀行の方針など、個別に色々確認してみないとわからないことだらけだ。
一番簡単なのは、織田さんのパートナーに安定収入があるなら、そちらに単独で住宅ローンを組んでもらうことだと思うが……。
相手も自営業……。
それに、織田さんのほうは事実婚だと思っていても、向こうはただの恋人同士という認識の可能性もある。
「いったん、図面の件と合わせて、持ち帰り検討させていただけますか」
俺の言葉を、織田さんは了承した。
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