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Episode➃ 最後の一滴

第17章|真摯な営業姿勢を見せろ <1>吊し上げ

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<1>


「折口、テメェ、なめとんのかッ!!!!!!!」



文書管理室に原須支店長の怒号が響いた。


周囲の営業社員達はしんと静まり返り、栃内も、後輩の目黒も、微動だにせず様子を見守っている。俺は営業社員達が集められた息苦しい小部屋の中で、1人だけ立たされ、支店長の説教をくらっている。


「お前、無断欠勤、今月もう何回やらかしてんだよ。遊びじゃねぇんだよ! お前んとこのチーム、目標未達もいいところだろ! 特にお前だよ! お前が元凶なんだよ! お客様との面談は入れねーわ、酒浸りで遅刻欠勤するわ! もう辞めろ! お前、向いてないよ! 『お客様に幸せなマイホームを提供する』という我が社の理念にそぐわない。今ここで、辞表書け!!! 」


原須支店長がここまで言うことは珍しい。それでも俺は、じっと頭を下げて、自分からは一言も発しなかった。


「おい!!!!! なんとか言えよ!!! 折口! テメェ口付いてんのか!!!? 」


原須支店長が放った声が音圧になって、顔面にキィーーン、とぶつかるような気がした。

だが俺は冷静に言い返した。


「………まだ、やれます。やらせてください。こっからッス」


「ハァ!? どの口が言ってんだよ!!! 」


常に神経質そうに眉間をしかめている、もともと赤ら顔の原須支店長の顔が、赤鬼のように真っ赤に染まるのを目線の端でちらと確認した。


この文書管理室は、週2回の営業会議の場所として使われている。


そして部屋の壁には、いくつもの穴が空いている。


この穴は、歴代の支店長が営業会議で詰めを食らわせる際に、壁蹴り、物投げなどで作ったものだ。

俺たちの会社はハウスメーカーだが、この『文書管理室』の壁穴は決して修復されない。
多分、わざと修復しない。お客様には絶対に見られないこの部屋、防犯カメラが設置されていないこの部屋の壁の穴を修復しないことで、営業社員に無言の圧をかけている。

穴は“テメェもいつか、この壁みたいにボコボコにしてやるぞ” という無言のメッセージである。
しかし実際には、現代日本で、この壁みたいに人間をボコボコにしたら、やった上司のほうが逮捕される。
稚拙な心理戦であり、ローマの観光名所『真実の口』と、大した違いはない。
俺はどちらの穴も、怖くもなんともない。


他にもこれまで、詰めの一環として「謹慎」という処分が下されることがあった。

「謹慎」というのは、男の縦社会にありがちな、原始的な懲罰の一種である。
“お前には何の仕事もさせない” “お前にやらせる役割はない”とボスが明言し、無視して仕事を与えないことで精神的ダメージや苦痛を感じさせ、土下座して反省と恭順の意を示すと謹慎が解除されるという仕組みだ。

これは実際に過去やられてみたところ、確かに精神的に苦痛だったが、現代日本ではいったん正社員として雇用されるとよほどのことが無い限り『会社員』という立場が守られるため、いくら詰められて仕事を与えられずとも、給料は確実に支給されるわけで、これもまた怖くもなんともない。

狩猟民族がチームの獲物を分け与えてもらえないとか、農家が水路を使わせてもらえないとかとは、生命危機のレベルが段違いなのだ。よって「謹慎」など、ただ黙って時間を延々とやり過ごせばいいのである。
過去、俺が謹慎になったときは、ほとぼりが冷めたタイミングで土下座でもしようと思って脳内で考え事をして時間を潰していたが、土下座をかます前に支店長が異動辞令でいなくなり、支店に取り残された俺の謹慎も自然に消滅した。あっけない幕引きだった。


この手のプライド破壊系の亜型には『素手でのトイレ掃除を命じる』というのもあるのだが、これもまた現代では無効化している。いまどき公衆トイレだってそれなりには掃除が入っているうえ、『シューシンハウス』の入居しているビルでは、ビル清掃のスタッフがもともと定期で来ているので、心が潰れるほどクソ汚いトイレが、そもそも周囲に存在していない。



――――つまり、『辞めます』のひとことさえ、こちらから言い出さなければ、俺の勝ち。



現代日本において、『正社員』というのはガッチリ身分保障された労働者の中の特権階級になっているのだ。我々営業社員の基本給は安い。歩合がないと家族持ちは生活していけないと言われる。しかし俺に、養う家族などいない。贅沢も好まない。唯一の贅沢、読書は公共図書館をフルに使えばいい。

つまり「休まず、遅れず、働かず」だとしても、正社員の地位を自ら手放しさえしなければ、細々とながらも、確実に生活保障されて暮らしていくことが可能なのだ。


俺は、このライフハック、いや、日本社会のバグを知っている。


知っているから、お前なんて怖くもなんともないんだよ、支店長。


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