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Episode➃ 最後の一滴

第14章|『シューシンハウス』営業社員 折口勉の休日 <4>児童公園にて その3

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<4>

 その時だった。俺の足元に何かが当たった。

 使い古したサッカーボールだった。

 顔を上げると、小学校3.4年生くらいの男の子が数メートル離れた場所からこちらを見ている。彼のボールのようだ。

 蹴り返してやろうかな、と思ったが、酒のせいで動作が緩慢になった俺よりも、少年が近付いてくるほうが早かった。ほろ酔い気分の俺は、素直に蹴り返さず、少年に絡んだ。

「おう。これ、きみのボールか」

「そうです」

「何年生? 」

「3年1組」

訊いてないのに所属クラスまで答えるとは、律儀なヤツだ。

少年は、これといって印象にも残らないような、平凡な顔立ちの子である。

しかし、もしも俺が適齢期に結婚していて、子供がいたら、こんな年頃なのかもしれない…………。

俺には妻も子供もいないので、咄嗟の妄想だったが、そう考えるとなんだか、見知らぬ少年が可愛く思えてきた。
毛穴のない肌。柔らかな澄んだ黒目。艶のある髪の毛。
平々凡々という風情の子供であっても、若年者ならではの特徴は、もう今の俺には無いもので、眩しく、尊く思えた。
唐突に、優しくしてやりたい、何か教えてやりたい、と思った。

「きみ、紙で飛行機、折れる? 」

「うん。折れるよ」

 小学生は意外と友好的だった。俺が使わなかった“哲学カフェ”のレジュメ用紙を取り出して見せると、これを使っていいんだな、と理解したようで、すぐさま一枚手に取り、ベンチの横に腰掛けて、折り始めた。

「飛行機は………こうやって折ればいいんでしょ」

確かめるように、少年がこちらの目を見た。

「そう。でもそれは普通の折り方だからね。もっと飛ぶやつ、教えてやろうか。知りたい? 」

「うん。知りたい! 」

「よし」

 地域のボランティアお兄さん、になった気分で、俺はにわかに張り切った。飲み干したストロング缶と牛丼のカラを隅にやり、ベンチを降りてしゃがんだ。ベンチを机のようにして折るのだ。平らな板じゃないから折りにくいが、折れなくもない。残っているレジュメからいちばん紙がピンとしたのを選んで一枚取り、端を折り合わせた。できるだけ綺麗に仕上げよう、そのほうがよく飛ぶから、と目を凝らした。


その瞬間、背中から声が聞こえた。



「サトシっ。サーートーーシ!! 」


 振り返ると声の主は、公園の端のほうから手を振る、所帯じみた中年女性だった。今公園に来たところのようだ。何故か、鬼の形相でこちらを見ている。


「やべ、お母さんだ」サトシが言った。

「ふーん」俺は生返事をしながら、特製の紙飛行機に集中した。「いいかい。ここまでは普通の紙飛行機と同じ折り方で……」

しかし中年女性の声は、集中を邪魔するように、距離を置きながらも、数メートルずつじりじりと迫ってきた。
 
「何やってんの。ハヤク! サトシ! こっち来なさいッ!!! 」


「おい。お母さん、やたら呼んでるな。何か予定でもあるの? 」
俺の問いかけに、サトシは言った。

「ううん。そうじゃなくて。たぶん怒ってる。公園に1人で来てる、知らないオジサンとは、危ないから絶対に口をきいちゃいけない、って、普段から言われているから」

ついに公園の真ん中くらいまでにじり寄って来た母親の剣幕に、少年は慌てた様子になり、「もう行くから、待っててっ! 」っと叫ぶと、さっき自分で折った紙飛行機をポイと投げ出して、サッカーボールを拾って立ち上がった。“哲学カフェ”のレジュメは、一瞬だけ存在意味を取り戻したのに、またしてもゴミと化した。
3年1組、と答える丁寧さに期待したが、やはり子供は子供、粗野で正直なのである。

「あ、そう………あ。一応、折ったけど、これ、いる? 」

俺は、急いで折り終えた、特製の紙飛行機を彼に見せた。本当は飛ばすところまで一緒にやりたかったけど、もう時間はなさそうだ。


サトシはうなずいて俺の飛行機を受け取り、礼も挨拶も言わず、母親のほうに走り出した。

そしてその瞬間、子供が手元に戻ってきたと知った母親の顔が、安堵で緩むのを俺は見た。


ーーーケッ。“公園に1人で来てる、知らないオジサン、話すだけで危険”とは失礼だな。

 せっかくこちらから心を開いたつもりが、ピシャリとドアを面前で閉められたような気がして………俺は不快になり、内心毒づいた。

ーーーそれにあんたのガキは、誘拐されるほど、特別可愛くねぇっつーの。


安っぽくよれた綿のトップスを着た母親は、こちらに形ばかりの会釈をして踵を返した。俺は敢えて表情を変えずに、目を逸らした。ベンチに座り直し、手を繋ぎ合ったサトシと母親が公園から去る様子をぼーっと見ながら、口に出してはいけない怒りの代わりに、ゲブゥ、と盛大なげっぷを放った。

この感覚、覚えているんだ。営業職を始めたばかりの頃、連日味わったあの感覚………。 

キーーーーン、と、どこからか耳鳴りのような音が鳴った気がした。
そしてアルコール混じりの自分の息を再度吸い込むと、『渇いた。渇いた。』と身体が言うような気がした。


ーーーもう、帰ろう。

少年に打ち捨てられたいびつな紙飛行機を丸めて、牛丼のカラの中に入れた。ジュウと残り汁を吸い、レジュメは吸い紙になった。パッケージ、割りばし、空き缶ふたつ、とかさばるゴミを両手に抱えて、不便さと虚しさがつのった。エコバッグに入れれば、汁が気になる。これを捨ててしまいたいな、と見渡したが、ゴミ箱は見当たらない。最近の公園には、ほとんどゴミ箱が置かれていないのである。


(ったく、エコだかなんだか知らねえけど、レジ袋有料化するなら、ゴミ箱設置しとけよな……。 公園にゴミ箱が無いなら、これを買ったコンビニまで戻って、店のゴミ箱に捨てるしかないじゃないか…………! )

 衝動的にベンチを蹴り上げたい気分になったが、それはやめておいた。
 むしょうにイライラして、ジャングルジムの横を通り、公衆トイレの前を通った。


 ふと思い立って、いったん通り過ぎたトイレの中に入り、鏡を見た。


ーーー俺は、危険なオジサンじゃねーし。


 端が黒く腐食し、ところどころ曇った公衆トイレの鏡を見つめると、目の周りがほんのり赤く染まり、10年前と比べて少し輪郭が丸くなり、前髪が数センチセットバックしただけの俺がいた。確かに、多少の加齢はしている。だが体重はさほど変わっていない。目を逸らされるほどの醜男でもないはずだ。


ーーーほら。見るからにちゃんとした、善良そうな市民だろ…………。勝手に俺を『不審者カテゴリー』に入れやがって。分類が雑なんだよ。無知蒙昧め。


 そして、そのままトイレを出てまた歩き始めた俺は、ゴミを捨てるためにさっきのコンビニに立ち寄り……、勢いで追加の酒を3本買って、飲み歩きをしながら家に戻ったのであった。

  
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