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7.恋に落ちて(ロニー)

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 ヘレンからの手紙は素晴らしかった。僅かにフローラルの香りがする便箋にはとても美しい文字で、僕をどれほど案じているか、慕っているかを切なく胸が締め付けられるほどの言葉でその思いが綴られていた。読んでいるうちに目頭が熱くなり頬を涙が流れていった。ところどころ消してある文字があるがきっと感情が高ぶり書き損じたのだろう。

 僕はヘレンの気持ちが嬉しかった。セリーナの冷たい対応に傷ついた心が、ヘレンが寮を抜け出してまで僕に会いに来てくれた事実で癒された。
 わざわざ顔を合わせているのに手紙まで持ってくるなんてそれほど僕を思ってくれているのかと感激した。

 僕はこのときヘレンに特別な気持ちを抱いてしまった。セリーナという婚約者がありながらいけないことだと思ったが、こんなひたむきな思いを寄せられ心を揺さぶられない男がいるはずがないだろう。
 その後も入院中に頻繁にヘレンは見舞いに来ては手紙をくれた。外出許可は取れているのかと心配になったが「友人の許可日を譲ってもらっている。だってロニーが心配で会いたかったの」と言った。

 怪我の痛みがなかなか引かず憂鬱な日々を過ごす中、ヘレンは精巧な美しい刺繍を施したタペストリーをくれた。これだけのものを作るのに一体どれだけの時間をかけたのか、感激のあまりに体が震えるほどだった。

「なんて素晴らしいんだ!」

「ロニーの回復を願って一生懸命刺繍したのよ。気に入ってくれた?」

「ああ、ありがとう。ヘレン」

 僕はこの時、ヘレンを愛してしまった。いや、もっと前からかもしれない。彼女の健気さに自分の気持ちを偽ることは出来なかった。そしてずっと会えていない上に連絡も寄こさないセリーナへの想いは胸の隅へと追いやられていた。

「君には本当に感謝している。退院したらお礼をしたい。何か希望はあるかい?」

 ヘレンは嬉しそうに瞳を輝かせ「でも……」と遠慮をする。

「何でも言ってくれていいんだ。僕はどうしても君にお礼がしたいんだから」

 あの心のこもった手紙と素晴らしいタスペトリーは宝物として日々眺めて大切にしている。

「私、新しくできたカフェに行ってみたくて。でも、そんなこと言ったらセリーナに悪いわ」

「大丈夫だ。忙しいセリーナの代わりにここまでヘレンがしてくれたんだ。そのくらいのお礼をしたって問題ないさ」

「本当? 嬉しいわ」

 僕は約束通り退院後にヘレンをカフェに連れて行った。ヘレンは体全体で喜びを表現してくれる。僕はそのことでセリーナに冷たくされた自尊心が満たされていくのを感じた。ヘレンと過ごすのは楽しい。僕はその後も二人で外出を繰り返した。

「ロニー、私、あなたを愛しているの。あなたはセリーナの婚約者だから諦めなければいけないって分かっていたけど、どうしようもないほど好きなの」

 真っ直ぐに向けられる眼差しと恋慕の言葉に胸が震えた。

「僕も、ヘレンを愛している。だけど、すまない。セリーナとの婚約は解消できないんだ」

「どうして? 私たちの心は通じ合っているのに……」

 ヘレンは瞳に涙を浮かべて僕を見上げる。思わず慰めるように抱きしめた。

「僕の家はセリーナの家から多額の金を借りている。まだ返済は終わっていないんだ。君を僕の手で幸せにできないことは辛いけど、一緒になることは出来ない。僕たちは貴族だ。分かってくれるね。だから会うのは……これで最後にしよう」

「そんな……。私、ロニーと結婚出来ると思っていたのに……。ねえ、結婚できなくてもあなたの側にいられるのなら愛人でもいいわ。お願い!!」

 日陰の身でも僕を愛しているという言葉に心は歓喜し、別れることに対して迷い揺れたがきっとセリーナは許さないはずだ。僕の両親もセリーナを可愛がっている。先日、両親から手紙で身を慎めと厳しくたしなめられた。きっとヘレンとの噂を聞きつけたのだろう。

「それは、できない。すまない、ヘレン」

「私、いつまでもロニーを待っている……」

 彼女の別れ際の言葉を振り払い、断腸の思いでヘレンとの別れを決めた。
 そしてヘレンと会わなくなり心には大きな穴が開いた。ほどなくセリーナが学園を卒業し久しぶりに顔を合わせた。セリーナはすっかり大人びて美しい淑女となり僕へと向ける笑顔は昔のような無邪気なものでなく、どこか距離を置いたようなものだった。
 再会した時、急に怪我をして入院した時のことを思い出し、なぜ見舞いも手紙もくれなかったのかと詰りたくなった。でも、彼女から謝罪するべきことで僕から言い出すのは違うと思い、そのまま問い詰めることはしなかった。




 
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