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3.囮

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 それにしても夜会って居心地が悪いわ……。

(全然楽しくないし!)

 アシルお兄様と会場入りすると、あからさまに好奇な視線を向けられる。
 最初はわたくしを見て驚いて感嘆の溜息をこぼしていたが、次第に様々な感情をあらわにしていく。男性は見惚れる者、気持ちの悪い眼差しを向ける者。女性は品定めをするような目で見ている。あるいは隣にいるパートナーがわたくしに釘付けで悔しそうにこちらを睨んできた女性もいる。いやいや、パートナーに文句を言ってよ。
 それとはまた別の女性のグループもいた。そのグループは若い令嬢たちでわたくしを遠目から眺めひそひそ話をしていたが、しばらくすると話しかけてきた。ちなみに男性はアシルお兄様の牽制の笑顔に尻込みして近寄ってこない。

「小説を読んだ時からマルティナ様の味方です!」
「噂以上に綺麗でびっくりしました。私応援しますね!」
「マルティナ様。頑張ってくださいませ」
「お二人の恋物語の本、お二人が結ばれたらきっと続巻が出ますわ。楽しみにしてます!」
「絶対にロレーヌ様に負けないでくださいね」

 ベストセラーの影響力、侮れない! 彼女たちの中で小説はノンフィクションになっていて、わたくしとは初対面なのに以前からの知り合いように馴れ馴れしい。どうやらベストセラーとやらのせいでわたくしに親近感を抱いている。その上で勝手に同情し応援する……。そんなもの、いりません。続巻は阻止するし、今出版されている本も絶版してしまえ!
 そもそもこの発言は妃殿下に失礼だし不敬になるわよね? それに何でわたくしの味方なの? 思考回路が摩訶不思議。王都の令嬢は妃殿下を応援して、わたくしに対しては辺境の田舎者めと見下すのが定番よ。嫌がらせに手に持っているワインをドレスにかけてもいいのよ。もっともかけようとしても華麗に避けるけど。

 その中の一人の令嬢がグイグイとわたくしに近づいて来た。そしてわたくしの手を握りながら熱く励ました。迷惑なんですけど……。アレクセイは一体なにをしているのよ? 辺境にいた時は大好きな初恋の女性と結婚できると浮かれていたくせに、くだらない噂をのさばらせたままにするなんて情けない。
 それよりわたくしが許せないのは、トリスの存在を全員がまるっと無視していることなのよ。まるで婚約者がいない前提の態度にイライラが止まらない――。
 わたくしは心の中で盛大に溜息を吐くと壇上にいるアレクセイを睨んだ。諸悪の根源! そのまま目立たないように小さく口を動かした。

『くわいめ、さわう。らくんぼのこ』

 するとアレクセイは視線を他に向けつつもわたくしに向けて小さく口を動かした。

『たっかなかいくまう、がたしいてひ』

 これはわたくしたちが使っている読唇術。誰かに見られてもすぐに見破られないように逆さ言葉にしている。読み取って頭の中で逆さに読むと理解できる。デュラン伯爵家とルグラン子爵家ではみな習得している。これは慣れないと結構難しい。アレクセイは昔、我が家デュラン辺境領で療養していたことがありその時に覚えさせた。

『ずたたくや』
『………』

 アレクセイが僅かに眉をピクリと動かした。役立たずであることは自覚があるのね。

『うしゅうほ』
『るいてっかわ』

 アレクセイが目配せをしたのでわたくしは小さく頷いた。
 今回の報酬――。それは隣国の高級フルーツでセトロスュクレという名の梨……の蜜漬け。本当は生のままが欲しかったけれど、手に入らないので諦めた。この果物は甘くて柔らかくて、口に入れると蕩けてしまう。ほっぺが落ちちゃうぞ! とにかく美味しいのだ。これはわたくしが大好きで、トリスの大好物の果物なの! 蜜漬けでも十分美味しいので手を打った。

「おい。マルティナ。妃殿下が睨んでいるぞ」
「えっ? どうして?」
「アレクセイとのやり取りに気付いたようだ。たぶん熱く見つめ合っているように見えたんじゃないか? 嫉妬かな」
「熱く? 違う違う。嫉妬って……えぇ?」

 今のは見つめ合ったわけじゃなく文句を言っていただけなのに。思わず隣にいるアシルお兄様の言葉に顔を顰めた。

「誤解よ!」

 わたくしは不満を露わに小さく口を尖らせた。本当にアレクセイたちは夫婦仲が悪いのかしら。アレクセイがロレーヌ様を好きなのははっきりしているけどロレーヌ様の気持ちは分からない。でもわたくしに嫉妬の眼差しを向けるということはアレクセイのことを好きなのかもしれない。まあ、側室になるという噂の女の出現にご立腹の可能性もある。アレクセイはもっとしっかりするべきよね。あとで色々聞こうっと。

「アシルお兄様。わたくし、なんだか疲れたみたい。ちょっと休んでくるわね」

 これは打ち合わせ通りの行動だ。わたくしはちっとも疲れていないがそろそろ夜会も終盤。敵に隙を見せる必要がある。誘拐されるためにね!
 
 今回のアレクセイの依頼の内容は、ボワイエ公爵邸への潜入。当主であるロベールは美しい髪を集めるのが趣味で女性を誘拐し監禁している。調査で屋敷のどこかにいることは分かっているらしい。それならさっさと乗り込んで助ければいいのに証拠がなくてできない。一応、王家の隠密部隊も公爵邸の潜入を試みたが失敗に終わっている。不甲斐ない。
 そこでわたくしが囮となって攫われることになった。幸いわたくしは珍しい銀髪だ。長さも腰まである。侍女の日々のお手入れの賜物で艶々で美しく保たれている。
 絶対にロベールはこの髪に興味を示すはず。わたくしはわざわざロベールに目を付けられるために、ロベールのスケジュールを調べ偶然を装ってロベールと何度かすれ違っている。
 その時、ロベールはわたくしを気持ち悪いほど凝視してきた。我が家の人間にロベールを監視させていたら、馬車の改造や公爵家の影の動きを確認したのでそろそろ動くだろうと予想していた。本来ならか弱い令嬢が夜会で一人になることはないけど今回は囮ですからね。

「ああ、気をつけろよ」
「任せて」

 アシルお兄様は仕方がないなあと苦笑いをしながらわたくしを見送る。ちなみにわたくしには有能な影の護衛が付いている。それにわたくし自身も鍛えている上に、祝福の力を持っているので、軟弱貴族程度が相手なら対抗できる自信がある。
 アシルお兄様と別れそっと会場から抜け出すと、わたくしは静かな通路を進み休憩室に向かう。遠くからわたくしをねっとりと見つめる視線を背中に感じる。どうやら食い付いてくれたようだ。
 わたくしはニヤリと口角を上げた。




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