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第一章 妹の帰宅
#2 ウィレミナ
しおりを挟む「この自動車、どうして買ったのか知ってる?」
ウィレミナが問うと、運転中のジョンは目線だけを正面に向けて、顔の角度をやや後ろの席に座る彼女の方に向けた。
「すみません、ちょっと聞こえにくいんです。もう一度言っていただけますか?」
確かに、その時の車の騒音はかなり大きかった。寄宿学校では外出の際、いつも馬車を使っていたウィレミナにとって、車の中で人と会話するのは慣れなかった。
「どうしてお父様はこの車を買ったの?理由を知ってる?」
さっきよりもウィレミナは声を高くした。
「さぁ、知りません。旦那様がお考えになることは図り知れませんから」
ジョンもウィレミナ以上に声を大きくした。しかし、声高に返した答えに、ウィレミナからなにも反応がないので、ジョンは気になってバックミラーを盗み見た。ウィレミナは赤く染まった赤い唇をさらに結んで、窓越しに風景を眺めていた。
「ほんの数週間前に、キャティリィのお屋敷から連絡があったんです。その時、旦那様は初めて車を購入したそうです」
バックミラーを気にしながら、ジョンは話した。
「えぇ、フィナデレ・カテドラルの中にいる人で、今の産業の発展について行くことが出来ている人はいないわ。あぁ、あなたは違うと思うけれど」
ウィレミナの返答を聞いて、ジョンは少し安心した顔を見せた。もちろん、後部にいるウィレミナはその表情を見ることができない。
少しの間、沈黙が降りた。先ほどとは違って、心地の良い沈黙だった。
ジョンの仕草からは、彼の母アン・カーライルの丁寧さと礼儀正しさがよく垣間見えた。確かに、ジョンはアンの息子である、そうウィレミナは思って、ジョンに気づかれないようにジョンをまじまじと良く眺めていた。
「わたし、あなたが本当にミセス・カーライルの息子であると信じるわ」
突然、沈黙を破ってウィレミナが言った。
「え?」
「『旦那様がお考えになることは計り知れませんから』。これはミセス・カーライルの口癖だわ。あなたが言うってことは、今でも変わっていない口癖なのね」
バックミラーからウィレミナの姿を覗くと、ウィレミナは口の端をあげて、こちらを見ていた。
「あぁ、その。えっと…。それはよかった。僕はジョン・カーライルですから」
ジョンは取り乱して交通事故にならなかったのは、奇跡かもしれない。あるいは、交通事故を避けるために、変なことを口走ってしまったのかもしれない。
どちらにせよ、彼はウィレミナの笑みひとつで、自動車運転ができる自分を誇らしく思った。
「わたしがいなかったこの10年間、何か変わったことはあったのかしら?」
ウィレミナが続ける。
ウィレミナは6歳から16歳までの10年間、寄宿制女学校に在校していたために、フィナデレ・カテドラルにはいなかった。学校の規則で、3年に一度だけ許されて、屋敷に帰ってきてはいたが、3週間だけの滞在だった。
「お嬢様が寄宿学校に入ってから、父と別れてここにきて、母と暮らし始めたんです。だから、変わったことはよくわかりません」
ウィレミナが首都のキャティリィを超えて西海岸付近の学校に入ったのは10年前。ジョンがフィナデレ・カテドラルで暮らし始めたのが5年前のことだ。
「そう…」
ウィレミナは残念そうに相槌を打ったが、その息は小さすぎてジョンには聞こえなかった。
「あぁ、そうだ。セシルとルアという新米メイドが三ヶ月前から階下で働いています。それから、デボラがキッチンメイドから、料理副長に昇進しました。デボラはご存知でしょう?」
「えぇ、知っているわ。デボラはわたしが生まれた頃にキッチンに来ているから。彼女、よくお菓子をくれたわ。お母様に内緒で」
「僕も可愛がってもらってます。彼女、僕にもお菓子をくれるんですよ。一度、お菓子をもらったときに旦那さまが現れて変な顔をされましたけど…」
「お父様は驚いただけよ。きっとね」
「えぇ僕もそう思います」
それから、ふたりの談笑は楽しく続いた。
車は村の横を走る土埃が容易にたつ道路をのんびりとしたスピードで走り抜けた。拡がる林を越えればそこには屋敷の入り口があり、その先には広大な侯爵家の領地があり、フィナデレ・カテドラルが顔を出すはずだ。
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