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第三十一章

女性保安官

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 結局、2人は3日間、この『神秘の湖』に滞在した。

 日中は風と共に森林を散策し、夕暮れ時には湖に戻り、温泉に浸かり、夜は焚き火を熾し、2人で料理をした。

 夜の月は、三日月から半月に成長し、湖面に映し出される『金色の城』もより大きくなった。

 2人は湖に城が形成されると、服を脱ぎ、城に入城して行き、深く愛し合った。

 恰も菜の花の田園を見つけた蜜蜂のように、2人はこの『神秘の湖』から離れようとはしなかった。

『此処にずっと居たい。このままの幸せを続けたい。』

 2人共、そう感じていた。

 4日目の朝、出発の兆しが、突然に訪れた。

 2人は湖畔で焚き火を熾し、朝食を作っていた。

 すると、久方ぶりに近代的な物音が森林道から聞こえて来た。

「車だ。」とジョンが森林道を見遣りながら呟いた。

「パトカー?」と浩子が言った。

 サイレンを消し赤色灯だけ点灯している一台のピックアップ型のトラックが停車した。

『バタン』『バタン』と2回、ドアが閉まる音がした。

 ジョンと浩子は、音のする方を見遣りながら、ゆっくりと立ち上がった。

 警官らしき服装をした2人組が無線を片手に此方を見ていた。

「こんにちは!」と2人組の1人が挨拶を言いながら、足早に湖畔へ降りて来た。

 もう1人は、車の前に立ち、無線で話していた。

「こんにちは。」とジョンが応じた。

 警官らしき者は、胸ポケットから手帳らしき物を取り出し、それをジョンに提示しながら、こう言った。

「ニューメキシコ州サンタフェの森林保安官です。少しお話を聞いても良いですか?」

 ジョンは構わないと返事をし、浩子の方に『心配ない』と目配りをした。

「あの、此処はキャンプ禁止区域なんですよ。」

「あっ、そうなんですか?」

「一応、身分証を見せてください。」

 ジョンは頷き、テントの裏に歩いて行こうとした。

 保安官は少し警戒するようにジョンの進む方向を見遣った。

 ジョンはテントの裏の倒木に繋いだ馬の鞍のパサージュ(袋)から身分証を取り出し、戻って来た。

 保安官は浩子に尋ねた。

「馬で来たの?」と

「はい…。」と浩子は緊張気味に答えた。

 ジョンが身分証を渡すと保安官はサングラスを外し、確認を始めた。

 ジョンと浩子は、保安官の顔を見て、『女性だ。』と少し驚いたように顔を見合わせた。

 保安官は警官帽を目深く被っていたので顔がよく見えなかったが、サングラスを外した顔付きは、女性であった。

 帽子に押し込んだ髪は黒色で、褐色の肌に、細い眉毛、そして、長いまつ毛の黒い瞳…、どうもスパニッシュ系の白人のように見受けられた。

 保安官は身分証の確認が終わると、ジョンに対して尋問を始めた。

「ジョン・ブラッシュさんですね。職業と年齢は?」

「シアトル神学校の神父です。26歳です。」

「此方の女性は?」

「……………」

 ジョンは、一瞬、返答に詰まったが、

「恋人のヒロコ・マツバラです。」と答えた。

「この人の身分証も見せてください。」

 ジョンは浩子の身分証を保安官に手渡した。

 保安官は浩子には質問せず、ジョンに質問した。

「日本人の女性、年齢18歳、保証人が貴方なんですね。」と

「そうです。」

 保安官は身分証をジョンに返すと無線でもう1人の保安官に尋問内容を伝えた。

 無線でのやり取りを終えると、もう1人の保安官も此方に降りて来た。

 その保安官は男性で笑いながら気軽にジョンに話しかけて来た。

「君達、シアトルから馬で来たのかい!クレイジーだよ!」と

「いえ、途中までジープで来ました。馬はナバホ族居住地からです。」とジョンが答えた。

 その時、女性の保安官が

「えっ!居住地から!」と驚いてジョンをまじまじと見つめた。

 女性保安官の視線を感じたジョンは仕方なくこう言った。

「僕の父はナバホ族なんです。」と

 女性保安官の表情が急に険しくなり、

「ナバホ族…、」と呟いた。

 何かを察した男性の保安官が女性保安官を押し除けるようジョンの前に立ち、

「君達の本人確認は出来たよ。ただ、此処はキャンプ禁止区域なんだ。注意してくれ。」とジョンに説明した。

 ジョンがわかったと言うと男性保安官は2人と握手を交わした。

 女性保安官も無表情で2人と握手を交わし、先にパトカーに戻って行った。

 それを見遣った男性保安官は小声でジョンに話しかけて来た。

「これから何処に行くんだい?」

「僕たちもサンタフェに行こうかと?」

「カーソンの森林を馬で抜けるつもりかい?」

「えぇ…」

「それはハードだよ!しかも、この子も一緒なんだろう?無理だ!」

「無理ですか…?」

「うーん、絶対に無理とは言わないが、かなりハードなことには間違いないよ。

 この湖まではいいんだが、ここから先は、峠が続き、標高も高くなる。危険も多い。」

「危険…、やはり、熊ですか?」

「そうさ!毎年、この時期、冬眠明けの熊が森林道にも餌を求めて降りて来るんだ!事故も多いよ…」

「そうなんですか…」

「ライフルは持ってるのかい?」

「えぇ、ナバホ族で借りました。」

「OK、君は正直だ。それ以上は聞かないよ。」

 男性保安官がジョンの肩をポンポンと叩き、パトカーに戻ろうとした。

「一つ聞いても良いですか?」とジョンが尋ねた。

「何だい?」

「この辺りにプロブロ族の居住地はありますか?」

「……………」

 男性保安官は無言で首を振りながらジョンに近づくと、ジョンの肩を抱き、女性保安官に聞こえないようこそこそとジョンに耳打ちをした。

「プロブロ族の居住地はないよ。無くなったんだ。
いいかい!プロブロ族を探すのは辞めておけ!
君はナバホ族だ!
分かっているはずだ!」

「やはり、あの事件以来、ナバホ族とプロブロ族との関係は悪化したんですね。」

「そのとおりだ!
分かってるじゃないか?
それなら、辞めておけ!
碌なことにはならない!」

「母の遺骨を探してるんです。プロブロ族なら知っているかと…」

 男性保安官の動きが固まった。

 そして、サングラスを外し、ジョンの眼を睨み、こう言った。

「もう一度言う。
プロブロ族のコミュニティは解散した。
そして、よく聞け。
プロブロ族は、君のナバホ族を嫌っている。
その理由は言わないでも分かっているはずだ。
いいか、プロブロ族を探すのは辞めにしろ!」

「……………」

 ジョンの様子をパトカーの側から女性保安官が腕組みをし、じっと見ていた。

「いいか、これは忠告ではないが、それに近いものと思ってくれ。
 君達の為に言ってると思ってくれ。」

 男性保安官は女性保安官を気にしながら、最後にジョンにそう言うとパトカーへ戻って行った。
 
 パトカーが去った後、浩子がジョンに不安気に問うた。

「なんか、大変になったね。ジョン、これからどうする?」

 この時、ジョンの心に変化が生じていた。

 この『神秘の湖』で味わった幸福の『現在』から、『未来』へと心が動き始めていた。

 ジョンが座った『現在』のシーソーは地に着き、上に浮いた空白の『未来』が次に下に降りようとしていた。

 ジョンは空白の『未来』が無性に見たくなった。

『プロブロ族を探すのは辞めにしろ!』

 あの男性保安官の言葉が心に木霊していた。

 そして、あの女性保安官の険しい表情をジョンは思い浮かべながら、こう思った。

『あの女性保安官は、間違いなくナバホ族を嫌っている。
 あの女性保安官は何かを知っている。
 彼女にもう一度会わなければならない。
 サンタフェに向かおう。』と

 
 

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