社宅

ジョン・グレイディー

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第二十一章

愛なき結婚

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 冬晴れした夕暮れ時、大阪南港の波止場に1人の老女が佇んでいる。

 昼間、久方ぶりに待望の陽気を降り注いだ陽光は、冬季という短いローテーションを確実に固守するかのように、脆弱な夕陽となり、瞬時のうちに宵闇に変身しようとしていた。

 多幸は、社宅での悪霊祓いの後もあの女の怨霊のことが気になっていた。

 仕方がなかったのである。

 悪霊祓いという仕事からして、最後は問答無用に悪霊を追い祓わなければならなかった。

 多幸は後悔していた。

「私にはあの女の生き様と苦しみが見えたにも限らず…

 もう少し話を聞いてあげるべきだったのか…」

 そんな温情的な思いが多幸の心を支配していた。

「私が助けてあげる…、そう言った…」

 その言葉は怨霊を現出させるために使った売り言葉であり、助ける気は毛頭もなかったが、

 今、多幸は、確かに社宅の家族よりも怨霊となった女を助けたいと思っていた。

「『籠の中の鳥』、生き甲斐も何も無い中で踠き苦しみ、アイデンティティを喪失してしまった念

 鎮静させてあげたい…」

 そう心に思いを寄せた多幸は、夕陽の沈む西の海を見遣り、そして、一枚の写真を夕陽に翳した。

 写真は社宅北部屋の四隅の一角、あの女の怨霊が鎮座していた場所の写真であった。

 多幸は写真を翳すと瞑想し、

「貴女のその後を私に話してください。」と写真に向かって念じた。

 すると、冬晴れの茜色の空に何処からともなく、西へと泳いで行く流れ雲が現れた。

 多幸はそっと目を開き、体内が透けて見えるような薄い流れ雲に向かってこう叫んだ。

「急がなくても良いんです!

 私と話しましょう!」と

 そして、多幸は深く深く瞑想を始めると、多幸の脳裏に映像が浮かんで来た。

【「本当に別れるつもりか!」

「はい…」

「ここに印鑑を押せと言うのか!」

「そうです。」

「財産分与は請求するのか?」

「お金は要りません。」

「そうか。」

「ただ…」

「ただ何だ!」

「私が乗ってる軽自動車だけ、ください。」

「あんなボロ車、待って行け!」

「ありがとうございます…」

「お前、本当に俺と別れるつもりなのか!

 俺と別れてまともな暮らしが送れるとでも思っているのか!

 生活保護を受けないと生活できないぞ!」

「働きます。自分で生きるために働きます。」

「お前に何ができる!」

「働きます。心配しなくても結構です。」

「分かった、離婚してやる!」

「ありがとうございます。」

「ただしだ!」

「……………」

「ただし、今後、我が家には決して顔を見せるな!

 子供の結婚式にもお前は呼ばない!

 良いか!」

「えっ、離婚しても子供の母親は私です…、子供の晴れ舞台には…」

「ならん!

 お前みたいな面汚し、出る幕はない!」

「酷い…」

「それが嫌なら離婚を止まることだな。

 そう、今までどおり、俺に養って貰えば良いんだ!」

「……………」

「どうした?

 離婚を早まると大変なことになるんだ。

 冷静に考えれば、それも分かるだろ!」

「一体、私は貴方にとって、何なの?」

「お前か?

 お前はなぁ~、俺の寄生虫なんだよ。

 お前は俺に依存しないと生きて行けないんだよ!

 寄生虫なんだ、お前はなぁ!」

「寄生虫…」

「いいか?一晩よく考えてみろ!」

「…………」

 女は翌朝早く高級マンションを出て行った。

 女は軽自動車に乗り、何処を目指す訳でもなく、車を走らせた。

 女は思った。

「離婚したら子供とも会えなくなる。

 私は自分を犠牲にして、子供の将来のためにも、あの人と一緒にいなければならないの…

 私はあの人の寄生虫として一生を送るの…

 私自身、一体、どうして、この世に生まれてきたの…

 愛の無い結婚をして…

 あんな男の娼婦、家政婦のように…

 子供だけが生き甲斐だったのに…

 もうこれ以上生きていても…」

 女は無意識のうちに、恰も死に場所を探すかのように、人里離れた道を進んでいた。

 昼過ぎ、女は山里の喫茶店の駐車場に車を停めた。

 その喫茶店の左奥に小径が見えた。

『名勝の滝』と標識が掲げられていた。

 女は車を降りると、喫茶店には寄らず、滝の方に歩いて行った。

 小春日和の昼下がり

 すれ違う人々は家族連れ、若いカップル

 全ての人々の表情は笑顔であった。

 女は滝壺に着いた。

 風が運ぶ水飛沫を顔に浴びながら、ぼんやりと滝壺を眺める。

 滝壺は青白く聡明な水色に映えていた。

 女は待っていた。

 しかし、滝壺を訪れる観光客の足は絶えなかった。

 女は暫し滝の上の太陽の色を確認し、喫茶店の方へ引き返した。

 女は喫茶店に入った。

 店内はカウンター席と庭園の見える窓側にテーブル席が用意されていた。

 女は店内奥のテーブル席に腰掛け、コーヒーを注文した。

 女は喫茶店で待つことにした。

 小一時間の時が経過した。

 昼過ぎに賑わっていた名勝の滝、午後を回ると訪れる客足も遠のいて行った。

 女がそろそろ腰を上げようとした時だった。

 1人の若い男性が店に入って来た。

 男はカウンター席に座り、店のウェイトレスの若い女と話し始めた。

 常連客のようであった。

「また、来たのね~」

「今日で最後だよ。もう来ない。」

「どうかなぁ~、また、忘れられず、ここに来るんじゃないの?」

「いや、もう、ここに想い出などないよ。

 今日はね、このネックレスを滝壺に投げ捨てるために来たのさ。」

 席を立とうとした女は、ついつい、男とウェイトレスとの話に耳を傾けた。

「そっか!やっと吹っ切れたのね!」

「あぁ」

「〇〇さんみたいな良い男が振られるんだからね、その彼女が結婚する相手って、どんな男なのかなぁ~」

「親の七光りのボンボンのお金持ちさ!」

「そうなんだ」

「あぁ、突然消えたと思ったら、このネックレスを返して来やがったよ!

 これが結婚に邪魔になるんだとよ」

「わぁ!酷いこと言うねえ。」

「相手方は悠所ある家柄なので、彼氏がいた事がバレたらまずいんだってよ…」

「酷い…、愛よりお金で結婚するのね、その彼女は…」

「そうさ、女は結局、最後は金と名誉で相手を選ぶのさ!」

 男がそう言い放った瞬間、女は立ち上がり、会計を済ませ、店を出た。

 女は車に乗り、ハンドルを握り泣きながら、

「違う…、そうじゃない…、違う…、愛のない結婚なんか…、女は…、そうじゃないの…」

 と繰り返し言い続けた。



 
 
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