社宅

ジョン・グレイディー

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第三章

隣人の異変

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 我々夫婦がこの社宅に引っ越して来たのは4月の始めであった。

 門司港からフェリーに乗り、神戸の六甲アイランドに降り立ち、名神高速道路を北上した。

 道中、滋賀県での新しい生活に心を馳せ巡らせていた妻も、社宅の入口、アウシュビッツのような門を潜ると、口を閉ざしてしまった。

 管理人室に行き、鍵を受け取り、5号棟203号室に入った。

 部屋に入った瞬間

 俺は本能的に北部屋の閉ざされた障子を見つめた。

 何となく、「開けることべからず」と言ったオーラを俺は北部屋の中から感じた。

 取り敢えず、荷物は南の寝室に置くことにした。

 引っ越し屋も到着し、荷入れが始まったが、北部屋は閉じたままにしておいた。

 荷入れが終わり、引っ越し屋も帰り、妻が部屋の掃除を始めた。

 妻は掃除をしながら、

「貴方は南の寝室を使って。私は西の子供部屋を使うから」と言い、

「この北側の部屋は…」と言いながら、障子を開けようとする妻の気配を感じた俺は、

「そこは開けるな!」と声を荒げた。

「何?」と妻は驚いた。

「いや、この部屋は霜対策のビニールシートが貼られているから…」と言いつつ、

 俺は、最早、開けざるを得ない状況を堪忍し、

「俺が開けるから。」と妻に念を押し、そっと北部屋の障子を開けた。

「あら、広いわ!押入れも大きいじゃない!」と

 妻が俺の予感と真逆に声を弾ませた。

 北窓ガラスに貼られていた黒のビニールシートは剥がされていた。

 畳も新調され、井草の匂いが漂っていた。

 押入れも開放され、中は綺麗に掃除されていた。

「私、この部屋にしよっかなぁ。押入れも広いし、気に入ったわ!」と妻が言った。

 俺はそれはそれで良いかもと思ったが、何か気にかかる何かを感じていたことから、

「前の人が言うには、この部屋は霜が酷く、寒いと言っていたよ。
九州と違い、滋賀はまだまだ寒いから、お前は南側の部屋が良いと思うよ。」と俺は提言した。

「そうなんだ。じゃぁ、そうする。」と、寒がりである妻は俺の提言に従った。

 俺は改めて黒のビニールシートが外された窓ガラスを睨んだ。

 窓越しに廃墟化した向こう越しの棟の部屋が見えた。

 無人部屋の窓ガラスに貼られた黒のビニールシートが剥がれかかり、風にゆらゆらと揺らいでいた。

 恰も手招きをするように…

 その時

 俺は感じた。

 開け放された押入れの中から、冷たい空気を…

 矢のような寒気が放たれ、俺の側頭部を刺したように感じた。

 何かが俺の中に入り込んだような…、そう感じたのだ。

 こうして、社宅での生活が始まった。

 2週間が過ぎるまでは、特段、問題はなかったのだ。

 その時はそう思っていた。

 今思えば…

 看過していたのだ。

 奴等からのサインは確かにあったのだ。

 この部屋ではない!

 直ぐ近くの周辺で何かが既に始まっていたのだ。

 引っ越しが終わった週末日曜日、我々は同じ階段の住民に挨拶回りを行った時であった。

 この棟の階段に入居している世帯は我々を含め3世帯であり、半分が空き状態であった。

 入居しているのは、真横の204号室と真下の103号室であった。

 確か、夕方5時を回った頃であった。

 先ずは、お隣の204号室のブザーを鳴らしたが、しばらく経っても応答はなかった。

 仕方なく、下の103号室に向かい、ブザーを押したが、やはり応答はなかった。

 しかしだ。

 外から見ると両部屋とも灯りが付いていた。

 我々は再度、両部屋のブザーを鳴らしたが、ドアが開くことはなかった。

 この時勢、近所付き合いは希薄であり、ましてや、単身者が多いこともあり、この日はこれで終えて帰宅し、次の日から妻に挨拶回りを任せることにした。

 次の日、仕事から戻ると、妻がこう言った。

「やはり隣も下も、何度、ブザーを鳴らしても応答がない。
 下の人は貴方が出た後、出社していた。単身者みたいだと。
 また、下の人の部屋は昼間も電気が点きっぱなしであると。」

 やはり、近所付き合いを億劫にしている感がありありと分かったので、挨拶回りはもうしないこととした。

 その週の土曜日の朝

 部屋のブザーが鳴った。

 妻が玄関を開けると、隣の204号室の者と言う夫婦が立っていた。

 何でも明日引っ越すのでその挨拶に来たのだと言う。

 妻が先週からお伺いをしたけどお会い出来なかった事を告げると、夫婦は何も言わず下を向いた。

 妻は部屋に戻ると、

「変な時期に引っ越すのね。引っ越し代が安くなる時分を待ってたのかしら…、どおりで、ブザー鳴らしても出て来ないはずだわ。引っ越すのに、お近付きになってもねぇ~」とぼやいた。

 そして、変なことを言った。

「あのね。玄関を開いた時、匂ったの!」

「何が?」

「下から線香の匂いが!」

 そう言うと、妻はベランダの窓ガラスを開けた。

「ほら!匂うでしょ!」

 開かれたベランダの窓から外気に混じって線香の匂いが部屋に入り込んで来た。

「下の人も変わってるのね。今時、線香を炊くなんてね。単身なのにね…」と言いながら妻は窓を閉めた。

 隣人の退去、そして隣人の線香

 直接ではなく、間接的に事が起こっていたのだ。

 次の週、3週目にその意味がはっきりとする。

 最初の標的は俺だった。

 奴等の存在を直感的に猜疑していた俺に向かって、奴らは喰い付いて来たのだ…
 

 
 
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