憤慨

ジョン・グレイディー

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第二十三章

巨大地震は、因縁と幻想の過去を引き連れて来た、鬱と共に…

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 巨大地震の恐怖。

 1週間経っても震度5を超える余震は鳴り響く。

 会社建物は、国土交通省の応急検査が終わり、建物の崩壊の危険性は無いと診断された。

 しかし、九階建ての建物は一階と二階しか機能せず、三階から上は立ち入りが禁止されていた。

 4月18日、俺は二階の部署に入った。

 部屋の中は、天井の一部が崩壊しており、部屋に入る職員にはヘルメットの着用が義務付けられた。

 ヘルメットを着用していても、怒涛の如く鳴り響く雷鳴のような余震の揺れには、それも虚しい措置に思われたが…

   40名の職員の内、本日、出社したのは15名程であった。

 今期、新入社員として配置された3名は、他県の実家に戻り、それっきりの状態であった。

 再任用の年寄連中は、地震当日から連絡の付かないままであった。

 これら年寄りは被災したというよりは、危険を冒してまで勤務する意欲はなく、自己の身の回りの片付けに専念していたようだ…

 他の出勤できない社員。

 被災した者は居ない。

 小さい子供の育児等の理由がある者も居る訳ではない。

 皆、水が出ないや、車の修理や、家の片付け等々、勝手な理由を装い、余震の中、自宅で安全に息を潜めていた。

 こんな有事が興った際、人間の本性が見え隠れして来る。

 平時の時、偉そうに危機管理を宣っていた雄弁な女性課長、その姿は社内にはない!

 部長職の連中の中にさえ、無断欠勤している輩がいる。

 電話を掛けても居留守を使い、ほとぼり冷めてから、執拗に熟考した、もっともらしい言い訳の電話を掛けて来るつもりらしい。

 それ見たところか!

 いざと言う時に、肝心な時に、狡猾な狐共は、穴蔵に姿を晦ます!

 大したもんだ!

 その厚かましさには畏れ入る!

 一体、どの面下げて、後々、出社して来るのか!

 心配はない。

 コイツらは、本能的に損得勘定で行動する。

 厚顔無恥な連中だ!

 恐らく、何事をなかったかのように、平然と姿を現すのだ!

 さて、分かっていた事ではあるが、俺はあからさまな狡猾なコヨーテ野郎共の行動に些か憤慨した!

「この難局、この地獄、この戦場、この要員で何をどうするのか?不動産会社とし、顧客の家屋の検査をこのまま行政任せにするのか?何てこった!腰抜け野郎が!」と

 俺は怒りのあまりに、自然と脚は支店長室に向かっていた。

 俺は逃げる奴が一番許せん!

 戦場と化したこの社屋…

    誰かがやれば良い…、誰かがしてくれるだろう…、私は無理だから…、私は私で大変なんだから…、私にはできない…

 勝手に調子の良い理屈を並べ、被害者面しやがって、敵前逃亡する輩!

 敵前逃亡どころか、味方を裏切り、味方を戦地に残したまま、何言わず、無言で去っていく輩!

 残された者の心中など屁の突っ張りにしかならぬと言うが如き、無常無情に姿を晦ます卑怯な輩!

 支店長室に向かう俺の脳裏には、この地震に怯え、逃げ去った者共以外に、俺の過去、俺の怒りのアーカイブに保存されている怨念の連中!
 過去、俺を侮辱した者、過去、俺を騙し、俺を裏切った者、過去、俺を貶め、俺を陥れた者、それら、過去の因縁者の面が浮かび上がって来た!

 俺は支店長室のドアをノックせずに開き、無能の部長連中がおどおどと口先だけの協議をしている最中の無駄な空気を切り裂き、開口一番、こう意見した。

「支店長、これから顧客ファイルを確保するために、3階の書庫室に入室します。社員2、3名を同行させます。」と
 
 支店長は、臆病な部長共を退室させ、俺にこう言った。

「〇〇課長、君の進言は御もっともだ。顧客ファイルの確認をし、いち早く、顧客建物の状態を現地確認する必要がある。
 ただ、今、その点を含め、本社からの指示を待っている。もう暫く、待機して居てくれないか。」と

 俺は怒鳴った!

「この期に及んで本社指示待ちですか…、一刻の猶予もないんですよ!被災者は、公費解体申請を出し、いち早くの再興を願っている。顧客のケアーは今なんですよ!必ず再建築できる、必ず倒壊しない建物を建てる、必ず復興するといった支援をすべきなんです!
 行政任せの時期を指を咥えて待っている場合ではないんですよ!
 我が社も危険に脚を突っ込まないと!
 本社指示?
 本社の奴らに、被災者の何が分かる?
 本社を当てにしてどうするんだ!」と

 俺の怒号は、崩壊しかかった社屋中に響き渡った。

 支店長室に臆病者達が駆け寄った。

「〇〇課長、この有事は組織として対応するのが基本ですよ。」

 腐れボンボン部長が、俺の一番嫌いなマニュアル言葉を発した。

 俺はそいつを睨みこう言った。

「こら!腐れ!お前、3階に行けるか?おい?こら!俺に着い来れるか?天井が崩壊した3階に行けるか?おい?」と

 そいつは下を向いた。

 俺は呆れてこう言った。

「まさか、お前、怖いのか?大事な顧客ファイルが燃えて無くなるかもしれないんだぞ!本当はなぁ~、上に職ある者の使命なんだぞ!危険な所に突っ込むのは、上の責任なんだぞ!」と

 臆病部長は慌てて、こう言った。

「〇〇課長、私はそんな事は言っていない。ただ、組織として、本社の指示を仰ぐのが当然だと言ったまでです。」と

 俺は支店長を見遣り、こう言った。

「有事に臆病者は要らない!有事に井戸端会議は要らない!有事に腰を抜かした雑魚は要らない!

 よーく分かった。

 アンタらの指示など要らない。

 俺も組織色に染まっていたよ。

 平和ボケだ。

 いいか!

 俺は今から3階に行く!

 顧客のファイルを確保しに行く!

 俺の邪魔はするな!

 いいか!

 俺の邪魔は絶対にするなよ…」と

 俺は支店長室を足早に退室し、総務課のキーBOXから3階書庫の鍵を抜き取り、裏階段から3階へと向かった。

 その途中、会計課の倉庫に寄り、ランタンを一つ翳し、真っ暗な3階へと入室した。

 3階書庫に通ずる廊下を、ランタンの弱い光が、安全確認には程遠い、俺の足元だけを照らした。

 そのぼんやりとした光の中に、飛び散ったガラス破片等が存在を光らせていた。

 俺は3階書庫の扉ドアノブに鍵を差し込んだ。

 そして、鍵を回そうと指に力を入れた瞬間に、ドアが自然と開いた。

 俺は驚き、一歩二歩、暗闇の中に足を踏み入れた。

 すると、暗闇の中で、蛍のようにランタンの光が数個見てとれた。

 俺は思った。

「逃げる奴ばかりではない」と

 既に俺が入る前に、数名の社員が顧客ファイルを確保しに来ていたのだ。

 暗闇の中で火花がバチバチと鳴っていた。

 俺はランタンをその火花の方に向けた。

 そこには、天井から崩落した電灯が、散乱した書類の上で火花をあげていた。

 恰も泥沼に潜む電気ウナギのように、その危険なアラートを発していた。

 その向こうには、ランタンを片手に、書棚から飛び散った顧客ファイルを一つ一つ確認しながら、整理をしている社員の姿があった。

 誰だか分からない。

 そんな事どうでも良い。

 誰であるかは必要ない。

 勇気ある者が居ただけで、俺は満足であった。

 俺は書庫内の最後方のブースに向かった。

 そこも天井から崩壊した電灯が電気ウナギのように火花を立て、近寄る者にバチバチと警戒音を発していた。

 俺は他の社員と同じように、散乱した顧客ファイルを一つ一つ確保していった。

 その時、俺の脳裏からは、先程、表出した過去の裏切り者、過去の卑怯者、過去の侮辱者は消え失せようとしていた。

 その画像が、消え失せる瞬間、

「ドォドォ~」と激しい余震が興り、

 天井から見えない土煙が降り注ぎ、目の前の電灯はバチバチと更に火を熾した。

 俺はたじろぎ、壁に背をもたれた。

 そして、天井を見遣った。

 天井に穴が見えた。

 暗闇に更に暗い暗闇が見えた。

 底無しの暗闇が見えた。

 その中に一つの顔が見えた。

 その顔は、下を向いて微笑んでいた。

 崩落した電灯の火花を線香花火を興じているかのように…

 その顔…

   俺を裏切った恋人の顔であった。

 何も言わずに消えていった恋人の顔であった。

   最も思い出したくない顔であった…

 俺は思わず叫んだ!

「何がそんなに嬉しんだよ…、何がそんなに楽しんだよ…、俺が苦しんでいることがそんなに愉快なのか…、腐れ女!」と

 最悪の時に最悪の記憶が蘇った。

 巨大地震が俺の最悪の記憶を暗黒の底から動かし始めた…

 危険から逃げ去った人々

 自己を守るために、自己の都合で、遺された者の気持ちを微塵も感じない、保身の餓鬼

 危険から…

 その時、俺は感じた。

「そっか、俺は危険なんだ…、この地震と同じなんだ。この崩落した電気ウナギのような電灯と同じなんだ…、俺は危険物なんだ…、だから、俺から皆、消え去る…」と

 この先、俺に対し、地震と共に、俺の最大の敵であり、最大の武器でもある、「鬱」が本領を発揮して行くことになる。

 過去の因縁、幻想を引き連れて…
 
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