上 下
15 / 21
番外編2 閨講義と猥談と

第一話 憂鬱な閨講義

しおりを挟む
 ゲルプ王国第三王子バルドゥールは執務机に肘をつき、大きな両手で顔を覆って唸っていた。

 バルドゥールはいずれ、ガルボーイ王国女王となるアンナの王配になる身である。
 婚約すら交わしていないが、それは決定である。

 その決定事項はバルドゥールの中でだけ有効なのだが、まあゲルプ王国王族に限って言えば、この末っ子王子の一途な恋心は微笑ましく見守られていたので、よほどの政治的需要がない限り、政略結婚を第三王子バルドゥールに求めようと考える者はいなかった。

 そして王配に最も求められることといえば。女王に子胤こだねを託し、次代を繋ぐことである。
 まぁ有り体に言えば、女王たるアンナを抱いてはらませろということである。

 バルドゥールはこれまで、愛するアンナに操を捧げんと、娼婦や未亡人との火遊びは勿論、王族ならばほとんど義務であるねやの講義でさえ、実技を避け、机上の講義のみで済ませてきた。
 が。

 ――先日の、アーニャのあの事故ラッキースケベへのあの反応……。もしかして、僕はアーニャを悦ばせることができないのではないか? 勉強しろというのはつまり……。

 まぁ、そんな具合に、ちょっと最低な方向へバルドゥールは悩んでいた。

 バルドゥールの忌避しがちであった閨講義の行われる予定の今日。ウンウンと悩む主を前に、侍従は冷めた目を向けていた。

 ――またこの方は、どうでもいいことを悩まれていらっしゃるのだろうな。

 侍従からすれば、あでな色香タップリの美貌を誇る未亡人が閨の講師だなどと、こちらから金を払ってでもお願いしたいくらいだ。
 手取り足取り、そのたくみな技術を自らの体に施され、また女を悦ばせるテクニックまでご教授いただけるなど、控えめに言っても天国に違いない。
 それなのに目の前の主であるバルドゥールは、愛するアンナ王女という存在があるのに、他の女の肌に溺れるわけにはいかぬ、とストイックというよりも、ただの阿呆としか思えぬ主張を掲げ、つっぱねているのである。

 だいたい王族が子孫を残すことは義務なのだから、閨に通じてくれなくてはちょっと困る。
 対する女性側とて、無闇に欲望のまま進まれても、破瓜はかの痛みが増すだけであろう。
 閨に慣れぬ男が初めての快楽に自制を失くし、女の体をむさぼるに終始する初夜など、それこそアンナ王女の信頼に背き、失望を与える行為に違いない。
 初夜が心的外傷トラウマとなって、その後の夫婦生活に支障をきたすようであれば、本末転倒である。

 とまぁ、建前は色々あるが、低俗で正直な本音としては、王族の義務という最高の言い訳つきでイイ女を抱けるというのに、それを突っぱねるバルドゥールが鼻持ちならなん、ということに帰結する。

 ストイックというより、そもそも男としての欲望がないのかもしれない。口にするのもおそれ多いが、もしや不能なのかも。
 そう思えば、侍従のモヤモヤとした胸の内はスッとした。

 ――そうだ。このお方はきっと不能なのだ。

 バルドゥールに知られれば、不敬として首を刎ねられかねないが、まぁ、心の中で何を思おうが、それは侍従の勝手であった。
 年上の頼れる男として穏やかに微笑み、バルドゥールに問いかける。


「殿下、どうなさいましたか?」

「……閨の講義なんだけど」


 バルドゥールは沈痛に耐えるような表情で切り出す。


「はい。いかがなさいましたか?」

「今日も机上のみで済ませたい……と考えていたんだが……」


 はあーっと重い溜息をつくバルドゥール。これほどまで閨の実技をいとうとは。侍従はやはり主は不能なのだ、とひっそり胸の内で同情した。


「その前に急ぎ、兄上達と姉上の意を仰ぎたい」

「はっ?」


  閨講義の憂鬱から飛んで、突然、脈絡もなく兄王子姉王女の招集命令を発するバルドゥールに意表をつかれ、侍従は間抜けな声を漏らす。
 バルドゥールはそんな侍従を気にもせず、ぐしゃりと前髪をやや乱暴な手つきで掻きあげる。


「兄上姉上の今日の予定は、何もなかったはずだ。あいつら、三人でチェス大会を開催すると言ってたからな。なんで僕は誘われないんだ……」


 ――それはおそらく、殿下の打たれる手があまりに単純で、対峙し甲斐がない退屈だからだと思いますよ。

 侍従は慈悲に満ちた微笑みを浮かべてバルドゥールを見つめると、率直に思い浮かんだ感想を飲み込んだ。
 バルドゥールの進める駒はあまりに真っすぐ過ぎる。
 バルドゥールは、決して論理的思考力がないわけではない。王子として及第点をつけられるくらいには、そこそこ優秀だ。

 だがバルドゥールは何かを犠牲にする、という行為や思考を嫌う。出来ないわけじゃない。ガルボーイ王国王女アンナにおいては、その例外が発揮されるし、アンナを守るためならば、バルドゥールとてなにがしかの犠牲に目をつむるに違いない。

 だから出来ないわけじゃない。しかし嫌うのだ。

 バルドゥールは盤上の駒を己の部下に見立てている節がある。
 だからバルドゥールとのチェスはつまらない。対峙する側としては、バルドゥールの性格をよく知らなければ、馬鹿にされているようにすら感じる。

 ――殿下が将軍として軍を率いられたら、我が国の軍は壊滅間違いなしでしょうね……。

 学園卒業後は軍務に就くバルドゥールだが、侍従は心優しい主が、その役目に向かないことを知っている。だからバルドゥールが軍務に就く前に、早くガルボーイの内乱が収まって欲しい。
 
 ――この方を外征に向かわせたくない。

 侍従はバルドゥールとガルボーイ王国王女アンナとの婚姻を心から願っている者の一人だ。


「兄上姉上はおそらく、王太子応接室に集っている。僕が参入したいということ、そして相談があることを伝えてくれないか」

「かしこまりました」


 一体何を相談するのか。もしや閨講義についてか。
 侍従はそこはかとなく嫌な予感を胸に抱きつつ、主の命を受けすぐさま行動に移した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...