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第一章 ダフネはアポロンに恋をした

後日談2 ビューティフルマンデーナイト

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「今日も遅くなって、マジでごめん……」

 今日は月曜日。だから遅いもなにも、あまり早い時間では、あたしは仕事をしていて通話はできない。時差があるのだから。そのことに男は気がついていないようだった。
 疲れ切ったような男に目を向けると、その背後に人影。肩越しに、中東系の濃く彫りの深い男性の顔があった。
 その彼と目が合う。

「Hi, I'm Erick. Glad to see you!」
「H-h-h-hi! I'm...」
「Whoa! Stop right there!」

 男の大声でさえぎられ、緊張して焦った心臓をなでおろす。あたしの英語力では、定型文そのものの挨拶ひとつ交わすのも、いっぱいいっぱい。中東系の男性は、とてもゆっくりとしゃべってくれていたけれど。それでも。
 画面の向こうでは男が相手の男性の胸元に腕を押し当て、画面から追い出そうとしている。二人は早口で言葉を交わし、あたしにはさっぱり聞き取れない。最初から諦めきった怠惰なあたしの耳が拾う単語は男の「My girl」。
 二人の間で決着がついたのか、げっそりした顔で男がこちらに向き直った。

「悪い。こいつが全然離れてくれなくて。そんで遅くなったんだけど……」
「ううん。いいよ。でもあたし、英語わかんないよ?」
「いや、おまえはしゃべんなくていいから。ただ、その、こいつがさ」

 めずらしく歯切れの悪い男に首を傾げる。すると一度画面から消えていた中東系の男性が「Whooooa!」の大絶叫とともに戻ってきた。そこからまくしたてられる早口の英語。

「えっ、えっ? なに?」

 男はFワードで舌打ちすると、またもや怒鳴りあい。というより、一方的に男が怒鳴って、相手はからかうような抑揚で返している。
 ああ、これは日本にいる彼女の顔が見たい、とかそういった類のことなんだろうと見当をつける。
 男のこの顔。日本人には珍しい体格のよさ。
 認知されてはいないけれど、男の父親はアメリカではそこそこ有名なロックバンドのギタリストで、よく似ているのだ。日本人のあたしから見て、ということにはなるけれど。
 でも以前、男とともにクラブに行ったとき、男はよく声をかけられていた。日本人女性だけでなく、あきらかに人種の異なる女性からも。彼女たちはみな、男の容姿を褒めた。

「……とりあえず、おまえの顔見たから満足したって。悪いな……」

 大きなため息をつく男の頭越しに、中東系の男性が陽気に手を振っている。ぎこちなく笑顔を引きつらせながら手を振り返す。
 彼はにっこりと笑い、なにかを口にした。きっとゆっくりしゃべってくれている。けれど、彼の位置からは遠いマイクが彼の声をうまく拾わず、そしてあたしには彼の口元の動きと、途切れ途切れに耳にした英単語を組み立て、なんていったのか? と想像することはできない。
 男に目をやると、無表情で男が口を開く。

「『最後に質問。あなたのとくべつな映画はなんですか』」
「とくべつな映画?」
「ああ。べつになんでも。てきとうに答えれば帰るってさ」

 だからなんでもいいから、はやく。
 そんな声が聞こえてきそうな顔をして、男が答えを促す。

 とくべつな映画。
 そう言われると、考えてしまう。
 あたしと男を最初に繋いだのは、『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』だ。男が駅前路上でへたくそなギターを弾きながら歌っていた。そこであたしが一万円札を投げた。第一志望の大学の合格発表の日で、あたしは見事に不合格だった。そんな帰り道のこと。
 それから再び巡り合って、セックスのあとに男が『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』を歌ってくれて。
 そして、男のお母さんに殴られたのも、『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』のせい。
 映画『カサブランカ』の主題歌。だけど、『カサブランカ』そのものは、特に思い出でもなんでもない。父が好きなだけ。あのクッサイ台詞とともに。
 やっぱり、全然『とくべつ』じゃない。『フクザツ』ならばまさしく、だけど。

「『ライフ・イズ・ビューティフル』かなあ」
「え? なんで?」

 男がキョトンと目を丸くする。
 だっておまえ、それ、昨日暇つぶしに観ただけだろ。
 そんな男の声が聞こえてくるようだ。

「『I give you a lift.』」

 俺がおまえをのせてってやる。
 そう言ってくれたから。

 なるべくていねいに発音した。男に対してだけでなく、男の後ろでニッコリと胡散臭い笑顔を浮かべた中東系の男性に向けて。男の恋人として、『頭の悪そうな発音』と思われたくない。そんな見栄。
 中東系の彼は、笑みを深めて、男の肩口から身を乗り出した。

「We give him a lift!」
「Sorry……?」

 なにか訂正された。
 それだけはわかった。困惑して聞き返すと、中東系の彼はあたしに向かって「You」と言うと、自身の胸に手を当て「and I」とほほえんだ。

「……give him a lift!」

 ビッグスマイル。
 その言葉にふさわしい笑顔で、彼は両手を広げた。

 が、しかし。
 彼の口にした英単語はわかった。しかし、意味がわからない。どうしよう、と画面の端にいる男に助けを求めて横目をやると、男は顔を真っ赤にしていた。





『We give you a lift.』

 後日、男から理由を聞いたところ、give you a liftとは、乗せてやるよ、という意味だけではなかったらしい。
 そして男が伝えようとしたこと。「おまえをノせてってやるよ」から転じての「幸せにしてやるよ」。

 男は中東系の男性に、さんざんシャイボーイだとからかわれたらしい。
 日本にいるときには、あれほど惜しみなく恥ずかしげもなく愛の言葉を囁く男だと思っていたけれど、どうやらロサンゼルス基準では、男はシャイボーイのようだった。
 男は「べつに恥ずかしかったわけじゃねーけど。おんなじような意味だし」と前置きした上で、「そんでも、おまえとのやり取りを、友人に盗み見されて指摘されんのは、やっぱヤだろ」と口を尖らせた。

 そういえば、男も友人だという中東系の彼も。二人ともマスクをしていなかったな、とどうでもいいことを思い出した。





(後日談2「ビューティフルマンデーナイト」了)
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