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閑話 (アラン視点)愛してると何度でも
4 胡散臭いエルフの君
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「コールリッジ!」
教材や筆記用具を鞄に詰め、立ち上がったところで背後から俺を呼び止める声がした。また絡まれるのかと、うんざりしながら振り返る。
「なんだ。エインズワース。俺はもう帰りたいのだが」
拒否の意を隠さず睨みつけると、やつはいつもの如く、からかい甲斐のある玩具を見つけたように、嫌な笑みを浮かべる。
ファルマス公爵令息。
この国の筆頭公爵家である、由緒正しいエインズワース=ファルマス家の三男。
胡散臭いくらいに整った容姿は、黙っていれば整い過ぎて冷酷にも見える。
影では麗しのエルフの君だとか呼ばれている。
体術、剣術、勉学にも優れ、嫌味なくらいなんでも出来るやつだ。だが、性格は褒められたものではない。
だいたい不誠実だ。
こいつの外面に釣られた女性達の間を渡り歩き、あちこちにいい顔をして、その場限りの関係に興じている最低男だ。
いつか刺されるのではないかと見ている。
それを言うと、そんなヘマはしないとやつは快活に笑っていた。疑わしいものだ。
手玉に取っているつもりのエインズワースは気が付かずとも、やつに想いを寄せ、いいように弄ばれた女性の怨みつらみは募っているはずだ。
軽薄な遊び相手しか選ばないというが、そんなものはそれこそエインズワースの預かり知らぬこと。
エインズワースに目をかけてもらいたいばかりに、あえて軽薄に装う女学生をいくらでも見た。
「そう言うなよ。コールリッジ。君、飛び級制度を使うんだって?」
なんで知っているんだ。
ムスッと口を曲げると、エインズワースは役者のように両手を大仰に広げた。
「勿体ない!君と僕とが揃えば、この学園中の女生徒全てを魅了することができるのに!」
バカバカしい。まだそんなことを言っているのか。
「俺には婚約者がいる。不誠実な真似はしない。婚約者がいなくても、そんなつまらないことに乗る気はない」
エインズワースのくだらない女遊びに付き合ってたまるか。やつの提案を唾棄すると、エインズワースは肩を組んできた。
お綺麗な顔が鼻先まで近づいてきて、とても気色悪い。眉根を寄せると、教室の片隅から女生徒の悲鳴があがった。
「生真面目だな、コールリッジ。だがいいか? 僕達はこの学園を卒業すれば、いよいよ魑魅魍魎たる腐った貴族社会に足を踏み入れるのだぞ。僕達の自由はこの学園にいてこそ! 今のうちに遊ばず、何をする!」
エインズワースの鬱陶しい腕を払い除け、睨みつけた。
「学園は学びの場だ。俺にとってはな」
エインズワースは額に手を当て、悲しそうに眉を顰める。いちいち芝居がかった表情の似合うやつだ。
「それだけではないだろう、コールリッジ。僕達は顔を繋ぐことも使命だ」
それはやつの言う通りだ。
「だがコールリッジ。君はこの学園で勉学に打ち込むだけで、少しの交流を持とうともしない! これで君は、社交場で人脈を築けるとでも思うのか?」
拳を握りしめる。エインズワースの指摘する、俺の社交性のなさは自覚しているのだ。
「僕は公爵家の三男だからね。気楽なものさ。エインズワースの名を出せば、皆それなりの姿勢を見せるが、僕の行く末は、騎士爵がいいところ。エインズワースの力に預かりたいやつらは僕に擦り寄ってくるが、内心道楽息子の昼行灯だと嘲っていることは知っているよ」
思わずエインズワースの顔を覗き込むと、享楽しか映していないかと思っていたその目は、鋭い猛禽類のように野心に満ち、そして他者を見下し切り捨てる冷酷さも滲んでいた。
「お前もやはり、エインズワース一族の一人ということか」
「そりゃあそうでしょ。僕がただ好きでこんなことをしていると思っていたのかい?」
エインズワースが肩を竦める。しかし騙されないぞ。
「お前のそれは、趣味と実益を兼ねているんだろ」
エインズワースが悪戯っぽく片目を瞑った。
「楽しみもないとね」
それが本心だろう、と思うが、エインズワースの言いたいことはわかった。
「だが、俺がお前に協力する筋合いはない。俺は一刻も早く、卒業して爵位を継がねばならない」
そしてあの男を領地に押しやり、メアリーの足場を作る。早く俺から解放してやらなくてはならない。
メアリーがデビュタントを迎えるのは来年だ。その時に俺が隣に居てはならないのに、間に合いそうにない。
拳を握りしめると、エインズワースはまたもや愉しそうに笑みを浮かべた。
「君の大事な真珠姫のためかい?」
「彼女を汚らわしい名で呼ぶな」
エインズワースは目を丸くした。
「真珠姫というのが? 君の婚約者、メアリー嬢だっけ? 彼女が美しいと褒め讃えているだけじゃないか」
何を白々しい。こいつが社交場に流布する噂を知らぬ筈がない。目を眇めると、エインズワースは呆れたように嘆息した。
「コールリッジ、君。ちょっと過敏に過ぎるのではないかな。確かに君達の婚約には醜聞がつきまとうし、口さがない者達に槍玉に挙げられることもあるだろう」
メアリーを侮辱するつもりなら、たとえエインズワース家の者だとしても許さない。
エインズワースは眉を顰めて半目になった。
「だからそんな目で見るなよ。君、狭量すぎるぞ」
「何が言いたいんだ」
エインズワースはやれやれ、と嘆息した。
「何も社交場に集うのは、魑魅魍魎だけじゃないということさ。君達の置かれた境遇を気にかけ、同情する者もいる。それをうまく使わないでどうする? 他の者達にはない、君達だけしか持ち得ないアドバンテージなんだぞ。デメリットだけを見るなよ」
エインズワースの言うことは最もだ。俺はメアリーを守りたいと思うがあまり、視野狭窄だった。エインズワースくらい、強かであらねばならない。
黙りこくる俺に、エインズワースは肩を叩いた。
「それに君のメアリー嬢。大層美しいそうだね? 真珠姫と呼ばれ始めていることに、君は不快のようだが、彼女の評判は何も、ご母堂に揶揄されているだけじゃない。メアリー嬢自身の美しさとその将来性を期待する声が高いのさ。ご母堂がかの様だったからこそ、当代の麗しの真珠姫は、どうだろうってね」
そこに集う好奇心には、単純な興味と悪戯心、そして悪意や憎悪が混じる。だが元来社交場とはそういうものだ。
「つまり、君達だけがさほど特別だというわけでもない。コールリッジ、君は何をそこまで頑なになっている?」
客観的に見れば、エインズワースの言う通りだ。応えが思いつかないわけではない。
だがメアリーの心をエインズワースは知らない。傷ついた心は当事者にしかわからない。メアリーは強く賢い女性だから、きっと毅然と社交場でも振る舞うだろう。しかしその心が傷を負っていないわけではないのだ。
周囲から愚鈍だと頑固で融通の利かない偏屈者だと判じられようが、構わない。
俺はメアリーを守りたいだけだ。
「だが、それでも俺は即刻爵位を継ぐ」
「……そう。残念だな。卒業式まであと一年もないのか」
「ああ。来学期には最終学年に編入する。あとは卒業するだけだ」
「まさか学園を一年足らずで卒業するとはね」
エインズワースは眉尻を下げて微笑んだ。それまでの芝居がかった笑みとは違う、年相応の少年らしい顔だ。
思わず目を瞠る。
「本当に残念だ。せっかく心許せる友人ができるかと思ったのに」
これはエインズワースの本心だろうか。
「……在学していなくとも、付き合いは出来る」
エインズワースは目を瞬いた。
「君が?見かければ勉学や剣術に打ち込むか、忙しなく領地と王都を往復しているだけの君が?まさか学園外の私的な時間に都合をつけて、メアリー嬢以外の者とも交流を持ってくれるのかい?」
嫌味か、と睨みつけるも、エインズワースは心底驚いている様子だ。
思わず眉間に皺が寄る。
「エインズワースの物事の捉え方は、視野の狭い俺に新しい道筋を示す。つまり、お前と話すことは、俺も楽しい」
エインズワースは目を見開くと、それから無邪気な少年のように顔をくしゃくしゃにして笑った。
昔、メアリーが俺に笑いかけてくれたときのような、何の下心も隠し事もない、純粋な好意だけが見えた。
教材や筆記用具を鞄に詰め、立ち上がったところで背後から俺を呼び止める声がした。また絡まれるのかと、うんざりしながら振り返る。
「なんだ。エインズワース。俺はもう帰りたいのだが」
拒否の意を隠さず睨みつけると、やつはいつもの如く、からかい甲斐のある玩具を見つけたように、嫌な笑みを浮かべる。
ファルマス公爵令息。
この国の筆頭公爵家である、由緒正しいエインズワース=ファルマス家の三男。
胡散臭いくらいに整った容姿は、黙っていれば整い過ぎて冷酷にも見える。
影では麗しのエルフの君だとか呼ばれている。
体術、剣術、勉学にも優れ、嫌味なくらいなんでも出来るやつだ。だが、性格は褒められたものではない。
だいたい不誠実だ。
こいつの外面に釣られた女性達の間を渡り歩き、あちこちにいい顔をして、その場限りの関係に興じている最低男だ。
いつか刺されるのではないかと見ている。
それを言うと、そんなヘマはしないとやつは快活に笑っていた。疑わしいものだ。
手玉に取っているつもりのエインズワースは気が付かずとも、やつに想いを寄せ、いいように弄ばれた女性の怨みつらみは募っているはずだ。
軽薄な遊び相手しか選ばないというが、そんなものはそれこそエインズワースの預かり知らぬこと。
エインズワースに目をかけてもらいたいばかりに、あえて軽薄に装う女学生をいくらでも見た。
「そう言うなよ。コールリッジ。君、飛び級制度を使うんだって?」
なんで知っているんだ。
ムスッと口を曲げると、エインズワースは役者のように両手を大仰に広げた。
「勿体ない!君と僕とが揃えば、この学園中の女生徒全てを魅了することができるのに!」
バカバカしい。まだそんなことを言っているのか。
「俺には婚約者がいる。不誠実な真似はしない。婚約者がいなくても、そんなつまらないことに乗る気はない」
エインズワースのくだらない女遊びに付き合ってたまるか。やつの提案を唾棄すると、エインズワースは肩を組んできた。
お綺麗な顔が鼻先まで近づいてきて、とても気色悪い。眉根を寄せると、教室の片隅から女生徒の悲鳴があがった。
「生真面目だな、コールリッジ。だがいいか? 僕達はこの学園を卒業すれば、いよいよ魑魅魍魎たる腐った貴族社会に足を踏み入れるのだぞ。僕達の自由はこの学園にいてこそ! 今のうちに遊ばず、何をする!」
エインズワースの鬱陶しい腕を払い除け、睨みつけた。
「学園は学びの場だ。俺にとってはな」
エインズワースは額に手を当て、悲しそうに眉を顰める。いちいち芝居がかった表情の似合うやつだ。
「それだけではないだろう、コールリッジ。僕達は顔を繋ぐことも使命だ」
それはやつの言う通りだ。
「だがコールリッジ。君はこの学園で勉学に打ち込むだけで、少しの交流を持とうともしない! これで君は、社交場で人脈を築けるとでも思うのか?」
拳を握りしめる。エインズワースの指摘する、俺の社交性のなさは自覚しているのだ。
「僕は公爵家の三男だからね。気楽なものさ。エインズワースの名を出せば、皆それなりの姿勢を見せるが、僕の行く末は、騎士爵がいいところ。エインズワースの力に預かりたいやつらは僕に擦り寄ってくるが、内心道楽息子の昼行灯だと嘲っていることは知っているよ」
思わずエインズワースの顔を覗き込むと、享楽しか映していないかと思っていたその目は、鋭い猛禽類のように野心に満ち、そして他者を見下し切り捨てる冷酷さも滲んでいた。
「お前もやはり、エインズワース一族の一人ということか」
「そりゃあそうでしょ。僕がただ好きでこんなことをしていると思っていたのかい?」
エインズワースが肩を竦める。しかし騙されないぞ。
「お前のそれは、趣味と実益を兼ねているんだろ」
エインズワースが悪戯っぽく片目を瞑った。
「楽しみもないとね」
それが本心だろう、と思うが、エインズワースの言いたいことはわかった。
「だが、俺がお前に協力する筋合いはない。俺は一刻も早く、卒業して爵位を継がねばならない」
そしてあの男を領地に押しやり、メアリーの足場を作る。早く俺から解放してやらなくてはならない。
メアリーがデビュタントを迎えるのは来年だ。その時に俺が隣に居てはならないのに、間に合いそうにない。
拳を握りしめると、エインズワースはまたもや愉しそうに笑みを浮かべた。
「君の大事な真珠姫のためかい?」
「彼女を汚らわしい名で呼ぶな」
エインズワースは目を丸くした。
「真珠姫というのが? 君の婚約者、メアリー嬢だっけ? 彼女が美しいと褒め讃えているだけじゃないか」
何を白々しい。こいつが社交場に流布する噂を知らぬ筈がない。目を眇めると、エインズワースは呆れたように嘆息した。
「コールリッジ、君。ちょっと過敏に過ぎるのではないかな。確かに君達の婚約には醜聞がつきまとうし、口さがない者達に槍玉に挙げられることもあるだろう」
メアリーを侮辱するつもりなら、たとえエインズワース家の者だとしても許さない。
エインズワースは眉を顰めて半目になった。
「だからそんな目で見るなよ。君、狭量すぎるぞ」
「何が言いたいんだ」
エインズワースはやれやれ、と嘆息した。
「何も社交場に集うのは、魑魅魍魎だけじゃないということさ。君達の置かれた境遇を気にかけ、同情する者もいる。それをうまく使わないでどうする? 他の者達にはない、君達だけしか持ち得ないアドバンテージなんだぞ。デメリットだけを見るなよ」
エインズワースの言うことは最もだ。俺はメアリーを守りたいと思うがあまり、視野狭窄だった。エインズワースくらい、強かであらねばならない。
黙りこくる俺に、エインズワースは肩を叩いた。
「それに君のメアリー嬢。大層美しいそうだね? 真珠姫と呼ばれ始めていることに、君は不快のようだが、彼女の評判は何も、ご母堂に揶揄されているだけじゃない。メアリー嬢自身の美しさとその将来性を期待する声が高いのさ。ご母堂がかの様だったからこそ、当代の麗しの真珠姫は、どうだろうってね」
そこに集う好奇心には、単純な興味と悪戯心、そして悪意や憎悪が混じる。だが元来社交場とはそういうものだ。
「つまり、君達だけがさほど特別だというわけでもない。コールリッジ、君は何をそこまで頑なになっている?」
客観的に見れば、エインズワースの言う通りだ。応えが思いつかないわけではない。
だがメアリーの心をエインズワースは知らない。傷ついた心は当事者にしかわからない。メアリーは強く賢い女性だから、きっと毅然と社交場でも振る舞うだろう。しかしその心が傷を負っていないわけではないのだ。
周囲から愚鈍だと頑固で融通の利かない偏屈者だと判じられようが、構わない。
俺はメアリーを守りたいだけだ。
「だが、それでも俺は即刻爵位を継ぐ」
「……そう。残念だな。卒業式まであと一年もないのか」
「ああ。来学期には最終学年に編入する。あとは卒業するだけだ」
「まさか学園を一年足らずで卒業するとはね」
エインズワースは眉尻を下げて微笑んだ。それまでの芝居がかった笑みとは違う、年相応の少年らしい顔だ。
思わず目を瞠る。
「本当に残念だ。せっかく心許せる友人ができるかと思ったのに」
これはエインズワースの本心だろうか。
「……在学していなくとも、付き合いは出来る」
エインズワースは目を瞬いた。
「君が?見かければ勉学や剣術に打ち込むか、忙しなく領地と王都を往復しているだけの君が?まさか学園外の私的な時間に都合をつけて、メアリー嬢以外の者とも交流を持ってくれるのかい?」
嫌味か、と睨みつけるも、エインズワースは心底驚いている様子だ。
思わず眉間に皺が寄る。
「エインズワースの物事の捉え方は、視野の狭い俺に新しい道筋を示す。つまり、お前と話すことは、俺も楽しい」
エインズワースは目を見開くと、それから無邪気な少年のように顔をくしゃくしゃにして笑った。
昔、メアリーが俺に笑いかけてくれたときのような、何の下心も隠し事もない、純粋な好意だけが見えた。
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