【完結】好色王子の悪巧みは魔女とともに

空原海

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第一章

第七話 父国王と母王妃と兄王子

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 ヘクセとの婚姻を一年後に控え、再三に渡って申請していたものを再び願い出るため、コーエンは国王謁見室に出向いた。
 父国王にヘクセとの婚姻はそのままに公爵家婿入りを断りたいことを再度申し出るのだ。

 ヘクセの生家である公爵家からは婿入りを乞われての婚約申し込みだったが、それが上辺だけのものであることはコーエンとて知っている。
 このまま公爵家に婿入りしたところで、平穏に公爵位が継げるとはとても思えない。公爵が所持している税収の少ない領地と他爵位を譲り受け、放逐されるのが関の山。
 それはそれでも構わないが、ヘクセを公爵家から解放してやりたい。
 臣籍降下して婿入りするより王子妃として召し上げる方が、公爵にとっては手出ししにくいことだろう。
 とはいえもとはコーエンの公爵家婿入りを前提として組まれた縁談だったため、父国王はコーエンに真意を問いただした。

「我が婚約者であるご令嬢は公爵の長女ですが、彼女は嫡子としての教育を長年受けておりません。非嫡出子である異母姉がその後継者として扱われてきたと聞き及んでおります。王妃陛下はご存知のことでしょう。王妃陛下、また第一王女エーベルの主催する王宮での茶会に公爵夫人が連れ立つのは嫡出子ヘクセ嬢ではなく非嫡出子である異母姉だと。ヘクセ嬢に至っては、ほとんどの王侯貴族にその存在を知られておりません」

 母王妃が苦い顔をする。
 大概のゲルプ王国王侯貴族同様、母王妃は庶子を貴族とは認めていない。主催する茶会に庶子を参列させた公爵夫人へは大いに反感を抱いている。
 庶子である異母姉とその保護者である公爵夫人が茶会に現れたとき、彼女達の参加を拒否するつもりだった。しかしそれを王女エーベルが招き入れてしまったという経緯がある。エーベルはゲルプ王国の庶子差別を撤廃したいと考えていたからだ。

「我が国では庶子に継承権は与えられませんが、異母姉は扱いの難しいところ。異母姉の生誕当時は、確かに公爵の正妻の子ではありませんでした。ですが公爵の現在の正妻の子でもあるのです。これを考えると、長子にこそ継承権を与えんとする公爵の意向を否定するのもいかがなものかと」

 父国王は嘆息した。玉座の肘掛に肘をつき、顔全体を手で覆う。

「……確かに、あの家の醜聞については私も耳にしておる。だが私としては彼女への処遇を改めさせる意もあり、公爵からの婚約打診を受けたのだ」
「ヘクセ嬢の救済を願われるのであれば、公爵家から離してやることが最善かと愚行いたします」

 母王妃が階下で膝をつくコーエンを冷たく見下ろす。

「お前は王家に先陣をきって庶子を貴族社会へ受け入れさせよと申すのか」
「お言葉ながら王妃陛下。既に王妃陛下の為されたことでは?」

 エーベルが招き入れたこととはいえ、王妃主催の茶会に庶子であるヘクセの異母姉が最後まで居座ったことは事実だ。己の失態を息子に尻ぬぐいさせようなどと、その息子がいつまでも思い通りに動くとは思わないでほしい。
 やや気の弱い国王陛下は王妃の意のままなのかもしれないが、子供はいつまでも母親の傀儡ではない。ゲルプ王国の貴族令嬢であった頃からこの王妃は自らの手は汚さず、また失態も他者に挽回させ、意のままに周囲を動かしてきたのだろう。
 己の行動くらい自身で責をとれ。
 コーエンは壇上の王妃を射抜くように睨みつけた。
 王妃は手にした瀟洒な扇で顔を隠す。やはりこうしてまた逃げるのだ。

「……お前の意志は相分かった。宰相と検討しよう」
「かしこまりました」

 宰相は気の弱く判断力に欠ける父国王を既に見限っている。宰相の忠は既に王太子リヒャードへと移っているのだ。
 コーエンの婿入りは立ち消えたも同然だった。









「『何かある』から予定つけてもらうぜ」

 姿の見えないほど積まれた書類の向こう側。リヒャードが羽ペンで何かを書き記す、しゃっしゃっという乾いた音。目を通した書類を侍従に手渡し分類させている。

「それはいいが、先触れくらい出せ」

 溜息混じりのリヒャードの呆れ声にコーエンは頬を緩ませる。結局優しいのだ、この兄は。

「緊急を要するもんでね」

 二人掛けのソファに踏ん反り返って手を組むコーエンの前に、リヒャードの小姓の一人が紅茶と茶菓子を置く。
 ニカッと笑って「ありがとさん」と伝えると、小姓は礼をして下がった。

「……大方、お前の婚約についてだろう」

 気がつくと執務机で書類と奮闘していたはずのリヒャードは、テーブルを挟んでコーエンを見下ろしていた。腕を組んで眉間に皺を寄せ、威厳に満ちたリヒャードが立ち塞がる姿はなかなか威圧感がある。
 コーエンとは一つしか違わないはずだが、リヒャードには既に王者の風格が備わっていて、昨年バチルダとの華燭の典を挙げてからは、ますますリヒャードの威光は増している。

「わかったー?」

 カップを手にへらりと笑うコーエンに、リヒャードは組んでいた腕を解いた。コーエンの対面に座す。と同時に小姓がリヒャードの前にテイーセットを置いた。
 ゆらりと立ち上る白い湯気がコーエンの鼻先で揺れる。指先の冷えるこの時期、カップの温かさに無意識に手が伸びる。

「公の立場で言えば、コーエンには公爵家に入ってもらいたい」
「俺に乗っ取れって?」
「お前なら出来るだろう」
「ええっ。ちょっと買い被りすぎじゃねえ?」
「何を言う。それくらい出来ずに何が王族だ」
「兄貴はぁ~。ちょっとぉ~。自分基準すぎるっていうかぁ~」

 語尾を伸ばし人差し指を頬に添え、肩を小さく竦めて小首を傾げてみせると、リヒャードのブリザードを伴う氷点下の眼差しを食らう。

「とはいえ、あの家は邪魔だと思っていた。潰すのにいい機会だとも」
「うわあ。いきなり苛烈」
「お前が公爵となり諸々の事情を清算し、なおかつ親族寄子の家々を纏め上げれば、起こりうる犠牲も反発も私怨も少なく、貴族どもの均衡も崩れず最も平穏ではあるが……」

 リヒャードの琥珀色の目がコーエンの灰青色の目をひたりと見据える。目を離そうにも離せない。
 ニヤリとリヒャードの口の端があがる。コーエンは目を丸くする。
 為政者としての余裕の笑みではなく、少年じみた悪戯な笑み。コーエンがエーベルにリヒャードに仕掛ける悪戯を思いついたときのような。エーベルがコーエンの提案を受け入れる時のような。見事悪戯に掛かって、憤慨したあとのリヒャードが仕返しを思いついたときのような。
 三人のきょうだいがまだ王子王女の庭園で遊んでいたとき交わした、あの懐かしい笑み。

「この国に公爵は一人でいいとは思わんか?」
「……それは公の立場じゃ言えねえなあ」

 後方へと丁寧に撫でつけられた濃い金の髪にぐしゃりと手を入れると、リヒャードは快活に笑った。そして「少しの間、下がっていろ」と侍従と小姓へ命じ、王太子執務室にはリヒャードとコーエンの二人になる。
 閉じられた扉を見送ると、コーエンは肩を竦めた。

「これ、意味あんのか?」
「なに。私がお前と二人で語らいたかっただけだ」
「熱烈!」
「そうだとも。さてコーエン。お前の考えを聞かせてくれ」

 これは逃げられそうにない。コーエンは腹を括ると同時に腹の底から湧き上がってくる興奮に頬が緩む。目の前には鋭い眼光で見据える兄。

「そんじゃー。遠慮せずにお願いしちゃおうかなっ」
「ああ。どんとこい」

 不遜に口の端を上げるリヒャードに、コーエンは灰青色の目をきらきらと輝かせ、両手を合わせた。パンっと乾いた音が響く。

「んじゃ、これだけは絶対。ヘクセは連座にしねぇと約束してほしい」
「当然だ」
「ってことは、フリズスキャールヴ王国との関連は公にはしねぇってことか?」
「仕方あるまい。そこを追求すれば、外患罪は免れん。一族郎党処するしかなくなる」
「んじゃ、どこを攻める?」

 ニヤニヤと意地の悪い笑いが腹の底からせり上がってくる。
 ヘクセが散々受けた仕打ち。どこをどう突つくか。ヘクセには罪を一欠片も与えずに、どこまで断罪できるのか。

「彼の国がどれほどこちらの事情を把握しているかだな。小手調べにおまえの婚約者を切り捨てることに、なんら抵抗がないと示唆するとするか」
「……そこんとこ、交渉は兄貴、よろしくな。俺、引っかかちまうかも」
「何を言うか。おまえには矢面に立ってもらうぞ」
「えええ~。自信ねぇなぁ~」

 嫌そうに顔を歪めるコーエンに、リヒャードは片方の眉を上げた。

「なに。おまえが失敗すれば、公爵家とその一族郎党、処するだけだ。我が国として不利益はない」
「やるよ! やりゃーいーんだろっ!」
「うむ。期待しているぞ」

 やけになって声を上げるコーエンに、リヒャードは愉快そうに笑った。

「大丈夫だ。人の機微を読む能力は、おまえが最も優れている。いつもの調子でうまくやれ」

 機嫌よく励ますリヒャードに、コーエンはぶすくれて、ぼそりと呟く。

「……そりゃ、まぁ。『見れば』いいだけだからな……」
「何か言ったか」
「うんにゃ。そんじゃまぁ、まずは相手さんの小手調べと、公爵んとこの洗い出しかね」
「そうだな。まぁ、新たに判明することなど、この碁に及んでないだろうが。再度調査を入れよう」
「俺の方ではニヒト使うわ」
「頼んだ。私は公安調査庁長官にかけあおう」



 それはリヒャードとコーエン二人で策を練り、盤上で一駒ずつ勧めていくチェスのような。
 自国と他国と、均衡を保ちながらもいかにこちらが優位に立てるか。互いのウィークポイントを隠しつつ、目的を遂げていく。

 冬間近の冷たく吹きすさぶ風が窓を打ち、散った葉や折れた小枝が空を舞う。執務室の窓からは曇天に覆われた鉛色の空。光は射さない。
 リヒャードとコーエンの間で交わされる一つの企み。光となるか影となるか。
 二人はただ、仲の良い兄弟として存分に笑いあった。


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