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第一章
プロローグ
しおりを挟むまーったく。あいつら好き勝手言いやがって。
ゲルプ王国第二王子コーエンは、先程まで兄王太子リヒャード、姉第一王女エーベル、弟第三王子バルドゥールと、猥談を交わしていた。弟の第三王子バルドゥールが、突然閨授業の是非について相談してきたからである。
兄姉弟達と騒いでいた王太子応接室を辞したばかり。
コーエンは頭をガシガシと乱暴に掻く。溜息をついて、自らの住まう離宮に向かおうと、王城の廊下を進む。今頃はコーエンの妃であるヘクセも、侍従とともに、城下より戻っている頃だろう。皆への土産も、たんまり買ってきているに違いない。
コーエンの離宮、別名『色欲の塔』は、ヘクセとその情夫である侍従を筆頭に、コーエンの抱える愛妾と、その夫に親族といった大所帯。
『色欲の塔』に住まう者は皆、コーエンとヘクセの家族であり側近であり護衛である。『色欲の塔』とは名前負け。愛欲に耽溺する臣下はいない。ヘクセお気に入りの褐色の恋人も、この『色欲の塔』でヘクセと愛を交わすことはない。
コーエンは厩舎に繋いでいた自身の愛馬の手綱を手にする。愛馬はぶるり、と鼻先を天に向け、栗毛色の鬣が朱に染まった空に舞った。
「よーし。いい子だ。そんじゃあ、俺をのせてくれよ」
コーエンはひらりと鞍に跨ると、愛馬の腹を軽く蹴った。愛馬は嘶いて軽快に走り出し、コーエンの頬を生温い風が撫ぜていく。
王城を抜けんとするコーエンの後ろを、ピッタリと付き従う彼の侍従。そして護衛騎士。三騎は陽が地平線に沈みきる前に、彼等の住まう離宮へと辿り着く。
コーエンが愛馬から降りると、そこには彼の妻、ヘクセ第二王子妃が夫の帰りを待ち侘びていた。
「お帰りなさい。お待ちしておりましたのよ?」
「思ったより、遅くなっちまったなあ」
「うふふ。今日は愛しのあの方々と、どのようなお話しをなされましたの?」
「今日は兄貴とイチャついてきた!」
「あら。まぁ。それは珍しいこと」
「だろぉ? あっ。ヘクセ、今日の土産は何?」
コーエンは妻の肩をがしっと力強く抱く。途端にヘクセは眉を顰め、コーエンから顔を背けた。抱き寄せられた身体を捩って抜け出そうともがく。
「コーエン。馬臭いですわ」
「えっ。それは仕方ねぇだろ?」
「離れてくださいな」
「ひどっ! ヘクセ酷い!」
ヘクセはコーエンから離れて一歩先を歩くとツンと顎をそらした。
「お土産はバターサンドですわ。コーエンのお好きな」
「やりぃ! 夕食前だけどつまんでいいよな?」
「まぁ。お行儀の悪い」
ヘクセは冷たく言い捨てると、くるりとコーエンに振り返った。
「紅茶ですの? 食前酒ですの?」
コーエンはニヤリと笑った。
「ヘクセはどっちにする?」
「……わたくしはアイスヴァインに致します」
「んじゃ俺も」
「少しはご自分でお決めくださいませ!」
「やーだよ。正解を見るのも何かを決めんのも、ここではしねえって決めてんだ」
「まったく……もう」
手の掛かる弟を見るかのように、ヘクセは眉尻を下げて困ったような、しかし愛しさに満ちた眼差しをコーエンに向ける。コーエンはそんなヘクセに詰め寄り、グッと腰を引き寄せる。
「まぁっ! ですから馬臭いんですの!」
「まあまあ。いいじゃん、いいじゃん」
「よくありません!」
夫婦はぎゃいぎゃいと騒がしく、『色欲の塔』の質素な廊下を渡っていく。装飾のほとんどない寂しい離宮は、コーエンとヘクセの賑やかな声によって息を吹き返したかのように、温かさが満ちていった。
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