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第八話 赦しと断罪、愛と憎悪

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「シャリー!」

 珍しい薄紫色の髪を短く刈った美丈夫が、少女の肩に自身の大きな手を置く。
 振り返った少女は、エメラルドのような煌めく瞳を輝かせ、その美しい顔は幸せそうにほころんだ。

「まぁ、フレッド。今日は大漁ね」

 シャリーと呼ばれた少女は、青年の抱える魚籠びくを覗き込む。
 魚籠の中にはビチビチと数匹の魚が飛び跳ねていた。
 フレッドは情けなさそうに眉尻を下げる。

「シャリーは意地悪だな」
「だって、フレッドったら、いつまで経ってもわたくしのことを働きに出してくださらないんだもの」

 フレッドはその逞しい体を竦ませる。

「シャリーを働きに出すなんて、できるものか。君は僕の女王様なのだから、僕が君の手となり足となって働くんだ。いつでも僕に命令してくれ」

 シャリーは心底嫌そうに顔を顰める。

「わたくし、フレッドの女王様になんてなりたくありません。わたくしはフレッドを支える妻でありたいだけです」

 昔からずっと。

 シャリーは真摯にフレッドの瞳を見つめて告げる。
 フレッドは頬を赤らめ、咳払いをした。

「シャリー、君の真っ直ぐな言葉は、昔から変わらないな」

 シャリーは微笑む。

「当然ですわ。わたくしはフレッドにお会いしたその時から、貴方の虜です」

 シャリーがフレッドの虜なのだ。
 フレッドの女王様ではない。それはシャリーの役割ではない。

 シャリーに、否、シャルロッテに女王であれと言ったのは、ヨハンだから。







 シャルロッテは決して許さなかった。
 兄のように慕っていたその人は、自分に女王になれと言ったのに、主であるシャルロッテを裏切った。
 臣下の裏切りを容易に許すことはできない。シャルロッテは皇女なのだ。
 しかしヨハンのことは兄のように、従兄として愛していた。
 それは異性への愛ではない。婚約者であるアステア王国王太子フレデリックへの愛とは違う。
 ヨハンの裏切りをシャルロッテは嘆き、どうにかヨハンを救えないかと模索した。

 しかしヨハンはシャルロッテの愛するフレッドを手にかけることを選んだ。
 もはや救うことは出来ない。

 そしてシャルロッテは、ヨハンと通じていた己の侍女もまた許さなかった。
 あろう事か、主であるシャルロッテではなく、シャルロッテが臣下として愛していたヨハンに忠誠を誓い、愛を捧げるなど。

 侍女はヨハンに促されるまま、婚約者の逢瀬の度にシャルロッテの不在を狙って、フレデリックに己の主の非情さ、悪辣さ、醜悪さを挙げ連ねて泣きついた。
 曰くシャルロッテが些細なことで激昂し、鞭打ちするだとか。曰く理不尽な理由で数多の使用人の首が飛んだとか。曰く見目麗しい令息や騎士に媚態を示すとか。曰く皇女教育は滞っており、公に聞かれるシャルロッテの評判は偽りだとか。曰く民を蔑ろにし、民の命は守るに値しないと公言するとか。曰く際限なく湯水のように浪費しては他令嬢達を嘲るとか。
 ――曰く、アステア王国の金鉱山から採掘される金で金細工を山程作らせようと目論んでいるとか。

 シャルロッテは臣下を愛するし、情けもかける慈悲深い皇女だ。
 しかしそれは、シャルロッテを裏切り、シャルロッテの大切な宝物を破壊し尽くして、己の享楽に耽る者に与えることは出来ない。
 侍女がヨハンに愛されるシャルロッテに嫉妬し、またフレデリックに袖にされるシャルロッテを嘲笑っていたことを、シャルロッテは知っている。
 それだけならまだ許せた。
 侍女の裏切ったのが、シャルロッテだけだったのならば。しかし侍女は愛するフレデリックを貶めた。だから許せなかった。


 シャルロッテは慈悲深い皇女だ。
 シャルロッテを信じず、ヨハンに惑わされたフレデリックを深い愛で赦した。
 しかし愛するフレデリックが反意を唱え、最後まで謀反を取りやめるよう訴えたにも関わらず、富に奢り、王族としての判断を誤り、自国の民を破滅の道へと導き、シャルロッテの愛するフレデリックに自国と己の滅亡を決意させたアステア王国国王も、その国王が放った間諜も許すことは出来なかった。

 あの日、バルコニーに倒れていたのは、フレデリックではない。
 フレデリックの双子の弟であり、その身を世間から隠された第二王子であった、アステア国王の間諜。そしてアステア国王の右腕。
 アステア国王が近いうち、フレデリックを密かに処し、として立てようとしていた男。

 シャルロッテはフレデリックと共に間諜の手引きする予定であったバルコニーに忍び込んだ。
 皇族居住区の各部屋ごとを守る護衛騎士達は、先に走らせた一人の護衛騎士によって、騒ぎを起こさせ、事を起こす階から遠ざけた。
 そしてフレデリックが先にバルコニーに立ち、それを受けて姿を表した間諜の弟王子をシャルロッテはすぐさま小型拳銃で撃ち抜いた。

 護身用に持ち歩いている愛用の小型拳銃。
 シャルロッテのピストルの腕は、嘘偽りなく帝国一だ。
 世に隠され続けたフレデリックの弟王子の額を、正確に撃ち抜いた。

 フレデリックは深く眉間に皺を刻み、爪が肉に突き刺さるまで、その大きな拳をきつく握りしめ、凶弾に倒れた双子の弟を見た。弟は忍び込んだ先、万が一誰かと遭遇した際、フレデリックを装ってその場を誤魔化すために、フレデリックと全く同じ装いをしていた。
 弟は最期までフレデリックの影でしかなかった。
 フレデリックは目の前で途絶えた、弟の哀れな人生を思い、どうにもやり切れなくなった。
 しかしフレデリックは目に強い光を宿し、すぐさま、バルコニーの端に身を寄せる。
 フレデリックの命は、シャルロッテが犠牲を払って救い、繋いでくれた命だ。身を守らなければ、隠れなければならない。
 銃声を聞きつけた誰かの駆け付ける足音が近づいてくる。

 荒々しく部屋の扉を明け、バルコニーに飛び込んできたその人は、ヨハンだった。

 フレデリックはヨハンがシャルロッテにそっと忍び寄るのを、月明かりの届かない闇に隠れて見送る。
 ヨハンがシャルロッテの呟きに答え、それからシャルロッテの肩を抱いた。

 フレデリックは己の中に、かつて感じたことのない激しい怒りが渦巻くのを止められなかった。
 ヨハンが己を親友と嘯き、その友情を破り、薄汚い計略に陥れた上で、まるで褒賞を得たかのように勝利に酔ってシャルロッテの華奢な体を抱くのを目の当たりにし、ヨハンへの憎悪が燃え上がる。

 人の好いフレデリックは、ヨハンがシャルロッテに抱く恋慕を知り、裏切られたことを許そうと思っていた。
 浅慮でヨハンに踊らされ、シャルロッテを信じきれなかった己が悪かったのだと自分を責めた。
 そしてシャルロッテを愛するヨハンの前で、シャルロッテを疎んじるような振る舞いをしたことにフレデリックは申し訳なく、悔恨の念があった。

 しかしシャルロッテによって撃ち抜かれたを満足気に見下すヨハンの瞳に、愉悦の色が浮かぶのを見て、フレデリックはヨハンへの怒りを堪えきれなくなった。

 そこに倒れるのは、ヨハンの図り事のせいで命を落とした、己の血を分けた弟だ。
 確かに弟は父である国王の命によって、近々フレデリックを害すだろうことは知っていた。だが弟は長らく存在を隠され、フレデリックの影として生きてきた。
 それならば、これからは弟が日の下で堂々と生きていけばいいと思った。これまでフレデリックが享受してきたものは全て、弟の犠牲の上に成り立っていたから。
 それならば未来を弟に返す。
 滅亡する以外にないアステア王国から弟を逃がし、フレデリックは王国と共に沈む。そのつもりだった。

 その弟が銃弾に倒れた姿を見て、ヨハンは嘲笑っている。己が私欲のために、弟の未来を奪った。

 フレデリックはヨハンとの友情を捨て去った。

 シャルロッテを失ったヨハンがどうなろうと、フレデリックの知るところではない。
 そうしてフレデリックはヨハンの愛人である、シャルロッテの侍女を撃った。

 シャルロッテに忠誠を誓う赤毛の護衛騎士に護られ、フレデリックとシャルロッテの二人は城を抜けた。
 そして護衛騎士は夜会会場へと急いで舞い戻り、茶番を始めた。

 護衛騎士はシャルロッテの遺体捜索の混乱に乗じて城を抜け、フレデリックとシャルロッテを追った。
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