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シンファエルの憂い②

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 王国の貴族学園は、10歳から16歳までだ。私にはもちろん家庭教師がついていて、幼い頃から教育は熱心に行われている。私はバイオリンとお茶の作法のレッスンが好きなのだが、母上には剣を学べと言われ、父上には帝王学を、伯父には外国語に焦点を当てろとせっつかれた。

「私の妃にそれは任せてはどうですか?私は作法が大切だと思います」

 私がそう自分の考えを述べると、早速伯父上が苦い顔をして口を挟んできた。

「作法も大切だが、国王になれば近隣諸国と顔も合わせることになる。この国の作法と他国の作法は違うということも覚えておきなさい。言葉が通じなければ、外交もできないだろうし、礼儀が違えば、この国の常識も他国で非常識になることもあるのだ。国王になるつもりであるのなら、帝王学は当然のこと、歴史や地理にも詳しくなければ騎士団を動かすこともできぬ。賢者の残された書物にも目を通しておくのがいいだろうし、お茶や楽器に時間をかけている場合ではない」

「賢者の字は汚いので、読めません」
「汚いのではない。古語を使っているのだ!」
「なぜわざわざ古語を使うのですか。誰かに翻訳をさせてはどうですか」
「誰でも彼でも読めては危険だからだ!賢者の書は王家の至宝の一つ。翻訳などさせられん」
「読めないのであれば、それは本とは言えません」
「……はあ。フレデリックよ。どうするつもりなのだ?」

 伯父上は父上を名指しで呼んだ。こういう時は、国王と宰相ではなく、兄と弟の話だと理解する。
 つまり私はここにいる必要はないということで、私はお辞儀をして部屋を出た。どうせお小言しか言われないのだから。


 ああ、妃探しのお茶会か。綺麗な令嬢たちに会えるのかな。とても楽しみだ。


 学園に入るより少し前、王宮に呼ばれた令嬢たちは色とりどりのドレスを着て、まるで蝶のように庭を彩った。どの子もきゃっきゃうふふしていて可愛らしかったのだが、一人だけ光り輝くような美しい令嬢がいた。紅色のドレスを優雅に着こなし、美しい新緑の瞳をした少女。クルクルと巻いたストロベリーブロンドがぷっくりした丸い頬の横で揺れて、まるでケーキの上に乗せられた綿菓子のよう。

「君の名は?」
「アルヴィーナと申します」
「アルヴィーナ…なんて美しい名前なのか。君は天使なのかな?」
「まあ、ほほほ。私が天使に見えるなんて視力悪いんじゃ…フゴッ!」

 高らかに笑おうとしたアルヴィーナ嬢が急に喉を詰まらせ、おかしな声を出した。目の前を何かが横切ったような気がしたが、彼女はハッとした顔になりキョロキョロと辺りを見渡し、また私に向き直りにこりと笑った。

「失礼いたしましたわ。虫が口に入ったようですの。わたくし、ハイベック伯爵令嬢ですの。天使ではございません」
「ハイベック伯爵…?」
「ええ。王宮に訪れたのも今回は初めてですの。美味しいものがたくさ…グエッ」

 彼女はまたしても、声を詰まらせた。その間際にやはり何かがさっと彼女の前を横切ったような気がしたのは気のせいだろうか。彼女は首を傾げながら喉元に手をやり、ささっと四方を警戒した。

「また虫かい?綺麗な華は虫ですらわかるのだろうな」
「……お、おほほ。わたくし、ちょっとお飲み物をいただいてきますわね」

 アルヴィーナ嬢は優雅にお辞儀をして、いそいそとビュッフェテーブルへと移動していった。
 可愛らしい。
 恥じらっているのだろうか。
 王宮は初めてだと言ったし、聞いたことのない伯爵家だ、きっと田舎の出で箱入りだったのに違いない。

 なんと。アルヴィーナ嬢が母上の朝のドリンクと同じ姿勢で飲んでいる。
 片手を腰にゴックゴックと豪快に果実水を飲む彼女をうっとり見ていると、母上が私を呼んだ。

「気になる令嬢は見つかったのかしら?」
「ええ。母上。ハイベック伯爵のアルヴィーナという女の子がとても美しいです」
「ハイベックですって?どの子がそうかしら…?」
「あのストロベリーブロンドの、ビュッフェテーブルにいるあの子です」

 母上と二人で見ると、アルヴィーナ嬢はものすごい勢いで手に取ったプレートに食べ物を乗せ、乗せた瞬間にプレートからは食べ物が消え失せていた。手品を見ているようで首を傾げると、母上が「あら。まあぁ。あんな、あれは…」と感心したような、驚いたようなおかしな声をあげた。

「わかりました。シンファエル。あなたは令嬢を見る目はあったようね。あとは母に任せておきなさい」
「ありがとうございます?」

 それから、母上はご令嬢達の間をにこやかに歩き回り、お茶を飲んだりゲームをしたりした。
 何人かのご令嬢は私にまとわりつき、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らし甘い声でしなだれかかってきたり、きいきい声で笑ったりしていたけれど、煩わしいばかりでちっとも美しくなかった。

「君たち、もっと美意識を心がけたほうがいいよ。私は美しいものが好きなんだ」

 私がそういうと、引き攣った笑顔で何人かは去っていき、何人かは泣きながら親元へと戻っていった。黒い涙を流す令嬢の泣き顔というのは見苦しいものだということを知った。

 そうしてお茶会は成功に終わり、その数日後、麗しのアルヴィーナ嬢は私の婚約者になった。

 そもそもの間違いはそこにあったのだ。

 あの婚約者は私が選んだのではなく、母上が用意したものだ。私はただ「気になる令嬢」がアルヴィーナだと言っただけで、他の令嬢に目を向ける暇もなく決まってしまった。

 確かにあの茶会ではめぼしい令嬢はいなかったが、何も彼女たちだけが令嬢というわけではなかったということに気がついたのは学園に入ってからだった。

 だけど、学園に入る前のたった10歳という年齢でそんなことに気がつくわけもなく、私は無邪気にも喜んでしまった。アルヴィーナは群を抜いて美しく、礼儀作法も完璧に近かったから。

 美しい花には棘もあれば毒もあるのだと、今の私ならはっきりわかる。

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