異世界旅館の暮らし方

くま

文字の大きさ
上 下
7 / 37
狭間の旅館〈竜宮〉

第7話 露天風呂

しおりを挟む

「……飯、うまかったな」
「ふふん。おすすめは餃子だよ。あれすごいおいしい」
「仮にも半分吸血鬼なのに、ニンニクってどうなのよ……」

 風呂掃除から始まり、廊下の雑巾がけ、中庭の落ち葉掃除、食器洗いと新人らしくあくせくと働いた俺とミィは、やっと休めるといった面持ちで食堂で食事を済ませてきたところだ。

 ほかの従業員はまだまだ仕事があるようで、おそらくは初仕事となる俺たちにアイリが気を使ってくれたのだろう。

 それから、食事が終わって早々にカサゴさん――旅館の料理人――に風呂に入ってきた方がいいと言われた。

 曰く、

「さっさと入らないと、お前らの先輩たちが浴場を占拠し始める。肉に挟まれながら足も広げられないような狭い湯船の中でしか安息を得ることができないというのならばまだしも、そうでないなら早くに入った方がいい」

 とのこと。新人の分際で早く上がった上に、風呂にまで先に入るのはどうかと思ってしまうのは社会人の性だろうか。

「ありがとうございます。それなら先に入らせてもらいますね」
「肩まで浸かれよ」

 ともかく、俺は風呂に入ることをすすめてくれたカサゴさんにお礼を言いつつ、仕事の時から俺の後ろをてこてこと付いてくるミィと一緒に、売店のばあさんから着替えをもらいつつ従業員用の浴場へと向かうことにした。

 てこてこてこてこ。相変わらずミィは俺の後ろをついてくる。あれから血は飲ませていないため、いつ腹を空かせて襲い掛かってくるか気が気ではないが……しかし、ちらりと後ろを向けば、なにかあったのだろうかと疑問符を浮かべながら、こてりと小首をかしげる小動物のようなしぐさの彼女に警戒を維持することは難しかった。

 とはいえ、ここからは風呂だ。聞けば混浴というわけでもなく、しっかりと男女別で風呂場が分けられているため、ミィの影におびえる必要はない。不意の事故ではあるが、ミィが女子であることはしっかりと確認してしまったからな!

「んじゃ、またあとで」

 ひそかな勝利宣言をした俺は、ひらひらと男女別の風呂の出入り口前でミィへと手を振って、彼女の歯牙とはおさらばし、安息の地たる露天風呂へと足を向けた――

「……おい、ミィ。なんでついてきてるんだよ」
「……? 私もお風呂に入るから」
「こっち男風呂だからな!?」
「裸ならもう見られてる」
「そういう問題じゃないだろおおお!!」

 しかし、そうはうまくいかなかった! 
 ……とまあ、それからなんともマイペースで何を考えているかわからないミィを女風呂の方へと叩き込んでから、いろんな意味で疲れた俺はやっとの思いで露天風呂へと入場するのだった。

 一通り体を洗ってから、湯船につかって空を見上げる。
 四六時中この旅館を覆い隠す霧のせいであまりよくは見えないが、時折顔をのぞかせる夜空からは、星のような影がちらほらとみることができた。

 とはいえ、霧すらも貫いて地上へと光を落とす月光に比べれば、それら星々の光など取りに足りないもので、気が付けばくっきりと円を描くその光を俺は見つめてしまっていた。

 思えば今日、俺はずいぶんと思い切ったことをしたなと一人過去を振り返る。
 あの月の光のように、俺はこの旅館とそこで働くアイリに惹かれて、元の世界にあった少ないながらも光を発していた星々を見捨ててこの世界に居座ることを選んだのだから。

 ただ……俺には、それだけあの時のアイリが輝いて見えた。……それだけ、元の世界の放つ光が鈍かった。

「ああ、どうもどうも。どうやらこっちに住み着くことになったみたいですね」
「……あなたは、サトヤさん」

 月を見上げていると、見覚えのある男が一人、俺の横に座った。その人は、俺をここに連れてきた張本人――サトヤさんであった。

 この従業員用の浴場にいるということは、どうやら彼もここの従業員の一人であるようだ。

 ……しかし、今考えてみれば、従業員用の風呂も露天風呂になっているとは、なんとも豪勢な旅館だな。

「さて、旦那。ここでの仕事はどうですか?」

 旅館の待遇に感心していると、俺の呼び名をお客さんから旦那へと変えたサトヤさんが、無精ひげを指で擦りながら話しかけてきた。

 確かに、従業員になってからもお客さんというのはおかしな話だ。とはいえ、ナオとでも呼んでくれればいいものを……。

「まあ、ぼちぼちとやらせてはもらってますよ。めんどくさいのが同僚になってしまいましたが」
「そりゃいい。それはつまり、その相手は裏表がない人間ってことに違いないですよ」
「俺は、サトヤさんのようにそうポジティブにはとらえられませんよ」
「ハハッ、あっしなり処世術ですよ」

 そういう彼は、愉快そうにカラカラと笑っていた。

「……一ついいですか?」
「なんなりと」
「狭間の旅館と聞きますが……実際のところ、ここはどういう場所なんですか?」
「あー……」

 俺は常々疑問に思っていたことだ。ここに来るところからして、元の世界ではありえないようなことの連続。あまりにも希釈きしゃくされた現実感が、それらの異常に対してそれなりの受け止め方をしてくれてはいたが、こうして一人思い馳せれば、地獄にでも着てしまったかのような不安ばかりが俺の中に渦巻くのだ。

 鬼とかいるしな。半分だけだけど。

 ともかく、俺はその不安の答えを求めて、サトヤさんにそう聞いた。
 ただ――

「さてね。あっしも詳しく知っているわけじゃありやせん。それに、そう難しい意味ではなく、驚くほど簡単で、本当にそのまんまの意味ですよ、ここは。世界と世界。三次元と、これまた別の三次元の間にぽつりと空いた小さな小さな亜空間。私が聞く限りじゃ、今の主さんが、そんなところに居を構えたのが始まりだったとか」
「……この旅館を一から?」
「一から。まあ、いろんな世界と隣り合ってるってのもあって、材料にも人材にも困りはしなかったそうですよ」

 つまりここは、俺のいた世界じゃない――異世界ってことになるのか。
 ともすれば、龍も鬼も妖精も納得ができるものだ。
 じゃあ――

「んじゃ、あっしはそろそろ上がらしていただきます。旦那も早いとこ上がっといた方がいいですよ?」
「……確かに、この湯舟は熱くてのぼせかねない。ご忠告痛み入ります」
「そうだなぁ……その敬語、解いてくれると嬉しいですよ、あっしは。そうすれば、客人と従業員ではなく、同僚として接することができましょう」
「……お、おう」

 男二人。裸の付き合いをしてみれば、どこか絆が深まったような気がした夜のこと。

「それじゃあ、よろしくな。サトヤ」
「おう。よろしく、ナオ」

 俺よりも少し年上に見えるサトヤにため口を使うのは少し憚れるが……まあ、これも縁というものなのだろう。
 にしても、少々口調を砕いただけで、サトヤの方も随分と砕けた口調になったな……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

性剣セクシーソード

cure456
ファンタジー
 人生に疲れ、自ら命をたった主人公。名はケンセイ、十八歳。気がつくとそこは『ガジガラ』と呼ばれる魔界だった。  謎の女性と出会い、女性のフェロモンを力に変える呪われた装備。セクシーソードと鎧をもらう。  今までとは何もかもが違う異世界で、様々な女性と触れ合いながら進む、その道の向こうに待っているモノとは……?    2017/08/22 第三章始めました。  感想などお気軽にお寄せ下さい。

雨の中の女の子

西 海斗
ファンタジー
目が覚める。 息苦しい暗黒の中に御堂水月(みどう みづき)は居る。 ここはどこなのか。自分は今どこにいるのか。 土の臭いがし、真っ暗な土の中にいると感じた時には恐怖しかなく、思わず悲鳴を上げた口の中に土が入り込んできた。なんとか土から脱出した水月は、非情な精神力、常人を上回るパワーとスピードを得ていた。水月は自分に性的虐待を行い、土に埋めた父を抹殺する。警察の捜査から逃れ、父を土に埋めて大阪に向かう水月には何が待つのか。そしてなぜ水月は蘇生したのか。徐々に明かされていく謎。そして出会う闘うべき敵と仲間。 この物語は御堂水月の熾烈な闘いの物語である。 ※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。 ※性加害、性被害を扱った描写があります。そのためトリガーになり得る可能性のある方はご遠慮ください。 ※物語自体は完結しています。全51話です。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

【完結】赤獅子の海賊〜クマ耳の小人種族となって異世界の海上に召喚されたら、鬼つよの海賊が拾ってくれたのでちやほやされながら使命果たします〜

るあか
ファンタジー
 日本からの召喚者ミオがクマ耳の小人種族となって相棒のクマのぬいぐるみと共に異世界ヴァシアスへ転移。  落ちた場所は海賊船。  自分は小さくなって頭に耳が生えてるし一緒に来たぬいぐるみは動くし喋るし……挙句に自分は変な魔力を持ってる、と。  海賊船レーヴェ号の乗組員は4名。  船長のクロノ、双子のケヴィン、チャド。  そして心も身体もおじさんのエルヴィス。  実はめっちゃ強い?彼らの過去は一体……。  ミオは4人で善良にクエストや魔物ハント活動をしていた愉快な海賊の一員となって、自分の召喚者としての使命と船長のルーツの謎に迫る。  仲間との絆を描く、剣と魔法の冒険ファンタジー。  ※逆ハー要素があります。皆の愛はミオに集中します。ちやほやされます。  ※たまに血の表現があります。ご注意ください。

処理中です...