俺を彩る君の笑み

幸桜

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粉雪の屋上

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(もういいかな)

  冷たく硬い石の感触。
  吹き上がる風に、ズボンの裾がはためいた。

  走り着いた所は屋上。
  何となく足の向かった先がここであった。

  人の姿はない。
  今の季節は冬。それも納得のいく事である。

  そう考えると屋上へ逃げてきたのは正解かも知れなかった。

  冷たい風が肌をなでた。
  なのに右手にだけはその冷たさを感じない。

  柔らかで、小さくあったかいものが手の中に納まっている。


「す、すまん……」

  流石にデリカシーに欠けていただろうか、直ぐにその結論に至ると、俺の手の筋肉が緩み、その中に忘れていた冷気が忍び込む。


  ────と、思ったのは一瞬。

  今度は立場が逆に俺の手が、温かみに包まれる。
 
  どうして? と、顔に出てしまったのだろうか。
  目が合った時点で小さな唇が、やっとこさの声を絞り出した。

「寒い……」

  その言葉が合図だとでも言うのだろうか、風とは違う、もっと優しい冷たさが肌に触れた。


  粉雪


  ポツリポツリと落ちてくるそれに江川の頭が白くなり始める。

  そこで俺はある決断に迷う。
 
(やっちゃっていいのだろうか)

  女の子との経験ゼロの俺は、色々なシチュエーションにおいて選択が少ない。
  しかもその知識は全て読み物から入手している為、不安要素が多い。


 でも。


  江川の身体が小さく震えた。

  それを見た俺の身体は今度は考えることなく動く。

  ────俺は、素早く6個の前ボタンを外すと、着ている学ランを彼女の頭からかけていた。


 でも、目の前で凍える女の子がいたら、〝あたたかくしてあげなければ〟と思う気持ちはもとから備わっている。

(これが所謂、性善説というものなのか?)

  ここで倫理の授業を思い出してしまったのは期末テストが近いからだろうか。

  性善説。つまり、〝人は生まれながらに善である〟という考え方だ。

  本能で人を助けたいと思うのはこれに当たるのかも知れない。
  まぁ例え間違っていたとしても心の中の声にダメだし出来るやつはいない。
 
  寒さの為か黙り込んだままの彼女。
  取り敢えず並んで座り、そこからの景色にしばし心を委ねる。
 

「寒くない?」

  それに対する反応は頷きのみ。
  それでも、悪い印象を与えてないことが分かるのは、その瞳が温かいから。

(こいつ、こういうとこだけは分かりやすいな)

  その様子を見ていると不思議と寒さを忘れてしまう。

「ありがとうございます」

  ふと、呟かれた言葉。
  言葉は雪を通じて俺の耳をくすぐる。

「ああ」
 
  土のグラウンドに、テニスコートに、陸上のトラックに

  体育館の屋根に、教室のベランダに、渡り廊下に

  木に、花に、石に、


  徐々に白く染まる世界。
  冷たい世界の中に一つだけ、温かい場所。


「結局、案内してやれなかったな」

  そう、本日の元々の予定は学校の案内であったのだ。
  それが教室からの逃走に始まり、結果的に案内出来たのはこの屋上だけである。

「いいですよ。その代わり、いい経験はさせて貰えましたから」
 
  経験。彼女にとっての一番の経験。
  その実彼女の一番の喜びは純に伝わる事は、少なくとも今はない。



  彼女の手はしっかりと学ランを握っていた。
 
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