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第三章

□事前準備

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 品のいい調度が華美ではない程度に並ぶ執務室は広く、床には毛足の短い絨毯が張られている。

「はい、ワンツースリー、ワン、ツースリー」

 低い声で口ずさまれるリズムに合わせて、神経を研ぎ澄ませてステップを踏んでゆく。初歩的な足運びだが、故郷で嗜み程度に習った女性パートなどすっかり忘れていた私は、まるっきり初心者だった。

 稽古三日目の今日はかなりマシになってはいるが、今日は仕上げということで踵の高い靴を履いてのダンスで、なかなか勝手が違った。

「腕が下がってます、視線も」
「すみません」

 練習相手である第一騎士団長の従騎士に注意され、慌てて姿勢を正す。

 もう二時間、ぶっ通しでダンスの稽古をしているのだが。そもそもこれは本当に必要なのだろうか? 私は入退場要員ではなかったのか。

「一曲くらい踊らねば、恰好がつきませんから」

 気が抜けて不満が顔に出ていたのか、執務机で仕事をしていたジェンド団長が説明してくださる。

「ひと通り踊れるようになりましたから、及第点としましょうか」
「ありがとう、ございました」

 あげていた手を下ろし、顎を伝う汗を手の甲で拭ってから、久しぶりにはいた踵の高い靴から片足を抜き、皮膚がすり切れて血まみれのそこを治癒の魔法で傷を塞いで浄化の魔法で血を清めた。本来ならドレスを着たほうがいいのだが、そこは勘弁してもらっていたが、最終日となった今日は慣れるためにヒールの高い女物の靴を履いていた。

「……靴擦れ、ですか」
「ええ、少しキツくて、すぐ擦れてしまうのです。大丈夫です、染み込む前に浄化をかければ、綺麗になりますから」

 両足を綺麗にして、血でぬめっている靴の中も魔法で綺麗にしていると、従騎士の青年が顔をしかめた。

「痛かったでしょう……すみません、途中で休憩を取ればよかった」
「いえ、この程度の痛み。訓練に比べれば、どうということはありませんから」

 日々の訓練のほうが大変だし、骨を折ったり内蔵を損傷することに比べれば、靴擦れのほうが随分マシだ。

「そうか、そうですよね。訓練の方が、確かに」

 従騎士の彼は納得したように頷き、言葉を続けた。

「軽くていらっしゃるから、つい女性と踊っているような気になっていました」
「私で軽いのでしたら、本物の女性は羽のようではありませんか」

 挑発するような言葉に笑顔で返すと、彼も私に合わせて「それもそうですね」と軽く頷いて笑顔を返してきた。人当たりはいいが……やはり、私が第五騎士団というのがネックになっているのか、いや、私の貧弱さが第五騎士団を侮らせているのか時折こうして揶揄してくる。

 なんにせよ、身長と筋肉があるので並の女性よりは重量がある自覚はあるが、性別がバレなくてよかった。

 魔法で綺麗にした借り物の靴を、揃えて従騎士に返す。

「それでは、当日は先程申し上げた場所で落ち合いましょう」
「承知致しました、では失礼いたします」

 第一騎士団の所属する王宮内の本部基地を出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 さて、これから戻って副団長の書類仕事を終わらせて、自主訓練をせねば。
 そんなことを考えながら、西部基地への道を歩く。

 通るのは貴族街なので、かなり安全である。点在する街灯は数年前に整備されたもので、まだ貴族街にしかないが早く平民街にも導入されるといいな、夜道が歩きやすい。
 巡視の騎士に見つからぬようにしながら、基地へと戻る。

 一度部屋に顔を出したが、自主訓練に出ているシュラは、まだ戻っていないようだった。

「随分、頑張っているようだな……」

 ここ最近、共に自主訓練をするのは朝だけになっていた。彼が夜間の訓練している場所は、この基地内ではなくどこか別の場所を使っているらしい。多分……第十騎士団のある基地だろう。

 平民出の騎士で最も強い男が、第十騎士団長カロルだ。そんな男ならば、力を求めているシュラをよく指導してくれるだろう。私では、足りぬ実践の力を。

 ずきりと痛む胸を服の上から鷲掴み、知らず噛みしめていた奥歯から意図して力を抜く。

 なぜ、私をもっと頼ってくれないのかという思いを、押し殺す。
 悶々とした気持ちを抱えたまま、基地内の副団長の執務室へと向かった。

「遅かったな」

 珍しくこのような時間まで執務室に残っていらしたヒリングス副団長に、開口一番そう言われた。

「なにかございましたか?」

 第一騎士団長の依頼は口外できないので、遅くなった説明はせずにそう訊ねた私に、副団長は軽く片眉をあげたものの、理由は問わずに立ち上がった。

「まぁいい。それよりも騎士バルザクト」
「はい、なんでしょうか」

 真っ直ぐに私を見据える目を、真っ直ぐに見返す。

「貴様の使うあの付与魔法だ、今日こそあれを教えたまえ」

 そういえば、以前も教えて欲しいといわれていたことを思い出したが、今回もまた前回と同じ言い訳を口にする。

「申し訳ありません、お教えするのはやぶさかではありませんが、書類を先に片付けませんと」
「うむぅ……。仕方あるまいな」

 書類を盾にすれば納得してくださるから、ありがたい。以前いた副団長は自分のことを優先させようとする人であったのに、ヒリングス副団長はこと仕事に関しては理解してくださる。

「書類仕事は貴様がやるのが、一番効率がいいからな、何事も適材適所だ」
「適材適所という考え方は賛成致しますが、生憎と私ではこの仕事に役職が追いついていないのですが……」

 ここに来るまでにイライラしていたせいだろう。分不相応な仕事をしているだろうと、思わず口答えしてしまった私に、副団長は小さく口の端をあげる。

「なにかあれば私が一切の責を負うのだから、貴様は悩まず仕事に邁進するが良い。迂闊に昇進などしてしまえば、色々面倒があるものだぞ」

 意味ありげに苦く笑った副団長は、従騎士を連れて執務室を出て行ってしまった。

 副団長が一切の責任を負う。その言葉は、衝撃だった。

 過去の副団長は、仕事を押しつけるだけでなく失敗も私の責任にしていた。けっして自分で罪は被らず、仕事も責任も私に押しつけていたのに。
 呆然とその背を見送った私は、深く息を吐き出して片手で顔をゴシゴシと擦った。

「脳筋などではないのではないか? もしかして私は、見る目がなかったのかも知れんな」

 己の未熟さにちいさく笑い、それから両手で頬を叩いて気合いを入れる。この執務室に来るまでに溜まっていた胸の中のどす黒い不満は、薄くなっていた。

「適材適所、そうだな。自分でできぬ事は、他の人に教えを請うのは当然だ。だが、私には私の、できることもあるはずだ」

 カロル団長のもとで訓練しているであろう彼を思う。肉体的な訓練はカロル団長が十分鍛えてくださるだろう、その上で私のできることを模索しようじゃないか。

「取りあえずは、こいつを片付けることだな」


 敢えて口にして自分を鼓舞し、腕をまくって書類に取りかかった。
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