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第一章

□バルザクトのお仕事

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「騎士バルザクト。君は与えられた仕事すら満足にできないのか」

「申し訳ありません」

 副団長の部屋に入ると、ソファで寛いで紅茶を楽しんでいるエイジュード・ヒリングス副団長に、真っ先になじられた。

 貴族出の騎士である彼は、金色の髪を後になでつけて、貸与されるものよりいい品の、少々華美に手を入れられた制服を着こなしている。規律違反だが、貴族出である歴代の副団長もやってきたことで、違反を注意する者は居ない。



 いつもなら外遊びから戻ったとしても執務室に来ることなどないのに、今日は一体どうしたのだろうか。副団長の後に立っている、私よりも年若く体格のいい従騎士、副団長の甥であるケンセル・ヒリングスの視線は厳しいが、それはいつものことなので彼の表情からはなにも推測できない。

 ドアの前で直立する私に、副団長は目を眇めた。

「従騎士を付けたそうじゃないか、おめでとう」
「ありがとうございます」

 全然おめでたくなさそうに言われ、私も事務的に返事をする。

「だが、平民なのはいただけないな。いくら君が、極めて平民に近い身分の貴族とはいえ、貴族は貴族。尊き血の一端であることを、もっと理解せねばいかん」

 ああ、なるほど。平民出の従騎士を付けた私に文句を言いたかっただけか。

 生粋の貴族である彼にしてみれば、貴族が平民の従騎士をつけるなどあり得ないことなのだろう。貴族には貴族の血があるのだと言って憚らない、くだらぬ純血主義。いや、くだらぬと言い切ってしまうのも問題はあるが……私が思う持つべき矜持はそこにないので、つい穿った見方をしてしまう。

 内心の毒を表情に出さぬよう注意しながら、軽く視線を伏せる。

「勿論君の意思ではないことは知っている、あの野蛮人のごり押しだということはな。だが、それでも我々は、我々の矜持を貫かねばならん」

 厳かにそんな事を言う彼に内心で失笑を禁じ得ない、我々の矜持? 本来やらねばならぬ仕事を下の者に押しつけ、自分は町でふらふら遊んでいる人間が、どのような矜持を?

 喉元までせり上がる悪態を胸で押し殺し、従順に見えるようにほんの少し肩を落とす。

「君はまだ若いからな、処世というものがわかっていないのだろうが、我々貴族というのはだな――」

 貴族の矜持についての御講釈の後、今回の従騎士の件については仕方ないだろうと結論していただき、解放されたのは入室から一時間程経過してからだった。

 ヒリングス副団長の従騎士から憎々しげとも見える視線を向けられながら、直立不動で行きつ戻りつする御講釈を拝聴するのはよい精神訓練になった、と思うことにする。

「では、今日の仕事を頼んだぞ。明朝までに片付けておくように」
「承知致しました」

 深く頭を下げて副団長と従騎士を見送り、足音が聞こえなくなってからそっと息を吐いて、部屋の鍵を閉める。代々貴族出のボンボンが副団長を勤めるため、副団長室はとても立派だ。

 ため息を吐く暇も惜しく、団長のものよりも立派な執務机の前に立つ。

 机上に置いてある照明具に手を触れさせて魔力を注ぐと、仕事をするのに十分な光が得られる。注ぐ魔力の量で光量を調節できる型の魔道具はなかなかいい値段がするけれど、いつか自分用に購入したいものだ。

 机上にある書類を種類毎に仕分けて、それから一気に片付けていく。

 ほとんどが単純な決済書類で、団員からの陳情も稀にある、そして一番問題なのが物品の購入申請だ。貴族出の騎士から来るのは、少々高めの物品の購入申請が上がってきて、平民出の騎士からのものはごく普通の消耗品だが……。

「だが、この量は問題だな、在庫と使用簿を照合しなくては……」

 前に消耗品を横流ししている馬鹿者がいたのだ。国からいただいている大事な金で、懐を潤すなど言語道断。

「ひいては第五騎士団の汚名になると、なぜわからんのか……」

 ただでさえ、お荷物騎士団などと呼ばれているのに。いや、それなら最初に糾弾すべきは副団長だろうか。改造制服も執務室の調度品も騎士団の予算ではなく、自らの懐から出しているので、そちらの罪はないが、職務を放棄している罪で。

 だが、と、胸の中に苦い澱が沈む。

 わかっている――副団長の仕事をこうして肩代わりしている時点で、私に彼を糾弾する資格はないことを。
 本来ならばちゃんと諫言しなければならないのに、私は保身のためにできないのだ。

 自らの不甲斐なさにペンが鈍る。

「あと、一年だ」

 あと一年頑張れば、逃れることができる。

「…………のがれる」

 思い浮かんだ言葉にペンが止まり、握る手に力がこもり、軸がミシッと軋んだ。

「違うな、あと一年を悔いの残らぬように、だ」

 小さく呟き、後ろ向きになりそうな自分を胸の中で叱責する。

 一年後自分はここに居ない。領地に戻り、突貫工事で淑女教育を受け直し……正直に言って、淑女の振る舞いを身につける自信は無いんだが……どこか格下の男爵家あたりに嫁に行くことになるだろう。二十歳を過ぎて許嫁もいない身だが、男性に比べて女性の人数が少ない現状であれば、どこぞのヒヒじじいの後家になることはないだろう、いや、ないと思いたい。

「いっそ平民に嫁ぎたいな。いまなら、鍬だろうが鎌だろうが、持つのに苦はないのだが」

 我が家の領地は、北の国境を守護する辺境伯の領地と隣り合っているちいさな山間部だ。

 一年の大半は雪に覆われ、織物や工芸品等の手工業が大きな収入源であるちいさな土地。歴史だけは古く、建国当時から既に領地としてあった……もっともその頃は、我が家こそ辺境伯であったのだが、武に秀でてはいるものの領地の経営には長けていなかったらしく、色々あって領地は現在の猫の額ほどで落ち着き、降格し続けた家格は子爵となっていた。

 問題は、歴史だ。

 下手に歴史があるから、歴代の当主は自分の代で絶やすことがないように必死になるのだ。
 だから、現当主である父上などは血迷って、長女の私を男として王都に送り込んだ。

 アーバイツ家が現在も健全であることをアピールしたいのだろうが、私のような貧弱な者に騎士をさせることのほうが恥ではないのか。

 領地には、私を花嫁修業に王都に出ているとうそぶき。こちらには息子として、騎士としての仕事をあてがう。

 それもこれも、まだ幼い弟の為。

「なんとも、短絡的だ……。歴代当主がこれだから、我が家の領地は猫の額なのだろうな」

 ため息も漏れるというもの。

「せめて、これくらい泥臭く生きてくれれば、領地を削ることもなかったろうに」

 手にしていた書類を脇に避ける。陳情書と言う名の、密告。
 だが注意しなくてはならないのは、これがでっち上げでないかどうかだ。

「面倒だな……」

 私には権限がなにもないから、部下などもいない。裏を取るなら、自分で行わなければならない……面倒だな団長に投げよう。彼ならば、信頼の置ける部下が何人も居る、捜査を任せることも容易いだろう。

 一通り書類を片付け、団長の決裁が必要な書類をまとめて持ち、一番下に問題の書類を入れて机を片付ける。

 副団長の御指導があったから、少々遅い時間になってしまったが。早く届けて、帰って寝たい。今日は色々あって、本当に疲れた。

 書類を持って人気の無い通路を選んで通り、団長の執務室を目指す。

 ドアをノックし、返事がないのを確かめて中に入る。案の定誰も居ない、とっくに御自宅に帰られている時間だものな。この時間に仕事をしているのは、本来夜勤の者だけだ。

 ドアには認証魔法が組み込まれているので、室内が無人の場合は決められた人間しかこのように自由に入ることはできない。

 私は副団長の体のいい使いっ走りであるので、その人数に含められている。万が一問題が発生した時のことを考えると恐ろしいが、拒否権はなかったのだからしょうがない。

 部屋の灯りをつけて、執務机の所定の位置に書類を置き、一番下に持っていた案件……密告文書を、いつものように机の引き出しに滑り込ませた。

 これで今日の仕事は終了だ。ホッと安堵の吐息を溢して灯りを消し、部屋を出る。



「よぉ、また副団長の尻拭いか」
「騎士シュベルツ。食堂ではありがとうございました、助かりました」

 私が部屋から出るのを待ち構えていたかのようなタイミングで声を掛けてきた彼に、驚いたのを表に出さないようにしてゆっくりと頭を下げる。

 敢えて問いには答えず食堂の礼を優先させた私に、彼は肩を竦めた。

「礼には及ばん、団長からの命令だからな」

 団長至上主義である彼らしい答えが、いっそ清々しい。

「では、礼は撤回しておきましょう。この度の面倒は、団長直々にいただいたものなので」
「本当に、いい性格になってきやがったな」

 彼も寮に戻るところなのか、私の横を同じ歩調で歩きながら、苦々しい声を吐く。

「寮ならともかく、基地ではきちんとした言葉遣いを」

 どこに面倒なやからがいるかわからないのだから、とまでは言わずに、さっと注意をしておく。

「忠告、痛み入る。それで、いまさら従騎士を引き受けたのは、団長の命令だけなのか?」
「拒否はしたのですよ。あと一年しか居ない者に従騎士を付けるなど、勿体ないでしょう」

 竦める私の肩に手が掛かり、歩みを止められる。

「なぜ辞めるんだ。父君もまだお若く健在なのだろう? 家を継ぐ準備にしては、早すぎやしないか」

 小出しにした、嘘ではないが正確でもない私の身の上を覚えていたらしい彼の言葉に、頬が強張ってしまう。ここが薄暗い廊下でよかった、今日はなぜか上手く顔を取り繕えない。

「いや、私は家は継ぎません。そうではなく……また別の、貴族ならではのややこしい事情があるだけです」
「継がない、のか? 確か、長子なのだろう?」

 驚いたような声に、苦い笑みが頬に浮かんでしまう。彼から顔をそらして軽くうつむけば、私よりも長身の彼からは私の表情は見えない。

「そうですね”長子”ではあります」
「あ……ああ、悪い。立ち入ったことを……」

 意味深に繰り返せば、なにかあるのを察して引いてくれる彼に、そっと口を閉ざす。

 長子世襲であれば、男装することもなく騎士になることもなかったのに。嘆くのは、せんいことだ。

「私が団を退いた後は、どうぞあの者をよろしくお願いいたします」
「貴族であるあなたなら、御同類の騎士に頼まれたほういいのでは?」

 使い慣れない様子の言葉使いで牽制され、胸が小さく痛んだ。わかってはいる、平民と貴族は相容れないのだと。
 だから、私もずっと線を引いて接してきたのに、いまさら彼らに頼ろうなどと……虫のいい話だったな。恥ずかしいことをしてしまった。

 どう返事をしようか考えあぐねて黙ってしまった私の頭が、大きな手にぐしゃぐしゃとかき混ぜられて、つんのめりそうになる。

「本当にお前は、真面目すぎる。それだから、貴族出の連中にいいように使われるんだ、今だって、エイジュードのヤツの尻拭いの書類だったんだろう、いっそお前が副団長になっちまえばいいんだよ」
「そんな面倒は御免です」

 顔をあげてきっぱりと言い切り、乱された髪の毛を手ぐしで整える。

「それに、書類仕事の手伝いは、悪いことばかりではありません。貴族、平民関係なく、色々と把握することができますし」

 書類から見えてくるものもある、そしてそれが弱みになることだって多々あるわけで。ひ弱で後見もろくに無い私がそれなりにやってこれたのは、書類仕事に長けていて、歴代の副団長から重宝されていたお陰だ。

「はは……なるほどな、そういやそうだ」

 彼もまた脛(すね)に傷を持つ身であり、私に僅かばかりの弱みを握られている人物だった。

「そういうわけで、騎士シュベルツ、シュラのことよろしく頼みますね」
「仕方ねえなぁ、わかったよ」

 ようやく了解を取り付けられホッとして、彼と連れだって寮に戻った。

 寝ているシュラに配慮して部屋のドアの開け閉めの音に注意しながら、自分の寝室にたどり着いて気が抜けた。
 一日の汚れを服も体もいっぺんに浄化の魔法で綺麗にして、動きやすい寝間着に着替えてベッドに潜り込んだ。



 長い一日が終わり、目を閉じると、吸い込まれるように意識がなくなる。

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