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第一章
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威圧していた第二研究室の面々が居なくなり、ディアスはへたり込みそうになるのを、なんとか堪えて顔をあげてグレイドを見た。
眼鏡の奥の真摯な視線に情欲が宿っていないらしい様子に、ホッと胸をなで下ろす。
(これだけ距離があれば、まだ、大丈夫みたいだわ。お礼を言わなきゃ……いえ、話をぶり返さない方が賢明かしら)
「……彼等、無駄に自尊心が高いから、本当に辞めますよ」
忠告するようにそう言ったディアスに、グレイドは「それなら、それで構わない」と疲れた声音で答え、執務机の前に回り込んでその頑丈な机に浅く腰掛け、机上の箱から数枚の書類を取り出した。
「ところで、ディアス室長。これを作ったのは君で合っているか?」
ペラリと差し出された紙を受け取らない訳にはいかず、壁際からそろりと離れ素早く書類を受け取って距離を取った。中身に目を通し、ギクリと体が強張ったのをせめて表情には出さないようにしながら、机の端に書類を戻す。
「…………」
「第二研究室長のサインがありますので、そちらの書類でしょう」
サイン以外の筆跡は自分であることは伏せて、しれっとそう伝える彼女を、グレイドは胡乱な目で見る。
「なぜ、そんなに離れるんだ。彼等のような下種と混同されるのは、心外なのだが」
「いえ! そういう、わけではありません」
少しだけ寂しそうに言ったグレイドの言葉に反射的に答えたディアスは、しまったというように顔を強張らせた。
なぜなら机に浅く腰掛けていたグレイドが身を起こし、近づいてきたのだから。
「では、なぜなんだ? 近づいただけで、こんなに脅えて」
「脅えてなど、おりませんっ」
長身で体格のいい彼に見下ろされ、逃げたくなるのを気力でその場に縫い付ける。
「顔色もよくない」
「日が陰ってきたせいでしょう。グレイド師長、御用件が終わったのでしたら、私はこれで――」
逃げようとするディアスの腕を、グレイドの大きな手が掴んで阻み、彼は怪訝そうにスンと鼻を鳴らした。
「ディアス室長、君からなにか魔力を使っている気配がするんだが」
掴まれていた手を振り払い、眼鏡の奥の彼の目を睨み付けた。
(大丈夫、まだ色に狂った目をしてないわ。純粋に、私を案じているだけ? でも、これ以上この人に探られてはいけないわ。もしも私の体質のことが明るみになったら、ここで働けなくなるかもしれないもの。そうなったら、この体質をどうにかする術が遠のいてしまう)
「生憎と魔力石など身につけてはいませんよ。なんなら、身体検査でもしてみます?」
襟元に人差し指を引っかけて、くいっと引っ張って見せたディアスに、グレイドは顔を顰めて拒否を示す。
「いや、結構だ。それよりも、他に、これとこの書類も君が作ったものだな?」
ぺらり、ぺらりと目の前に出された書類は、やはり同じ筆跡で、サインだけが違っていた。
(ちゃんと清書してから提出てくださいって言って渡してるのに! ずぼらな事してぇっ!)
第一研究室と第三研究室の室長へ恨みの念を放つディアスよ様子を見て、回答を得たグレイドは呆れたように溜め息を吐いた。
「脅されて、代筆しているのか?」
「いいえ、ちゃんとお互い様な関係です。私は、他の方よりも書類仕事が得意なので、時々手伝わせて頂いております。代わりに第五研究室に多少の便宜を図って貰っていますが、それだって、研究用の魔力石を融通してもらったりといった程度ですので。……勿論、駄目でしたら、今後は控えるようにいたしますが……」
(書類の代行でもしないと、第五に実験用の材料なんて回ってこないのよ! そもそも研究費自体、すずめの涙なんですもの。もしこれを禁止されたら、これからどうやって、魔力石を融通しようかしら。師長に直談判すれば、研究費を上げてくれたりするかしら)
どういう沙汰が下るのかとドキドキする内心を押し殺してグレイドを見上げるディアスに、彼は書類に目をやりながら口を開いた。
「君の書類は大変見やすく、書類の形式も規則通りのものをちゃんと使っている。今後朝の数時間、私の補佐について貰えないだろうか」
「は?」
一瞬言われたことを理解できず、ぽかんとしたディアスに、グレイドは視線をやってもう一度願いを口にした。
「君の書類仕事は素晴らしいので、私の補佐について欲しい。無論、余計な仕事を増やすのだから、給与にも反映させるし。不当に下げられていた第五研究室の研究費も早急に元に戻そう」
眼鏡の向こうの視線が優しいものになったのに気付いたディアスは、彼が年々第五研究室の研究費が削られていることを知っているのだと察した。
基本的に変わり者が多い魔術研究部の人間の中でも、ひときわ変なのばかりが集まるせいか、なぜかお荷物呼ばわりされる第五研究室の機材は他の研究室からのお下がりばかりで、壊れても自分達で直してなんとか使っている状態であるのに加え、女の身で室長をしているディアスを目障りだと考えている人間がいるため……それはコネで魔術師になった連中なのだが、そのコネが侮れず、第五研究室は現在の待遇に甘んじなければならなかった。
そのことを自分の責任と捉えたディアスが、一人でなんとかしようと躍起になっていることも、もしかしたら気付いているのかも知れない。
探るような視線を向けるディアスに、腕を組んだグレイドは問うように首を傾けた。
ディアスは、彼のなにもかも知っているような黒い瞳に観念する。
(ようは、予算を戻す理由が欲しいってことよね。それなら頷く以外ないじゃない)
「承知、いたしました。ですが、男女が二人きりで部屋に籠もるのは、倫理上よくありませんので、仕事はここで受け取って、研究室の方で仕事をおこないたいのですが」
「それはできない。重要な案件も混ざっているので、ここでやって貰う。だが、そうだな、確かに外聞は悪いだろうから、なにか考えておこう。明日から頼む」
退けない一線を提示したディアスに、代替え案を用意することを約束する。
(やはり彼女は、私に興味の無い女性なんだな。彼女とならば、割り切ったいい仕事ができそうだ)
そう思わず頬を緩めたグレイドを見て、ディアスはざわりと身の内にざわめくものを感じて慌てて退室を請う。
「承知致しました、明日よりこちらにお伺い致します」
「ああ、よろしく頼む。今日は時間を取らせて悪かった」
ドアの前で退室の礼をしたディアスに、ねぎらいの声を掛けてドアが閉まるのを見送ったグレイドは、机に体を凭れさせて足を組むと第二研究室にどう対応するか思案を巡らせた。
眼鏡の奥の真摯な視線に情欲が宿っていないらしい様子に、ホッと胸をなで下ろす。
(これだけ距離があれば、まだ、大丈夫みたいだわ。お礼を言わなきゃ……いえ、話をぶり返さない方が賢明かしら)
「……彼等、無駄に自尊心が高いから、本当に辞めますよ」
忠告するようにそう言ったディアスに、グレイドは「それなら、それで構わない」と疲れた声音で答え、執務机の前に回り込んでその頑丈な机に浅く腰掛け、机上の箱から数枚の書類を取り出した。
「ところで、ディアス室長。これを作ったのは君で合っているか?」
ペラリと差し出された紙を受け取らない訳にはいかず、壁際からそろりと離れ素早く書類を受け取って距離を取った。中身に目を通し、ギクリと体が強張ったのをせめて表情には出さないようにしながら、机の端に書類を戻す。
「…………」
「第二研究室長のサインがありますので、そちらの書類でしょう」
サイン以外の筆跡は自分であることは伏せて、しれっとそう伝える彼女を、グレイドは胡乱な目で見る。
「なぜ、そんなに離れるんだ。彼等のような下種と混同されるのは、心外なのだが」
「いえ! そういう、わけではありません」
少しだけ寂しそうに言ったグレイドの言葉に反射的に答えたディアスは、しまったというように顔を強張らせた。
なぜなら机に浅く腰掛けていたグレイドが身を起こし、近づいてきたのだから。
「では、なぜなんだ? 近づいただけで、こんなに脅えて」
「脅えてなど、おりませんっ」
長身で体格のいい彼に見下ろされ、逃げたくなるのを気力でその場に縫い付ける。
「顔色もよくない」
「日が陰ってきたせいでしょう。グレイド師長、御用件が終わったのでしたら、私はこれで――」
逃げようとするディアスの腕を、グレイドの大きな手が掴んで阻み、彼は怪訝そうにスンと鼻を鳴らした。
「ディアス室長、君からなにか魔力を使っている気配がするんだが」
掴まれていた手を振り払い、眼鏡の奥の彼の目を睨み付けた。
(大丈夫、まだ色に狂った目をしてないわ。純粋に、私を案じているだけ? でも、これ以上この人に探られてはいけないわ。もしも私の体質のことが明るみになったら、ここで働けなくなるかもしれないもの。そうなったら、この体質をどうにかする術が遠のいてしまう)
「生憎と魔力石など身につけてはいませんよ。なんなら、身体検査でもしてみます?」
襟元に人差し指を引っかけて、くいっと引っ張って見せたディアスに、グレイドは顔を顰めて拒否を示す。
「いや、結構だ。それよりも、他に、これとこの書類も君が作ったものだな?」
ぺらり、ぺらりと目の前に出された書類は、やはり同じ筆跡で、サインだけが違っていた。
(ちゃんと清書してから提出てくださいって言って渡してるのに! ずぼらな事してぇっ!)
第一研究室と第三研究室の室長へ恨みの念を放つディアスよ様子を見て、回答を得たグレイドは呆れたように溜め息を吐いた。
「脅されて、代筆しているのか?」
「いいえ、ちゃんとお互い様な関係です。私は、他の方よりも書類仕事が得意なので、時々手伝わせて頂いております。代わりに第五研究室に多少の便宜を図って貰っていますが、それだって、研究用の魔力石を融通してもらったりといった程度ですので。……勿論、駄目でしたら、今後は控えるようにいたしますが……」
(書類の代行でもしないと、第五に実験用の材料なんて回ってこないのよ! そもそも研究費自体、すずめの涙なんですもの。もしこれを禁止されたら、これからどうやって、魔力石を融通しようかしら。師長に直談判すれば、研究費を上げてくれたりするかしら)
どういう沙汰が下るのかとドキドキする内心を押し殺してグレイドを見上げるディアスに、彼は書類に目をやりながら口を開いた。
「君の書類は大変見やすく、書類の形式も規則通りのものをちゃんと使っている。今後朝の数時間、私の補佐について貰えないだろうか」
「は?」
一瞬言われたことを理解できず、ぽかんとしたディアスに、グレイドは視線をやってもう一度願いを口にした。
「君の書類仕事は素晴らしいので、私の補佐について欲しい。無論、余計な仕事を増やすのだから、給与にも反映させるし。不当に下げられていた第五研究室の研究費も早急に元に戻そう」
眼鏡の向こうの視線が優しいものになったのに気付いたディアスは、彼が年々第五研究室の研究費が削られていることを知っているのだと察した。
基本的に変わり者が多い魔術研究部の人間の中でも、ひときわ変なのばかりが集まるせいか、なぜかお荷物呼ばわりされる第五研究室の機材は他の研究室からのお下がりばかりで、壊れても自分達で直してなんとか使っている状態であるのに加え、女の身で室長をしているディアスを目障りだと考えている人間がいるため……それはコネで魔術師になった連中なのだが、そのコネが侮れず、第五研究室は現在の待遇に甘んじなければならなかった。
そのことを自分の責任と捉えたディアスが、一人でなんとかしようと躍起になっていることも、もしかしたら気付いているのかも知れない。
探るような視線を向けるディアスに、腕を組んだグレイドは問うように首を傾けた。
ディアスは、彼のなにもかも知っているような黒い瞳に観念する。
(ようは、予算を戻す理由が欲しいってことよね。それなら頷く以外ないじゃない)
「承知、いたしました。ですが、男女が二人きりで部屋に籠もるのは、倫理上よくありませんので、仕事はここで受け取って、研究室の方で仕事をおこないたいのですが」
「それはできない。重要な案件も混ざっているので、ここでやって貰う。だが、そうだな、確かに外聞は悪いだろうから、なにか考えておこう。明日から頼む」
退けない一線を提示したディアスに、代替え案を用意することを約束する。
(やはり彼女は、私に興味の無い女性なんだな。彼女とならば、割り切ったいい仕事ができそうだ)
そう思わず頬を緩めたグレイドを見て、ディアスはざわりと身の内にざわめくものを感じて慌てて退室を請う。
「承知致しました、明日よりこちらにお伺い致します」
「ああ、よろしく頼む。今日は時間を取らせて悪かった」
ドアの前で退室の礼をしたディアスに、ねぎらいの声を掛けてドアが閉まるのを見送ったグレイドは、机に体を凭れさせて足を組むと第二研究室にどう対応するか思案を巡らせた。
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