上 下
39 / 49

第39話 ※アレクシス視点(9):火がともる

しおりを挟む
 セントナ港へ向かう前に準備と報告をと、いつもよりかなり早い帰宅をすると皆驚いた表情で私を出迎えた。その中にももちろんブランシェがいる。軽く彼女に言葉をかけるとボルドーに視線を向ける。

「これからセントナ港へ向かう。今夜はそちらで夜勤となる。すぐに出るので準備を頼む。私も着替えてから行く」

 今回、紋章の入った官服を着てセントナ港に入らないよう指示している。こちらからご丁寧に敵に知らせて取引を中止させるわけにはいかない。向こうの施設に入ってから再び着替えることにする。

「承知いたしました」

 ボルドーらは準備に走り、玄関に残されたのは私とブランシェのみだ。今朝の距離とは違い、ブランシェはいつもと同じく手を少し伸ばせばすぐ届く所にいる。また、外されていた赤い髪飾りが彼女の左耳の上に美しく咲いていた。

「急務のことで忙しないが頼む」
「はい。これからまたセントナ港でお仕事なのですか」
「ああ。視察だ。先日君と行ったばかりなのにな」
「そうですね。ですが、今回アレクシス様は町をより良くされるために向かわれるのですものね」

 ブランシェは小さく笑った。
 もしかして視察の下見だったことに気付かれていたのだろうか。なぜだかそんな風に思った。

「慣れぬ場所でのお務めですからどうぞお気をつけくださいませ」
「ありがとう」

 そのまま二人とも黙り込んでしまったが、ここで何も言わなければまた同じ過ちを繰り返すことになる。身を引くことが必ずしも良い結果になるわけではないのは思い知った。時には強引であってもいいのだろう。
 そう思って口を開いたが。

「ブランシェ」
「アレクシス様」

 同時に名前を呼び合った。

「何だ?」
「何でしょうか」

 また同時に尋ね合う。
 何だかおかしくなり、ブランシェも同じ気持ちだったようで互いに相好を崩して少しの間笑った。しかしこのままだと話が進まないので、ブランシェに先を譲ることにした。

「ありがとうございます。ではお先に失礼いたします。ただ、今ではなく、アレクシス様がお帰りになられたらお話ししたいことがございます」
「奇遇だな。私も君に話したいことがある。そして聞きたいこともある」
「はい。承知いたしました。……何でもお答えいたします」

 彼女は今朝とは違い、何か決意を秘めたような強い瞳と声に変わっていた。

「ブラン――」
「旦那様、ご用意いたしました。……旦那様はまだご準備なさっていないようですね」

 ボルドーが異常な速さで準備して戻ってきたことで話が中断する。さらに私を冷めた目で見てきた。
 早く私も準備しろということだろう。もう少し彼女と話をしたかったが仕方がない。
 心の中でため息をつく。

「分かった。着替えてくる」
「アレクシス様、わたくしもお部屋までご一緒してよろしいでしょうか」
「え? ……ああ。ありがとう」

 ブランシェは特に用事があるわけでもないだろうが、私の後ろに付いてくる。階段で話していてブランシェが足を踏み外したことがあるので、そこでは黙ったまま先に行く。二階に上がり、足取りを緩めると彼女と横に並ぶ。

「先ほどの話は今では駄目なのか?」

 彼女は私を仰ぎ見ると小さく笑みを見せた。

「ええ。少々長くなりますもので。アレクシス様のお話は何でしょうか」
「私も長い話になるな」
「では、やはりアレクシス様がお帰りになってからの方がよろしいですね」

 ブランシェは微笑んでいるが、どことなく寂しそうな表情にも見える。

「そうだな。……ブランシェ、昨夜はすまなかった」
「いいえ。わたくしの方こそ失礼な態度を取り、誠に申し訳ございませんでした」
「いや」

 私は自分の部屋の前で足を止めた。

「ありがとう」
「お着替えをお手伝いいたします」
「え?」
「いけませんか」

 仰ぎ見てくるブランシェの不安に揺れる瞳にこちらまで戸惑いを隠せない。

「……いや。ありがとう。ではよろしく頼む」
「はい」

 私は笑顔を取り戻したブランシェを部屋に招き入れた。


 着替えを済ませると二人して部屋を出る。
 ブランシェは玄関まで見送ってくれるそうだ。

「お帰りは明日でしょうか」
「そうだな。できるだけ早く帰ってくる」
「……はい」
「何だ。早く帰ってきてほしくないという顔だな」

 ブランシェの微妙な反応に少し拗ねたように言うと、彼女はくすりと笑った。

「いいえとも、はいとも言えそうです」
「と言うと?」
「アレクシス様には早くお会いしたいのですが、早いお帰りは残念に思います」

 謎かけのような不思議な言葉に首を捻る。

「よく分からないな」
「ええ。わたくしも自分で何を申しているのか分かりませんもの。ですがアレクシス様のお帰りを心待ちにしております」
「そうか」

 階段を下りて玄関へと向かうと、待機しているボルドーが視線に入って思わず苦笑してしまう。

「ボルドーは早く行けと思っているかもな」
「いいえ。侍従長も旦那様の無事で早いお帰りをいつも望まれておりますよ」
「――え?」

 今、名前ではなく旦那様と。
 なぜだか分からないが、その言葉の意味が重く胸に響く。

「アレクシス様? どうなさったのですか?」

 彼女は何の気もなかったかのように微笑んだ。

「いや。それでは行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」

 足を進めてボルドーから荷を受け取ると、彼女にもう一度顔を見せて身を翻す。

「――アレクシス様」
「何だ?」

 振り返るとブランシェは背伸びして私の肩に手を置いたかと思うや否や、次の瞬間には唇に火がともった。その熱は彼女が踵を下ろしたことですぐに消え失せたが、確かにそれは彼女からの初めての口づけだった。

「どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」
「……ああ。行ってくる」

 頷くと今度こそ踵を返して家を後にする。
 唇にともった火は瞬く間に消えたが、代わりに耳に火がともった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄、修道院送り、でも冤罪で謝るのは絶対に嫌。本当に悪いことをしてから謝ろうと思います。

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚約者と仲のいい相手を虐めた……ということにされてしまった、夢を見たの。 そんなの耐えられない。修道院で静かに暮すのはいいけれど、冤罪で謝るのは絶対に嫌。だったら本当に虐めてから、全力で謝ってあげます。

Bグループの少年

櫻井春輝
青春
 クラスや校内で目立つグループをA(目立つ)のグループとして、目立たないグループはC(目立たない)とすれば、その中間のグループはB(普通)となる。そんなカテゴリー分けをした少年はAグループの悪友たちにふりまわされた穏やかとは言いにくい中学校生活と違い、高校生活は穏やかに過ごしたいと考え、高校ではB(普通)グループに入り、その中でも特に目立たないよう存在感を薄く生活し、平穏な一年を過ごす。この平穏を逃すものかと誓う少年だが、ある日、特A(特に目立つ)の美少女を助けたことから変化を始める。少年は地味で平穏な生活を守っていけるのか……?

追放薬師は人見知り!?

川上とむ
ファンタジー
幼き頃より将来を期待された天才薬師エリン・ハーランドは両親を病気で亡くし、叔父一家に引き取られる。彼女は叔父の工房で奴隷同然のひどい扱いを数年間にわたって受けた挙げ句、追放されてしまう。 叔父から受けた心の傷が原因ですっかりコミュ障となってしまったエリンだったが、薬師としての腕前は健在であった。エリンが新たに拾われた薬師工房でその腕前を遺憾なく発揮していく中、愚かにも彼女を追放した叔父の工房は簡単な薬さえ作れなくなり、次第に経営が傾いていく。

悪役令嬢に転生してストーリー無視で商才が開花しましたが、恋に奥手はなおりません。

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】乙女ゲームの悪役令嬢である公爵令嬢カロリーナ・シュタールに転生した主人公。 だけど、元はといえば都会が苦手な港町生まれの田舎娘。しかも、まったくの生まれたての赤ん坊に転生してしまったため、公爵令嬢としての記憶も経験もなく、アイデンティティは完全に日本の田舎娘。 高慢で横暴で他を圧倒する美貌で学園に君臨する悪役令嬢……に、育つ訳もなく当たり障りのない〈ふつうの令嬢〉として、乙女ゲームの舞台であった王立学園へと進学。 ゲームでカロリーナが強引に婚約者にしていた第2王子とも「ちょっといい感じ」程度で特に進展はなし。当然、断罪イベントもなく、都会が苦手なので亡き母の遺してくれた辺境の領地に移住する日を夢見て過ごし、無事卒業。 ところが母の愛したミカン畑が、安く買い叩かれて廃業の危機!? 途方にくれたけど、目のまえには海。それも、天然の良港! 一念発起して、港湾開発と海上交易へと乗り出してゆく!! 乙女ゲームの世界を舞台に、原作ストーリー無視で商才を開花させるけど、恋はちょっと苦手。 なのに、グイグイくる軽薄男爵との軽い会話なら逆にいける! という不器用な主人公がおりなす、読み味軽快なサクセス&異世界恋愛ファンタジー! *女性向けHOTランキング1位に掲載していただきました!(2024.9.1-2)たくさんの方にお読みいただき、ありがとうございます!

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

夫が大人しめの男爵令嬢と不倫していました

hana
恋愛
「ノア。お前とは離婚させてもらう」 パーティー会場で叫んだ夫アレンに、私は冷徹に言葉を返す。 「それはこちらのセリフです。あなたを只今から断罪致します」

君しかいないと言っていた男爵様が他の方と愛し合っていたので、彼らを後悔させます

あんみつ豆腐
恋愛
君しかいないと甘い言葉を囁く婚約者エドワード。 リリアはそんな彼のことが好きだったが、舞踏会の夜、彼が他の女性と愛し合っているところを発見する。 リリアは心を傷つけられ、どんな手を使ってでも彼らに復讐してやろうと決意する。

婚約破棄? では私は王子殿下と再婚約しますね

マルローネ
恋愛
伯爵令嬢のランゼは侯爵令息のグランドと婚約をしていたが破棄されてしまう。 こちらの反論は全く聞いてくれない身勝手なものだったが、ランゼには幼馴染の王子殿下がいたのだ。 彼との仲が深まっていき……グランドは嫉妬していくが……。

処理中です...