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第25話 成長していたい
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「わ、わたくしパストゥール家の女主人となる自信がありません」
もちろん私がなる必要はないのだが、テーブルの上で溶けている私は思わず呟いた。
パストゥール家にやって来てもう十日も経つのに、ボルドーさんから何一つ褒められたことはない。せっかく先日のグレースさんの言葉で気持ちが奮い立ったのに、ボルドーさんの指導が入る度に気持ちが一つずつ削られていく気がする。
「自分の弱さばかりどんどん目に入って増えていくのですが、どうしたらよいのでしょう、グレースさん」
自分の弱さから目を逸らさないということはなかなかの苦行である。グレースさんのお言葉の方がまさかのスパルタ教育だったという……。
「奥様ガンバレ」
いつもは明るいライカさんの声にも今日は力がない。
一方、グレースさんも苦笑しているようだ。
「奥様、大丈夫ですよ。侍従長は奥様に見込みがあると思っているからこそ、厳しくしているのです」
「……え?」
のそのそと重い気持ちで顔を上げるとグレースさんは微笑んだ。
「侍従長を見ていると分かります。奥様に指導している時は生き生きしておりますから」
「それは侍従長という職に誇りを持ち、生き甲斐としているからでは」
アレクシス様がそう言っていた。
彼のご両親と共に第一線を退けば、少なくとも現当主を支えるという今の重大な役職から離れて心安らかに暮らせるのに、ボルドーさんは現役であることを望んだ。
「ええ。それもあるでしょう。ですが侍従長の目は死んでおりませんよ。決して嫌々教えているわけではありません。輝いています。嫌なら奥様といえども見限ってもう見放していることでしょう。なぜなら奥様を教育するよりも、この家の全てを知り尽くしている自分が動いた方が手っ取り早いのですから」
長年、侍従長を見てきたグレースさんがそう言うのならばそうなのだろうか。いや。彼女の言葉には不思議と人をやる気にさせる力があるのだ。それはきっとグレースさんの品格であり、積んできた経験だろう。
「グレースさん! わたくし、頑張ります!」
「ええ。微力ながらわたくしもお手伝いさせていただきます」
「さすがは鞭の侍従長に、人参の侍女長! よっ! 馬車馬使い!」
掛け声をかけたライカさんの左頬を笑顔のグレースさんが思いっきり、右頬を私が遠慮がちに引っ張った。
本日アレクシス様は職場でお泊りだとのことを今朝、直にお伝えいただいたので、夕食を部屋で一人済ませた。
彼が私の部屋で休むと宣言してから、ここで休んだのは私が知る限りでは最初を含め二回にとどまる。それだけお忙しいのだろう。夜を共にしたくなくて帰ってくるのを遅くしていなければ、の話だが。
被害妄想はここまでとして……。
そろそろ実家に近況を知らせる内容とそれとなくブランシェの捜索を尋ねる手紙を書くことにする。近況報告するには少し早いなとか、もう里心が付いたのかと思われるかもしれないが、きっとそこまで不審には思われないだろう。
私はペンを手に取る。
元気でやっている旨と姉のアンジェリカは元気かという内容だ。まさか家族への手紙を検閲されるとは思わないが、国防を担うという特殊な家系だから念のためである。それにそう書けば家族にも私の意図が伝わって、返事する際にもより注意を払ってくれるに違いない。
ブランシェは今どこにいるのだろうか。
双子は感覚を共有する力に優れると巷では聞くが、私には彼女が今どこでどんな気持ちでいるのかは分からない。もちろん居場所なども一切分からない。何を思って全てを投げ出す気持ちになったのか、どんな気持ちで決行したのか、何一つ私には分からない。
思えば双子で顔かたちもそっくりの私たちだと言うのに能力差があり、服や食の趣味、食事量、友人関係は驚くほど違った。
彼女は双子でありながら私よりもはるかに能力が優れ、好敵手と言えないほどの差がある羨みの対象であり、妬みの対象だった。そんな目で見ていた私だからこそ、彼女の気配すら察することができないのかもしれない。
彼女の能力が暴走したその時も予感すらしなかった。あるいはそれは私の能力が低すぎて感知できなかったのかもしれないが……。
ブランシェは結婚式当日、何も持たない状態で逃げ出した。
おそらくは私の婚約者、元婚約者でいいか、元婚約者が手引きしたのだろうが、路銀はまだ残っているのだろうか。それともこの駆け落ちは綿密に計画されたもので、たくさんの資金を手に行われたのだろうか。
元婚約者はまだ爵位を継いでもいない何の力もない、自分の手でお金を稼いだこともない、いわゆるお坊ちゃんだ。
稼がなければいくら大金を持っていたとしても、お金はいずれ尽きる。その先、二人はどうするつもりなのだろう。頃合いを見計らって戻って来るのか。捕まるのが先か。
ブランシェが帰ってきた時、私は何と言うだろう。
思いつく限りの悪言でなじり、罵り、憤るだろうか。それともざまあみなさいと嘲り笑うだろか。
「言ってしまうかもしれないわね」
くすりと自嘲の笑いが零れる。
元々はそんな気持ちで引き受けた身代わりなのだから。
……だけど嫌だ。
嫌だと思う。そんな醜い自分は嫌だと思う。
そんな醜い姿は見られたくない。指導してくれるボルドーさんに。期待してくれるグレースさんに。応援してくれるライカさんに。
知られたくない。――高潔なアレクシス様に。
それでも今の私ならきっと言ってしまうだろう。
ここで、このパストゥール家で精一杯頑張って、自分に自信が持てるようになったならば、彼女が戻ってきた時に笑顔でお帰りと言ってあげられるだろうか。
いや。ここを出る頃にはそんな自分に成長していよう。
改めて決意を固めるとペンを置いた。
もちろん私がなる必要はないのだが、テーブルの上で溶けている私は思わず呟いた。
パストゥール家にやって来てもう十日も経つのに、ボルドーさんから何一つ褒められたことはない。せっかく先日のグレースさんの言葉で気持ちが奮い立ったのに、ボルドーさんの指導が入る度に気持ちが一つずつ削られていく気がする。
「自分の弱さばかりどんどん目に入って増えていくのですが、どうしたらよいのでしょう、グレースさん」
自分の弱さから目を逸らさないということはなかなかの苦行である。グレースさんのお言葉の方がまさかのスパルタ教育だったという……。
「奥様ガンバレ」
いつもは明るいライカさんの声にも今日は力がない。
一方、グレースさんも苦笑しているようだ。
「奥様、大丈夫ですよ。侍従長は奥様に見込みがあると思っているからこそ、厳しくしているのです」
「……え?」
のそのそと重い気持ちで顔を上げるとグレースさんは微笑んだ。
「侍従長を見ていると分かります。奥様に指導している時は生き生きしておりますから」
「それは侍従長という職に誇りを持ち、生き甲斐としているからでは」
アレクシス様がそう言っていた。
彼のご両親と共に第一線を退けば、少なくとも現当主を支えるという今の重大な役職から離れて心安らかに暮らせるのに、ボルドーさんは現役であることを望んだ。
「ええ。それもあるでしょう。ですが侍従長の目は死んでおりませんよ。決して嫌々教えているわけではありません。輝いています。嫌なら奥様といえども見限ってもう見放していることでしょう。なぜなら奥様を教育するよりも、この家の全てを知り尽くしている自分が動いた方が手っ取り早いのですから」
長年、侍従長を見てきたグレースさんがそう言うのならばそうなのだろうか。いや。彼女の言葉には不思議と人をやる気にさせる力があるのだ。それはきっとグレースさんの品格であり、積んできた経験だろう。
「グレースさん! わたくし、頑張ります!」
「ええ。微力ながらわたくしもお手伝いさせていただきます」
「さすがは鞭の侍従長に、人参の侍女長! よっ! 馬車馬使い!」
掛け声をかけたライカさんの左頬を笑顔のグレースさんが思いっきり、右頬を私が遠慮がちに引っ張った。
本日アレクシス様は職場でお泊りだとのことを今朝、直にお伝えいただいたので、夕食を部屋で一人済ませた。
彼が私の部屋で休むと宣言してから、ここで休んだのは私が知る限りでは最初を含め二回にとどまる。それだけお忙しいのだろう。夜を共にしたくなくて帰ってくるのを遅くしていなければ、の話だが。
被害妄想はここまでとして……。
そろそろ実家に近況を知らせる内容とそれとなくブランシェの捜索を尋ねる手紙を書くことにする。近況報告するには少し早いなとか、もう里心が付いたのかと思われるかもしれないが、きっとそこまで不審には思われないだろう。
私はペンを手に取る。
元気でやっている旨と姉のアンジェリカは元気かという内容だ。まさか家族への手紙を検閲されるとは思わないが、国防を担うという特殊な家系だから念のためである。それにそう書けば家族にも私の意図が伝わって、返事する際にもより注意を払ってくれるに違いない。
ブランシェは今どこにいるのだろうか。
双子は感覚を共有する力に優れると巷では聞くが、私には彼女が今どこでどんな気持ちでいるのかは分からない。もちろん居場所なども一切分からない。何を思って全てを投げ出す気持ちになったのか、どんな気持ちで決行したのか、何一つ私には分からない。
思えば双子で顔かたちもそっくりの私たちだと言うのに能力差があり、服や食の趣味、食事量、友人関係は驚くほど違った。
彼女は双子でありながら私よりもはるかに能力が優れ、好敵手と言えないほどの差がある羨みの対象であり、妬みの対象だった。そんな目で見ていた私だからこそ、彼女の気配すら察することができないのかもしれない。
彼女の能力が暴走したその時も予感すらしなかった。あるいはそれは私の能力が低すぎて感知できなかったのかもしれないが……。
ブランシェは結婚式当日、何も持たない状態で逃げ出した。
おそらくは私の婚約者、元婚約者でいいか、元婚約者が手引きしたのだろうが、路銀はまだ残っているのだろうか。それともこの駆け落ちは綿密に計画されたもので、たくさんの資金を手に行われたのだろうか。
元婚約者はまだ爵位を継いでもいない何の力もない、自分の手でお金を稼いだこともない、いわゆるお坊ちゃんだ。
稼がなければいくら大金を持っていたとしても、お金はいずれ尽きる。その先、二人はどうするつもりなのだろう。頃合いを見計らって戻って来るのか。捕まるのが先か。
ブランシェが帰ってきた時、私は何と言うだろう。
思いつく限りの悪言でなじり、罵り、憤るだろうか。それともざまあみなさいと嘲り笑うだろか。
「言ってしまうかもしれないわね」
くすりと自嘲の笑いが零れる。
元々はそんな気持ちで引き受けた身代わりなのだから。
……だけど嫌だ。
嫌だと思う。そんな醜い自分は嫌だと思う。
そんな醜い姿は見られたくない。指導してくれるボルドーさんに。期待してくれるグレースさんに。応援してくれるライカさんに。
知られたくない。――高潔なアレクシス様に。
それでも今の私ならきっと言ってしまうだろう。
ここで、このパストゥール家で精一杯頑張って、自分に自信が持てるようになったならば、彼女が戻ってきた時に笑顔でお帰りと言ってあげられるだろうか。
いや。ここを出る頃にはそんな自分に成長していよう。
改めて決意を固めるとペンを置いた。
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