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第10話 本当に恐ろしいのは

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「わぁ」

 馬車から降りてサザランスの町へと降り立つと、アレクシス様がおっしゃった活気づいた町の意味が分かった。
 たくさんの露店が出ていて、明るい表情の人々が行き交っている。

 港町はもう少し進んだ所にあるそうだが、そこでは交易盛んになってきた昨今では色々な珍しい舶来品や食材なども入ってきているとのこと。
 まあ、無法者も入ってくるそうだが、それはアレしてコレして排除されるらしい。……いや。深くは聞かないでおこう。
 もっともアレクシス様はこのサザランスを統括しているが、普段は国境沿いの要塞に常駐していて、港町は港町の警備隊が配備されているそうだ。

「海もいいですね」

 より潮の香りが強く感じられるここで、私は目を伏せて深呼吸した。

「そうか。では明日は海に行くか?」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「嬉しい。わたくし、海を見たのは小さい頃いら……」

 そこまで言ってはっと気づいた。
 そうか。記憶にはないが、私は幼い頃に海を見たことがあるんだ。だから潮の香りも海の匂いだと分かっていた。

「わたくし、幼い頃に海を見たことがあるようです。あまり覚えておりませんが、とても綺麗で感動した記憶があります」

 アレクシス様は途中で言葉を切った私を黙って見下ろすばかりなので、私はそう言って話を続けた。

「そうか。……何か思い出すといいな」


「美味しいっ!」

 私は串に刺されたお肉を笑顔で頬張る。
 ただ町を散策するだけのつもりだったのに、美味しそうな香りが辺りから漂ってきてふらふら引き寄せられていると、私の姿を哀れに思ったらしいアレクシス様が買ってくれた。

「本当に美味しそうに食べるな」
「はい。とても美味しいです!」
「食事の時もいつも美味しそうに食べるなと思っていた」

 そこまで言われてさすがに私は頬に朱が走った。

「も、申し訳ありません。わたくし、はしたないですね」

 まるで何も食べさせてもらっていない子みたい。お家でもしっかり頂いてきたのに。

「いいや。見ていて気持ちいい食べっぷりだ」
「そ、そうですか?」
「ああ。これからも遠慮することはない」
「ありがとうございます」

 恥ずかしくなりながらもお礼を言うと、アレクシス様も微笑を返してくれた。

 それにしても。
 私たちの格好は確かに少し浮いてはいるが、通りを歩いているとアレクシス様が町の人からよく気軽に声をかけられている。結婚の話も既に広まっていて、ちょっとしたお祭り騒ぎになるほど祝福の声がかけられた。

 自分の人生でこんなに人から注目されることはなかったので少し怯んでしまったが、アレクシス様の妻として恥じないように気品ある柔らかな笑顔を向けてみせる。……右手には二本の串を持ちながら。

 アレクシス様は領主様なのだから当然なのかもしれないが、死神卿という肩書を背負っていると思えないほど領民の皆さんは気安く話しかけているように思う。それによく顔を知られているなと思う。

「アレクシス様は町にはよく出られるのですか」
「頻繁ではないが、定期的に顔を出している。治安の確認もあるしな」
「そうなのですね」

 アレクシス様が歩いた後ろには草木の一本も生えないと聞いていたのに、実際のところ彼の後ろには楽しそうに、あるいは冷やかし目的で駆け寄ってくる領民の方々でたくさんだ。やはり噂にたくさんの背びれがついて、膨れ上がってしまったということなのだろうか。

 複数人の店のおじ様方に腕を組まれたり、肩を組まれて絡まれているアレクシス様を見てそんなことを考えていたその時。

「誰か! 誰かその男を捕まえてぇぇーっ! 私の鞄を取ったわ!」

 甲高い女性の悲鳴が上がった。
 しかしその時にはもう前方から女性物の鞄を手に、すごい形相をして勢いよく走り込んできた男性が私のすぐ間近まで迫っていた。

「そこの女、どきやがれっ!」
「きゃっ」

 そ、そんなことをいきなり言われましても!

「ブランシェ!」

 恐怖で硬直しそうだったところ、アレクシス様の声が聞こえてはっと我に返り、とっさに身をかわすと何食わぬ顔して魔力で強化した足をさっと出す。
 このまま男は私の足に引っかかるかと思いきや、その直前に足がもつれたように体勢を崩し、走り込んできた勢いそのまま地面へと激しく滑りこんだ。
 かなり前方まで滑って行った男をアレクシス様がすぐに駆けつけて取り押さえる。

「ブランシェ、大丈夫か! 怪我は?」

 盗人を取り押さえながら振り返るアレクシス様の顔は魔神のごとく。いや。もちろん魔神を目にしたことはないが。しかしそれ以上に恐ろしく感じるのは、大の大人が激しく泣きわめく声とバキバキと何かがいくつも折れているような音。

 え? 骨? 骨を折っている? な、何だかすごく痛がっている……が。
 思わずがたがたと震えが来る。

「わ、わたくしは無事です。大丈夫です。そ、それよりその方は」

 大丈夫なのだろうか。もはや抵抗する気配もなく、ただただ痛がっている様子で、見ているこちらまで痛くなってきた。
 青ざめた私を見て彼は目を細めた。

「ああ。厳正な判断のもと、極刑に処する」
「きょ、きょっけい」

 とは……。
 今、アレクシス様は決して魔力を使っているわけではないのに、背後に炎立つ幻影が見えた気がした。

 噂と事実はやはり乖離していないのかもしれない……。
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