2 / 49
第2話 ここが私の再出発
しおりを挟む
――コンコン。
花嫁の控室の扉が鳴り、私たちの返事を待たずして無慈悲にも開かれた。
「ブランシェ姉さん、準備できっ!?」
「わぁ! おきれい。ア――ンむぐっ」
入ってきたのは幸いにも弟妹だったが、弟はもちろんのこと、幼い妹でもひと目で私だと分かったようだ。瞬時に何かを察した弟のクラウスは屈み込むと妹サラの口を押さえた。
さすが頼りになる優秀な弟だ。クラウスはすぐさま背中で扉を閉めた。するとイヤイヤして弟から解放された妹は、ねえさまきれいと私にぱたぱたと近寄ってくる。
「一体どういうこと? どうしてアンジェリカ姉さんが花嫁衣装を着ているの?」
渋い表情をした弟が近づいてくると声をひそめて尋ねた。
「それが……」
身を低くしてサラに構っている私に代わり、当主である父が口調重たげに説明する。
「なっ!? そんなの無茶すぎるよ! 長く側にいればいる程、入れ替わった時に気づかれるに決まっている。現に僕たちはすぐ分かったよ」
私とブランシェは家族以外にはこれまで何度も間違えられてきた。弟妹らが見破ったところでこの計画を止めるつもりはない。
「そうだな。だから早くブランシェを見つけたいと思っている」
「上手くいくわけがない! 相手は戦場では百戦錬磨だと言われているあのパストゥール司令官だよ」
「それは分かっているが、今この窮地を救えるのはアンジェリカだけなんだ」
心苦しそうに言葉を絞り出す父と動揺から立ち直れず、ソファーに伏せる母。この計画の無謀性を懸命に説く弟。
ぴんと張り詰めた空気の中、訳も分からず右へ左へと首を振りながら皆の話を聞いているサラだけが唯一の癒やしだ。
「姉さんはそれで納得しているの!?」
父では埒が明かないと思ったのか、弟は厳しい表情のまま私に視線を流した。
「ええ、もちろんよ。わたくしが言い出したの」
「姉さん、本当にその覚悟があるの?」
「あるわ。無かったら言い出さない。わたくしはブランシェが戻ってくるまで彼女になりきってみせる」
私が側で一番ブランシェを見てきた。彼女の口調や仕草を演ずるくらい容易いこと。
「パストゥール司令官は非常に洞察力が高く、敵意を持っている者や欺こうとしている者は瞬時に見極めて排除するらしい。それどころか自分に従わない者や気に食わない者まで容赦なく処分すると言うよ」
弟は恐ろしい話をするかのように眉をひそめると、パストゥール辺境伯の輝かしい武勇伝から敵国に対しての冷酷無慈悲なまでの残虐な拷問方法まで、実に詳しく得意げにとうとうと語ってくれた。
聞き終わった頃には、私の顔は化粧でも隠せないほどの顔色の悪さになっていただろう。
「これを聞いても?」
はい、容易いとか思ってごめんなさい……。
気を引き締め直さなくては。
「とりあえず生きてパストゥール家を出ることを目標にするわ」
気合を入れるためと、血を通わせるために自分の頬をぱちぱちと叩いてみせる。
「姉さん!」
「クラウス。そんな方がお相手だとしてわたくしまで逃げ出したら、この家は今日終わるかもしれない。だったら今できることをしたいの」
きょとんと私を見上げるサラの頭をそっと撫でた。
クラウスは私の言動を見て苦虫を噛み潰したような表情をした。彼だって家を、家族を守りたいのは一緒のはずだ。
「あのさ。結婚したら、褥を共にする必要があるんだよ。それも分かっている?」
クラウスの言葉に思わず目を見開いた。
わ、忘れていた……。
いわゆる初夜とやらは今夜だろうか。
「な、何とかするわ」
私は慌てて誤魔化し笑いすると、彼は呆れたようにため息をつく。
「アンジェリカ姉さんは所々抜けているよね。……ブランシェ姉さんはこんな直前になって自分勝手すぎる。家族に対して、いや、アンジェリカ姉さんの性格を知っていた上でのことだったのならあまりにも酷い裏切りだ」
私は決して、何があっても笑顔を絶やさないような聖人ではなかった。ブランシェに対して羨みも妬みもあった。クラウスはただ目の前でブランシェに裏切られたと思うから、今、憎しみの込めた言葉を放つのだ。
だからと言って弟と一緒になって彼女をなじる言葉も、いい子ちゃんぶって彼を咎める言葉も言えない。
「よりによってアンジェリカ姉さんの婚約者と逃げるだなんて」
「ブランシェは彼のことを想っていたから」
辺境伯から結婚の申し出があった時からうちには断る選択肢などなかった。むしろ両親は喜んで受けた。だから彼女は強行突破した。
「だからって!」
「ブランシェは自らの力で自由と愛する人を手にした。ただそれだけのことよ」
何もせずにいた自分が何かを言える立場ではない。
「でもね。だからこそわたくしも動くことにしたのよ。いつまでもブランシェに勝ちを譲るつもりはないわ」
もう諦めることには飽きた。今からは勝ちにいこう。
まあ、ブランシェに勝つ前に生き残らなければ……ね。
「姉さん、何だか性格が変わっていない? いや。昔はそんな感じだったかな」
「ふふ」
開き直った人間というのは案外強いもの。きっとここが私の再出発となるだろう。なぜだかそう思えるのだ。
すると、コンコンと扉が再び鳴った。
ご準備はいかがですかと外から声がかかり、家族に見守られながら一つ深呼吸をすると笑顔を作る。そして、ただいま参りますと返事すると私は明るい未来への扉を開けた。
花嫁の控室の扉が鳴り、私たちの返事を待たずして無慈悲にも開かれた。
「ブランシェ姉さん、準備できっ!?」
「わぁ! おきれい。ア――ンむぐっ」
入ってきたのは幸いにも弟妹だったが、弟はもちろんのこと、幼い妹でもひと目で私だと分かったようだ。瞬時に何かを察した弟のクラウスは屈み込むと妹サラの口を押さえた。
さすが頼りになる優秀な弟だ。クラウスはすぐさま背中で扉を閉めた。するとイヤイヤして弟から解放された妹は、ねえさまきれいと私にぱたぱたと近寄ってくる。
「一体どういうこと? どうしてアンジェリカ姉さんが花嫁衣装を着ているの?」
渋い表情をした弟が近づいてくると声をひそめて尋ねた。
「それが……」
身を低くしてサラに構っている私に代わり、当主である父が口調重たげに説明する。
「なっ!? そんなの無茶すぎるよ! 長く側にいればいる程、入れ替わった時に気づかれるに決まっている。現に僕たちはすぐ分かったよ」
私とブランシェは家族以外にはこれまで何度も間違えられてきた。弟妹らが見破ったところでこの計画を止めるつもりはない。
「そうだな。だから早くブランシェを見つけたいと思っている」
「上手くいくわけがない! 相手は戦場では百戦錬磨だと言われているあのパストゥール司令官だよ」
「それは分かっているが、今この窮地を救えるのはアンジェリカだけなんだ」
心苦しそうに言葉を絞り出す父と動揺から立ち直れず、ソファーに伏せる母。この計画の無謀性を懸命に説く弟。
ぴんと張り詰めた空気の中、訳も分からず右へ左へと首を振りながら皆の話を聞いているサラだけが唯一の癒やしだ。
「姉さんはそれで納得しているの!?」
父では埒が明かないと思ったのか、弟は厳しい表情のまま私に視線を流した。
「ええ、もちろんよ。わたくしが言い出したの」
「姉さん、本当にその覚悟があるの?」
「あるわ。無かったら言い出さない。わたくしはブランシェが戻ってくるまで彼女になりきってみせる」
私が側で一番ブランシェを見てきた。彼女の口調や仕草を演ずるくらい容易いこと。
「パストゥール司令官は非常に洞察力が高く、敵意を持っている者や欺こうとしている者は瞬時に見極めて排除するらしい。それどころか自分に従わない者や気に食わない者まで容赦なく処分すると言うよ」
弟は恐ろしい話をするかのように眉をひそめると、パストゥール辺境伯の輝かしい武勇伝から敵国に対しての冷酷無慈悲なまでの残虐な拷問方法まで、実に詳しく得意げにとうとうと語ってくれた。
聞き終わった頃には、私の顔は化粧でも隠せないほどの顔色の悪さになっていただろう。
「これを聞いても?」
はい、容易いとか思ってごめんなさい……。
気を引き締め直さなくては。
「とりあえず生きてパストゥール家を出ることを目標にするわ」
気合を入れるためと、血を通わせるために自分の頬をぱちぱちと叩いてみせる。
「姉さん!」
「クラウス。そんな方がお相手だとしてわたくしまで逃げ出したら、この家は今日終わるかもしれない。だったら今できることをしたいの」
きょとんと私を見上げるサラの頭をそっと撫でた。
クラウスは私の言動を見て苦虫を噛み潰したような表情をした。彼だって家を、家族を守りたいのは一緒のはずだ。
「あのさ。結婚したら、褥を共にする必要があるんだよ。それも分かっている?」
クラウスの言葉に思わず目を見開いた。
わ、忘れていた……。
いわゆる初夜とやらは今夜だろうか。
「な、何とかするわ」
私は慌てて誤魔化し笑いすると、彼は呆れたようにため息をつく。
「アンジェリカ姉さんは所々抜けているよね。……ブランシェ姉さんはこんな直前になって自分勝手すぎる。家族に対して、いや、アンジェリカ姉さんの性格を知っていた上でのことだったのならあまりにも酷い裏切りだ」
私は決して、何があっても笑顔を絶やさないような聖人ではなかった。ブランシェに対して羨みも妬みもあった。クラウスはただ目の前でブランシェに裏切られたと思うから、今、憎しみの込めた言葉を放つのだ。
だからと言って弟と一緒になって彼女をなじる言葉も、いい子ちゃんぶって彼を咎める言葉も言えない。
「よりによってアンジェリカ姉さんの婚約者と逃げるだなんて」
「ブランシェは彼のことを想っていたから」
辺境伯から結婚の申し出があった時からうちには断る選択肢などなかった。むしろ両親は喜んで受けた。だから彼女は強行突破した。
「だからって!」
「ブランシェは自らの力で自由と愛する人を手にした。ただそれだけのことよ」
何もせずにいた自分が何かを言える立場ではない。
「でもね。だからこそわたくしも動くことにしたのよ。いつまでもブランシェに勝ちを譲るつもりはないわ」
もう諦めることには飽きた。今からは勝ちにいこう。
まあ、ブランシェに勝つ前に生き残らなければ……ね。
「姉さん、何だか性格が変わっていない? いや。昔はそんな感じだったかな」
「ふふ」
開き直った人間というのは案外強いもの。きっとここが私の再出発となるだろう。なぜだかそう思えるのだ。
すると、コンコンと扉が再び鳴った。
ご準備はいかがですかと外から声がかかり、家族に見守られながら一つ深呼吸をすると笑顔を作る。そして、ただいま参りますと返事すると私は明るい未来への扉を開けた。
2
お気に入りに追加
2,561
あなたにおすすめの小説
婚約白紙?上等です!ローゼリアはみんなが思うほど弱くない!
志波 連
恋愛
伯爵令嬢として生まれたローゼリア・ワンドは婚約者であり同じ家で暮らしてきたひとつ年上のアランと隣国から留学してきた王女が恋をしていることを知る。信じ切っていたアランとの未来に決別したローゼリアは、友人たちの支えによって、自分の道をみつけて自立していくのだった。
親たちが子供のためを思い敷いた人生のレールは、子供の自由を奪い苦しめてしまうこともあります。自分を見つめ直し、悩み傷つきながらも自らの手で人生を切り開いていく少女の成長物語です。
本作は小説家になろう及びツギクルにも投稿しています。
偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】
※ヒロインがアンハッピーエンドです。
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。
『ごめんなさい』
歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。
無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
妹に全てを奪われた令嬢は第二の人生を満喫することにしました。
バナナマヨネーズ
恋愛
四大公爵家の一つ。アックァーノ公爵家に生まれたイシュミールは双子の妹であるイシュタルに慕われていたが、何故か両親と使用人たちに冷遇されていた。
瓜二つである妹のイシュタルは、それに比べて大切にされていた。
そんなある日、イシュミールは第三王子との婚約が決まった。
その時から、イシュミールの人生は最高の瞬間を経て、最悪な結末へと緩やかに向かうことになった。
そして……。
本編全79話
番外編全34話
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。
性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~
黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※
すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!
貴方誰ですか?〜婚約者が10年ぶりに帰ってきました〜
なーさ
恋愛
侯爵令嬢のアーニャ。だが彼女ももう23歳。結婚適齢期も過ぎた彼女だが婚約者がいた。その名も伯爵令息のナトリ。彼が16歳、アーニャが13歳のあの日。戦争に行ってから10年。戦争に行ったまま帰ってこない。毎月送ると言っていた手紙も旅立ってから送られてくることはないし相手の家からも、もう忘れていいと言われている。もう潮時だろうと婚約破棄し、各家族円満の婚約解消。そして王宮で働き出したアーニャ。一年後ナトリは英雄となり帰ってくる。しかしアーニャはナトリのことを忘れてしまっている…!
無実の罪で投獄されました。が、そこで王子に見初められました。
百谷シカ
恋愛
伯爵令嬢シエラだったのは今朝までの話。
継母アレハンドリナに無実の罪を着せられて、今は無力な囚人となった。
婚約関係にあるベナビデス伯爵家から、宝石を盗んだんですって。私。
そんなわけないのに、問答無用で婚約破棄されてしまうし。
「お父様、早く帰ってきて……」
母の死後、すっかり旅行という名の現実逃避に嵌って留守がちな父。
年頃の私には女親が必要だって言って再婚して、その結果がこれ。
「ん? ちょっとそこのお嬢さん、顔を見せなさい」
牢獄で檻の向こうから話しかけてきた相手。
それは王位継承者である第一王子エミリオ殿下だった。
「君が盗みを? そんなはずない。出て来なさい」
少し高圧的な、強面のエミリオ殿下。
だけど、そこから私への溺愛ライフが始まった……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる