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第18話 いざ仮面舞踏会へ

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 仮面舞踏会まで残すところ、あと一日となった時だ。私はシメオン様の執務室で机の前に立つ。

「旦那様、明日の仮面舞踏会ですが、私も参加させていただけませんか」
「え?」

 シメオン様は訝しそうに眉をひそめながら私を見つめた。

「側で状態を見守りたいのです」
「それは」
「不測の事態が起こった時、対処できるのは私だけです」
「……薬は出来上がったのか?」
「はい」
「そうか」

 シメオン様は私に薬を持ってくるように言い、同時に人を呼んで観賞用の魚を用意するよう指示した。

「では――どれだけの効果か試させてもらう」

 信用されていないのは明らかだった。色と匂いを確かめられた後、冷たくそう言い放たれた。私は緊張で汗ばむ手を強く握りしめ、こくんと小さく喉を鳴らす。
 私から受け取った薬瓶を手にガラスの小鉢に近付いた。小鉢の中には、人間の思惑も、これから起こることも知らずに気持ちよく縦横無尽に泳ぐ一匹の哀れな小魚がいる。

 ……ごめんね。
 いつだって誰かの、何かの犠牲になるのは抵抗する力のない弱いものだ。だから強くなりたかった。強くあろうとした。強いものに抗うことができるだけの力をつけたかった。けれどそれはやっぱり自分より弱いものを犠牲にせずにはいられなくて――。

 傾けられた薬瓶から薬液が一滴、水面へと落とされると、まるで水の波紋を消すように魚が元気よく横切っていく。水の色も同様、何の変化もない。けれど程なくして金の輝きを振りまいていた小魚は泳ぐのを止め、ゆっくりと底に沈んでいった。
 私はただそれをじっと見つめる。

「なるほど。ではこの薬は明日まで私が預かっておく」
「え?」
「何だ? 何か問題があるか?」
「……いえ」

 すり替えられては困ると思ったのだろう。

「ところで仮面舞踏会の参加ですが」
「ああ。許可する」
「ありがとうございます。――あ。でもドレスが」

 舞踏会を参加したことなどはるか昔のことで、すっかり忘れていた。古いドレスなら実家にあるが、叔父らが居座っている今、取りに帰ることはかなわない。

「それは問題ない。こちらで手配する。のちほど採寸に人を送る」
「そうですか。ではよろしくお願いいたします」

 仮面舞踏会と言えば豪華なドレスだと言うが、高位貴族なら直前になっても容易に準備できるらしい。

「あと……この子、私の手で埋葬させていただいて構いませんか」
「ああ」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」

 私は小鉢を抱くと執務室から出た。


 シメオン様は言葉通り、ドレスの用意をしてくれて現在採寸中だ。と言っても明日に迫っているので、仮縫いぐらいで終わりそうだ。

「少しだけ詰めるぐらいで良さそうです」
「やはりアランブール伯爵家ともなると、こんな豪勢なドレスを直前でも用意できるものなのですね」

 ため息をついていると、クラリスさんは首を振った。

「いいえ。これは事前にご用意されていたものですよ」
「そうなのですか?」

 するとクラリスさんは失言だったのかと思い、私はこういうところが駄目なのですよねと口に手を当てる。

「着丈は直すところがないようですし、私の体に合わせて事前に作られていたのでしょうか」
「ええ。そうだと思います」

 彼女は諦めたようにそう言った。
 やはり私が嫁ぐことを前提としていたようだ。……しかも私の体のサイズまで調べていたってどういうこと? 個人情報の侵害にもほどがある。
 今回、私がロドリグ・ダルトンさんについて詳細に調べてもらうように頼んだことは棚上げでむっとしてしまう。

「エリーゼ様?」
「あ、いえ」
「ドレスなのですけれどね。エリーゼ様と同年代ということで、以前、私はドレスを選ぶのに立ち会わせていただいたのですが、旦那様は宝石の真贋でも見極めるかのように、終始真剣なご様子でしたよ」
「え?」

 あれだけ傲慢な態度で私をお金で買ったくせにどういうこと? おまけに彼は薬師の私に毒薬を作ることを強制し、さっきは私からためらいもなく薬を受け取って、私のことなど信用がないかのように試験した。それでいてここで暮らしやすいように所々配慮が見えたりする。……一体どういうつもり? 本当にシメオン様が分からない。

「エリーゼ様、明日の化粧も私にお任せくださいませ」
「え、あ。ええ。ぜひお願いいたします」
「腕が鳴ります! 舞踏会一の美女に仕上げてみせます!」
「ありがとうご……あ。明日は」

 仮面舞踏会です。
 そう続けようと思ったけれど、腕まくりしてふんふん気合を入れているクラリスさんを前に私は口をきゅっとつぐんだ。


 翌日の夜、いよいよ仮面舞踏会に向けて出発だ。

「エリーゼ様、お美しいです! 旦那様を含めて皆、必ず見惚れますよ。男性の熱い視線を受けて旦那様が嫉妬してしまいますね」

 クラリスさんは満足が行く仕事ができたようだ。
 色々そこは違うと指摘したい部分はあるものの、せっかく頑張ってくれた彼女のために、感謝を述べるのみにしておいた。それに見違うほど綺麗にしてくれたのは本当だから。

「では、行って参ります」

 既にシメオン様が外でお待ちだということで、私は皆に見送られながら外に出た。

「ようやく来たか。行く……」

 私の気配を感じ取ったシメオン様が振り返ると、そう言って言葉を途切れさせる。
 彼は、白いシャツに金縁された象牙色のウエストコートに濃紺のコートをまとっている。仮面舞踏会としてはもしかしたら控えめな装いかもしれない。ただ、悔しいけれど何を着ても似合う方だなと思う。
 むっとしながらシメオン様と向き合っていると。

「――さあ。行くぞ」

 シメオン様は私に手を伸ばし、私はその手を取って馬車に乗り込む。すぐに彼も乗り込んできて馬車は出発した。
 話すこともなく、馬車の中は沈黙が続く。ドレスのお礼ぐらい言ったほうがいいだろうか。
 そう思って。

「この……」

 そこまで言ったが私はすぐに口を閉じた。
 やはりどう考えても、無断で女性の体のサイズを調べているだなんて失礼にもほどがある。しかもまだ両親が健在でパーティーに出席した頃の、今より少しだけふっくらしていた時のサイズだ。確かに家を追い出されてからは仕立てなど値が張るものはとんでもないことだったし、古着を買う余裕さえなかったから情報が昔のものから推測したものしかなかったのだろうけれど! お礼なんて絶対絶対言うものか!

「何だ? 緊張しているのか? 顔が強張っているが」
「え? ええ。まあ、そういったところです」
「緊張のあまり、決して手落ちすることのないように」
「承知しております。事前の準備は万端にできております」

 自分が持っている手鞄に視線を落とすと軽く叩く。

「そうか。間もなく到着する。仮面の用意を」
「はい」

 私は座席に置いていた仮面を取ると装着した。
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