上 下
24 / 51

第24話 通訳は大変

しおりを挟む
「コてぃーンまイヤー、アむーるレイヴァン」
「ああ。――XX」

 夕方、レイヴァン様をお迎えすると、ありがとうは違う、新たな単語へと音が変わった。
 マノンさん曰く、今帰った、ただいまということらしい。まるでレイヴァン様からもサンティルノ語講座を受けているみたいで少し楽しい気分になる。また知らない言葉を知ることはとても興味深い。早く語彙力を高めてレイヴァン様や皆さんともっとお話しできるようになりたいと思った。

 夕食はレイヴァン様がお帰りになって少し経ってから開始された。
 以前はもっと夜遅くなることもあったそうだけれど、世の中が落ち着いた今は早くの帰宅ができているとのこと。これはマノンさんを介して伝えられたミレイさんの言葉だった。

 ――そう。
 忘れていたわけではないけれど、グランテーレ国とサンティルノ国は少し前までは争い合っていた間柄なのだ。戦争が終わったからと言って、揉め事が何も無かった過去と同じ感情でいられるはずがない。元敵国の人間に対してすぐ寛容的になれる人間はきっとごく少ないことだろう。
 ミレイさんは淡々と事実を述べただけにすぎず、何の意図などないかもしれない。けれど私は決してそれを忘れず心に留めて、自分の立場を考えていかなければならないと思う。

「クリスタル様、レイヴァン様が本日は何をしていたのかとお尋ねになっております」
「今日は庭を散策しておりました」

 この季節でも日差しが強いからと、ルディーさんが傘を用意してくれた。けれど私はその使い方が分からず、受け取ったまましばらく見つめていた。するとスキューズモア、つまり申し訳ございませんとミレイさんが開けてくれた。
 呆れたような目を私に向けていたのはルディーさんだ。私のことを傘の開け方一つ知らぬ無知な人間か、傘すら自分で開かない傲慢な人間かと思われたかもしれない。

 実際のところは前者だ。私は傘の開け方が分からなかった。昔読んだ本では、私は傘を開けた、としか書いておらず、開け方までは詳しく書かれていなかったから。
 本は私に見知らぬ世界や知識を与えてくれたが、自分が目を通した本だけではすべてのことまでは網羅していないのだと知った。

 それは当然だろう。空の色も花の色も瞳の色も、自分の目で確認して色の名を教えられて初めてこれがその色だと認識できるようになるのだから。
 私はこれからいくつもの恥を重ね、知る悲しみと、けれど喜びも感じてたくさんのことを学んでいきたいと思う。

「好きな花はあったかと」
「気になったお花はあります。お花の名は分かりませんが、花弁が青色で中央が黄色のお花です」

 マノンさんが伝えてくれるとレイヴァン様が小さく頷いて何かを言う。

「君の瞳の色だな、とおっしゃいました」
「はい。……わたくしの瞳の色です。青と黄色のお花です」

 私の色だと言って穏やかに微笑むレイヴァン様が、なぜかまるで自分の存在を認めてくれたかのように思えて嬉しく思った。

「クリスタル様、明日の予定をお伝えします」
「はい」

 レイヴァン様の中ではその話は終わっていて、次の話題に移っていたらしい。私は、マノンさんの言葉でふわふわした所からいきなり現実に引き戻された。

「明日は宝石商の方が見えるそうです。ドレスに合わせた装飾品が必要だろうからとのことです」
「そうですか」

 私一人で選ぶのだろうか。宝石の価値もきっと分からないし、服とのバランスも分からないし、少々不安だ。服も指示してくれたし、またミレイさんが選んでくれるだろうか。

「それとレイヴァン様が明日お休みを取られたそうです」
「そうなのですか? ではご一緒に選んでいただけるのでしょうか」

 補足された言葉に自分でも口元が緩んだことを感じる。レイヴァン様が選んでくだされば安心だし、ご一緒できる時間が増えるということだ。
 気持ちが浮き立っているせいか、食が進んでいる気もする。

 一方でマノンさんが伝えてくれると、レイヴァン様はなぜかきまりが悪そうに視線をずらしてしまった。私が楽しみにしていただけで、レイヴァン様はやはりご迷惑だったのだろうか。
 少し沈み込んでいると、彼は私の視線に気が付いたようで、ああと頷いた。そのまま咳払いするとまた何かを言った。

「ところで今日は食欲があるようだなとおっしゃっています」

 グランテーレ国では食事をすべて食べずに残すことが作法だと教えられて、それが習慣付いたせいで目の前の料理に手を付けることが、気持ちの上でできなかった。しかしここではむしろそれが好ましいことではないどころか、反感を持たれることだと知った。
 これから料理と料理人の方に敬意を払ってもっと頑張って食べていくようにしようと思ったのだ。そう。できないことのほうが多い私だからこそ、今自分ができることをしたいと思ったのだ。
 それに何よりも、私が少食で華奢だといつまでも初夜が行われないのは、問題だから。

「はい。わたくし、初夜のために頑張って食べる決意をしたのです」

 そう言うと、いつもはすぐに通訳してくれるマノンさんなのに、いつまで経っても無言のままであることに気付いた。不思議に思って視線を向けると困惑している彼女の姿が目に入る。

「ええっと、あの、あのですね。その」

 もしかして訳すのが難しかったのだろうか。マノンさんもまだ移住して四年目で言語が拙い部分があると言っていた。決意という言葉が悪かったのかもしれない。

「マノンさん。初夜のために頑張って食べることにした、で構いませんよ」
「え!? あ、いえ。あ、ハイ……」

 目をすがめたレイヴァン様にも促され、彼女はようやくいつもの滑らかなサンティルノ語とは違って、しどろもどろと通訳する。するとそれを聞いたレイヴァン様は目を見開いた後、スキュー、つまり悪い、と言って頭が痛そうに額に手を置いた。

 何が悪かったのか、後でマノンさんに尋ねてみたけれど、何も問題ありませんよ大丈夫と、なぜかげっそりした様子で言っただけで答えてくれることはなかった。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

舌を切られて追放された令嬢が本物の聖女でした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

【完結】おしどり夫婦と呼ばれる二人

通木遼平
恋愛
 アルディモア王国国王の孫娘、隣国の王女でもあるアルティナはアルディモアの騎士で公爵子息であるギディオンと結婚した。政略結婚の多いアルディモアで、二人は仲睦まじく、おしどり夫婦と呼ばれている。  が、二人の心の内はそうでもなく……。 ※他サイトでも掲載しています

無口な婚約者に「愛してる」を言わせたい!

四折 柊
恋愛
『月の妖精』と美貌を謳われるマルティナは、一年後の結婚式までに無口で無表情の婚約者トリスタンに「愛してる」を言わせたい。「そのためにわたくしは今、誘拐されています!」

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

処理中です...