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第二十三話 覚醒

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 クレアはもう声すら出せなかった。叫びは嗚咽になり、恐怖による体の震えは止まらなかった。それでも彼女の視線は破壊された勇者リーンから離れる事が出来なかった。
 クレアは機械なんてわからない。わからないが、勇者が死んだという事実は理解できていた。クレアは聡い子であるが、その時ばかりは、その賢さが裏目に出たと言える。
 彼女は自分が置かれた立場を即座に理解していた。自分はもう独りぼっちなのだと、誰も助けてくれない。誰も声をかけてくれない。誰も傍にいない。
 ひたすらその事実だけがクレアを突き刺していた。

「手間をかけさせてくれたな」
「ひっ……!」

 ジャべラスが巨腕を伸ばし、勇者リーンの、孝也の残骸をつかみ取る。乱暴な手つきで握られた孝也は、胸部に大きな穴が穿たれ、右腕がずり落ちていった。頭部はひび割れ、内部の機械が露出していた。体中のあちこちで無事な所などないのがクレアにも一目でわかる。

「神殺しの加護、その残りを頂く」

 掌に握りしめた孝也の残骸から光が吸い取られていく。同時に石化も始まっていた。

「や、やめて!」

 クレアは思わず叫んだ。
 そんなことをしたら、勇者様は本当にいなくなってしまう。

「やめて!」

 クレアはかすれる声で叫び、震える体に鞭を打って、一歩踏み出した。その間にも孝也は石になっていく。クレアは歩調を速めた。

「勇者様を離せ!」

 言ったところで、どうにかなるものではない事ぐらい、クレアにだってわかっている。自分には戦う力なんてない事ぐらい、クレアはわかっている。自分に施された神様の、ネリーの加護が一体どういうものかだっていまいち理解していない。
 ただ、勇者が戦う為に、自分が必要だという事ぐらいだ。ただそれだけの存在であり、その為に、一度は勇者たちを危険な目に会わせてしまった。

「離して!」

 ヴィーダーをうまく利用できたのだって、状況が良かったからだ。彼がジャべラスの復活を求めていたからこそ、自分はその生贄としてさらわれた。自分を生かしておく理由があったから、それを利用したに過ぎない。
 だが今の状況はどちらでもない。ジャべラスは自分の加護を奪えば、そのあと自分を殺すだろう。そんなことぐらい、クレアにだってわかる。
 ジャべラスが一切の警戒をしていない理由だって、自分にはなんの力もない事がわかっているから、後回しにしているに過ぎない。

「勇者様を、返せ!」

 だからと言って、クレアは逃げる事なんてできなかった。そもそも逃げる方法だってない。どのみち、自分は助からないのだろう。ならば、だからこそ、クレアは最後まで抗ってみるのだ。
 どんくさくて、泣き虫で、何の取り柄もない自分でも、意地はある。

「えぇい、鬱陶しい!」
「わっ!」

 クレアの声が癇に障ったのか、ジャべラスはクレアを睨みつけると、黒い球体に閉じ込める。球体はふわふわと浮かび上がり、ジャべラスの目線の高さまで移動した。無機質な仮面、闇の奥底から見つめるような視線を全身に浴びたクレアは球体の中で、息をのんだ。

「もうじき、この鉄くずから加護を吸収し終える。その次は貴様だ小娘」

 ジャべラスは石化していく孝也を見せつけるようにクレアへと掌を近づけた。クレアの目と鼻の先で、孝也は完全な石となった。

「フフフ。勇者、な……かつての我であれば、遅れをとったかもしれぬが、全ての神を内包し、神をも超えた我の力の前では無力であったな。見ろ、小娘。最高神ネリーの作り出した勇者など、このざまだ!」

 高笑いをしながら、ジャべラスはくるりと掌を返す。石化した孝也が重力に従い、落下していった。当然、地面に激突すれば、孝也はバラバラ、粉々に砕け散った。
 その光景を見せつけられたクレアはぺたんと、崩れ落ちた。

「許さない……!」
「うん?」

 クレアは顔をうつむかせたまま、震えていた。ジャべラスは、それが絶望の姿であると思ったが、漏れてきた言葉は絶望とは程遠いものだった。

「私は、あなたを絶対に許さない!」

 ぎゅっと両手を握りしめ、唇をかみしめながら、クレアは顔を上げた。その瞳には未だ光が灯っていた。怒りに打ち震えた顔だった。

「なんで世界を滅ぼそうとするのかなんて、関係ない。あなたの思惑なんて知ったことじゃない」

 理解もしたくない。どんな理由があっても人を傷つける事が許されて良いわけがないのだ。

「ほぅ……?」

 クレアの思わぬ姿勢に、ジャべラスは思わず感心した。所詮小娘、せいぜい大きく喚き散らすだろうと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

「なるほど、貴様にネリーの加護が与えられたのは偶然ではないようだな」

 言いながら、ジャべラスはクレアを閉じ込めた球体を掴む。握りつぶすことはしなかった。ジャべラスは興味深げにクレアを眼前へと運んだ。

「貴様は心強きものなのだろうな。そういう存在は嫌いではない。だが、惜しいな。肉体が脆弱では我の世界には必要ない」
「うっ……!」

 クレアは一瞬だけめまいがした。原因はすぐにわかった。自分の加護が抜き取られているのだ。石化の兆候はまだだったが、力が抜けていくのはわかった。
 それでもクレアはジャべラスを睨みつけた。

「良い心だ。強靭な精神力だ。生命とはそうであるべきなのだ。我ら神がもっと試練を与え、鍛え上げ、厳選し、選別すれば生命体はより高次へと至れるはずなのだ! 紛いものではない、鍛え上げられた肉体と炎の如き精神、そしていずれは神を越える力を有する可能性に満ちているはずなのだ!」
「う、うるさい……うるさい!」

 クレアはジャべラスの言葉など聞く気はさらさらない。
 だが、ジャべラスはそうではない。クレアのその頑なな姿勢がジャべラスは気に入ったのだ。

「だが奴らは放棄した! 我々神に与えられた使命を忘れ、ただ安穏とする日々だけを享受させた! だらだらと下らぬ小競り合いが如き戦争だけが起きて、それで終わりだ! 調和だと? 共存だと? 下らぬ! 競争こそが生命本質よ! 他者を越える事こそが生きる意味! それが貴様たち生命体に与えられた無上の喜びであり、崇高なる使命なのだ!」
「な、何をいって……」

 クレアはジャべラスが何を言いたいのかがわからなかった。

「強くあれ、強くあれ、強くあれ!」

 それはまるで詠唱だった。ジャべラスが言葉を紡ぐ度に空間が震えた。神殿内の大地が隆起し、ひび割れる。同時に何かが割れるような音が響き渡る。それは神殿の崩壊を意味していた。真っ白な空間、そこに広がる赤い大地が次々と崩れてゆく。
 割れた大地の下には、塩湖が広がっていた。

***

「荒々しき生命よ!」

 その言葉はまさしく天地創造をなした神の声に他ならない。
 ジャべラスの真言と共に神殿は完全に崩壊した。その光景は、外から見ればまるで大空がガラスのように割れていくように見えた。
 降り注ぐ空の破片は空中で霧散し、消えていく。そのあとには、何事もなかったかのように、いつもの空が広がっていた。
 だが、決定的なのは、地上に新たなる神が降臨したという事実であった。
 その神の名はジャべラス。数多の神を食らった大神であった。

「古き生命を駆逐し、強き世界を築け!」

 ジャべラスが言葉を発する度に彼の体の各所に象られた獣たちも咆哮を上げる。荒々しく、猛々しい雄叫びこそが新たなる世界創造の、産声となった。
 ジャべラスが塩湖に降り立つと、塩湖は一瞬にして干上がり、硬い岩盤が奥底から盛り上がっていく。
 その硬い岩盤を突き破るように、新たな生命が産まれる。翼のない巨竜が空気を求めて巨大な顎を開ける。四つ足の獣は己を刻むように大地を踏み抜く。翼が退化した鳥は飛べない羽を広げ甲高い声をあげた。両腕の生えた魚のような生物はじたばたと尾を跳ねさせ、空を掴む。
 新たに生まれ出でた生物は様々であった。そしてそれらは自分以外のものを見つけると敵意をむき出しにして、襲い掛かる。
 その様子を見て、ジャべラスは高らかに笑った。

「そうだ、食らえ、倒せ、生き残れ! あぁ、なんと素晴らしき姿。これぞ原初の生命そのものだ。ただ生き抜く為に生きる。それすなわち闘争なり!」

 ジャべラスは恍惚の声をあげた。生まれ出でた生命体の一体がジャべラスへと飛びかかる。恐竜のような姿をした巨大な生物だった。ジャべラスはそれを慈しむように眺めると、腕の一振りで首をはねる。
 飛び散った血が腕を伝い、それが月の光に反射して、ぬらぬらと輝く。

「生命よ、強くあれ!」

 ジャべラスのその言葉はまるで世界そのものへと言い聞かせるようだった。その言葉を受けて大地が震える。亀裂が走り、山がそそり立ち、草木が枯れ、新たな生命が産まれていく。それは世界中で起きていた。
 世界を塗り替える。否、作り変える。神の御業が施されようとしていた。

「寂しい世界……」

 獣たちの雄叫びが響き渡る中、クレアの声は酷く鮮明にジャべラスの耳を打った。

「なに……?」

 ジャべラスは血に濡れた顔をクレアに向ける。クレアは球体に閉じ込められたまま、ジャべラスの周囲を浮かんでいたのだ。
 クレアはそんな顔を見てもひるまなかった。ただひたすら、力強い瞳でジャべラスを睨みつけていた。

「あなたは、結局自分が神様をしたいだけよ。どんな言葉を投げても、あなたの言葉に力はない。どんな世界を作ってもあなたは、それに飽きたらまた滅ぼしてしまうわ。きっと、そうよ」
「小娘、貴様……!」
「自分の力を見せつけたいだけだわ! 自分が一番になりたいだけだわ!」
「黙れ!」

  ジャべラスの思考に従うように球体がクレアを運ぶ。ジャべラスの両目が赤々と光る。クレアは再び力が抜き取られていくのを感じた。

「神とは傲慢なものだ! だがな、その傲慢は神に許された、いや、神が行使せねばならない所業なのだ! 神の傲慢こそが世界を育てるのだ! 貴様ら生命体がここまで進化したのも、我らのおかげなのだ!」
「私たちは神様のペットじゃないわ!」
「言うか小娘!」

 ジャべラスは怒りに任せて、クレアの加護の全てを抜き取った。その瞬間、クレアが身に着けていたペンダントが音を立てて砕け散る。

「きゃっ!」

 弾かれるようにクレアは尻餅をついた。

「く、ククク! 小娘、言うではないか。絶対の神を前にしてその精神力は素晴らしい。ククク、面白い。貴様は、我が新たなる世界、母にふさわしいやもしれぬな」
「母……お母さん?」
「貴様をこの大地と一体とし、我が生み出す生命の母となるのだよ。貴様の精神は生まれ出る生命全てに受け継がれるだろうよ。その内の何かが、我を倒すやもしれぬな? ハハハ!」
『幻滅したよ、ジャべラス。君がまさかロリコンだったなんてね』

 余裕に満ちた女の声が木霊した。

「何?」

 ジャべラスは周囲を見渡す。バカな、ありえない。奴は死んだはずだ。

『その一言がなければ、まだ威厳は保てたかもしれないのにね。昔から君は尖っていたが、その方向性、間違えているんじゃないかい?』
「ど、どこだ! どこにいる、ネリー!」

 どこを探しても、姿がない。しかし、声だけは響いて来る。直接、頭から聞こえてくる。
 その声は間違いなくネリーの声だった。奴は確実に存在している。だが、どこにいるのか、ジャべラスにはつかめなかった。全知全能の力を持つはずの自分に感知できないわけがない。ジャべラスは意識を集中して、ネリーの存在を探った。

『はっはっは! 焦っているね? だけど、不思議な事じゃない。君もやったことじゃないか』
「まさか、貴様……ぐおぉぉぉ!」

 瞬間、ジャべラスの巨体がくの字に折れ曲がる。苦悶の声をあげながら、ジャべラスは己の肉体を抑えつけた。だが、その力を跳ね除けるように、自分の肉体の内側から何かが抜け落ちていく。
 体の各部の獣たちも悲鳴を上げていた。

『肉体を捨てて、アストラル体になって、エネルギーと同化する。君が、私の仕掛けた牢獄から向けだし、自分の使徒に憑依したように、私もそれをさせてもらった。まさか、文句はあるまい? 考えたのは君だろう?』

 獣の口から吐き出さて行く光が一か所に集まり、人の形を作り出す。それはクレアの目の前で完全な姿となった。
 無垢な白色のドレスを纏い、右手にはグリフォンの頭部を象った杖を持ち、白髪の煌く長い髪、そして天使のような十二枚の羽を広げた、その女の顔は、まさしくネリーそのものだった。
 ネリーは不敵な笑みを浮かべると、クレアへと振り返った。

「頑張ったね、クレア」

 そして、ネリーは杖を掲げた。

「少々時間がかかったが、作戦は大成功。はっはっは! 奪われた力とちょちょいっといくつかの神の力も頂いたよジャべラス。君は昔から力の管理が甘いんだよ」

 ネリーは盛大に嫌味を飛ばしながら杖を振るう。
 一瞬にしてクレアを閉じ込めていた球体が破壊され、クレアはネリーの腕に抱きとめられる。ネリーから放たれる神々しい光は地上にはびこるジャべラスの生み出した生命体すらも恐れさせた。
 しかし、抱かれるクレアは暖かく、安らぎに満ちた感触を得ていた。それは太陽の光でもあり、母の腕のぬくもりのようでもあった。

「さぁて、私だけが復活してちゃ意味がないわけだ。今の私はかつての私だぞ? 生命の転生なんて、朝飯前だ。クレア!」
「はい!」

 ネリーの意図は、既にクレアにも伝わっていた。元気よく返事をするクレアにネリーはニッコリと微笑みを浮かべて、指を鳴らす。それだけで、ボロボロになっていたクレアの服装が変わっていく。ネリーとおそろいの白いドレス、砕かれたペンダントは元通りになり、さらなる輝きを放つ。

「転生……合体!」

 少女の言葉は、決まっていた。
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